第25話 悪魔にご用心

 気絶させたオカムラを背負って鷗里公園を出た私は、街を歩きながらタケミガワに公園で調べた事を電話で伝える。


「相手は古代の悪魔だ。夢魔やそれを崇拝する一族は古代の悪魔に利用されているだけで、教祖を名乗り出ている奴は本物の悪魔だ」


 事は思っていたよりも複雑な状況にある。

 私が宮殿で見つけた魔法陣は、魔法陣の使用者がその召喚内容を知っていたとは思えない条件が書かれていた。

 


 汝、この地で異界の者を召喚するべからず。

 身に余る力を行使した代償は、運命の運び手によって清算されるであろう。

 この契約を解消したければ、王に相応しき器を用意せよ。

 

 

 宮殿の魔法陣は、異世界から何かを召喚するものではなく、異世界から何かの召喚を禁じる言葉が書かれていた。

 言葉に背いて何かを召喚した者には罰が与えられ、因果によって身を滅ぼす。

 

 あの魔法陣は、わざと何かを召喚させ、禁忌を犯した者の因果を操作する権利を獲得する類のもの。人間にとっては国を滅ぼしかねない悪魔の契約だ。


「魔法陣に書かれていた『この地』の範囲は分からないが、古代の悪魔がその権力を主張する規模を考えれば、沖縄全域が召喚の制限を受けている可能性がある。今からは、何があっても異世界から契約者を召喚するな」


 電話越しに「分かった」と口にはするが、声の様子からしてタケミガワも勘づいているだろう。

 沖縄に所属するアイギスを始め、この沖縄で異世界からアイギスを召喚した事がは、現在地を問わず古代の悪魔の手が肩に掛かっている。


『お前が警告した通りの事になっている訳か……』

「お前達がこの世に生を受ける前から仕掛けられていた罠だ。今更気にしても仕方ないし、害があるのは異世界と通じている奴だけだ」

『……そうだな』


 タケミガワ達は、動植物保護楽園を見学し終えて宿泊施設に向かった学生達の追跡中。

 アナスタシアは楽園に向かう際に乗っていた軽自動車で付近を走り、私を探しているらしい。


『こちら側は今のところ問題なしだ。もし足が必要なら、アナスタシアに直接電話をして迎えを――――』


 タケミガワの話を聞きながら信号待ちをしていると、横断歩道を渡った先に立つ白髪の女の姿が見に留まる。

 

『アストラル、聞こえているのか?』

「……また後でかけ直す。迎えは要らないとアナスタシアに言っておけ」


 電話を切ると信号が青になり、白髪の女が常識人を装って左右を確認してから横断歩道に足を踏み入れる。


「痛っ。おい危ないだろ、どこ見て歩いてるんだ? 前を見て歩けよ、ったく……」


 正面から歩いてくる人間を自らの意思で避ける事なく進む女の右肩に、一人の男がぶつかった。


「――前を見て歩くべきは君の方だよ」


 そう言って女が右肩についた埃を手で払うと、女にぶつかった男がスマホを落としてその場に倒れる。

 

「え? あの、大丈夫ですか!? えちょっと、誰か、誰か救急車!」


 倒れた男を気に掛ける様子もなく信号を渡り切った女が、私の前で歩みを止めて微笑む。


「彼を助けなくて良いのかい?」


 と言われても、女の肩にぶつかった男は既に死んでいる。


「……もう助からないだろ」


 その通りと言わんばかりに晴れやかな顔をする女が空を見上げると、背負っていたオカムラの心音が途絶えてしまう。


 ――殺された。


「素晴らしい回答だ。助けたところで何も解決しない。その女はバイツァダストの一員だったし、タケミガワに泣きついていた女性隊員もバイツァダスト。さっきの男は不慮の事故だが、生きるに値しない人間の死など私の気にするところではない」


 葬儀に出席できそうな服で身形を整えている白髪の女は、一滴も汗をかいていない。

 体温も、気配も感じない。見えてはいるが、何もない空間を眺めている気分だ。


「そのゴミはこちらで処分しよう」


 女が手を叩くと、背負っていたオカムラの死体が消える。

 神隠し、悪魔の契約がもたらす「権能」による仕業だ。


「さて、それでは商談と行こうか? 亡国の王よ」


 歩いて来た道を引き返す女の横に並んで歩くだけで、様々な権能が目に留まる。

 今この瞬間も常に効力を発揮している権能は、私達を追い抜いた一台の車を柱に衝突させる。

 そして、柱に衝突した運転手の元に駆け付ける一般市民には、私達が見えていない。


「余計な詮索をせず、単刀直入にこちらの要求を伝えよう。私の要求は一つ、マツルの頼み事から手を引け。あの半端者は私にとっての生き甲斐だ」


 女が指で何かを引き寄せると、柱に衝突した車の運転手から魂が抜け出し、女の手元に移る。


「それでも君が『お前を殺す』というのなら、私も本部から来たアイギスを始め、沖縄支部に居るアイギスを全員殺す」


 女が青白い光を放つ魂を握り潰し、手についた残り火を払い落す。


「こちらの要求は以上だ。マツルにさえ関わらなければ、後は誰を殺そうと構わない」


 口ぶりからして、この女がマツルちゃんの母親の仇である可能性は高い。

 もしもこの女が本当に仇なら、ピーチャンが口にした「標本」は母親の魂だろう。


 素直に答えてくれるかは分からないが、聞くだけ聞いてみよう。


「お前は、マツルちゃんの母親の魂を持っているのか?」


 質問すると、女が呆れた様子で答える。


「持っているからこそ『関わるな』と言っている。君はマツルのあの姿を見て、何も違和感を感じないのかい? あの姿に成るまでにどれ程の月日が流れたか、どんな時代だったか、周りに居る人間と比べてみたまえ」


 マツルちゃんが見たのは、我が子を守る為に魂を捧げた母親の最後。マツルちゃんを現代まで守り抜いて来たのは、私の隣を歩くこの女。


 女は、前払いで報酬を受け取り、マツルちゃんの母親と交わした契約に従って仕事をしているだけだった。


「マツルちゃんは、自分の母親が自ら魂を捧げた事を知っているのか?」

「知っていようといまいと、私の仕事には支障がない。この契約は母親の意志によるもの、マツル本人の気持ちは関係ない。だからこそ私は引き受けた」


 自分を犠牲にする事を子供は望んでいないと知りながら、女は契約をした。

 自分のせいで母親の魂が解放されていない事に苦しむその姿を特等席で見る為に、見続ける為に、女は私を脅している。

 

 残る謎は、ピーチャンが口にした「オサム」という人物くらいか。


「オサムの事はどう説明する気だ? オサムを殺すと恨みを口にした鳥は、そう呼ばれる人物が実在するような物言いだったぞ。公園に居た巫女もそうだった」

「マツルが鳥に教えた『オサム』と、夢魔の信者が口にした『オサム』は異なる経緯で生まれた架空の存在だ」


 女の話によると、マツルちゃんが生まれた時代は人攫いが多かったらしい。

 交易や戦争の影響もあって奴隷や人質の需要が高く、特に狙われていたのが子を産める女性だった。

 母親が悪魔と契約してまでマツルちゃんを隠した理由も、この人攫いが関係しているらしい。

 

 マツルちゃんがピーチャンに教え込んだ「オサム」は、人攫いが多かった時代背景が生み出した幻影に、人の魂を集める悪魔達の目撃情報が合わさって生まれたもの。

  

 マツルちゃんの母親の魂を今も大切に管理している悪魔がそう言っているのだから、この説は紛れもない真実だろう。


「教団の方に関しては、夢魔を利用して子作りに励んだ一族が作り上げた偶像だ。人々に歓迎されるはずもない夢魔の代理さ」


 その夢魔を子宝に恵まれない一族に紹介したのは「お前だろ」と決めつけると、女が爽やかな笑顔で「あれは楽しかった」と答える。

  

 笑えても、所詮は悪魔。


 ――青春時代の思い出を語るように笑った女の表情は、一分も持たなかった。




「さて、色々と君の質問には答えてあげたし、そろそろ君も私の質問に答えてくれないかい? マツルに関わるのを辞めるか、一人の見当違いな復讐の為にアイギスを全員殺すか。決めるのは君だ」


 決める必要などない。


「決めるも何も、私はマツルちゃんから依頼を引き受けた訳じゃない。愚痴を聞かされた程度の関係だ」

「それは、その愚痴に情緒を乱されて行動する事はないという解釈で良いのかい?」

「解釈違いだ。私の答えは、『あの子が真実に辿り着くまでは、お前を生かしてやる』という意味だ。真実を知っても尚、あの子が母親の魂の解放を望むのであれば、その時にまた判断する」


 この女が誰なのかは知らないが、悪魔である事に変わりはない。

 悪魔は皆が利己主義の生物であるがゆえ、求めている答えが返って来ない時は色を付け足す。


 女の次の言葉は、顔を見ずとも容易に想像できる。


「アイギス全員の命では足りないという事か……それなら、少し色を付けてあげよう。君がこの地に居る間は――」

「お前の『少し』が私にとっての『少し』とは限らないぞ。お前が口にしようとした『この地』に関しても、人によって解釈が異なる表現だ。具体的な表現を用いた条件以外、私はお前の言葉に耳を貸さない」


 曖昧な言葉を鮮明にせず交渉に応じるのは不幸の基。

 ここまで言えば、流石の女も私の前に現れた目的を話すはずだ。


 ――この女の真の狙いは、私がマツルちゃんから身を引く事ではない。


「……君は、私を敵に回す気なのかい?」

「既に交戦状態と言ってやろう。お前は私の許可なくアイギスの隊員を殺した。あの女が本当にバイツァダストの仲間だったのかどうかを確認させる前に、お前は手を出した。こうして口が利けるだけでも幸運だと思え」

 

 何も考えてなさそうな女が私の目を見つめる。

 見つめる以上の事はして来ないし、特に謝罪する気もないだろうが、「次は無い」という警告はこれで必要なくなった。


「君の望みを聞いた方が早そうだな。何か欲しいものがあるのかい?」


 判断力と権能が及ぶ範囲からして、この女は上級悪魔。

 出来ない事が多い下級悪魔に、「何か欲しい物はあるか」と口にする権利はない。


 ここからが本当の商談だ。


「私が『もうお前は必要ない』と言うまでの間、アイギス、バイツァダスト、オサム教、この三つの勢力の計画が全て失敗に終わるよう因果を操作しろ」


 望みを伝えた瞬間、女の顔から情が消えた。


 今の伝え方で私がやろうとしている事を読み取れたなら、この女の序列は相当な位置に在る。


「それは、いくら何でも欲張り過ぎじゃないか?」


 私は、贅沢な望みだと主張する女に対し、左手を差し出して握手を求める。

 

「人のフリをして人間界を歩いている上級悪魔が、自分だけだと思っているのか?」


 経緯は違えど、私自身も魂を失って悪魔に近い存在と化した身。


 ――上級悪魔の女にとっては、予想もしていなかった展開だろう。


「…………君は、何の権利を得ている悪魔なんだい?」

「相手の権利を侵害する権利を得ている」


 権利を伝えると、女が私の左手を左手で握る。


「……なるほど。権能の情報開示が条件か」

「残念だがそれも解釈違いだ。言ったはずだぞ、既に交戦状態にあると」


 私から女の手を放してやると、私の権能の効果を受けた女が上着から青白い魂が詰め込まれた小瓶を取り出す。


 女が取り出した小瓶の中にある魂は、マツルちゃんの母親の物で間違いない。


「君は、私が誰なのか分かっていないようだな…………」

「お前が誰だろうと、私の権利を侵害した悪魔に権利はない」


 私の権能は、権能を手にした経緯が異なる関係で制御が出来ない。

 これは、私を助ける為に、私の許可無く魂を奪い取った悪魔達が残した負の遺産に近い。


 私が許すまで、白髪の女が権能で主張出来る権利は侵害され続ける。

 私との握手を拒めなかったのは、拒む権利を侵害されたから。

 母親の魂を出したのも、隠す権利を侵害されたから。


 権力社会の住人、その代表者の一人が左手で握手をした事実は、この女が私の権能の影響下にある証拠――――


「何をすれば、私は君の権能の影響下から抜け出せるんだい?」


 女から魂が入った小瓶を受け取り、権能の効果が切れる時期を伝える。


「私が『もうお前は必要ない』と言うまでだ。この魂は、遺族の元に返す。真実を伝え、真実を受け止めたマツルちゃんが考えを改めてお前の力を必要とした時は、改めて契約を結べ。私が立会人だ」

「それはあまりに酷い条件じゃないかい? 君の権能の影響を受けている状態での取引は、私に選択肢がないじゃないか」

「自業自得だろ」


 心を持たぬ者同士ゆえ、同情の余地はない。

 

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