第20話 叶え

「ゲホッ、ゲホッ……」


 照明が消えた薄暗い機内に、ヤジマの咳が響く。


 非常口をこじ開けて乗り込んだ機内は血の海だが、血を流したのは人間の骸に黒い粘液が絡みついた屍人の類。

 学生達を守る為に同乗していたヤジマ以外のアイギス達は、全員が頭を撃たれて死んでいる。


 死んでいるのは、アイギスの隊員だけ。

 学生達は席に座ったまま眠らされた状態で、反射的に首を振りながら様々な事を呟いている。


「……不幸中の幸いか」


 悪夢にうなされている学生達を確認しながら機内を進み操縦席の扉の前に辿り着くと、扉に身を預けて座り込んでいるヤジマの姿が確認出来た。

 ヤジマの体には、屍人が持っていたであろう錆びた短剣がいくつも刺さっている。体も切り刻まれ、白いシャツが真っ赤に染まるほどの血が流れ出ている。


 ――流石だ。


「心は晴れたか?」


 話し掛けると、今にも死にそうな目をしたヤジマが私を見て鼻で笑った。


「無傷かよ。流石だな…………」


 掠れた声で、顔を上げる力も残っていない。

 糸が切れた人形のように座り込んでいるヤジマの側には、闇から拒絶された娘の姿が在る。

 まだ幼い娘の寝顔は、母の胸元で眠りに安心し切っている時の状態に等しい。


「眠りが深いようだな」

「ァァ…………幸運の女神さ」

 

 ヤジマがここまで戦えたのは、娘の体から溢れている生命力のおかげだろう。

 穢れなき魂が邪悪な力を寄せ付けず、希望に満ち溢れている娘の想いがヤジマを守り続けた証拠。


 好かれているからこそ実現した奇跡と言える。


「回復魔法は使えないのか?」

「…………無理だ。それが出来るのは、カタギリだけだった。真っ先に闇の餌食だ」


 戦力の要となる者を最初に狙うのは常識。

 返り討ちにされても相手を勝たせないという敵側の執念を感じる。  


「……お前は強いなぁ、アストラル。娘も、お前の足元に指が掛かるくらいには、強く成ってくれねぇかな…………俺みたいな男には、引っ掛かって欲しくない」


 意識が薄れかけている。


 眠らないように話し掛けて、何とか時間を稼ぐしかない。


「ヤジマ。北の道で私がお前に言った言葉を覚えているか? あの時、私はお前に酷い事を――」

「忘れたね、そんなこと…………」


 返事をしたヤジマが、扉に大量の血痕を残しながら横に倒れる。

 鈍い音を立てて倒れたヤジマの前には、父親の雄姿を夢見ながら眠り続ける娘が居る。


「…………カナエ。俺は、お前の為に車を捨てた。酒も辞めた。ギャンブルも辞めた。政府の組織で稼いだ金は全部、お前の名義で作った口座に入れてある」


 ヤジマが拳銃の引き金を引く形のまま硬直した右手を動かし、上着の胸元から血塗れの煙草を取り出す。


「カナエェ……こんな事をお前に言う資格は俺にないが、煙草だけは辞めてくれ。俺が辞めれなかった事を始めないでくれ。友達に勧められても、煙草にだけは手を出さないでくれ。こいつは人を腐らせる…………俺が証拠だ」

 

 娘の「カナエ」という名前からは、その夢が叶って欲しいというヤジマの想いを感じる。

 叶って欲しいという「願い」ではなく、不器用な男の暴力性が垣間見える「叶え」という命令口調だ。


「カナエ。嬉しい時は、上を向くんだぞ? そうすれば、アヤカがお前に微笑んでくれる。悲しい時は、下を向いて俺を笑え。歩く時は、ちゃんと前を見るんだぞ? 危ない橋を渡る時は横に居る友達と手を取り合え。笑われても振り返るなっ…………」

 

 声が途切れても、ヤジマは口を動かして何か喋っている。 

 目の前で手を振っても無反応、既に何も見えていない。


「俺は……お前の為に…………煙草を辞めなかったんだ。嫌いだろ? 俺のこと」


 心臓の鼓動が途絶える――。


「おい、ヤジマ。ヤジマ起きろ!」


 聞き入ってしまうほど、ヤジマの言葉は重かった。

 

「聞け、ヤジマ。何の為にお前は今日まで生きて来た? 英雄ぶって死ぬんじゃない! 自分を許すなヤジマ!! お前の罪はその程度で清算されるほど軽いものじゃないだろ!!」


 煙草を辞めなかった本当の理由を最後に打ち明けたヤジマの死が、私にはどうしても許せない。


「逃げるな、ヤジマ・テツオ!!」


 自分の事のように、許してやる事が出来ない。


「逃げるんじゃない。逃げるな、逃げる事は許さない。お前が死んだところで娘の母親は生き返らない。分かっているのか? ヤジマ…………お前の代わりは、誰にも務まらないんだぞ!!」


 体を揺らして叫んでも、ヤジマの心臓は止まったまま。

 取り出した煙草の後始末もせず、ヤジマはこのまま死ぬ気でいる。


「うわっ! 何ですかこれ!? え、ちょっと、ああの、アストラルさん!? 中に居ますか? ていうかこれ、どこから登れば? よっ…………」

 

 この声は――。


「あ、居た。アストラルさん!」


 私の名前を呼びながら機内に入って来たのは、地球に居るはずの保育士の女。


「お前、どうしてここに――」


 どうでも良い。


「……いや、今はそんな事はどうでも良い。この男を今すぐ治せ、まだ完全に死んではいないはずだ」


 本当にどうでも良かった。ヤジマが助かるなら、助けてくれるなら誰でも構わない。


 保育士の女が私の元に辿り着くと機内の灯りが戻り、窓から不自然なほど白い光が入り込んで来る。


「偉大なる生命の母よ。この者の傷を癒し、この者の魂を比類なき器にお戻しください。最上級回復魔法、スペリオル・ヒール!」


 保育士の女が、ヤジマに両手を添えて太古の魔法を唱えた。

 省略をせず、不可視の領域に存在する上位の者に呼び掛ける形で行われた詠唱は、外から入り込んで来る光を集めてヤジマの体を癒す魔法に転じる。


 即効性はないが、堅実な治癒魔法だ。


「アストラルさん。ここは私に任せて、外に居る彼をお願いします。この魔法は時間が掛かるので、それまでこの飛行機に黒騎士を近付けないでください」


 保育士の女が既に何らかの状況説明を受けているのは明らか。

 

「頼む。絶対に死なせないでくれ」

「頑張ります」


 非常口から外に飛び出して城の中庭に降りれば、光に覆われたメルセデスらしき白騎士の背中と、闇に覆われた黒騎士の憎悪に満ちた兜が目に留まる。


 中庭の両端で向かい合う二体の騎士の身長は二メートル前後。

 重厚感漂うメルセデスと比べ、黒騎士の体は人間かと思うほど軽薄感が漂っている。

 黒騎士の憎悪に満ちた兜は人の顔と変わりなく歪み、鋭い鉄の牙が生え揃った口元を開閉する度に、その奥から黒い粘液が飛び散る。


『グルルルッ……メルセデス。最後の家族にして、最初の罪人』


 鉄の体に魂を宿したメルセデスと違い、生きたまま闇の存在に転じたであろう妹は声帯を持っているようだ。

 何百もの異なる声質を持つ女性が同時に同じ言葉を発している状態に近い黒騎士の声からは、声の数と同じ数の魂の気配を感じる。


 恐らく、あの黒騎士は実体を持たない思念体。騎士の形を得ているのは、憎しみの対象と化したメルセデスに影響を受けているからだろう。


【エルダッド。最良の家族にして、最悪の罪人】


 私の魔力を物にしたメルセデスの言葉は蒸気の文字から光の文字に変わっているが、文字を使わなければ会話が出来ない点は相変わらず。

 白雲騎士だった頃との違いは、右肩から手首に掛けて垂れ下がっていた赤い布が左肩にも付いている以外に、心臓の鼓動に合わせて節々から溢れ出る光量が増減している点。


 離れた位置に立っていても伝わって来るメルセデスの心音は、足元の小石を僅かに移動させるほど大きい。


「……メルセデス」


 手を貸すつもりで近寄ると、メルセデスが右手を横に出して【これは私の物語だ】と文字を残す。


 助太刀無用、という事だろう。


『シャァァァァ! その小娘は誰だメルセデス。私から逃げ続けたお前に力を与えたのは、そこにいる小娘なのか?』


 憎悪、憎しみに囚われているものの、エルダッドは私の姿を認識していた。

 エルダッドは正気を失っている訳ではなく、正気を保ったままメルセデスを憎んでいるに違いない。


【私が彼女から受け取った力は、限界を迎えていた体を修復する為に全て使い果たしている。ゆえに、魔力を失った今の彼女は観測者に過ぎない。私がここに居るのは、お前と決着をつける為だ。エルダッド】


 間に合わないと知り、過去に囚われた憎悪の化身から逃げる為に空を目指したとしても、その先で行われていた戦争を乗り越える事で手に入れた力は、メルセデスにとって何にも勝る力だろう。


 私の魔力を体の修復の為だけに使ったというのは紛れもない真実。


 自分を信じているから、力の使い道を決めたのかもしれない。


 ――実に心地良い鼓動だ。


【私は、もうお前から逃げない。ここで片を付ける】

 

 メルセデスが右手を前に出し、衝撃波を生み出す程の鼓動を放つ。


【全てはこの空の未来の為に。今こそ真の姿に目覚めよ、制空剣=スカイライン】


 空を覆い尽くしていた闇を払う一筋の光がメルセデスに降り注ぐ最中、エルダッドも左手を前に出してメルセデスと同じ構えを取る。


『全てはこの地の過去の為に。今一度真の姿を思い出せ。深淵の剣=エルダーズ・グランド』


 空から舞い降りる白銀の剣は、その未来を切り開くであろうメルセデスの手に。

 地の底から這い上がって来た漆黒の剣は、その過去を語るであろうエルダッドの手に。


 白銀の剣と、漆黒の剣。

 二つの剣を同時に手にした二体の騎士が、目と鼻の先に相手を捉える距離に達するまで歩き続ける。


『メルセデス。お前は、自分が堕とした者達がどこで最後を迎えたか知らない』


 立ち向かう勇気を手に入れる為にメルセデスが向かった戦場は、この世界の空。


【人は空に憧れる生き物だが、空に留まる生き物ではない。どんなに辛い事があろうと、人は帰るべき場所に戻らなければならない。愛する家族の元へ、安らぎを得る我が家へ。地上から見上げた空の景色を保つ為に、私はこの世界の王を目指した】


 人間が人間で在り続ける為に必要だったこと。それを教え続けた王こそ、この世界の未来。


『人間を裏切った罪人が何を偉そうに!』


 先に走り出したのは、空から落ちて来た者達の最後を知るエルダッド。


【お前まで罪を犯す必要は無かったのだ!】


 大量の闇を背中から放出するエルダッドが剣を振り下ろす。

 負けじと大量の光を背中から放出するメルセデスは、振り下ろされた漆黒の刃を白銀の剣で受け止めながら前進し、エルダッドを押し返して行く。


『お前は私から逃げた。逃げ続け、私を置いて空に飛び立った! 人間が空から落ちて来るのを見る事がどれほど辛い事か、お前は何も分かっていない!!』

【分かっていないのはお前の方だ。お前は誰よりも美しかった。お前は、自分の美しさを分かっていない!!】


 白と黒の境界線が激しく火花を散らす光景は、意地の張り合いに等しい。

 正反対の色をした二体の騎士の主張もまた、その体色とは真逆の位置にある。

 

『私を置いて行ったくせに、そんな戯言をまだ言うか! 私はお前の隣に居たからこそ美しくあろうと思ったのだ。お前が居なければ、私は輝けなかったんだ!!』


 エルダッドの闇の力が増し、メルセデスの剣を押し返し始める。


 恐らく、闇の力の源は嫉妬心。

 美しさで空に負けたからメルセデスを失ったと思い込んでいる。


『そう思っていたのなら、なぜ私を愛してくれなかった! お前が私の為にした行動の何処に愛が在る!!』


 メルセデスに対して叫んではいるが、エルダッドからは視線を感じる。

 ほぼ間違いなく、エルダッドはメルセデスと戦いながらも私を恨み続けている。


『私からお前を奪ったのは、あの小娘か? あの空か! それとも、制空権争いで既に力を使い果たしていたお前が命を削ってまで助けた、あのヤジマという男か!!』


 中庭の壁まで押し込まれたメルセデスの体に、エルダッドの闇が入り込む。

 光り輝く体に侵入した闇はメルセデスの胸元に至り、体から溢れる光を闇で覆い尽くして光を奪って行く。


『私はお前を取り戻す。お前がどんなに拒もうとも、私はお前を側に置き続ける。 地に堕ちろメルセデス! 堕ちて自分がした事を思い知れ!!』


 周囲を照らすほど溢れていたメルセデスの光が途切れ始めている。

 光を失いつつあるメルセデスの体は部分的に黒くなり、鉄の体に黒い血管のような模様が浮かび上がる。


『楽になれ、メルセデス。私の元で安らぎを得ろ。お前は私だけの存在として生き続ければ良いんだ』


 


 メルセデスよ。

 

 私には、お前がヤジマを助けた理由が分かるぞ。

 

 ヤジマは車が好きだった。地上を愛していた。

 人間らしい性格が先走り、人間らしい失敗を幾つもしている。

 そんな一人の人間が、まだ産まれてもいない娘の未来を話し続けた。

 

 そんな未来を語られたら、会わせてやりたいだろう。

 そんな未来に魅了されたら、幸せになって欲しいだろう。

 そんな未来が待っているなら、元の世界に戻って欲しいだろう。

 

 私もそうだった。




「――お前はいつから電気自動車みたいな音を出すようになったんだ? メル」


 最後を見届けるつもりでメルセデスを眺めていると、後ろから騒がしい男の声がした。


 振り返って顔を合わせる必要もない。


 近くに来るだけで煙草の匂いが絶えないこの男は――


「例え地球温暖化で世界が滅ぶなんて事になったとしても、俺は電気自動車には死んでも乗らない」


 ――ヤジマ・テツオで間違いない。


「ハァ…………遅くなって悪かった」


 ヤジマがメルセデスに向かって左手を伸ばし、右手で胸を押さえる。


「あの時の借りを返すぞ、メル。これで貸し借り無しだ」


 ――ヤジマの顔に、初めて笑顔が現れた。


「契約召喚! ヌークリア・ハート!!」


 ヤジマの左手から放出された魔力が、光の速さでメルセデスの胸に届く。 


 私が観測出来たのは、ヤジマがメルセデスの体内に何かを転送したという事だけ。


「逃がすなよ、相棒。その為の速さだ」

 

 ヤジマに「相棒」と呼ばれたメルセデスの体から再び光が溢れ始め、地震を起こす程の鼓動が響く。


【ヤジ……マ】


 メルセデスが息を吹き返した。


『貴様かヤジマ・テツオ……貴様が私のメルセデスを奪った元凶かあああアアアッ!!』


 メルセデスの浸食を諦めたエルダッドがヤジマを目指して飛び掛かる。


【私の友人に手を出すな】


 文字が描かれると同時にメルセデスが立ち上がり、体から大量の放射線が放出される。


【お前の愛に対する境界線は、この私に決める権利がある。その為の剣だ】


 メルセデスの目から赤い光が溢れた瞬間、ヤジマに飛び掛かろうとしたエルダッドが後から追いついたメルセデスの剣に胸を貫かれる。


 怒りの感情が垣間見えるその眼光は、怒りを宿す者が動き終えた後も軌跡として宙に残り続け――――


『ウグッ……おのれ、ヤジマ・テツオオオオオオオ!』

 

 背中から白銀の剣で貫かれたエルダッドが、ヤジマを睨みながら宙に掲げられていく。


【私がお前に定める境界線は、この世界の深淵。制空剣の主として、私はお前がそれより先に踏み入る事を禁ずる! 地に堕ちろ、醜き妹よ!!】


 メルセデスが、全長が三メートル近くはあろう長剣を足元に叩きつけ、中庭に大きな穴を開けると同時にエルダッドを穴へ投げ入れる。


『――ヤジマアアアアアアアア!!』


 メルセデスは、落下しながらも叫び続けるエルダッドにも容赦が無く、大量の光の剣を召喚してエルダッドを追撃する。


【この星で底に至らぬなら、宇宙の果てまで鎮めてやる】


 追放先は宇宙の深淵。

 近接武器の一斉射撃は、実際に目にすると一切の慈悲を感じない処刑法。


【二度とその面を見せるな】


 メルセデスの光の言葉がエルダッドを追う。


 何よりも辛い記憶となるであろうメルセデスの言葉が辿り着くのは、恐らく宇宙の深淵。


 愛を忘れるその日まで、エルダッドは泣き続けるだろう。

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