第18話 ナイト・オブ・スローンズ

 ――メルセデスが戦闘した無人都市から遠く離れた地域。


 飛行機から飛び降りる前に感じた魔力の気配を辿って進み続けた私の目に、ワイングラスのような形をした島が幾つも宙に浮いている景色が映り込む。


 浮いている高さが異なる島々は、付近の別の島に橋を架け、空に昇って行く形で雲の上まで続いている。


 恐らく、この島々に架けられた橋を渡った先に在るのが、メルセデスの言っていた天空の城。


 枯れ木の森を抜けた先の崖から島へと続く吊り橋の近くには、飛行機とは異なる乗り物の残骸が散乱している。

 土に半分埋もれて塗装が剥げた機体の一部には、「エルザ C45」という文字が書かれている。



 エルザ C45


 パイロン S33

 

 コガネ V12


 

 他の機体にも同様の文字が書かれており、機体の中は地球の物らしき装置が目立つ空間。

 車輪が付いていない事を考えると、墜落してから何年も経過していると思われる乗り物の残骸は、小型の飛行機と見て間違いない。

 

 かなり古い時代に製造され、ここに辿り着いて帰れなくなった遺物だろう。


『世界初の飛行機パイロットと成った兄妹は、前世の知識を持っていたがゆえに、転生後の世界で人類に空を飛ぶ手段を教えてしまった』


 ――頬に傷を持つあの男の声だ。


 この音質の悪さからして、男は壊れた機体の中にある無線機から話し掛けている。


『兄妹の知識に魅了されたこの世界の原住民は、地球から転生して来たその兄妹を巡って争い、二人の仲を引き裂いた。家族を失い、友達を失い、恋人を失い、不要な部品を取り除く事で、原住民は二人の人間を機械的な生物に作り変えて行ったんだ』


 男の話を聞きながら吊り橋を渡ると、闇に覆われた地の底から男の言葉が響いて来る。

 暗くてよく見えないが、聞こえて来る声の数からして、崖の下にも数え切れない程の飛行機の残骸が在るだろう。


 男の話が本当なら、ここは地球から転生して来た兄妹が作り出した知識の墓場だ。


『連れ去られた妹を助ける為に一刻も早く力を手にする必要があった兄は、その魂を利用され、人間を守る為の騎士に使われた。だけど、そこで問題が起きた。兄の魂に刻まれた『人間』の定義の中に、この世界の原住民は含まれていなかったんだ。自業自得、見捨てられて当然だ』


 ――それがメルセデスの起源。


 吊り橋を渡り切った私は、石化された蒸気騎士が至るところに置かれている森を通りながら男に問う。


「まるでこの世界の原住民が最初から悪者だったような言い方だな。お前が彼らの欲望を煽ったのではないのか?」


 石化した騎士の森を進んでいると、貴族が暮らしてそうな古い屋敷が見えて来た。

 古い屋敷の正門が私を招き入れるように開き、庭園の噴水を迂回した先にある屋敷の扉を軋ませる。


『煽られた程度で傾く天秤に選択の余地はない。風が吹いた程度で主の許可無く扉を開けるその屋敷と同じだ』


 風に吹かれて開いた扉を潜り抜け、巨大な照明器具の下敷きになって死んでいる人間の骸の側を通り過ぎれば、屋敷が行先を示すように唸り始める。


『誰にでも知られたくない過去はある。人の思い出に土足で侵入する奴が居た場合、世界が世界なら、時代が時代なら、その場で処刑されているだろう。良かったな、そこに誰も居なくて』


 巨大な屋敷を進むこと数分。

 暗闇の奥から聞こえる唸り声を追って二階の廊下を進んでいると、廊下に面した部屋の一つが音を立てて開く。


『誰も居ない場所で起きる事は誰にも知られない。誰にも知られないからこそ、人は自身の意外な一面をそこで知る事になる』


 開いた扉の先にある部屋を廊下から覗き込めば、部屋の中央に置かれた寝床の上から女の喘ぎ声と男の息使いが聞こえ始める。


『固い絆で結ばれていても、兄妹の壁を超える事は出来ない。兄は兄であり、妹は妹。兄が妹にとって男になる事は無く、妹にもそれは言える。最初は嫌がっていた事も、一度その沼に浸ったら最後、元には戻れない。それが依存というものだ』


 部屋に入らなくても、入り口に立っているだけで漂ってくる妹の依存先。

 会えない兄の代わりを務めたのは、男ではなく、男が持っていた肉欲だ。

 足を踏み入れる気も起きない部屋の床には、その臭いを未だに放つ痕跡が無数に残されている。


『痛いのは最初だけだ。慣れてくれば、現実から目を背ける為に始めた事だという理由も忘れる。助けに来てくれない兄の顔を忘れ、自分の体を求めて屋敷を訪れてくれる男の顔だけを覚え、深い闇を生み出す存在に変わって行く』


 変わり果てた妹が訪問者に与えたものは、快楽を得る為に必要なこと。

 森の奥地で暮らす孤独な女を忘れられない男達は、街に帰った後もその代わりとなる女を求め、満たされない欲求に腹を立てて闇に堕ちて行く。


 そうして、人間同士の殺し合いは始まった。


『ここまで聞けば、お前の中にも何か思い当たる点があるんじゃないか? ん?

 クサカベ・アキラを殺した奴を見つける為に大勢を殺し、やっとの思いで見つけた仇とお前は何をした? 最初に見つけた女と比べ、二人目に見つけた男はどうだった? アナスタシアは? 四人目はどうなる? 許して許して許して、沼に浸って行く気分はどうだ?』


 悪臭を放つ部屋を離れて廊下を進むと、進行方向の暗闇から蓄音機で再生された音楽が流れ始める。


 流れて来る音楽は、保育士の女が乗っていた車の中で聴いたものと似て非なる音色のブルース。


 終わりが見えない廊下の先から流れて来るブルースは、王に忠誠を誓った一人の騎士が王から授かった剣で自国の王の首を刎ね、牢獄の中で「王は正気を失っていた」と主張し続ける歌。

 

 歌っているのは、私にこの世界で起きた事を語り続けたバイツァダストの男自身。


『デンデンバン、フフフン……フッ。なかなか良い音色だろ? 演奏したのも俺だ。曲名はまだ決まってないんだがぁ、そうだなぁウーン、ンンン……ナイト・オブ・スローンズってのはどうだ? クサカベ・アキラという王様を守る騎士に成りたかったのに、その王様を殺す事になったお前にぴったりの曲名だ。この世界でのはクサカベ・アキラただ一人、だったか? フッ。俺が作った歌と全く同じだ』


 男の挑発には何も感じないが、アキラを殺した勇者を殺さず生かしている事に関しては、完全に否定出来ない部分がある。

 

 私の中にある殺意が、牢屋の壁を叩き続けている。

 ここから出せと、何の為にここに居るんだと、いつからお前はそんな奴になってしまったんだと怒り狂う罪人の鼓動を感じる。


 感じる鼓動、牢屋の数は一つだけじゃない。


 綺麗に着飾った私。

 結婚して子供を沢山作った私。

 冒険者になって仲間と楽しいひと時を過ごす私。

 お金を得る為に娼婦となる私。

 エヴァレンス家と仲良く食卓を囲んで学校での出来事を話す私。

 

 感じる鼓動や頭の中に響く様々な私の叫びは幻に過ぎないものだが、私ではない彼女たちの想いは、唯一無二の存在に成る為にその可能性を殺して来た私に向けられている。

 

『お前は、生物を皆殺しにした時、何を感じた? 何に気付いた? そこに誰が居ると知った?』


 嫌でも気付くさ。

 

「黙れ」


 確信を得る前から、そうじゃないかという気はしていた。


『お前がアキラを最初から殺していれば、ヘンドリックは手を汚さずに済んだんだ。保育士の女の両親が借金を借りる事も無かったし、カンザキが十年間苦しむ事も無ければ、殺しを引退したアナスタシアが暗殺業を再開する事もなかった』


 黙れ。


『北の道でヤジマに言った事をお前は覚えているか? 全部お前が悪い。お前は確かにそう言った。そしてその事を都合良く忘れている』


 忘れてなどいない。


『良い機会だから教えてやろう。お前が覚えているのは自分が犯した罪の事だけだ。お前は何かが起きる度にどうでも良い事だと自分に言い聞かせているが、その魔法の言葉で忘れられるのは清算に値しない行いだけだ。苦しめた奴の名前しかお前は思い出せないんだよ、!』


 どうでも良い事だ。


 どうでも良い事なんだ。


 どうでも良いに決まってるんだ。


 どうでも良い。どうでも良い。どうでも良い。


「どうでも良い。どうでも良い。どうでも良い……」


 耐えるんだ。

 とにかく耐えろ。

 今までだって耐えて来た。


 私は、もっと強く成りたいんだ。


『何の戦力にも成らないを残して飛行機を去ったお前に、窮地に駆け付けた英雄を演じる資格が在るとでも思ってるのかぁ!? お前が飛行機を離れなきゃ、学生達は苦しまず、ヤジマが闇に支配された仲間をぶっ殺す事も無かったんだぞ! また同じ事をヤジマに言うつもりか……? そろそろ言ってやったらどうなんだ、本当に悪いのはてめぇだろ!!』


 聞こえて来る言葉を全て整理する必要はない。

 こういう時は、心で物事を考えれば良い。  


 私の心は何も求めない。

 私の心は何も与えない。

 私の心は何も感じない。

 

 ――私の心は、ここには無い。


「お前達は、空港で出会った時から私の事を『アストラル』と呼んでいるが、その名前は正確ではない。私は凶王だ、凶王アストラル。それが、自分を殺し続けた私の名だ。人格争いを制した私だけが、肉体を扱う権利を得ている」


 頭の中に響いていた幻は消え去り、溢れかけた殺意は眠りに着く。


 記憶を読み取る奴が誰なのか検討も付いた事だし、そろそろ始めるとしよう。


 私が誰なのか、その魂に刻み込んでやる。


「空港、竜騎士を召喚しようとした時に続いて、これで私がお前に勝つのは三度目だ。お前が次に失うのは――」




 ※ 同時刻 天空の城 時空の扉前 ※


 『お前が次に失うのは、お前自身だ』


 小型無線機から聞こえたアストラルの声からは、何の殺意も感じない。

 メルセデスの妹が男を喰い続けたあの屋敷の影響を考えれば、俺の挑発で乱された思考が暴走してもおかしくはないはずだが、我を失ってる感じもしない。


 精神攻撃が効かないなら記憶を攻撃して人格を破壊してやろうと思ったのに、自分を失う寸前であの女は耐えやがった。


 もうこの手は使えないだろう。


「エイブ、そろそろ機内で気を失ってる学生達を起こさないと、このままじゃエルダッドの餌になっちゃうわよ?」


 シオンの言う通り、この場所に留まり続ける事は俺達にとっても良くない事だ。


 闇と同化し、メルセデスを探して世界を闇で覆い尽くしたエルダッドの力は見境がない。

 何人喰らっても、何を喰らっても、エルダッドの欲が満たされる事はない。


「扱い難い女だ……」

「引き込んだのはあなたでしょ? ちゃんと手懐けてよ」

「俺は頭脳戦専門。そういうのはお前の仕事だろ、シオン」


 少し気になる点もあるが、飛行機を天空の城の中庭に不時着させた今、俺達の勝利は時間の問題と言える。

 アストラルが飛行機を離れてメルセデスの援護に向かった時点で天空の城に向かう事は予想出来ていたし、ヤジマが女房の頭をぶち抜いた時点でアイギス同士の殺し合いの結果も見えていた。


 俺の予想が外れた部分を強いて挙げるとすれば、ヤジマに性欲が残っていなかった事くらい。

 

 ヤジマ・アヤカは、クソの役にも立たない女だった。


「それにしても、あのヤジマって男。なかなか頑張るわね」


 不時着した機内で闇の住人に向かって弾丸を撃ち続けるヤジマの体力は、年齢を考慮しても計算が合わない。

 不時着の衝撃で肩は潰れているはずだが、器用に弾を装填して学生を守り続けている。

 

 本物の娘を女房の複製体に持たせたのは失敗だったか。腐っても父親、火事場の馬鹿力ってところだろうな。


 空間ごと転移させられた時点で詰んでるってのに、なんでああも頑張るかね。


「シオン。お前、あのヤジマと一発ヤッて来い。力技で構わない。押し倒してエルダッドの闇が浸食し易い感情を煽れ」

「別に良いけど、殺した方が早いんじゃないの?」

「それが出来るなら最初からやってる。ヤジマの契約相手はメルセデスだ。契約内容が分からない以上、この世界で殺すのは不確定要素が多すぎる」

「……タケミガワは、その事を知っててヤジマ班を機内に配置したのかしら」

「どうでも良い事だ。早く行け」


 上着のボタンを外しながら飛行機に向かうシオンの姿がなぜか気になる。


 理由は分からないが、とにかく気になる。


 なんだ、この違和感――。


「シオン待て」

「今度は何?」


 上着を脱ぎ捨てたシオンの体を見て、夜風を感じて、足元を移動する落ち葉を拾い上げても、違和感しか感じない。


「……何か変だと思わないか?」


 何かが変だ。

 何かを見落としている。


「…………別に何も変じゃないけど? あなたはいつも通り最低よ」


 シオンは異変を感じていないようだ。


 こっちの計画は完璧だったし、後はアストラルから剣を奪って堕とすだけ。

 

 順調過ぎる、か


 ――確認した方が良さそうだな。


「シオン、こっちの戦力の配置はどうなってる? お前の記憶を確かめておきたい」

「構わないわよ?」


 シオンから受け取ったデータを携帯で確認する限り、羽田空港でアストラルに殺された仲間は、俺とシオンを含めて全員が記憶から複製出来ている。


 あの剣が平行世界に干渉する剣である事は山梨の一件で調査済み。

 他の世界に居る同一人物を殺すのは、アストラルが居る世界線で放たれたターニングポイントに触れた者だけ。

 放たれたターニングポイントを回避する事は不可能だが、オリジナルが殺された世界に配置した複製体に関しては、殺された後なら生存可能だった。

 多次元干渉の効果に持続性はなく、対象を消し去るのはターニングポイントを放った一回限り。そのたった一回の攻撃を回避するには、歴史の教科書から偉人を取り出して生命を与えるような方法しか無い。


 あの多次元干渉攻撃で一番厄介なのは、複製体で数を誤魔化している俺達と相性が悪い事だ。

 殺されたら、複製だろうとオリジナルだろうと全ての世界から一度消えてしまう。再び作り出す為には、消えた仲間に詳しい奴の記憶が必要になる。


 そんな攻撃手段を持つ相手に頭脳戦を仕掛けている俺達が、こうも順調に計画を進められるだろうか。


 羽田空港を出た後も、アストラルは竜騎士の異世界を消滅させる事で召喚を阻止するというイカれっぷりを見せた。

 普通の住人も人質役として残している世界だったのに、あの女は何の躊躇いもなく世界を一つ滅ぼしてる。


 考えれば考えるほど、倫理観がバグり散らしてるあの女に違和感を感じる。


 空間ごと飛行機を空挺都市の異世界に転移させ、メルセデスを撃墜した後、俺達はあの女が飛行機を降りた所を確認している。

 あの女が飛行機を離れてくれたからこそ、飛行機の制御を奪った俺達は先読みして天空の城に不時着し、地球に帰る為に必須となる時空の扉で待ち構える作戦に移行した。

 

 空の王者とはいえ、墜落したメルセデスは満身創痍。

 あの女の手を借りて黒雲騎士の襲撃を凌いだとしても、闇と同化した妹のエルダッドには敵わない。

 エルダッドの役目は兄のメルセデスを殺し、闇の力で支配した学生達と交換条件であの剣を手に入れ、厄介な攻撃を封じた状態でクサカベ・アキラを使って女を闇に堕とすこと。


 ――何も問題ないはずなのに、なぜか違和感が残る。


「作戦、立て直す?」

「いや、問題はなかった」

「……腑に落ちないって感じね」


 シオンの言葉に納得しながら携帯の通話履歴を確認すると、二時間前に電話した沖縄組みの仲間以降、誰とも連絡を取っていない点が目につく。


「…………シオン。最後に仲間と電話したのは、何時間前だ?」


 脱ぎ捨てた上着の中から携帯を取り出すシオンの答えは、俺と同じ二時間前。通話の相手はタケミガワの側に潜伏させている仲間だ。


 違和感の正体はこれだろう。


「何か分かった?」

「……ああ。謎が解けた」


 シオンや他の奴ならあり得る事だが、俺は俺の事をよく理解している。

 

 この俺が、二時間もここで誰とも連絡を取らず待機している訳がない。


 自分の複製体の性能を底上げする為にも、シオンにはこの事を伝えておこう。

 

「シオン、あの女の手札がもう一つ分かったぞ」

「そうなの?」

「ああ。あの女は、誰かを存在ごと消す力を持ってる。それもかなり広範囲に影響を与える力だ。着信履歴はもちろん、俺達の頭の中まで綺麗さっぱり吹き飛ばしてやがる」


 事故物件だと知らずに部屋を借りてしまった気分だが、消された奴が居ると分かった今ならまだ間に合う。誰が消されたかは重要じゃない。


 ヤジマはこっちで引き受けて、エルダッドにメルセデスがどうなったか偵察に向かわせよう。


「おい、エルダッド! お前の兄貴の行方が知りたい。飛行機から離れて、兄貴が墜落した無人都市に行って何が起きたか調べて来い!」


 指示を出すと、飛行機の窓から闇が噴き出し、闇に覆われた黒騎士が無人都市に向かって飛んで行く。 

 

 これで何も問題はない。

 時空の扉を開く為に必要な制空権はシオンが預かっているし、いざとなれば扉に仕掛けた爆裂魔法で扉を壊せる。


 何も問題はない。もしまた何か問題が見つかっても、そんな事はどうでも良い。


「エイブ、来たわよ。彼女、が……?」


 変な間を開けて報告したシオンの顔色を確認してから吊り橋の方に目を向けると、足を引きずりながら満身創痍で歩くあの女の姿が大きな違和感を生む。 

 

 吊り橋を渡り終えると同時に力尽きてその場に倒れる女は、その後も地面を這いながら進み、砂のように崩れて行く顔で俺と目を合わせ続ける。


「なんだお前……何やってんだ?」


 口にして余計に怖くなった。


 俺達との距離が詰まるにつれて女の体は炎に包まれ、血と肉が焼ける悪臭を放ちながらもその歩みを止めない。


「誰かに攻撃された?」

 

 右側から聞こえたシオンの声が、俺の頭を通って左側に流れ出る。


 情報整理が追い付かない。

 あの女が何なのか検討もつかない。

 何でそんな状態になって俺の前に居るのかが理解出来ない。


 俺の計画に無い何かが起きている。


『出会ったな。私と』


 ――無線機からあの女の声。


 なぜ目と鼻の先に居る女の声が、無線機から聞こえるのか。


 あの女、まだ何か狂った手札を隠してやがる。

 隠している手札は、俺達と相性が悪すぎるものだ。


『私が住んでいた世界の宇宙には、肉体を捨てて精神寄生体と化した生物の星が在った。精神に寄生する連中は実に厄介な存在だったが、私は彼らを解離性障害を利用して絶滅させた。殺して殺して殺して、外部から侵入してくる人格を殺して行く内に、私は彼らの生き方から自分の人格を殺し続ける方法を編み出した』


 となると、あの女は精神寄生体か。


 ――これはまずい。


「シオン、今すぐ俺の頭をぶち抜け! 体が乗っ取られる!!」


 もう手遅れだぞ。


 お前は俺を知り過ぎた。

 魔力を失った今の俺に魔法は使えないが、今のお前の魔力を使えば俺は魔法が使える。


 異世界転移、異世界転生は理論上どの世界にも転移転生が出来る。それが出来るなら、お前の精神世界にも転移は出来るはずだ。


「おい何をしてるシオン! 早く俺の頭を潰せ!!」

「ちょっと落ち着きなさいよ。体を乗っ取られたところで、また複製を作れば良いじゃない」


 思考を停止させて他力本願なシオンには気付けない。


 ほらどうした、伝えてやれよ。早く殺さないとになるって。


「この低能女が……一から十まで言わないと分かんねぇのか!? アストラルはこの世に一人しか存在出来ないんだぞ!! 分かったらさっさと俺を殺しやがれ!!」


 自分の方が手札が多いと思っていた。

 慎重で、繊細で、周りが馬鹿に見えるほど頭を使って生き延びているつもりだった。


 でも違った。


 俺が手にして来たのは、全部あの女が捨てて来た手札だった。

 俺は、異なる世界で生まれた育ったあの女の真似をしていただけの偽物。モドキだ。


 俺の周りに居る奴らは、俺を頼り過ぎていた。

 頼られたから、利用して強く成る方法を極めた。


 ――勝てないはずだ。


 最初から無理だったんだ。誰かを利用して強さを発揮する俺が、誰も利用せず自分の力だけで戦い続けて来たあの女に勝てる道理は無かった。

 

 俺は「俺」に成れなかった。先を越されていた。


 俺の今は、あの女の過去。


 なんであんな化け物が女子高生の修学旅行に紛れてるんだよ。


 ふざけんな畜生――――。

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