第17話 善悪の狭間で

 闇に覆われた世界の地上には、死んで行った者達の遺言がその亡骸と共に残されている。


【なぜだ。なぜお前達はあのような王に従う。我らが人間に何をされたか、よもや忘れた訳ではあるまい】


 悪意ある者の言葉は黒く――。


【忘れはしない。忘れられる訳がない。人間は我らに使命を与えた。我ら蒸気騎士の役目は人間を守る、その一点のみ。人間亡き今、我らが忠誠を誓うべき相手は、人間を知るメルセデスを置いて他には居ない】


 ――善意ある者の遺言は白い。


 薄暗い森の中を進む私の側には、息絶えた白雲騎士の亡骸と、殺す以外に選択肢が無かったであろう黒雲騎士の言葉が漂っている。


 かつては大勢の人間が暮らしていたであろう村の跡地にも、いつ刻まれた物か分からない言葉が目立つ。


【人間が滅んでも、俺達に人間の代わりは務まらない。俺達に出来るのは、人間を守る事だけだった】


 人間が滅んだ後も幾度となく行われたであろう話し合い。

 その記録をこうして読める事は、光栄の極みと言える。


 誰が始めた訳でもなく、何かが周りに居たからこそ生まれた破滅への道。不運にもその道を辿る事になってしまった者達の想いが、当事者ではない私の頭の中に流れ込んで来る。


 同胞を殺し、本来ならば忌むべき存在を守ってしまった代償は計り知れない。

 その道を見つけてしまったからこそ起きた悲劇は、どれだけ強くても喜劇には成り得ないものだ。


 その道には何も無い。

 その道を歩む者の視野は広く、極地を観測し続ける。

 善悪の墓場をあゆもうとも、その道を行く者が墓石の数を気にする事は無い。

 何も無い道を歩む者は、何も無い存在と成り果て、何かを求める者に何も与えない。


 何かを与えてもらったと錯覚する者は、無へと転じた者の過去から教訓を得ただけに過ぎない。




 ※


「あーもうしつこいですねぇ、本当に。あれだけ攻撃を受けたのに、どうしてまだ動けるのですか? 他の蒸気騎士を見習って、さっさと死んでくださいよ」


 無心で無人都市を歩き続けた先で私を待っていたのは、機内放送でヤジマを煽ったであろう若い女と、黒雲騎士の大群に囲まれて傷を負いながらも応戦し続けるメルセデス。


「あーあーあ! ちょっとちょっとちょっと、また来たまた来た、来てる来てるってば!!」


 全距離対応型のメルセデスの攻撃は多才かつ残忍。同胞の動力源を貫いた後も兜を剥ぎ取って死体を攻撃し続け、黒雲騎士達に守られている若い女に向かってマッハ1で飛び蹴りを試みる。


 何の予備動作も無く急加速を開始し、加速を開始したその瞬間から音速に至るメルセデスの飛び蹴りは、廃墟を数軒破壊しても止まらず、金属製の建物を破壊しながら戻ってくる。


「ぎゃあああああ! ちょっと本当にしつこいですよ!? しつこい男は苦手なんです!」


 大きな悲鳴をあげて逃げはするものの、若い女の回避能力はメルセデスの上を行く。

 速度ではメルセデスに分があるが、その速度が原因で操作性が悪く、女を仕留める事が出来ていない。

 飛び蹴りを辞めて近接形態に移行しても、メルセデスの音速攻撃は女に紙一重で避けられている。


「あ、失礼。少々お待ちよ、電話です」


 攻撃を回避しながら電話をする余裕からして、あの女がメルセデスを仕留めるのは時間の問題。


「はいもしもっ、しっと。なんです? 今取り込み中なんですけどうぉぉぉっと危ない!」


 ヤジマが私に頼んだものは、援護か、それとも後始末か。


 どちらにせよ、体から吹き出す蒸気が途切れ始めているメルセデスの限界は近い。


「え、私のせいですか!? ちょっとそれはあまりにっ! 理不尽なっ! 意見じゃないですか? あの多次元攻撃王女様はそっちの担当ですよね? そっちで何とかしてく……ってもしもし!? あれ、ブッチですか? おーい、もしもぉぉぉし、コミュニケーション・プリィィィィズ!?」 


 女が電話をポケットに納めるのを確認した私は、何も考えず剣を両手で握り、剣先をメルセデスから逃げる女に向けて魔力を込める。


「アストラル・バースト」


 剣の表面を覆った小規模宇宙で不規則に発生したガンマ線バーストを放出して女もろとも黒雲騎士を攻撃し、剣先から飛び出す流星群も操って上空に逃げた女に攻撃を続ける。


 ガンマ線バーストの軌道は魔力で捻じ曲げて制限し、光線に直撃しない者に対しては無害の攻撃となるよう制御しつつ、小規模宇宙から流星群に紛れて飛び出すガラス玉程度の銀河系も女に向けて発射する。


「えちょ、まじでどうなってるんですかその武器!! 世界観バグってません!?」


 空間を捻じ曲げながら直進した銀河系の引力でも、宙を飛び回る女を捕える事が出来ない。

 無尽蔵に放った流星群も回避、ガンマ線バーストの威力を持った光線も紙一重で回避。攻撃が全く当たらない。


 宇宙規模の引力に抗う回避能力を持っているとなると、回避系の異能力者かもしれない。


「あ、もう弾切れですか? 圧縮した銀河系を飛ばすなんて、ちょっと非常識にも程がありませんか? 小さいしキラキラしてて綺麗でしたけど、全然可愛くない攻撃です……」


 口調からして、引力すら感じていないだろう。

 空を飛んでいるのも魔法じゃないし、概念やこの世の法則を無視して動き回っている可能性がある。空を駆け回っている状態に等しい。


 少し試してみるか。


「お前、攻撃を受けても死なないくせに、なぜそんなに醜く逃げ回るんだ?」

「それは愚問です。死ぬのが嫌だからに決まってるじゃないですか」

「なぜ嫌がる。生き延びても好かれたりしないだろ」

「価値観は人それぞれです。ていうか酷くないですか最後の言葉……私、こう見えて傷付き易いタイプなんです。もう少し優しくしてください」

「既に十分過ぎるほど優しくしている。お前はここで殺す、それが私の優しさだ」

 

 これで仮定の条件は満たした。

 異能の発動条件が「会話」だった場合、言葉を交わした私はあの女の攻撃を防ぐ手段を失っている。

 この世の法則を無視して女が攻撃してくるなら、後はあの女の気分次第という訳だ。


「あなた、さっきから私の能力を探ろうとしていませんか? お喋りなタイプには見えないんですけど」


 こうして話している間も、攻撃を逃れたメルセデスが黒雲騎士を殺し続けている。


「んんんうぅぅッ……ちょっとそこのあなた!! さっきからプシュプシュうるさいですよ!? いい加減――」


 女が地上のメルセデスに対して右手を構えた。何かする気だ。


「――死んでください!」


 女がメルセデスに対して右手を握る。

 握り終わる前にメルセデスの元に駆け寄り、壊れない程度の威力で蹴り飛ばして代わりに攻撃を受けると、全身に寒気を感じる。


 体の芯、この私を存在ごと消滅しようと試みるこの感触からして、女は自分で構築した概念を押し付けて相手を問答無用で殺せる類の能力者。


 女の異常な回避能力は、基本ではなく応用だ――――。


「なっ……えぇ?」


 走る前の私が立っていた場所を二度見して驚く女と同時に、蹴り飛ばしたメルセデスが立ち上がって【?】の記号を残す。


「どうやって……いやそんな事よりも、どうして生きて…………?」


 寒気を感じはしたが、所詮は概念戦争の域。大した事は無かった。


「ちょっとあなた、一体何をしたのですか?」

「何とは?」

「とぼけないでください! 私があなたに放った攻撃は即死技です。受けた瞬間に死ぬ攻撃です。無効化能力も貫通する攻撃を、一体どうやって!?」

「お前の天井は私の床という事だ」


 女の天井は測り終えた。

 この女は、力では崩せない相手だ。

 

 ――技で崩してから力で叩き潰そう。


「息を吐くように酷い言葉をポンポンポンッ……あなたは私が一番嫌いなタイプです!!」


 空に留まる女が両手を振り下ろす。


 構えて体に違和感が現れるまで待ってやれば、上から押し潰されるような感覚が現れる。


「――お前がヤジマに放った言葉も同じだったぞ」


 事象が完結する前に頭上の何も無い空間を剣で攻撃し、女の異能を直接叩く。


 異能を叩いた後は逆手に持ち変えて剣の強化を解除しながら女に向かって走り、空に留まっていた女が足の踏み場を失ったような挙動で落ちる様子を目で捉える。


「えっ嘘、何ですか!? 力が――」


 地上に落ちて来た女の尻が地面に接地する前に懐に飛び込み、女の目線に合わせて腰を落としてから逆手に持った剣を振る。


「消えた――ブルフゥゥゥゥゥッ!?」


 振った剣が女の顔にめり込む。


 めり込んだ剣が女の顔を砕く前に再び魔力を注いで剣を強化し、魔力の供給速度を上げて一気に最大強化まで仕上げる。


「マルチバース・ディザスター」


 黒き剣が、膨張し続けた宇宙すら満たす星々の光によって白き剣に変化する。


 白き剣が与える影響は、個々の記憶に留まらず、全ての記録に干渉する。


 この世の出来事を全て記録する領域、【アカシックレコード】にすら余裕を持って干渉する白き剣は、頭部を砕いた女を塵に変え、女が何者なのか、どこから来たのか、何をしたのか。その一切の情報を観測不能になるまで叩き潰す。


「…………うん?」


 そして、何かに対して剣を振った私だけが、周りの状況から現状を把握出来る。


「……誰か私に消されたな」


 ――どうやら、そうらしい。


 何にせよ、もう終わったこと。どうでも良い事だ。




「メルセデス、大丈夫か?」


 私が何かと戦っている間に、メルセデスの方も黒雲騎士を全滅させていた。

 辺り一帯、鉄くずだらけ。メルセデスもかなり傷を負ったようだが、周囲を見渡して他に敵が居ないか様子を見る程度の余力はある。


【反逆者はこれで全員か?】


 聞かれても困る事だが、この場には私しか居ないし、答えてやらないと可哀想だ。


「そうだ。お前が全員倒した。流石は空の王者、見事な戦いだ」

 

 褒めてやると、メルセデスは凛々しく頷いた。


【飛行機を追いかけよう。元の世界に戻るには、天空の城の門を起動させる必要がある。時空の扉だ】


 この空挺都市の世界に存在する異世界転移は、何かの装置で行われるようだ。


 メルセデスには、先に天空の城に行ってもらった方が良いだろう。


「メルセデス。敵は飛行機の中にも居る。お前は先に天空の城に行って、すぐに転移出来るよう準備してくれ」


 指示を出すと、数分前の物よりも薄い蒸気でメルセデスが文字を残す。


 【私は君の優しさが恐ろしい。その域に至るまでに何を失って来たかを考えると、自分が恵まれていた側の存在だったと思えて来る。最後に良い思い出が出来て良かった。感謝する】


 この世界の、この場所でそんな事を言われても、頭に浮かぶのはヤジマのしかめっ面以外にない。


 上手く行くか分からないが、私の魔力を全てメルセデスに注いでやろう。


「メルセデス。少しその場に屈んでくれないか? 渡しておきたい物がある」


 その場に跪くメルセデスの前に立ち、既に朽ち始めている鉄の体に手を添え、何千年にも渡って戦い続けて来た一人の騎士王に敬意を払う想いで魔力を注ぐ。




 ――――――――

 

 空の王者メルセデスよ。


 私は困りはしないが、お前が居なくなったら困る奴を私は知っている。

 そいつは不器用な奴で、恩返しは必要ないと言っても強引に恩を返す乱暴者だ。


 だが、その暴力性は優しさに満ち溢れている。


 お前の次の使命は、しかめっ面の男の心に掛かる闇を払い、愛する人間の為に快晴の空を保ち続けること。


 恐れる事は無い。諦める必要もない。

 お前には、再び空を飛べる日が訪れる。

  

 この力を律し、この器を制し、在るべき時代に帰って来い。


 お前には、その資格が在る。


 ――――――――



 想い続けること数分。

 目を閉じて魔力の器が砕け散る感覚が訪れるまで魔力を注ぎ続けた結果、メルセデスの体は完全に朽ち果て、夜風に吹かれて崩れ去る。


「遠慮するな。たかが魔力だ」


 独り言が魔力を失った体に良く響く。


 ありがとう、メルセデス。


 お前のおかげで、また少し強く成れた気がする。

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