第16話 二度目の殺人

 羽田空港から飛び立った飛行機を追って空に向かう私の目に映った景色は、日本という島国の美しさだった。

 自然に形成された物とは思えない形をした陸地の良さは、上から見て初めて分かるもの。


 魔法を使わず、よくぞここまで発展したものだ。ドワーフの居ない世界でありながら、鉄の加工技術は人間業とは思えないほど洗練されている。

 

 思い返せば、今では当たり前のように使っている携帯電話も、その大きさを考えれば恐ろしい技術だ。小型化し、多種多様な性能を授かり、人類の頭脳を上回る能力を発揮している。


 目指した場所が違うだけで、努力した数は私達と変わらないだろう。




 ※ 日本上空 高度八千メートル以上 ※


『ヤジマ、どうだ? 周囲の状況は』

『今のところ敵の姿はない。飛行機の死角に入って追従しているが、鳥すら見当たらない状況が続いている』

『そうか。そのまま飛行を続けろ』

『気を付けろ? こんなのは初めてだぞ。恐らく敵の狙いはあのクソガキだ』


 空を飛び続けること数十分。ヤジマとタケミガワの通信が届く範囲に入った。

 

『アストラル。今の会話を聞いていたか?』

「ああ」

『敵の狙いはお前だ。お前を落とす為に全戦力を投入してくるだろう』

「交戦して良いんだな?」

『問題はあるが気にしている場合じゃない。お前の判断に任せる』


 タケミガワと話していると、右前方から飛行機を目指して飛行する黒い煙のような物が現れた。

 黒い煙を放出しながら空を飛んでいる何かは、私とは異なる方向から飛行機を追っている。


「ヤジマ。お前が異世界から召喚している蒸気騎士スチームナイトは、黒い蒸気を発して飛行するか?」


 ヤジマに聞いてみても、声が途切れてまともに返事が聞き取れない。

 タケミガワも途切れ途切れで何か話しているが、ヤジマ同様に聞き取れない。


 通信障害だろうが、原因は私の前方を移動しているあの黒い蒸気で間違いない。


『タ――――しろ、敵は――――だ。こっちは任せろ』


 飛行速度を上げる為に別の魔法を使った直後、私の正面に未知の魔法陣が現れる。

 現れた魔法陣に構わず速度を上げて前進すれば、私に触れた魔法陣は陶器のような音を立てて砕け散る。


 魔力を帯びた状態で突進すると壊れる様子からして、壊した後も懲りずに私の進路を妨害する魔法陣は転移魔法陣。異次元に通じる門を開く為のものだ。


「タケミガワ! 敵は魔法陣を使って転移させる気だ、飛行機の前方をヤジマ班に守らせろ!!」


 恐らく、転移先はその場に居るだけで死に至る環境の世界。毒か何か知らないが、私を挟み込むように出現する魔法陣からは瘴気のようなものが溢れ出ている。


『――まずは耐性の確認と行こうか?』


 空港で出会った男の声が通信機から聞こえた直後、何かに足を掴まれる。


 飛行を続けながら振り返って確認すると、後方から迫っていた魔法陣から瘴気を帯びた鎖が現れ、私の足を捕えていた。

 足に巻き付いた鎖は体を伝って腰まで達し、先端に取り付けられた矢尻のような物体で私の胸を貫く。


『魂は、無しと……フン。精神攻撃は無意味か。空港で見せた涙は演技だったのか? なかなかの役者じゃないか』


 胸を貫いた鎖を無視して飛行を続けると、魔法陣が消滅すると同時に鎖も消える。

 鎖が消えれば胸の傷も自然に癒え、別の魔法陣が複数同時に私の前方に現れる。


『ここで少し思考を変えて、お前の武器が人を守るのに適しているか試してやろう。竜騎士の世界から挑戦者だ。さぁ、何が出来るか見せてもらうぞ』


 剣に魔力を込め、敵が召喚される前に魔法陣に向かって斬撃を放つ。

 光の刃が直撃して魔法陣が砕けると、攻撃が直撃していない魔法陣も砕け、学生達の飛行機を包囲していた魔法陣も全て消え去る。


『…………は?』


 耳障りな通信機を耳から外し、ヤジマ班が召喚したと思われる白騎士の元に向かうと、赤い布を右肩に付けている白騎士が私に気付いて寄って来る。


 寄って来た白騎士は、節々から白い蒸気を出して飛行する機械的な存在。中に人の気配はなく、胸の中心に蒸気を発生させているであろう動力源の熱を感じる。


「ヤジマの友人か?」


 魔法で声を伝えると、私と並んで飛行する白騎士が顔を縦に振る。

 兜の口元から噴射している蒸気が紳士の口髭のような形をしているヤジマの友人は、指で宙に蒸気の文字を描き、【敵は私と同じ世界で作られた黒雲騎士ダークナイトだ】と教えてくれる。


 白騎士の手書きの説明によると、タケミガワが話していた蒸気騎士スチームナイトは種族名のようなもので、善の力を宿す白雲騎士ホワイトナイトと、悪の力を宿す黒雲騎士ダークナイトの二つが存在するらしい。


 よく分からないが、無事ならどうでも良い。

 

「襲撃は凌いだのか?」


 白騎士の返答は、【一人やられたが、敵はかつての仲間も含めて排除した】という文面。

 私の胸を貫いた鎖と同じ物に貫かれた仲間が悪の力に侵食され、体から黒い蒸気を出して暴走したそうだ。


 あの鎖に貫かれて悪の力に侵食されたとなると、蒸気騎士は魂を持つ存在。機械的な体ゆえに、魂に干渉する攻撃には弱いという事だろう。


「よく守り切った。敵とはいえ同じ種族を殺すのは辛いだろうが、気を緩めず警戒してくれ。これ以上の犠牲は出さないようにしろ」


 励ましてやると、白騎士が自分の胸を叩いてから私の胸を指差した。お前もな、という意思表示か何かだろう。


 次の襲撃に備えよう。




 白騎士と別れ、飛行機の機体に触れて中に転移すれば、外で起きた事など知る由もない学生達が静かに空の旅を楽しんでいる空間に出る。


 保育士の女から拝借した髪飾りを付け、事前に知らされていた席まで通路を進んで移動すれば、機内から外の白騎士に命令を出していたヤジマ班と合流する。


 私の席はヤジマの隣。窓の席を眺め続けるヤジマは、敵が記憶から人物を複製する事を気にしているような表情。


 隣に座って話し掛けてやろう。


「まだしかめっ面をしているのか?」


 話し掛けると、私の顔をひと目見たヤジマが咳払いをして沖縄のパンフレットを読み始める。


「よく追いついたな。お前が羽田を出たのは、この飛行機が飛び去ってから随分後だろ。マッハ1で飛べるのか?」

「私の最高速度は行速ぎょうそく1だ」

「行速? なんだその速度の単位は……」

「数字の世界を抜け出した領域の単位だ。相手の事象が完結するまでに、自分の事象を完結させる事が出来る」


 行速ぎょうそくは、身の回りで起きる様々な事象を言語化した時、事象を説明し終える際に使われる「句点」が読み終わるまでその事象は完結していないという前提で私が測定した速度の単位。


 斬れば死ぬ。

 殴る。

 攻撃を無力化する。

 蘇生する。

 死。


 相手の事象の種類を問わず、句点まで読み終える事が事象の発生条件。

 行速一の場合は、必ず句点が二文字、または二行目に入る都合上、どんな事象も発生前に物理攻撃で中断させる事が出来る。

 行速二の場合は、句点が二行目に存在する「死」の類が間に合わない。


 話したところで、行速は数字に囚われた世界の住人には理解出来ない話。

 異能が介入出来ない領域の荒業という事もあって、誰かに知られたところでその人物が行速の領域に達する事はない。

 仮に抜け穴を見つけて行速に到達する異能を手に入れたとしても、先駆者に私が居る以上、私の後を追って行速の領域を知り得た者は行速二の壁で行き詰る。

 後続者が加速すればするほど、先駆者も加速して差が埋まらない。それが行速の領域に在る仕組みだ。

 情報源が私の時点で、私の真似を試みる奴の前には常に私が居る扱いになる。


 話しても得しかない情報だ。


「文字通り最速って事か。メルが聞いたら嫉妬しそうな速さだな」

「メル?」

「お前がさっき話して来た白騎士、メルセデスの事だ。あれでも一応は、俺が飛ばされた世界の王様だ」


 聞けば、ヤジマが召喚している白騎士のメルセデスは、空挺都市の世界で行われた制空権争いに勝利した世界最速の王者。

 メルセデスの最高速度はマッハ1。蒸気で形成した武器を自在に操り、標的に対して近接武器の一斉射撃を行う、全距離対応型の蒸気騎士。

 魂に干渉してくる攻撃にも耐性があるらしく、悪の力に侵食されても同族嫌悪で悪を滅ぼし、善の力に覚醒し直すそうだ。

 

「俺達が飛ばされた世界じゃ、人間はとっくの昔に絶滅していた。メルは人間が生きていた時代からその世界に住んでる古代生物の一種で、俺達を元の世界に返す為に力を貸してくれた恩人なんだ」


 メルセデスの空挺都市の世界での扱いは、神話に登場する古代生物。

 そんな伝説の生物と奇跡的に出会えたヤジマは、幸運の持ち主と言えるだろう。


 あの色艶といい、メルセデスはこの飛行機の守護者に相応しい存在だ。


「ヤジマさん。タケミガワさんと通信出来ますか?」


 後ろの席から話し掛けて来たヤジマ班の一人が、数分前から通信が出来ない事を告げる。

 通信が途絶えているのはヤジマも同じ。黒雲騎士が散布した黒い蒸気には通信を妨害する効果があったらしいが、メルセデスが黒雲騎士を撃退してから数分が経過する今でも通信が出来ないのは異常。


 既に何かの攻撃が始まっているのだろう。


 外に戻って調べてみよう。


「ヤジマ。メルセデスには、飛行機から離れるなと伝えておけ」

「お前はどうする気だ?」

「雲の下を見て来る」

「雲の下……?」


 声に出さず私の予想を目で伝えると、ヤジマの顔が険しくなる。


「カタギリ。通路を進んで、後方に居るミヤガワ班に防御魔法を頼んでおけ。機体の強度を上げる魔法だ」

「分かりました」


 ヤジマから指示を受けて席を離れるカタギリと一緒に機体の後方に目を向けた瞬間、通路を塞ぐように立っている女の姿が目に留まる。


 部屋着のような服を着ている女は、毛先から水滴が垂れるほど濡れている日本人。女の胸元には、指を吸って深い眠りについている赤ん坊が居る。


「席を代わってくれる?」


 赤ん坊を抱いている女が話し掛けて来た。


 赤ん坊。

 髪が濡れた女。

 ヤジマの席の隣。


 ――どう考えても、ヤジマの記憶から再現された女だ。


「どうした? アストラル」


 動かない私達に気付いたヤジマが席を立つ。


 横を向いてヤジマの顔色を確認する必要はない。

 ヤジマの想いは、席を立った瞬間手元から滑り落ちた雑誌の音だけで十分すぎるほど伝わってくる。


「……アヤカ」


 故人との再会は、予想以上に辛いだろう。

 どんなに覚悟しても、当時の姿のまま現れたであろう亡霊の手元には、本物か複製か区別出来ない赤ん坊が居る。


「久しぶりね。テツオさん」

「死んだはずだ……」

「ええ、そうよ? あなたに殺されたの。この子の未来からも、私は消された」


 やれるものならやってみろと言わんばかりに、赤ん坊を人質に取ったヤジマのトラウマが歩み寄る。

 私の事など眼中にない様子の亡霊はそのまま席に座り、事故当時の状況を再現するかのように座席のシートベルトを付ける。


「どうしたの? テツオさん。もう私の隣には座ってくれないの?」


 私の顔を見るヤジマに「いつでも殺せるぞ」と目で伝えても、かつてないほど眉間にシワを寄せるヤジマは首を横に振る。


 ヤジマが首を振った理由は一つしかない。


 複製体がここに連れて来ているのは、本物の娘だ――――。


『ピンポンパンポォォン! 本日は、羽田空港発、沖縄行きの飛行機をご利用頂き誠にありがとうございます、何たらかんたら』


 突然始まった機内放送の声の主は、あの男じゃない。かなり若い女の声だ。


『ここで皆様に大変喜ばしいお知らせがあります。当機の前方、ファーストクラスゥ……か何かよく分からないその辺りの席に座っている男性、そう! そこのしかめっ面のあなた。今日はあなたのお誕生日ですっ! いやぁー、愛する人を殺しておいてのうのうと生きているなんて、良い御身分ですねぇほんと』


 明らかに不自然な放送に違和感を感じた学生や教員達がざわつき始める。

 

『さて、ここでクイズのお時間です! 問題の内容は、空港を飛び立ってからこの飛行機の周りをブンブン飛び回って不愉快極まりない蒸気騎士、『メルセデス』に関する事です』


 機内放送を聞きながら窓の外に目を向けると、体から炎を出して墜落する白雲騎士達の姿が見えた。

 墜落して行く白雲騎士の中には、複数の黒雲騎士達に体を貫かれて押されているメルセデスの姿もある。


『それでは最初の問題です。制空権争いに勝利した騎士王メルセデスは、本来ならばその世界に留まっていなければいけない重要な存在です。王が不在の世界は善の力の源が存在せず、悪の力によって支配されてしまいました。さて? この失態は、一体誰のせいでしょぉぉぉかっ! 王の優しさに甘えていたヤジマ班の皆さんには、是非とも答えて頂きたい内容です!!』


 ――魔法ではなく、魔力そのものが意志を持って動いているような気配がする。


『さぁさぁ早く答えてくださいよ、ヤジマ・テツオさん。心優しい王様は、あなたが娘の出産に間に合うよう命を削ってくれたというのに、地球に帰ったあなたと来たら、奥さんを殺し、まるで悲劇の主人公のように娘を自分の物だと主張してる。どういう神経をしているのか、わたくし理解に苦しみます』


 名指しで責められたヤジマの眉間からシワが消える。

 ヤジマをずっと苦しめていた現実は皮肉にも敵の挑発によって歪められ、腹を括った一人の男が懐から拳銃を取り出す。


「アストラル」


 それで良い――。


「メルを頼む」


 ――任せておけ。


「カタギリ」

「あぁはいっ! カタギリです!!」

「お前はヤジマに言われた事をしろ」


 転移魔法を使って飛行機の外に出ると、闇に覆われた大地が目に映り、頭上を通過する飛行機から一発分の銃声と学生達の悲鳴が響く。


 確認するまでもなく、ヤジマが仕留めたのは目障りな亡霊。

 一度殺した人間を再び殺したところで、何の罪にも問われない。


 ――後は、この空挺都市の世界から帰る方法を見つけるだけだ。

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