第11話 十年間の想い
アイギスの会議を最後まで見届けた私は、会議室から退出するタケミガワを呼び止め、「クサカベ・アキラ」という日本人が何処に住んでいたのか調べてもらった。
記録によると、日本に住んでいる「クサカベ・アキラ」の人数は百五十人。
百五十人の内、結婚して子供が産まれている者を除いた人数は十二人。
十二人の中から更に条件を付けて絞り込み、両親が生きている状態で未婚のまま二十歳を過ぎている者は、山梨県の田舎町に住んでいる男しかいなかった。
死亡届けや捜索願が出ていないので記録上は問題なく生きている事になっているが、保育士の女が地球に帰って来てから経過した年数を考慮すると、山梨県に住んでいる男が私の知るクサカベ・アキラ。
――仮に別人だったとしても、会いに行く必要があった。
※山梨県 最西端の田舎町※
見渡す限り、山と畑。
総人口が七万人程度の田舎町で、勾配を歩くのに不向きな靴を履いて来たタケミガワを見守りながら、資料を頼りに「クサカベ・アキラ」の家を探す。
「なぜだ……」
後方を歩くタケミガワが、また何か喚いている。
「何がそんなに不思議なんだ?」
「今は令和だぞ。このご時世に、車が入れない程の山奥に住んでる奴はどうかしてる……コンビニはどこだ? 冷房が効いた建物は無いのか? この炎天下に徒歩で人探しをするお前もどうかしてるぞ、アストラル……」
都会育ちの人間には厳しい環境のようだ。
そんなタケミガワが無理をしてまで私について来たのは、クサカベ・アキラという名の人物が私の世界で死んだ地球人だからだろう。
理由は聞いていないが、何か思う所があったのかもしれない。
「一緒に行くと言い出したのはお前だぞ、タケミガワ」
「ああ、そうだ私だ。そして今、私は酷く後悔している。こんな事なら、冷房が効いた本部で涼みながら書類をまとめている方がマシだった……」
「なら今からでも帰ったらどうだ?」
「そうしたいのは山々だが、私には地球に残された遺族に生死を報告する責任がある。お前が『クサカベ・アキラ』の話をしなければ、こんな所に来なくて済んだんだ」
知らない方が良い事もある。良い勉強になっただろう。
「うぅっ……それよりまだ見つからないのかぁ? 最後に見えた家の場所から三十分近くは歩いているぞ。本当にこの先に家があるのか?」
「あるかどうかを調べる為に歩いてるんだ。黙って歩け」
「えぇぇぇい……」
歩きながら周囲を探ってはいるが、人の気配はない。
見つかるとしても、地元の住民が犬の散歩をしている程度の痕跡。
見晴らしが良い道を歩いているという事もあって、周囲にそれらしき建物がないのも分かる。
あまり使われていない道だからこそ、この先に在る気がする。
「…………あれだな」
更に歩くこと数時間。
山の外周を沿う形で進んだ先に、探していたであろう古い民家が埋もれていた。
見つけた民家は、森に取り込まれて完全に廃墟と化している。
腐り切った木材、割れた窓ガラス、錆びた看板に加え、壁一面に広がった植物。
劣化して文字が消えかけてはいるが、表札には、「クサカベ」と確かに書いてある。
「ああああ、なんて事だぁ。ここまで来て廃墟は無いだろぉ……記録が更新されてないはずだぁ」
遅れて到着したタケミガワが、疲れた足を休める為に日陰に入って座り込む。
建物の状態からしてアキラの両親は既にここを手放しているようだが、両親の居場所は後で調べさせればすぐに分かるだろう。
今気にすべき事は、廃墟の玄関前に落ちている何かの燃えかす。
細い棒状の物が燃え尽きたような物体は、手に取るとすぐに崩れる。
指に付着した灰を嗅いでみると、焦げた匂いの中に植物の香りが混じっていた物だと分かる。
この匂いは、香水ではない。
煙、墓所で焚く
香を入れておく容器は見当たらないが、間違いなく同じ用途で使われていたものだ。
「ハァ……で、お前はさっきから何を調べてるんだ?」
少しは休めたであろうタケミガワにも、一応は報告してやろう。
「痕跡だ。誰かがここに来ていた。それもつい最近だ。匂いの残り具合からして、まだそんなに時間は経っていない。この辺りで香を売っている店を探そう」
携帯電話を取り出して周辺の施設の中から香を売っている店を検索すると、「こきた」という個人経営の店があるという結果が出た。
記載されている店の電話番号に電話を掛けると、しばらく呼び出し音が鳴った後で女が返事をする。
『はい、もしもし』
廃墟の前でこのまま用件を伝えよう。
「すまないが、人を探している。あなたの店に訪れているかもしれない人物だ」
『あー、はい。どんな人ですか?』
探している人物は男。
物静かな男だが、背筋を伸ばして歩き、礼儀正しい若者だ。
服装に関しては、ブーツを履いていたかもしれない。
軍隊、国を守ってそうな兵士の恰好をしていた可能性もある。
特徴を伝え、その人物に心当たりがないか聞いてみると、女が「その人なら今朝来たばかり」と答えてくれる。
男が買っていた物は、ラベンダーの香りがする線香。
鞄を背負っていて、荷物の中にはキャンプ道具らしき物が多かったそうだ。
聞けば、その男は毎年夏になると山梨県に足を運び、数日間は山の中でキャンプをしてから帰るらしい。
『今朝来たばかりだから、しばらくは近くに居ると思いますよ? 釣りが好きって言ってましたから、川辺に居るかもねぇ』
「情報の提供に感謝する。長生きしてくれ、ご老人」
店主は、年を重ねた女の声だった。
探している男の趣味を店主が知っていた事を考えると、男は礼儀正しく、高齢者に気に入られる性格だろう。
まだ時間に余裕があるし、森の中に入って川辺を探してみよう。
「タケミガワ。探している男が見つかりそうだ」
「探している男……? クサカベという少年は死んだんじゃないのか」
「今探しているのは、その少年を殺した男だ」
アキラを殺した男を探していると聞いて、タケミガワが立ち上がってズボンに付着したゴミを払う。
「お前、その男を殺す気なのか?」
即答するつもりで口を開いた直後、声の代わりにため息のような音が漏れる。肺の中の空気を絞り出した程度の小さな音だ。
「……口を挟まない方が良さそうだな」
どう読み取ったにせよ、タケミガワが私の口の動きから事情を察した事は確か。
携帯電話を使って周辺の地図を表示し、この付近で一番近い川に向かおう。
川は目指して歩くこと一時間。
水の匂いがする場所まで辿り着いた。後は匂いを辿って森に入るだけ。
太陽の日差しを遮る木々の間を通って森の中を進めば、足元の苔が靴で削られた痕跡が見つかる。
足音を消す為に川辺の近くを歩く私のすぐ後ろには、今にも足を滑らせて転びそうなタケミガワの姿。
泣き言を言わず無言でついて来るタケミガワから目を逸らし、苔を踏み荒らした先駆者の足跡を辿って山を登れば、水の流れる音に紛れて奇妙な音が聞こえて来る。
「スンッ……クッ…………ハァ。カホッ…………ホォ、ホォ……」
聞こえたのは、鼻で息をする者が、口の中に何かを詰め込んだような音。固い何かを口に入れた息遣いだ。
合図を出してこの先に目的の男が居る事を伝えると、頷いたタケミガワが歩みを止めて待機する。
「ホォ、ホォ、ホォッホォッ……カッ!!」
前方の景色を遮っていた巨大な木を迂回すると、川辺の岩に腰かけて座っている男の横顔を確認出来た。
男の手には小さな火器。引き金に指を掛けたまま、男は銃口を口に銜えている。
山奥の川辺で自害を試みているこの男が、アキラに致命傷を与えてトドメまで刺した男で間違いない。
――アキラに見せてはいけない光景だ。
「……そこまでだ」
驚かさないように声量を落として声を掛けると、見るに堪えない表情で男が私の顔を見た。
銃口が唾液塗れになるまで銜え続けたであろう男は、自分の口から銃を取り出し、肩で呼吸しながら泣き続ける。
言ってやらなければ――。
「誰だ」
答えてやらなければ――。
「ヘンドリック・ドリトール。そう呼ばれていた男の、古い友人だ」
ヘンドリックの名を口にしてから数秒後、男の顔が赤くなる。
充血するほど力んでいる事が明らかな男は、首を横に振りながら静かに泣き続け、この十年間の想いを私に言葉無く伝えてくれる。
「俺は……スンッ……お、ハァ……ほ、オォレは…………クッ……」
拳銃を落とし、歯を噛みしめて耐えようとする男に、これ以上の説明は不要だった。
「カハッ……ウ、ァァァアアアッ!!」
自分の両腕を掴んで前屈みになりながら雄叫びをあげる男に歩み寄って背中に手を添えると、手から伝わって来る男の体温に紛れて感情が流れ込んで来る。
言葉通りの、貰い泣き。
私はこの男のように泣き叫ぶ事が出来ない体に成ってしまったが、泣き叫ぶ事が出来る状態でこの男と会っていたと思うとゾッとする。
男の近くに置かれた鞄には、白い布地に赤い丸が描かれた飾りが一つ。
鞄の側面には、【カンザキ・ヤマト】という男の名前が書かれている。
暑い季節にもかかわらず、カンザキの上着は迷彩柄の長袖。
履いている靴は傷が目立つ長靴で、近くの岩場に干されている帽子も迷彩柄。
「俺は……俺がやるしか無かったんだ。『君にしか出来ない』って、ヘンドリック王が…………」
そんな気はしていた。
アキラを初めて見た時も、私達はアキラが自分達の世界の住人じゃない事に気付いた。
輪郭、体格、喋り方、歩き方。見て、聞いて、触れて、全ての五感と第六感で感じる情報全てが、アキラを余所者だと告げていた。
私達でも気付けたんだ。同じ世界、同じ国から来た者なら、気付くのは当たり前。
アキラには素性を隠す為に仮面を被らせていたが、その程度の小細工で騙せるのは、遠い場所からアキラを攻撃する者達だけ。
至近距離で攻撃をし合う状況になれば、七人の勇者は必ずアキラの顔を捉える。
アキラを確実に殺す為には、その役を引き受けてくれる者に事情を話す必要があった。
そうしてヘンドリックに選ばれたのが、カンザキ・ヤマトという青年だった訳だ。
「他の奴にやらせる訳にはいかなかった。俺が引き受けなきゃ、みんな元の世界に帰れなかったんだ。だから俺は…………俺はッ!!」
――俺は、自分の目的の為に同じ日本人を殺した。
静かな森で騒がしく自分の罪を打ち明けたカンザキは、遅れて様子を見に来たタケミガワに「自衛隊か」と囁かれる。
カンザキが十年間絶え間なく苦しんだ理由は、日本を守る自衛隊の立場でありながら、日本の未来を担う子供を自らの手で殺めた事が大きく関係していた。
カンザキの年齢は、当時十八歳。
タケミガワは、訓練中に行方不明となった自衛隊員が居た事を覚えているそうだ。
行方不明になった自衛隊員の事を家族に報告したのは、軍務に携わっていたタケミガワの父親。
立場上、タケミガワの父親はカンザキの元上官に当たる。
「私の父は、ずっと君の事を探していた。何度も君の家族の元に行き、頭を下げ続けた。カンザキ・ヤマト……間違いなく、私の父が探し続けていた男だ」
世間ではカンザキの失踪が自衛隊内部で起きた虐めの隠蔽だという声もあり、実際に虐めも起きていた。
同じ時期に入隊した仲間の話では、カンザキは先輩隊員から虐めを受けている同期を助ける為に暴力を振るい、殴り合いの最中に姿を消したらしい。
姿を消す前からカンザキの性格を理解していたタケミガワの父親は、カンザキが消えた事を報告しに来た者の顔に痣があった事から状況を察し、見えない所で虐めが起きていた事を受け入れるしかなかった。
タケミガワが教えてくれたカンザキの性格を考えると、自害を試みた行動は理解出来る。
恐らく、カンザキは毎年この川辺に来て、自害を試みていただろう。
――カンザキは、十分過ぎるほど苦しんだと言える。
「カンザキ」
名前を呼び、自分を責め続けた事が明らかなカンザキの目を見て、好戦的な性格ではなかったアキラが七人の勇者と交戦した当時の状況を振り返る。
カンザキが居たのは、保育士の女と最も離れた位置となる最前衛。
アキラに致命傷を負わせ、顔を潰す形で確実にトドメを刺した剣士は、元自衛隊員のカンザキ・ヤマトだった。
ヘンドリックが事情を話した人間はカンザキだけとは限らないが、アキラが応戦したという事実は一つの可能性を示している。
アキラは、自分が帰る条件を知っていたのかもしれない。
それが出来ないから留まる事になり、七人の勇者に戸惑う事無く殺された。
――そうでなければ、あのアキラが戦った説明がつかない。
「……もうそれ以上自分を責めるな。お前の行動が仕方のない物だった事は、私が誰よりも理解している。気にする事はあっても、気に病む必要はない」
私は、カンザキの丸くなった背中を一度だけ軽く叩き、十年間苦しみ続けた漢の背中に許しを与える。
「辛い十年だったな」
恐らく、カンザキに対してこの言葉を言えるのは私だけだろう。
とにかく、間に合って良かった。
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