第9話 北の道
魔法商人が保育士の女だけとは限らないが、サカモトに魔法を教えた魔法商人がアキラを殺した七人の勇者の内の一人だった事が分かった今、背負っていたものが少しだけ削れ落ちた感覚がある。
タケミガワには私からも連絡を入れて事情を話し、あの女がテロ事件に役立つ魔法を広めていない事も説明はしてあるし、後はあの女が勇気を出してタケミガワに連絡を入れるだけで借金の問題も解決するだろう。
アキラが生きていたら、喜んでくれそうな結末だ。
「本当にここで良いのか? もっと美味い物が地球には沢山あるぞ」
「お前がどうしてもと言うから案内したんだ。文句があるなら、これ以上はお前に付き合わない」
「……所詮は17歳って訳か」
東京――世田谷区。
アキラ以外にもう一人、私の行動に喜ぶ者が居た。
大切な娘が無事に家に帰っていた事に涙し、タケミガワから私の居場所を聞き出して早々、「借りを作りたくない」の一点張りで私の話を聞かない男。
ヤジマだ。
「こんな店、どうやって見つけたんだ? 地元の人間でも気付かない場所だぞ」
「近くの学校に勤めている教員が教えてくれた」
「あの男か……真面目そうな奴だったのは覚えてる。娘が大きくなったら
借りを返したいと言い張るヤジマを連れて来た場所は、サカモトから教えてもらった雑居ビルの二階にあるケーキ屋、「北の道」だ。
上から降りて来る若い客とすれ違う度に肩が当たりそうになるビルの階段は、段差が高く、この先で摂取する糖分を消費するのには物足りない狭さ。
上を向く度に前髪が鼻筋に張り付き、タケミガワに用意してもらった白いシャツが汗を吸って湿って行くのが分かる。
この先で飲む事になるジュースは、きっと美味しいだろう。
「いらっしゃいませー」
長いようで短い旅が終わり、鈴が付いた扉を開けて店の中に入れば、控えめの声量で挨拶をした店員が私達を席まで案内してくれる。
店員の服装は、私の世界にも居た使用人とよく似た服装。
他の客も全体的に年齢が若く、男性客の姿は今のところ見当たらない。
「ハァ……」
店内を見渡してようやく男性客を見つけたと思えば、その男はため息を吐きながら私の前に座るヤジマだった。
花に囲まれても、隠し切れない頑固者臭。
ヤジマの顔が店内の華やかさに拒絶反応を起こしている。
「しかめっ面を辞めて、お前も何か頼んだらどうだ?」
「俺は甘いのが苦手なんだ」
「なら今の内に克服しろ。娘が大きく成った時の為にな」
店員から渡されたメニューを見る必要はなく、私の注文はイチゴのショートケーキと紅茶。
渋々メニューを手に取るヤジマの注文は、レアチーズケーキとアイスコーヒー。
夏に相応しい爽やかな音楽が鳴っている店内とはいえ、ケーキが来るまでの待ち時間、この堅物な男と何を話せば良いのか分からない。
黙っていて問題ないなら、何も喋らずケーキを堪能して次の勇者を探したい。
「お前、年のわりには老けて見えるな。本当に17なのか?」
「嘘をついて何の得がある。私をその辺りに居る女子高生と一緒にするな」
年の話題を終わらせると、ヤジマが娘の将来を心配する。
まだ幼い娘も、お前のような顔をする日が来るのかと。暗い顔をして、どんな話題を振っても会話を嫌がる時期が来る事を気にしているようだ。
くだらない悩みだ。
「まだ喋れもしない娘の将来を気にして何が楽しいんだ? まだ朝だぞ。もっと明るい事を考えろ」
「努力はしてる……」
「努力不足だ。まずはそのしかめっ面を治せ。子供の前でそんな顔をし続ける気か?」
子供は親の顔色を見て育つ。
言葉が分からないから、周りの人間の顔色を見て判断する。
判断する必要があるから、子供の目は相手の性格を一瞬で見抜けるほど冴えている。
どんなに隠していても、装っても、子供の目を騙す事は出来ない。
少なくとも私は、騙された覚えが無い。
「娘の母親も、お前みたいに暗い顔をしているのか?」
「してるはずだ」
「はず……?」
「死んだんだ、交通事故で。俺が運転していた」
――その事故は、台風の影響で大雨の日に起きた。
風邪を引いた娘の為に近くのドラッグストアまで妻を送り届けるつもりだったヤジマは、娘が風邪を引いて苦しんでいる原因を妻のせいにし、運転をしながら口論を続けて事故を起こした。
事故の原因は、ヤジマの前方不注意。
信号が赤になっている事に気付かず交差点に進入し、大型貨物車と接触して妻を失った。
脳震盪を起こして視界がぼやける中、ヤジマが目にしたのは助手席に座っていた妻の亡骸。
直前まで口論を続けていた事もあって、ヤジマの目に映った妻の顔は憎悪に満ちていたらしい。
その後、病院に運ばれたヤジマは、留守中に娘の面倒を見てくれていた親戚からも恨み事を言われたそうだ。
『アヤカを帰せ。お前のせいでアヤカは死に、この子も母親を亡くした。アヤカに子供の面倒を任せきりだったお前が、どうしてアヤカを責めれる! その権利はどこで手に入れて来たんだ!?』
事故の影響で喋る事すら出来ないヤジマにとって、親戚一同から浴びせられた言葉は拷問だった。
唯一の救いは、娘の親権が奪われなかったこと。
親戚からは脅しに近い言葉を浴びせられたが、ヤジマ本人の経済力と父親としての自覚が裁判所に認められ、ヤジマは法的に親で居続ける事が許された。
許されたからこそ、ヤジマは娘の未来を心配している。
ヤジマは、いつか必ず来る娘からの質問に正直に答える覚悟が自分にあるかどうかを、ずっと気にしているそうだ。
「お待たせしました。イチゴのショートケーキと紅茶のお客様?」
手を挙げて自分が頼んだ物だと教えると、店員が笑顔で私の前にケーキと紅茶を置いた。
「こちらが、レアチーズケーキとアイスコーヒーになります」
「どうも……」
「ご注文は以上でよろしいですか?」
「……ああ」
「では伝票を失礼致します。ごゆっくりどうぞ」
写真で見たケーキよりも少し劣って見える色合いのケーキが、現実と理想の違いを物語っている。
味に変わりはないのだろうが、次は別の物を頼もうと思う程の劣化だ。
「人は見た目で判断出来ないとは、この事だな」
見た目が悪くても美味い料理があるように、見た目が良くても不味い料理がある。
アキラの写真で見て以来ずっと食べたかったイチゴのショートケーキとやらも、感情が欠けた今の私にとっては後者の食べ物。
どうでもいい味だ。
「どうだ? ケーキの味は」
「悪くはないが、こっちの食べ物は私の口に合わないようだ」
「味覚の違いか。ま、そんな気はしてたがな。お前がケーキを食べて感動する姿は想像出来ない」
「それは私も同じだ」
ヤジマもケーキを一口食べるが、頷きながらも感想は私と同じ。
美味い食べ物なのは分かるが、そんな物を堪能している場合じゃないという思いが抜けない。
ま、良い思い出に成った事は否定しないでおこう。
「なぁアストラル」
飲み物の容器の表面に付着した水滴を指で拭き取ったヤジマが、唐突に私の名前を呼んだ。
何か聞きたい事があるようだ。
「何だ?」
「お前は、俺の娘が車を好きになると思うか?」
恐らく、娘と同じ趣味を持てるかという話だろう。
――考えるまでも無い質問だ。
「嫌う原因を車のせいにするな、全部お前が悪い。同情する余地が無いほどにな。娘が嫌うのは車ではなく、母親を殺したお前だ」
どんなに言い訳をしようと、娘から見た現実は変わらない。
娘に嫌われたくなければ、ヤジマ本人が娘の現実を受け入れ、その償いをする必要がある。
「娘が喋れない今の内に涙を枯らしておく事だ。お前の涙は娘から見て目障りな要素でしかない」
周りの客が私の発言に驚いている様子はあるが、これは「借りを作りたくない」と言ったヤジマにとって予想通りの結果。娘の未来に関しても、ヤジマの予想は外れないだろう。
「……根は良い奴なのかと思ったが、どうやら俺の勘違いだったらしい。お前は、クソが付くほど生意気な餓鬼だ」
「間違いは誰にでもある。その事を、よく覚えておけ」
「よくそんな事が平気で言えるな。顔に書いてるぞ? 『私は間違った事なんて一度もない』って」
生きていれば、いくらでも正せる。
それが人生だ。
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