第8話 ザ・ウォーキング・デッド
私は、いつから一人に成ったのかよく覚えていない。
気が付くと、洗面台の蛇口に手が届くようになっていた。
背が伸びた事に気が付くと、いつの間にか蛇口を見下ろすほどの身長に達していた。
洗面台の鏡に顔が映るようになると、凛々しい鼻は父親譲り、鋭い目は母親譲りで、卵のような輪郭は祖母に似ている事を知った。
自分が紛れもなくエヴァレンス家の人間である事を知ってから「自分らしさ」を鏡の前で探し続けていると、気に入っていた黄金色の髪に白髪が紛れている事に気付いた。
そして、白髪は日を追うごとに増え続けた。
白髪交じりの金髪が嫌になってからは、体に目を向けた。
知らない間に胸が大きくなっていた事に喜び、胸元が見える服を姉から借りて着飾る事もあった。
だけど、その趣味は長く続かなかった。すぐに飽きてしまった。
私は、みんなと同じように魅力的な女になりたいと思いながらも、心のどこかで誰かの複製に成る事を嫌っていたのだ。
誰を見ても、どこを見ても、既視感が絶えなかった。
私は自分が欲しかった。
誰にも奪われない、真似出来ないものが欲しかった。
人間という生き物に産まれた事に吐き気がするほど、私は唯一無二の存在に憧れた。
一人で良い。
一人が良い。
一人じゃなきゃ嫌だ。
お前は私じゃない。
私が「私」なんだ。
私は一人しか居ない。
この私こそ、この世でたった一人の凶王アストラル。
――私は、自分の未来さえも一つにした。
「お疲れ様ぁ、カゴちゃん!」
「あ、お疲れさまですぅ。また明日」
「はーい、お疲れ様ぁ。また明日ぁ」
時刻は日没。
園児全員が保護者の元に引き取られ、施設内の戸締りを終えた保育士達が次々と車を発進させる中、車に乗ってから携帯電話を眺める女が一人。
携帯電話の画面を見るのに夢中で私に気付かない女の前髪には、四つ葉のクローバーの形をした髪留めが見える。
健全な雰囲気を漂わせる黒髪。
携帯電話の光に当てられて輝く黒い瞳。
化粧をしている様子はなく、羨ましいほど肌艶が良い。
日が暮れても車を動かす様子がない女の顔を私が認識出来るのは、認識を阻害する為に必要な感情が私に欠けているからだろう。
女の髪留めは、相手の目線を髪留めに引き付ける事で自分の顔を鮮明に記憶させない類の物と見て間違いない。
「はぁ……もう最悪」
携帯電話を手放して車の動力源を起動させた女が、余所見をしたまま私に気付かず車を発進させる。
「……イヤッ!!」
ようやく私に気付いた女が声を出すと、同じ女とは思えないほど疲れ顔の女を乗せた車も同じように甲高い声を出して鳴いた。
車を急停止させた状態のまま車内で言葉を失っている女は、私が助手席側に回るのを目で追い、扉を開けて中に座る事を無言で許す。
車の中は、送風機の近くに置かれた箱から漂う香水の匂いで満たされている。
日没後の街に相応しい音楽が流れ、車の振動も流れている音楽を邪魔しないほど静かなもの。
「え……あ、あの……け、怪我とか――」
「
車の前方を見たまま指示を出すと、女が車を発進させた。
移動中、無言の車内で私が考える事は多い。
危機感の欠如。
車を出す直前に聞こえた「最悪」という戯れ言。
地球に転移する時に定めた、「クサカベ・アキラを殺害した七人の勇者と過去一週間以内に接触した者」という条件。
車内に響く音楽の歌詞。
車の左右を流れる光の街と、帰るべき場所に向かう者達の残像。
何を最初に聞くのが正しいかを必死に考える。
「この曲は、何という名前だ?」
考えた結果、弦楽器の音に合わせて歌う者の曲名を聞く事にした。
「あ、えぇっと。ハレン・ジャクソンの、『ザ・ウォーキング・デッド』です。ブルースです…………」
外から聞こえて来る雑音をかき消してくれる音楽は、正直者の男が自由の国で孤立して行く様子を歌っている。
自由の国で孤立し、孤独を恐れた男は自ら嘘を望む。
そして嘘つきに成り果てた男は、正直者として生きる他者を避け始める。
孤立し、孤独を恐れ、群れる為に嘘をつく。後は、その繰り返し。
そうして出来上がるのが、自らの意思で自分を殺した死者の軍勢。
死者の行進は何者にも止める事が出来ず、世界を変えて行く。
――全ての正直者が嘘つきになるまで、死者の行進は続く。
「……女、お前は正直者か?」
交差点に差し掛かった車が信号で停車してから女に質問した。
「…………いいえ」
女が答えると信号が青に変わり、車が進みだす。
「……魔法を売ったのは、金の為か?」
信号で車が止まる度に質問をする。
「…………はい」
女が答える度に信号が青に変わり、車が街から離れて行く。
「……生きて行けないほど貧しいのか?」
街から離れても、信号は至るところに在る。
「…………はい」
歩行者が居なくても、交通の流れを整理する為に信号は働き続ける。
「子供が好きなのか?」
子供を引かない為にも、信号は必要だろう。
「はい」
時には、信号がない場所でも弱者の為なら車は道を譲る。
譲られた弱者は頭を下げて道路を渡り、強者に僅かな喜びを生む。
「お前は治癒魔法が得意なのか?」
「はい……」
弱者が去ると、何事も無かったかのように車は動き出す。
「数日前に、病で苦しむ妹を助けたいという男に治癒魔法を教えた覚えはあるか?」
変わらないのは、どんなに遠回りをしても、いつかは目的地に着いてしまうという現実。
「……覚えています。名前は聞いていませんけど」
移動を開始してから一時間弱。
サカモトとの取引を認めた女の車は、入り江の岸付近で停車した。
車内から眺めた入り江の景色の中には、貨物を積み下ろしている大型船が見える。
とても綺麗な場所だ。
――質問を続けよう。
「お前は、ヘンドリック・ドルトールという男を知っているか?」
答えが返って来なかったので運転席に目を向けると、私の顔を見たまま唖然としている女の表情が確認出来た。
小さく震えている女の唇は、私の質問を既に肯定している。
「わ、私を、ここっ、殺しにッ……来たんですか?」
女には、殺される自覚があるようだ。酷く怯えている。
「お前の生死に興味はない」
そう、興味は無い。
宇宙全域の生物を殺すまでは興味があったが、その興味は無くなってしまった。
もう終わった事だから、どうでも良い。
「だ、だったらどうしてここに……?」
「話をしに来た。話がしたかったから、お前の仕事が終わるのを待っていた」
私が話したい事は、たった一つ。
――治癒魔法の事だ。
「私がお前に話したいのは、治癒魔法の事だ。私の世界で、七人の勇者の一人として後衛に回っていたお前の話だ」
アキラが襲われた場所はもちろん、そこで起きた戦闘は既に調べ尽くしている。
戦闘が行われた場所は、魔界で一番大きな城の王広間。
現場に残されていた勇者の足跡は、男の足跡が三人分、女の足跡が四人分。
戦闘時の配置は、前衛が二人、後衛が五人。
五人の後衛を更に細かく分けると、前衛のすぐ後ろに弓が二人、弓の後ろに防御魔法を担当する者が二人、その後ろに回復を担当する者が一人だった。
前衛は男二人、後衛は一人の男と女四人。
頭の中に思い描いた当時の状況、各配置に立つ者の姿には影が掛かっていたが、他の六人全員の動きが見れる位置で回復に専念していた女の影は、今この瞬間に晴れた。
気が弱く、同じ人間を殺す事に戸惑いながらも、帰る為に人殺し役を引き受けてくれた他の仲間を支えたい気持ちを合わせ持っていたであろう引き越しの女。
その女が、今私の目の前に居る女という訳だ。
「お前が売っているのは、私の世界で習得した治癒魔法だけだな?」
「は、はい。他の魔法は、私には使えなくて……」
「だろうな。お前は人を傷付ける事に抵抗がある人間だ。心で拒絶しているものを魔法で具現化する事は出来ない」
サカモトが治癒魔法を教わったと知った時から、魔法商人の商品は治癒魔法に限定されている気はしていた。
全ての魔法に精通している者ならどんな魔法でも教える事が可能だが、どんな魔法でも使える時点でそいつは人間じゃない。人間の形をした別の生き物だ。
少し話が逸れてしまったが、要点をまとめると、治癒魔法を使える人間の中で攻撃魔法が使えるのはごく僅かという事だ。
話を、サカモトが妹に使った治癒魔法に戻そう。
「お前は人を傷付けられない、その部分は私が認めてやろう。同時に、お前が間接的に人を殺す事を恐れていない人格者なのも確かな事だ」
この女は、人を直接殺す事を恐れてはいるが、人を間接的に殺す事に対しては鈍感と言える。
鈍感である証拠が、サカモトの妹の病状を調べずに治癒魔法を教えてしまった事だ。
ここからは重い話になるが、女の未来の為に言うしかない。
「お前から治癒魔法を教わった男は、残念ながら妹を救えていない。救うまで魔法を掛けるつもりでいたが、そこを私は止めた。なぜ止めたか、お前に分かるか?」
「危険、だったからですか……?」
「具体的には何の危険だ? 失敗してグールになって人間を襲うような危険か?」
「はい。そういう事もあるんじゃないかって、分からないですけど……」
グール化に関しては、不確定要素が多すぎるので原因を断定するのは難しい。
可能性が無い訳じゃないが、そんな事が起きるのは極めて低い確率だ。
やらない事にこしたことは無いが、私が言う「危険」は、もっと大きな犠牲を生むものだ。
誤解を生まないように、はっきりと伝えよう。
「私が彼を止めたのは、成功した場合、治癒魔法が医学の進歩を妨げる事になるからだ。間違った処置をしたのに、死ぬべき人間が魔法で助かってしまう。そうすると、医者は間違った処置を正しい物だと思い込む」
そして、間違った処置をして死んだ者に対しては、既に末期の状態で運が無かったと言い訳をし始める。
これは、その仕事に携わる上で複雑な分野を学んだからこそ生まれてしまう過信だ。誇りとも言えるだろう。
治癒魔法がもたらす脅威は、医者の慢心を招く程度じゃ済まない。
「脅威は他にもある。お前が治癒魔法を教え回ったせいで、この地球が医者要らずの世界に成ったとしよう。殴っても蹴っても、体を切りつけても魔法で治せる世界だ。そんな世界で起きる陰湿な虐めや理不尽な暴力が、従来通りの威力で加害者の欲求を満たすと思うか?」
集団生活をする以上、相性の差で生じる人間関係の歪みはある。
その歪みが生じた時、魔法で体を治せる相手を殴る為に必要な力は、相手が魔法で体を治せる前提の物になる。
ここで女に想像して欲しい未来は、女が保育園で大事にしている子供達が、洗練された暴力の餌食になる未来だ。その未来に、怪我を負った子供を治せない医者が溢れている。
そこまで来ると、明るい病院は絶えず子供達の悲鳴が響く場所になるだろう。廊下を歩く医者の多くが正気を失い、魔法で怪我を負った子供達を治す為に、患者を非検者にして治癒魔法を研究し続ける。
このまま魔法商人としての生活を続けるとどんな未来が訪れるか伝えると、女の目に涙が浮かぶ。
「私の言っている事が分かるか? お前が今やっている商売は、未来の加害者を支援しているんだ。他人を治す暇があるなら、誰よりも先に自分を治せ」
言い過ぎたとは思わない。
むしろ言い足りないくらいだ。
「お前が何の為に金を稼いでいたかは知らないが、収入に不満があるなら居場所を変えろ。居心地が良くなる前に手を引け」
人間を辞めたところで得る物は無い。
そう言ってやると、女は魔法商人を辞めると泣きながら呟いた。
「ごめんなさい。私、そこまで考えてなくて……親の借金を返す為に、お金が必要だったから…………」
辛そうに事情を話す女の口から、何の感情も湧かない物語が語られた。
異世界に召喚され、地球に戻ってから約十年。
地球と異世界に生じていた時差の関係で、女は親の借金を背負う形になっていた。
親が借金を作った理由は、地球で失踪扱いになった女の捜索。
探偵を何十人も雇ったり、捜索を断念した警察を訴えるなど、様々な事情が重なって膨れ上がった借金は、まともな仕事では返せない程の額らしい。
だからと言って魔法を売って良い事には成らないはずだが、異世界に召喚したのがヘンドリックである以上、あまり強くは言えない。
強くは言えないが、こういう奴にこそ手を貸してやるべきじゃないのかと、タケミガワの組織に対して不満を感じる。
かつての友として、今は亡き国の王として、少しだけその勤めを果たそう。
――全ては、アキラが喜ぶ顔を夢見る為だ。
「お前、携帯は持っているか?」
「え? ぁぁはい。持っています」
私は、携帯電話の中からタケミガワの電話番号を引き出し、その番号を女に伝えた。
「借金の返済については、今教えた番号で繋がる女に相談しろ。全ての事情を話せば、きっと分かってくれるはずだ。私からの紹介だという事も伝え忘れるな」
最後に女の前髪から髪留めを優しく外してやれば、大きな仕事が一つ終わったという感覚に浸れる。
髪留めを私に取られた女の表情は、借金返済の当てが出来て喜んでいるように見える。まだ泣いている様子からして、相当な負担が掛かっていたのだろう。
「私の話は終わりだ。何かで迷った時は、私の事を思い出せ。お前の頭の中に現れる私が、お前がやろうとしている事を許すかどうかで判断しろ。もしも警告を無視したら、その時は本物の私がお前の前に現れる。そうなった場合は、もう手遅れだ。容赦はしない。分かったな?」
これは脅しでもあり、救いでもある。
アキラを殺した奴の名前なんて知りたくもないし、本当ならこの場でぶっ殺してやりたいが、殺したところで何も感じないのは分かっている。今の私は、虚しさすら生み出せない。
「……それじゃ、私はここで降りる。気を付けて帰れよ。余所見をせず、前を見て走れ」
「は、はい。ありがとう、ございます…………」
扉を開ければ波の音。
車を降りれば船の汽笛が心地良く、夜風が白髪交じりの前髪を乱す。
自分の世界を滅ぼしてまで探し続けた相手を見つけ、アキラを殺した事を許し、相手を助ける。
こんな事、私にしか出来ないだろう。
――出来てたまるか。
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