アース1

第4話 ここにしか居ない特別な少年

 私の世界に在った病院は、とにかく暗い場所だった。

 蝋燭を持った医者が巡回する廊下は薄暗く、建物内には絶えず悲鳴が響いていた。


 私が知る「病院」は、死に行く者を見届ける場所だ。

 患者が施設の中を歩く事はなく、寝床に縛りつけられた患者の役目は治癒魔法の実験。

 私の世界では、地球の人間が聞けば正気を疑うような施設が病院と呼ばれていた。


 なぜそうなってしまったのか聞かれたら、私は迷わず語るだろう。


 この世で最も難しい事は、相手を傷つける事ではなく、自分を守る事でもなく、他人を助ける事だと。


 助ける事が出来ない状態になるまで敵を叩き潰す事が、私達には必要だった。




 ※


「お世話になりました」


 人前では涙を見せない男――サカモト・リョウ。


 病院の受付で白衣を着た女に別れの挨拶を済ませたサカモトは、亡き妹の荷物が入った鞄を背負い、自分の歩みを確認するような姿勢で私の元に来る。

 

 妹が死に、色々と手続きを済ませるまでに掛かった時間は約二時間。

 病室に置かれていた寝床は寝心地が良さそうなのに、医療費を精算する為の受付に用意された椅子は教会のような座り心地だった。


 これでようやく、本題に移る事が出来る。


「終わったのか?」

「ああ、終わったよ。何もかも……」


 流石に、このまま連れ回すのは厳しいか。精神的にも弱っているだろう。


「で、俺に何か用があるのか?」

「私の用件については後で話す。それよりも先に、お前には礼を言っておきたい」

「礼? 何の」

「妹の事だ。お前は私の言葉を信じてくれた」


 正直、地球に来て最初に出会ったのがサカモトで良かった。

 誰かを魔法で襲っているような奴の元に転移していたら、私は迷わず剣を手にしていた。


 サカモトは魔法を使わず、妹の死を受け入れた。それだけでも、私の頭の中に在った大きな不安は和らいでいる。


「ありがとう」


 礼を言った自分の言葉が耳に残り、目に違和感を感じる。

 瞬きをすれば、一粒の涙が頬を伝って零れ落ちる感覚が私の中の何かを刺激し、更に大きな違和感を生む。


「おい、どうしたんだよ……」


 歩み寄るサカモトに、私は首を振って答えた。


 分からない――と。

 

「分からないって、大丈夫かよ」

「体に問題はない。痛みを感じる事もない」

「ならどうして……」

「名残だろう。人間だった頃の」


 涙が出る理由は本当に分からない。

 分かるのは、涙が出たところで何の問題もないという事だけ。

 この涙は、激しく動いた後に出る汗のような物だろう。


 涙を拭いて話を戻そう。


「ところで、お前はこれからどうするんだ? その荷物を生涯持ち歩く訳ではないのだろ?」

「あ、ああ。俺はこれから職場に戻って、妹が亡くなった事を報告しに行く。助かると思ってたから、まだ事情を話してないんだ」


 病院の外に向かいながら職業を聞くと、サカモトは自分の職業を「女子高の教員」と答えた。職場はこの病院の近くに在るらしい。

  

 学校の名前は元部もとべ学院高等学校。都内で最も新しい学校だ。


「今日も暑そうだな……」


 学校の事を話してくれたサカモトが病院の外に出ると、建物の中からは想像も出来なかった暑さが私の体を包み込む。


 太陽の光が届く場所まで歩けば、目を開ける事が難しいほど青い空が見える。

 雑音をかき消す程の虫の声。息をすれば喉が渇き、太陽の光を手で遮ると掌が暑くなる。


 ――これが、アキラの言っていた。 

 

「良い天気じゃないか」

 

 思わず口に出てしまう程の快晴。

 視点を地上に戻せば、魔法に頼らない生活を送る人々の姿が見える。

 馬車よりも速く道を走る乗り物からは油の匂い。

 道行く者は手元の携帯電話を覗き込み、自分の世界に浸りながらどこかに向かっている。


 サカモトが通る道に建てられた街灯も、前を通っただけで自動的に開く店の扉も、面白おかしく点灯する看板も、全てが電力によって動いている機械だ。


 ドワーフが見たら、きっと文句ばかり言うだろう。


「おい、何してるんだ? はぐれるなよ」


 サカモトに呼ばれて、なぜか駆け足になった。

 見知らぬ土地で知らない相手に思わず駆け寄るこの感覚は、魔界に来たばかりのアキラも感じたものかもしれない。


「お前はここに詳しいのか?」


 アキラも、私と同じ質問を魔族にしたかもしれない。

 

「あんたよりは詳しいと思う」

「そうか。なら良かっ――」


 なら良かった。そう言い切る前に、私の嗅覚を甘い匂いが刺激した。


 小麦、パンを焼いたばかりの窯の中を嗅いだような匂いだ。


「おいサカモト、この匂いは何だ?」


 サカモトに聞いても、「俺には何も匂わない」と言われる。


 パンの匂いの他に漂ってくるのは、砂糖を焦がしたような匂い。他にも何か甘い匂いがする。


 匂いの出所は――。


「スンッ……あれだ。あの建物から匂ってくる。二階だ」


 サカモトを匂いの出所まで案内すると、ガラス張りの建物の二階に「北の道」という文字が見えた。

 窓側の席には、何かを食べている若い男女の姿がある。


「あー、ここが『北の道』なのか」

「知っているのか?」

「ああ、生徒がよく話してた場所だ。まさか雑居ビルの中に在るとは思わなかったけど……」


 聞けば、北の道は若者に有名なケーキ屋らしい。

 サカモトが取り出した携帯電話の情報には、アキラが話してくれた「イチゴのショートケーキ」らしき物の写真が店の人気商品として記載されている。

 携帯電話を見る限り、北の道のイチゴのショートケーキは店長のおすすめ商品のようだ。


「…………あんたの世界に、ケーキは無いのか?」


 ケーキの写真を見つめていると、サカモトがケーキの有無を聞いて来た。

 

 正直に答えてやろう。


「材料は知っていたが、どれも手に入らない物だった。代わりになる物を探す日もあったが、どれも失敗に終わっている」


 地球と通信が出来なかったものの、アキラも携帯電話を持っていた。

 その携帯電話の中に保存されていたのが、アキラが地球で撮影した絶景や食べ物の写真。

 どの写真も、私の世界では見る事が叶わないものだ。


 私の世界に地球の人間が来ていた事を伝えると、サカモトは、「なるほど」といった感じで静かに頷く。


「……食べてみるか? 地球のケーキ」


 意外な言葉がサカモトの口から出た。

 思わず顔を見てしまうほど、サカモトの言葉は不自然だった。


「どうする?」

「あ、ああ。お前が良いなら、食べて――」


 食べてみたい。

 そう言うつもりでケーキの写真に視線を戻すと、ケーキの値段が目に留まる。


 ショートケーキの値段は、一皿で560円。飲み物とセットで頼む事が条件なので、合計金額は1000円を超える。


 魔法で言語の壁を取り除いているからこそ知ってしまった現実が、言い掛けた言葉を変える。


「……いや、やっぱり遠慮しておく」


 断った直後、アキラを客人として丁重に扱った事に少し後悔を感じた。


 食べたい物を与え、望む情報を与えてしまった事は、優しさの押し付けだったかもしれない。特別扱いをせず、善良な人間として普通に扱ってやるべきだった。


「ん……良いのか? 別に俺は構わないぞ」

「必要ない。売られているのが分かっただけで十分だ」


 携帯電話を返して一息つくと、サカモトも私の隣で深い息を吐く。


「そっか……良い奴だったんだな? あんたの世界に居たその子も」


 サカモトにとってアキラはどこにでも居る普通の少年だったかもしれないが、私にとっては地球ここにしか居ない特別な少年だった。


 ――特別だったから、特別に扱ってしまった。


「良い奴かどうかは分からないが、特別な人間だったのは間違いない。私の世界での話だがな……」


 何を見ても、見知らぬ土地なのにアキラを思い出す。

 思い出す事があり過ぎて、ここに来た目的を忘れてしまいそうだ。


「そういえば、職場に行く途中だったな。邪魔してすまない」

「謝るほどの事じゃ…………」


 私と話していたサカモトが、反対側の歩道を眺めて言葉を詰まらせた。


 サカモトが何を見ているのか調べる為に同じ方向に目を向ければ、学生らしき征服に身を包んだ女が柄の悪い連中に絡まれているのが見える。

 

「あいつ、なんでこんな時間に……!?」


 サカモトが突然走り出した。

 車道に飛び出して車の進路を妨害しながら道を渡るサカモトについて行くと、学生らしき女と柄の悪い連中の会話が聞こえて来る。


 学生は何かもめているようだ。


「ちょっと、放してって言ってるでしょ!?」

「そう言わずによぉ、俺達と遊ぼうぜ? お金ならいくらでも出してやるからさぁ!」

「ちょ、マジでしつこい! 嫌だって言ってるでしょ!!」


 警音器を鳴らされながら車道を渡り切ったサカモトが歩道に入ると、学生の目線が一瞬だけサカモトの姿を捉えたような動きをする。


「ヒカワ!」


 サカモトが学生に向かって大声で名前を呼んだ。

 呼ばれたのは学生の方だが、声に気付いた柄の悪い連中も同時にサカモトを見てしまっている。


「サカティ!? なんであんたがここに居んのよ」

「それはこっちの台詞だ。お前こそ何をしている、学校はどうした」

「あんたに関係ないでしょ!? あっちに行ってよ!」


 サカモトがヒカワという名の学生に近寄ろうとすると、サカモトよりも数十センチ背が高い三人の男が道を妨げる。


 この三人、どう見てもヒカワやサカモトの知人ではない。


「おいおっさん、俺達に何か用か?」

「何だお前達は……」

「俺達はこの子の友達だよ」

「そうは見えなかったぞ」


 良くない空気だ。


 面倒な事になる前に、さっさと追い払おう。


「おい、そこの三人」


 サカモトを庇うように前に出ると、三人の男が私を見下ろして鼻で笑う。


「フッ、何だお前、その恰好。コミケの帰りか?」

「どうでもいい話をする暇があるなら失せろ。ヒカワに関わるな」

「あ?」


 威圧的な声を出されても動じず相手の顔を見つめ続けると、男の目線が一瞬だけ私の剣に移る。

 視線を私の顔に戻す男に対して目で「そうだ。本物だ」と語ってやれば、男の顔が険しくなり、そのすぐ後に口を小さく開けて顔色が悪くなる。


「……悪かった。もう行くよ」


 三人の内、私を最初に揶揄った男だけが気分を悪くした様子で引き返した。

 一人が去れば、残りの二人も仲間を心配した様子で後を追い始める。


 実に賢い連中だ。きっと根は良い奴だろう。


「おい、ヒカワ。大丈夫か?」


 男達が去った事で、サカモトがヒカワに声を掛ける事が出来た。


「サ、サカティ……この子、誰?」

「あー、えっとぉ……?」


 そういえば、まだ名乗っていなかった。


 良い機会だし、ここで名乗っておこう。


「私はアストラル。凶……いや、アストラル・フォン・エヴァレンスだ」


 言い直したせいか、名前を聞いたヒカワが唖然とした表情で私に近寄って来る。


「ねぇ待って、あなたアストラルって言うの……フォン・エヴァレンス? それ本名?」


 ヒカワは、何か言いたそうな顔だ。


「そうだが、それがどうかしたの――」

「なにそのキャラ超カッコいいじゃん!! 服装とかその腰にある剣とかコスプレの域超えてるし、なんか喋り方もすごく成り切ってるしさぁ! 何のキャラか分からないけどほんと超カッコいい、マジ神きちゃぁって感じッ!!」


 ヒカワのこの喋り方は、アキラがロボットアニメというものについて話していた時と全く同じだ。

 何を言っているのか半分も理解出来ていないが、本人が喜びに満ち溢れている事だけは分かる。


 たしかアキラは、好きな事を話している時に早口になる奴の多くが「オタク」と言っていたな。


 ヒカワもオタクなのだろうか。


 ――聞いてみよう。


「ヒカワ」

「何?」

「お前はオタクというやつなのか?」

「そうだけど、それがどうかした?」


 流石だな、アキラ。


「いや、どうもしない。誇れる趣味を持つのは良い事だ」

「お、アスちゃん分かってるねぇ。いいねいいねぇ、友達に成れそうじゃん!」


 アスちゃん。


 ――良い響きだ。

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