第3話 異世界召喚

 終焉を迎えた世界では、時間の流れが遅く感じる。

 この何も無い世界を実現するまでに掛かった時間は約一年。

 

 これほど静かな世界で考え事をするのは、人生で初めての経験だ。


「……愚かな世界、か」


 私は、誰も居なくなった王都の城の庭園に魔法陣を描き、描いた陣の中央に座って瞑想を続けている。

 

 頭の中を過るのは、アキラが誇らしげに語っていた「地球」のこと。

 地球には、高度な技術の道具がある。携帯と呼ばれる通信装置や、馬よりも早く走れるバイクや車、集団で空を飛ぶ手段もあるそうだ。

 

 それだけ高度な物があるなら、きっと優れた武器が溢れているのだろう。そう質問した私に対し、アキラは「剣や魔法はない」と言った。


 地球の主な戦力は、こちらの世界では数百年前に誰も使わなくなった火薬銃に近いもの。

 こちらの世界よりもかなり強化されている武器だが、それ等の武器は限られた人間にしか許可されていない代物で、普通の人間は武装する事自体が許されていないらしい。


 武装が許可されていない。私は、その部分がどうしても引っ掛かる。


 身を守る為の道具を持つ事に許可が必要な世界なら、魔法はこれ以上ないほど最適な武器だ。魔法は目に見えない。他者の目に映らないなら、いくらでも言い逃れが出来る。


 武装が出来ない事で生じる不安。その不安や不満を抱く人間が見えない武器を得たと考えた場合、サラベールの遺書に書かれていた事は現実のものとなるだろう。


 人を殺して、人を殺してはいけない世界に帰った。そこが問題だ。


 地球の王が魔法に対して何か対抗策を持っていれば話は別だが、アキラから聞いた話の中にそれを期待できるものは無い。


 アキラの故郷で私達の世界で起きた事が再現されると想像しただけで、今すぐにでも地球に行きたい気持ちが溢れてくる。


 しかし、アキラの世界で起きる問題は、私達の問題ではないのも事実。

 ヘンドリックが勇者を召喚したのが事の発端だとしても、力を授かった者達が起こす問題は、彼らの力の使い方に原因がある。


 仮に今から行ったとして、間に合うのだろうか。

 間に合う場合、力の使い方を導くべきか、責任を取って七人を始末すべきか。

 天秤に何を乗せるべきか分からない。


 ひとつ確かな事があるとすれば、地球に住む者達を皆殺しにはしないという事だけだ。それだけは、どれだけ行き詰っても絶対にしない。


「アキラ、お前ならどうする……?」


 考えがまとまらず、頭の中に思い描いたアキラの幻影に問い掛ける。

   

 何を見ても目を輝かせていたアキラの幻影は、自分を殺した七人を憎んではいない。彼が何かを憎む姿は想像出来ず、会話の余地が無い相手にも、まずは説得を試みるだろう。


 それでもやるしかないと分かった時、アキラは悲しい顔をする。飼い犬が死に、なぜ生物に「死」が訪れるかの答えを親に求める子供のような表情で悲しみに浸る。

 

 悲しみに浸っていたアキラを救うのは、平和を偽る世界にも不可能があるという現実。言葉が通じない怪物を説得する事は出来ず、それ等は害獣のように駆逐するしかない事を受け入れてくれる。


 アキラと過ごした日々の中で最も記憶に残っているのは、私と親しくなってから零れた一言。


『怖い人じゃなくて良かった』


 私の事を魔族から「統治者」と聞いていたアキラは、私に会う事が不安だったらしい。


 アキラのあの一言を聞いて、私は彼の事を理解した。誰とでも親しく話す変わり者だという印象は消え去り、本当は臆病な奴で、こうあって欲しいという願望だけで前に進んでいるのだと感じた。


 思えば、怖くないはずがないのだ。身を守る手段を持っていない世界から来て、腰に剣を携えた連中、非人間族に囲まれていたのだから、怖くて当然だ。


 ――誰が何と言おうと、アキラは私が認める真の勇者だった。


「……所詮は幻影か」


 迷いは晴れた。

 頭の中に思い描いたアキラの幻影は、私に地球を守って欲しいと言った。

 しかし、その言葉を口にしたのはあくまでも幻影。本物のアキラなら、「行かなくても大丈夫だよ」と平気で嘘をつくだろう。


 アキラは、ヘンドリックとは真逆の男だ。

 


「喜べ、ヘンドリック。お前の願いは叶いそうだぞ」


 瞑想を辞めて立ち上がり、周囲に描いた転移魔法陣に詳しい条件を付け加える。

 追加の条件は、クサカベ・アキラを殺害した七人の勇者と過去一週間以内に接触した者。そして、対象となる者が魔法を第三者に使用する事を考えた時だ。


 私が考えたこの条件なら、この世界で最後を迎えたアキラを殺した者の世界に行く事が出来るはず。

 転移の座標となる相手を過去一週間以内に接触した者に絞ったのは、七人の勇者と接触した者の影響を最初に確認する為だ。


 この条件で転移魔法が発動しないなら地球に行く必要はないが、なんて事はあり得ないだろう。必ず発動する。


「さて、どうなるか……」


 中庭全体を覆いつくすほどの巨大な魔法陣は完成したし、後は対象が見つかるのを待つだけ。


 待機する時間が長ければ長いほど、地球が平和だと証明される訳だが――。


『なんで、なんで発動しないんだよ! このままじゃミカが、俺の、俺のせいで……』


 男の声が聞こえると、魔法陣が輝きを放つ。

 輝きが強くなると視界がぼやけ、他の世界の建物が透けた状態で見え始める。


「相変わらず気色の悪い魔法だ」


 この世の何よりも感覚が優れている私にとって、移動系の魔法は気分を害するもの。その中でも一番嫌いなのが、自分を対象とした転移魔法。転移だけは、何度使っても慣れない。


 透けた世界が重なり合い、この世界と別の世界が交わると、座標に選ばれた者の世界が元の色を取り戻す。


 荒れ果てた城の中庭は完全に消え去り、満月が見えていた空は奇妙な板に遮られる。

 どこかの建物の中だと分かる状態になった後は、診療所の病室のように一定間隔で寝床が並ぶ部屋が作られ、様々な装置が寝床に備え付けられた空間に移り変わる。

 

 生物は、生物以外の物が鮮明に映し出された後で現れる。


 


 ※


「ミカ……目を開けてくれ、ミカ、ミカッ……!!」


 平和な世界にも、必ず終わりがある。

 失敗する可能性の方が低かった転移魔法は、兄妹と思わしき二人の人間の元に私を送り届けた。


「ミカ……」


 横になっている少女の手を握って悲しみに浸る男が一人。

 この男が、私の転移魔法で座標に選ばれた者だろう。

 周囲の様子は診療所の一部に見えるが、少女の側で顔を伏せている男の服装は医者には見えない。 


 声を掛ける前に、もう少し周りを見るべきだろう。


 少女の指と繋がった紐の先には、心臓の鼓動を真似ているように不思議な音を立てる装置が一台。

 血清を体に流し込む時に使う装置など一部の機材は私が居た世界と同じ物だが、機材の数に関してはこちら側の世界の方が充実している。


 詳しい事はまだ分からないが、この世界でも人間の命は短いようだ。


 とにかく、まずは男に話し掛けてみよう。


「魔法で病気を治すつもりだったのか?」


 声を出すと、伏せていた男が静かに顔をあげる。

 男は、私が何者か分からず、私が魔法を知る者だという事だけを理解したような表情。

 騒ぎ立てることなく男が私を見れたのは、生物の終わりが近い事を告げるこの部屋のおかげだろう。


「あ、あんたは……?」

「お前がやろうとした事を知っている者だ」


 私は男と目を逸らして寝床の反対側に移動し、少女の息を確認した。

 少し離れた位置からでも臭っていた死臭は、少女の側まで来ると確かなものに変わる。

 もう助からないと告げている臭いの出所は少女の血。今この瞬間も細胞が破壊され、常人には見えない世界で死が迫っている。


 この世界での病名は知らないが、この男の為にも、私が感じているものを伝えてやった方が良いだろう。


「血の病か。この病は、魔法を使ったところで治せない。治す方法がない訳ではないが、諦めた方が良かったと思う結果になるのは間違いない」


 遺伝子の異常は魔法では治せない。この「治せない」は、根本的な解決が出来ない事を意味している。

 

 慰めになるかどうかは分からないが、この少女の遺伝子は、他者より早く終わるよう仕組まれていたものだ。後天的なものではない。


「長くてあと数時間の命だろう。今日まで生きた事が奇跡に近いな」


 もう助からない。遠回しにそう伝えてやると、男は肩を落として床に座り込む。


「いきなり現れてなんだよ、その言い方は……俺に妹を『諦めろ』ってのか?」


 下を向き続ける男は、少女の運命を受け入れる事が出来ないようだ。


「そうだ。諦める事が出来ないなら――」

「出来る訳ないだろ!」


 下を向き続けていた男が勢いよく立ち上がり、寝ている少女を挟んで私の両肩を掴む。


 目に涙を浮かべている男は、少女を助ける為に最先端の医療が受けられる病院を手配し、治療する為の借金を背負い、それでも助からないと言われたらしい。

 そして、助からないと言われて絶望に囚われていた時、男は街で噂になっていた「魔法の商人」の元を訪れ、そこで魔法を手に入れたそうだ。


 言葉で聞けば短い時の中で順調に進んだ出来事だが、男の表情を見る限り、かなりの苦労をして来たのだろう。


「いきなり現れて『諦めろ』なんて言うあんたには分からないだろうが、ミカは俺にとってたった一人の家族だ。ミカが居なくなったら俺は、俺は生きて行けないっ……!!」


 手の力を緩める気配がない男の気持ちは分かる。

 何をしても助けたいという行動も理解は出来るが、その決意が一時の感情から来ている事も私は知っている。


 人は一人では生きて行けない。この言葉は、孤独を恐れる者の希望的観測だ。


「妹がたった一人の家族になるまで生きて来たお前が、一人では生きて行けないとは驚きだな」

「お前に俺の何が分かる!!」

「私に分かっているのは、お前が一人で生きて行けない事に妹の生死は関係ないという事だけだ」


 男は知らないだろう。高度な技術が要求される治癒魔法には、失敗が許されないと。

 男は気付かないだろう。他者の死に怯える者が、想像を具現化する魔法を使用する危険性に。

 男は認めないだろう。救えない命など、いくらでもある事を。


 知らない事、気付かない事、認めない事、それら全てをこの状況で克服しろとは言えないが、それよりも更に難しい事を言うのは容易い。


 これから男に告げる私の一言は、酷く無責任な言葉だ。


「もう一度だけ言う。妹を助けたいなら、このまま死なせてやれ」


 この世の法則に従って死に行く者を蘇生する事は、安息の妨害とも言える。

 

 ――この静かな部屋に、安息を妨げる魔法は似合わない。


「私からお前に言える事は、それだけだ」


 これ以上余計な事はするなと遠回しに言ってやると、男の両手が私の肩を解放した。

 まだ受け入れる事が出来ていない様子ではあるが、得体の知れない手段で妹を助けるなんて馬鹿な真似をする事は無さそうだ。


「……少し、一人にしてくれ。ここは本来、部外者は入れない部屋なんだ」

「分かった」




 部屋を出てから数時間後。

 息を引き取るその瞬間までたった一人の家族を言葉無く励まし続けた少女「サカモト・ミカ」の死は、その兄「サカモト・リョウ」の口から日の出と共に告げられた。

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