第2話 亡国の王

 星の自転を感じるほど静かな世界。

 炎の海と化していた王都の城内は、灰色の世界に生まれ変わった。


「ん?」


 誰も居ない世界に残された城で玉座に座って涼んでいると、ヘンドリックの亡骸の側で光っている物が目に留まった。


「なんだあれは……?」


 私は席を立ち、二つに裂いた旧友の亡骸の側で輝きを放つものを確認する。


「……お前らしいな」


 月明りに照らされて輝いていたのは、ヘンドリックが隠し持っていたであろう個室の鍵。ただの鉄の鍵だ。

 鍵の形状から判断して、魔法で鍵を掛ける扉のものではない。原始的な仕組みで作動する、古い地下室に使うような鍵だろう。


「在るべき場所に返れ」


 拾った鍵に相応しき場所に向かう魔法を掛け、魚のように宙を泳ぎ始める鍵の後を追う。

 王室を出てすぐの廊下を右に向かう鍵の行き先は、この城の地下室ではなく、丘の上に建てられたこの城で最も高い位置にある展望塔。

 鍵は、城の中庭を通って南側の城壁まで移動し、城壁の上の通路を通って塔の中に入って行く。

 

 鍵の進路は、持ち主のヘンドリックが生前に使った道と同じ。

 展望塔の頂上に何があるのかはまだ分からないが、誰も使っていない展望塔に鍵を掛けたのはヘンドリックの案ではないだろう。


 私の知るヘンドリックは、隠し事をするのが苦手な男だった。不慣れな嘘をつく事で更なる嘘を強いられる性にあったとも言える。


「……あれか」


 塔の中の螺旋階段を上がった先にある木製の扉に鍵が刺さると、そこで魔法が切れる。

 鍵穴に刺さった鍵を回して中に入っても、扉を潜り抜けた先は星を眺める為の個室。鍵を掛け、その鍵を王自ら持ち歩くほどの物は見当たらない。


「スンッ……なんだ? この匂いは」


 星を観察する為の機材に囲まれた個室の中央に立つと、甘い香りが私の嗅覚を刺激した。

 感覚を研ぎ澄ませて匂いの出所を目で追えば、積み上げられた木箱の上に置かれた小瓶が目につく。

 

 木箱の上に置かれていた小瓶は香水。

 小瓶の蓋を開けて中の液体を嗅げば、サマラとフラヤの香りがする。どちらも女性の衣服に混ぜ込まれる事が多い植物だ。この匂いを男性が漂わす事は、女々しさに繋がる。


 厳格な王で在り続ける事に拘っていたヘンドリックが、サマラとフラヤの香水を使っていた可能性は低い。とすると、この部屋には女が常駐していたか。何にせよ、この香水は高価なものだ。貧乏人や奴隷には買えない。


「この箱の中身は何だ……?」


 香水が置かれていた木箱の中身は、派手な柄の女性服だった。

 綺麗に畳まれた状態で保管されており、別の木箱には靴や下着が個別に入っている。

 木箱の側面には、箱の中身を作った職人か、依頼を引き受けた店の名前。焼き印だ。


 今となっては調べようがない事だが、この箱が愛する者への贈り物じゃない事は確かだ。


「嘘が下手でも、隠し事は上手だったか」


 嫌味を言ったところで、その嫌味を聞くのは私自身。

 漁る場所を変え、この空間で一番大きな家具の引き出しを開けてみると、羊の革で作られた分厚い手帳が床に落ちる。

 床に落ちた手帳は、引き出しの下に作られた枠の中に隠されていた物。手帳からもサマラとフラヤの匂いがする。


 手帳の裏側には、【サラベール・コティン】という名前がある。


「サラベール・コティン? コティン……」


 私は記憶を遡り、コティンという家名をどこで聞いたのか考えた。


「……ユーネス・コティン。最初に処刑された魔女か?」


 声に出す事で確信を得た。


 私が口にした【ユーネス・コティン】という人物は、魔女教会を設立した大魔女の一人だ。魔女教会を設立した後は弟子の魔女たちに教会の運営を任せていたが、未熟な魔女見習いに組織を管理するなど出来るはずもなく、ユーネスは悪しき魔女が集う魔女教会を設立した者として人間に狩られた。


 ユーネスの処刑は、今から十年以上も前の出来事だ。

 当時の記憶は曖昧だが、ユーネスの首を銀の剣で切り落とした執行人がアレクセン王、ヘンドリックの父親だった事はよく憶えている。

 

 ユーネスが処刑されて以降、魔女は人間のように家名を名乗る事を辞めている。それでもコティンと名乗る者がユーネスの死後に手帳を書いていたという事は、この手帳の持ち主でもあるサラベールは、ユーネスの血縁者という事になるだろう。


 箱から取り出した服の大きさから考えて、サラベールの外見は十七歳前後の人間と変わらない姿をしていたはず。外見だけなら、私やヘンドリックと変わらない年頃だ。 


 王都の前王に親を殺された大魔女の娘が、この部屋で何を記していたのか。手帳の中身を見せてもらうとしよう。


 

 ※


【ギルメス世紀 1950年12月4日】


 亡き母から託されたウサギの足の効力は、母の首を人里で刎ねた男の息子に出会った時点で切れていたのかもしれない。


 息子の名前は、ヘンウィックだか、ヘンリックだか。そんな感じの名前だ。ヘンドリックだったかもしれない。


 私が彼の名前を覚えないのは、この展望塔に監禁してから一年経った今でも、彼が私の事を年下扱いするからだ。私は彼より何百年も長く生きているし、自分の身は自分で守れる。それなのに、彼は私を我が子のように心配している。


 彼の気遣いは、正直に言って迷惑だ。私は、母の死を受け入れているし、「父はやり過ぎた」と数年前の件を謝罪されても、癒えかけた傷口をえぐられている気分になるだけだ。


 当時の魔女の残忍性を考慮すれば、アレクセン王が私の母を晒し物にしたのは最善の選択だった。


 私は、正しい選択をした親を責める子が嫌いだ。



 

【ギルメス世紀 1951年2月4日】


 長い年月を生きる魔女にとって、監禁生活は地獄と言える。

 数十歩で部屋の端から端に到達するこの部屋なら尚のこと、まだ数ヶ月しか経っていないのかと正気を疑う。


 それでも私がこうして正気を保っていられるのは、ここに監禁される時にヘンドリックが渡してくれたこの手帳のおかげだろう。

 最初は呪いの言葉でも書き残してやろうと思ったが、初めて書いたページを読み返してみて、感情に身を任せて書いた日記を読まれるのが恥ずかしくなった。


 またこんな事を書いているとあいつに子供扱いされそうだ。どうすれば、子供扱いを辞めてもらえるのか。地味な服装を辞めて、香水や派手な服で着飾れば、少しは大人に見えるのだろうか。


 カラスが知らせてくれる外の様子から考えると、私の処分はまだまだ先だろう。魔族を守る為に魔界の統治者になったと噂の人間が生きている内は、私も生かされるに違いない。


【ギルメス世紀 1951年10月4日】


 近頃のヘンドリックは、何かを研究しているようだ。

 私の様子を見に来る機会も減り、この部屋にある観測機を使って星を眺めたらどうだと、私一人でも時間を潰せる事を提案するようになった。

 数ヶ月前までは友達が私しかいない子供のように遊んでいたのに、その機会も減った。

 

 私の様子を見に来るヘンドリックは、外から聞こえる民の歓声に反し、鞭打ちの刑に処された後の奴隷のような顔をしている。


 あんな顔をされたら、気が散って天体を観測する事も出来ない。


 あいつの年齢はたしか十五、いや十六か。とにかく、大国の玉座には若すぎる年齢だ。

 性格的に、あいつはアレクセン王の代わりには成れないだろう。

 若き王の課題は、自分より長く生きている民に失望されないこと。しかし、失望される事を恐れていては何も出来ない。


 何も出来なくなった奴は、禁忌に手を伸ばす事が多い。


 

 

 ※


 サラベールの日記は、その後も数ヶ月おきに書かれていた。

 監禁生活で正気を保つ為の習慣となった日記には、若き王の精神状態を案じるサラベールの優しさが記されている。

 若き王の研究が異世界召喚だと知ってからの彼女は、禁忌に手を出そうとしている彼を止める為に冷たい態度を取り続けていたようだ。


 サラベールが記した内容を読む限り、平然と黒魔術や死霊術に手を出す魔女にとっても異世界に干渉する事は禁忌だったらしい。異世界から何かを召喚するなら、遠い星に住んでいる未確認生物をこの星に呼び寄せる方がマシとまで書かれている。

 

 しかしそれでも、ヘンドリックは諦めなかった。

 ヘンドリックの悩みを聞き、具体的な研究の方法を聞かされたサラベールは、彼が行った実験の欠陥について指摘している。

 指摘を始めた時点で、サラベールはヘンドリックの説得を諦めたようだ。一人でやらせるくらいなら、協力して被害を最小限で済むようにする方が安全と考えたのだろう。



 塔から出られないサラベールがヘンドリックと共にこの部屋で行った実験は、全部で五つ。

 五つとも、封印に関わる魔法を掛けた箱の中にネズミを入れ、それを箱の外に魔法で取り出すという実験だ。

 実験で使われた封印に関わる魔法は、異世界とこの世界の間に在る次元の壁を想定したもの。

 実験の成功は、蓋を開けず、魔法を解かず、箱の中に封印されたネズミを取り出せた場合のみ「成功」としている。


 最初の実験は、箱の底に転移魔法陣を仕掛け、箱の中に仕掛けた転移魔法陣の行き先を箱の外に設けるという条件で行われた。この実験の目的は、転移魔法が封印の影響を受けずに作動するかどうかの確認だった。


 最初の実験は事前に結果が分かっていたらしく、再確認という事もあって成功している。問題なくネズミを外に転移させる事が出来たようだ。

 

 再確認を終えた二人は、同じ日に次の実験に移っている。

 次は、箱の中に魔法陣を用意しない状態で、箱の外に用意した魔法陣から中のネズミを召喚する実験。

 これに関しても、二人は結果を予想していた。結果は予想通りで、召喚に成功したネズミは、付近を徘徊している別個体のネズミ。箱に封印されているネズミは取り出せなかった。


 二回目の実験で分かった事は、箱の外から中に干渉する手段がない事だ。中から外に干渉する事は出来ても、逆は出来ない。


 二回目の実験から先の日記を読む限り、ヘンドリック一人で研究していた時は、この段階で行き詰っていたようだ。

 異世界に干渉する為には異世界に魔法陣を用意する必要があるという、哲学のような答えにヘンドリックは頭を抱えていた。

 

「……フッ」

 

 日記を読み進めていると、思わず声が出るほどの内容が書かれていた。

 哲学のような答えを理解出来ないヘンドリックに対し、サラベールは「勃起させたペニスのように固くなった頭では理解出来ない」と記している。

 恐らくこれは、やりたい事がハッキリしている分、その行為に至るまでの過程を見誤っているという意味の例えだろう。


 サラベールに指摘され、良い意味で気分を落ち着かせたヘンドリックは、次の実験に移っている。


 二回目の実験でヘンドリックが見落としていたものは、箱の外から中に干渉出来なかった理由。魔女から魔法を教わった人間には、探すのが難しい落とし物だったのかもしれない。


 外から中に干渉出来なかった理由は、魔法の効果範囲、魔法のとも言える。中から外に向かう距離と、外から中に向かう距離が同じとは限らないという事だ。


 そもそも、ヘンドリックが使用した転移魔法は、どこにでも生息している動物を対象にしたものだ。箱の中のネズミよりも外のネズミが優先されたのは、転移魔法が中のネズミよりも先に外のネズミを対象として捉えたからだった。


 外のネズミが優先された時点で転移魔法の捜索範囲を見直すべきだったが、「封印」に対して破れないイメージを持っていたヘンドリックには、それが出来なかったらしい。


 サラベールは、異次元から武器を召喚する類の「召喚魔法」を例に出し、次元の壁を破る、次元の壁を通過すること自体は一般的な召喚魔法でもやっている事だと説明し、次の実験に移っている。


 三回目以降の実験は、協力者が大魔女の娘という事もあって、何の苦労もなく成果が出ている。


 三回目の実験は、箱の中に毒ガスを充満させてネズミを殺し、外から転移魔法でネズミの死骸を回収するというもの。これは、転移魔法の対象に細かな条件を付け加える事で、人の手によって毒殺されたネズミの死骸、その回収に成功している。

 

 それから、これは余談として記されている事だが、異世界で死んだ者の転生を望むのなら、転移魔法と強力な蘇生魔法を組み合わせる事で異世界転生を誘発する事が出来るらしい。ただでさえ危ない橋を渡っている実験なので二人は転生の分野に手を出していないが、二人の判断が終焉をもたらす勢力の分岐点だったのは間違いない。手を出していたら、私ではなく神が人間を絶滅させただろう。


「ふん……日記はこれで最後か」


 最後のページには、四回目と五回目の実験が合わせて記録されていた。


 四回目の、印を付けたネズミを箱から取り出す実験は成功。

 五回目の、生後二ヶ月のネズミを箱から取り出す実験も成功。


 ここまでの内容を整理すると、異世界召喚は召喚する相手の条件を絞る事が重要のようだ。

 アキラの世界とこの世界の距離は定かじゃないが、ヘンドリックがアキラの召喚に成功した事を考えると、召喚魔法の対象はアキラの世界でしか起こり得ない状況に陥った者だ。


 異世界の手を借りようとした若き王の望みと、召喚に応じたアキラの性格からして、ヘンドリックが厳選した召喚の対象は「間違いを恐れない勇敢な者」か。


 確証はないが、そうであって欲しい。


「……うん?」


 最後かと思っていた手帳のページを裏表紙までめくってみると、普通の人間には見えないほど小さな文字で書かれた文章を見つけた。

 尖った爪で掘ったような文章は解読が難しいが、魔女の言語で書かれている。


「嫌な感じがするな……」


 私は、魔法を使って掘られた文字を写し取り、写し取った文字に光を与えて壁に並べた。


 並べた文字全体に軽く目を通し、「綺麗に終わるはずがない」という悲しい言葉を見て、もう一度頭から声に出して読み直す。




【ヘンドリックの旧友へ】


 私は異端審問官から逃げてばかりの魔女であり、未知の領域を我が物顔で駆ける冒険者ではない。危険を冒すつもりはなく、全ての行動に安全策を設けるほど用心深い。


 私が設ける安全策は、異世界から召喚した者に関しても同じだ。

 ただでさえ自分達の世界の問題で行き詰っているのに、他所の世界から召喚した者の問題まで抱えるなんて冗談じゃない。


 そこで私は、異世界召喚に「返還」の条件を付けた。具体的な言葉でいえば、召喚された者の帰り道を確保してやる事だ。


 私が用意した返還の条件は、以前から耳にしていたヘンドリックの旧友、「凶王アストラル」の討伐。つまりは、この遺書を読めるほど魔法に精通したお前の事だ。


 条件を満たさない限り、異世界から召喚された者は元の世界に帰る事が出来ない。


 この返還の条件は、お前の身をずっと案じているヘンドリックにも後で伝えるつもりだ。


 恐らく、彼は私を許さないだろう。許す必要もない。全ては、無理難題を強いられる王都の若き王が、私の母を殺したアレクセン王のように正しく生きる為の贈りものだ。


 自分が死んだ後の事を考えても仕方ないが、私は、お前の身を案じるヘンドリックの為に出来る限りの事をした。私はハッキリと、「凶王アストラルを殺す以外の方法で救う事は出来ない」と言い続けた。

 

 言い続けはしたが、私に期待しないでくれ。

 もしも彼が私と共に召喚した異世界人以外の誰かを召喚した時は、その後始末をして欲しい。


 魔法が存在しない、魔法という力に辿り着いていない世界の住人をこちらに召喚するのは、かなりの危険を伴う行為だ。召喚し、こちら側の力を知った状態で元の世界に戻すのだから、尚更危険が伴う。


 禁忌を犯した世界。その世界に訪れた者達の物語が、そこで綺麗に終わるはずがない。


 この愚かな世界で亡国と化した王都の玉座に誰も居ない時は、この世界の王として、私達の過ちを正しに行ってくれ。


 これは、最後の一人になるまで自分と戦い続けたお前にしか頼めない事だ。


 最後を知っているからこそ、お前の言葉は異世界に届く。

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