第2話 事情と友情

 サラさんかぁ、素敵な名前だなぁ、なんて能天気に考えているユヅルだったが、サラの手前変な表情を浮かべるわけにもいかず飲み物を飲んで誤魔化していた。お互い飲み物を飲むだけで会話はなく、若干気まずい空気が二人の間を流れている。ただ、先に沈黙を破ったのはサラの方だった。


「…その、聞かないんですか。どうして倒れていたかとか…」


俯いていて表情が読めないサラのその疑問に、ユヅルはすぐには答えなかった。ユヅルとしても聞きたくないと言えば嘘になる。ただユヅルはその疑問に対してフッと笑ってみせると、


「そりゃあ心配ですけど言うか言わないかは結局サラさん次第なので…僕のことは、ただ横に空いた大きい穴だとでも思っていてください」


そう言った。その言葉に目を丸くしたサラだったが、何が面白かったのか少し笑う。どうやら大きい穴という部分が笑いのツボだったようでしばらく笑っていた。少しして、サラは俯きながらボソッと「…本当、不思議な人ですねユヅルさんは」そう呟いた。その表情はユヅルからは見えなかったが、その酷く弱々しい声音からは長い期間に渡るであろう苦労が垣間見えた。


 一瞬間を置いて。


「…私、冒険者組合で働いているんです。本当は、20歳から採用されるんですけど…私、実は成人したばっかりで」


コーテー王国のみならず、この世界では成人は15歳からだが、就ける仕事は限られており、冒険者組合ではそれなりの教養を必要とすることからある程度の教育課程を終えた満20歳からの採用のみが認められている。つまり、サラは年齢を偽って冒険者組合で働いているということになる。だがユヅルは表情を変えずに能天気にも飲み物を口含みながら話を聞いていた。サラは気にせず話を続ける。


「なんで働いてるかっていうのは…親に無理矢理働かされているからです。『産んでやったんだから自分のために働け』って言うんです」


だが話してる内に今まで溜まっていた黒い感情がサラの内で渦を巻く。それを自覚してか、サラは苦しそうに俯く。吐き出せる場所もなく、この世に生まれてから今の今までずっと溜め込んできた思いだった。いつしかサラの言葉と表情に力が籠る。


「産んでやったから、って…私はそんなこと頼んでないんです。そのくせ、家事も全部私に押し付けて、言われたとおりにやっても『そんなこと頼んでない、勝手なことしやがって』って声を荒げるんです」


サラは更に今までのことをユヅルという横に空いている穴へ向けてぶちまけていく。母親から受ける『役立たず』、『無能』、『死ね』などの暴言の数々に加えて傷の残らない、或いは残っても表に出ない所への暴力、家では常に仕事をさせられ、その日の機嫌次第では自分だけご飯を抜かれたりするなどの事情を捲し立てた。

 だが勿論、サラとて反撃しようと思ったことがないわけではない。そのどれもが力で抑えつけられ徹底的に潰され、王都警備隊を頼っても虐待の事実がないとされて家へ連れて行かれる始末だった。結局サラは抵抗することすら諦め、倒れて死ぬ寸前まで肉体と精神を擦り減らす日々が続いていた。


───私は母親アンタ子供道具じゃない。


言うことができればどれほど楽だろう、そうサラは考えて止まなかった。

 一方のユヅルはというと話を聞きながらも表情を変えなかった。ただ黙って、否定も肯定もせずそこにいる。それ以外、ユヅルにはできることがないからだ。徐々に語気を強め、笑いながら瞳に涙を溜め両の手で胸を抑えるサラは、そのままの勢いで告げる。


「何度も死のうとしました、私。高い所から飛び降りたり、医院から処方された薬だって大量に服用して死のうとしました。でも、不思議と死ねないんです。こんなに苦しいのに、皆は必死に私を助けようとするんです」


そして助けられて一言、よく頑張ったね、と。だがサラにしてみれば幼い頃から母親に全てを否定され続け、頑張るということがわからなかった。何故なら生きている人間は自分より頑張っているはずだから、と。それに加えて何故出来損ないの自分を助けるのか、という疑問も同時に持っていた。

 サラは涙を流して笑いながら顔を上げてユヅルに問いかける。「自分に生きている価値はあるか」と。それまでずっと黙っていたユヅルだったが、一拍間を置いて重々しく口を開いた。


「…少なくとも僕にとっては、あります」


その言葉にサラは首を振って否定した。知り合ったばかりで何故そう断言できるのか心底理解が及ばなかったからだ。だが、そんな疑問に対してユヅルはサラの手を取って微笑みながら答えた。


「なんてったってあなたは…サラさんは僕にとって初めての王都の友達だから」


だから、とユヅルは更に続けた。


「一緒に探そう、生きる意味。きっとその意味が見つかれば、その悩みはなくなるはずだから」


そう言ってサラに向けて笑って見せた。サラは思わずユヅルの胸を借りて声を押し殺して涙を流した。サラは自らの心中で何かが壊れる音がしたのを感じ取っていた。


 数分後、サラはベンチに座って顔を赤くして縮こまっていた。その手には飲み物と串焼肉が握られている。泣いている途中で少しの安堵感を覚えたからなのか腹の虫を鳴らしていたサラにユヅルが奢ったものだった。それにしても、とユヅルは首を傾げながら疑問をぶつけた。


「もう午後3時ですけど…お昼は食べなかったんですか?」


その問いにサラは困ったように笑うと、普段のストレスで『拒食症』を患っており、味覚もたまになくなるためご飯をあまり食べない、と言った。ユヅルはその言葉を聞いて一言すみません、と謝った。サラは気にしないで、とばかりに首を横に振ると、串焼肉を頬張り始めた。少し頬張ってすぐ、サラは何かを思い出したかのようにあっ、と声を上げる。そして不思議そうに自分を見つめるユヅルに対し、


「さっきはため口だったのに、今は敬語なんですね」


そう言った。対するユヅルは逡巡しつつ「そりゃあ一応…ほぼ初対面だし…」となんとかそう返したが、サラの友達は?という問いかけに対し何も反論できなくなった。ユヅルははぁ~と大きい溜息を吐くと、「サラさんもため口ね」と言った。そしてサラはその言葉に対して少し嬉しそうに微笑むと首を縦に振って肯定するのだった。



 数時間後、宿を取ったユヅルはサラと別れ、サラは帰宅した。家にはまだ誰も帰ってきていないようである。サラはほっと安堵の息を漏らしつつ、部屋着へと着替えて家事を始めた。不自然なほどに窓を閉めたりご飯の下準備をしたり、これは全て母親が押し付けた仕事だった。

 サラが仕事を終えて程なくして母親が帰ってきた。サラは勿論出迎えはせず、ただ部屋の隅にある唯一の自分のスペースである椅子に座って読書をしていた。そんなサラを母親は無機質な瞳で一瞥した。そして家全体の窓が閉められていることを確認すると大きく舌打ちをしながら。そしてサラのいる場所へ大きく足音を立てて近づくと、


「なぁ、なんで窓全部閉めてんの?今夏季だから窓全部閉めたら暑いに決まってんじゃんそんなこともわかんないのかよ愚図」


そう言いながらサラの座る椅子を軽く蹴飛ばす。特に反論しないサラに向けて母親は更に金切り声に近い声で捲し立てる。


「なんの役にも立たない出来損ないなんだからこれくらい察しろよ。こんな簡単な仕事もできないくせに独り立ちなんかできるわけないだろ。早く出て行って欲しいのにこれじゃあいつまで経っても出て行ってくれないしさぁ!」


始めは暴言を吐きながら笑っていたのだが途中で腹が立ってきたのかサラの頭をおもむろに殴りつける。殴られたサラは椅子ごと床に倒れて震えている。それを見た母親はギリッと歯噛みしつつ、更に胸ぐらを掴むと、「何倒れてんだよクズ、まだ話は終わってないんだけど」とサラを睨みながら告げた。

 それから10分ほど殴られたり暴言を吐かれたりしたサラだったが、結局晩飯を抜かれた程度で済んだ。布団に横たわるサラは本日の出来事を思い出していた。


(…ユヅルさん)


倒れた自分を介抱し、初めて話を聞いてくれた人であり、初めて自分に『頑張ったね』と言わなかった人だった。酷く重たく感じる頭と体を起こして窓から外を見た。夜空には幾千もの星が輝いている。チリッと胸が焼け付くのを感じたサラはギュッと胸を抑えた。


(…つらい、なぁ)


今まで耐えることのできていた出来事を、酷く辛く感じた。軽くなった心は、再び重く沈む。今のサラにとっては、それが酷く苦しく、また耐え難くて仕方がなかった。

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