第44話


 これくらい大っぴらに屋敷の中を歩くのは、一体何時振り以来だろうか。

 ふとそう考えてしまうほどには、ここ最近はずっと背中を丸めて歩いてきた気がする。曲りなりにも自分の屋敷であり、持ち主も自分の筈なのに、母親が形容したネズミの様に人間様に見つからぬよう息を顰めてコソコソと。

 ここまで胸を張って歩くことに違和感すら覚えてしまうし、気を抜けば段々と背中が丸まっていつものように気弱そうな歩き方になってしまいそうになる――が、もしもここで背中を丸めれば全てが終わってしまう気がして、何も自分を変えられない気がして、故に気を抜くことなく気持ちを強く持って歩を進め続ける。

 トボトボとした足取りで辿った道を堂々とした足取りで戻って玄関へ。

 そしていよいよ、外へ出ようとしたその瞬間のことだった。


「……あれ? 開かない?」


 困惑の声が、思わず漏れる。それでもなお、ガチャガチャとドアノブを回しては押し開こうとするが……ドアは少しの隙間すらも開くことなく閉ざされたまま。内鍵は確実に開いているから、開錠を忘れているワケではない。でも、開かないのだ。まるで、外から別のカギを掛けられているかのように。


「こ、これは一体何がどうなって?」

「どうもこうも、君はもう外には出られないということだよ」


 嘲笑うような声が背後から響いて、ルカは慌てて振り返る。

 するとそこには相変わらず穏やかそうではあるがどこか不気味な笑みを浮かべるキースと、その脇で勝ち誇ったような嘲笑を浮かべる母・ゾフィの姿。ルカに反抗された先ほどはどこか呆然とした表情を浮かべていたのに、今やその顔に焦りの色はなく寧ろ酷く落ち着き払って余裕綽々といったところ。

 嫌な予感を敏感に感じ取ったルカは、背中を冷たい汗が滴り落ちていくほどの焦りを隠しながら虚勢を張って問い質す。


「……ど、どういう意味ですか?」

「だ~か~ら~! もう二度と君は外には出られないと、今言ったばかりでしょうが! やれやれ、聞き分けの悪いお馬鹿さんなのは父親そっくりのようだね。反吐が出るよ」

「――なっ!?」


 普段は世話になった等との抜かしておきながら、平然とした様子で亡き父を侮辱する言葉を文字通り吐き捨てたキース。そのあまりの変わりようにルカは思わず面喰いながらも、すぐさまその目付きを鋭く尖らせると。


「と、父様をバカにするなんて! 貴方だって、父様に世話になった身でしょうに!!」

「はぁ? ……はっ! ははは……何を言い出すかと思えば、バカバカしい。下らんことをほざくなよ、世間知らずのクソガキが。世話になった身だぁ? 寧ろこちらがあのバカの世話をしてやった方だろうが。それなのに、その恩着せがましい物言いは腹が立つなぁ」


 いつの間にかキースの顔からは張り付けたような温厚な笑みは消え、代わりに鋭くも残酷な眼光を燃やす侮蔑に満ちた顔つきへ変っていて。同時に口調も普段の慇懃無礼にすら聞こえる程の丁寧さは成りを潜めて、粗暴で品の無い無法者のような口ぶりに。

 文字通り人が変わったかのような変化に驚愕を隠せないルカを、キースは「ふんっ!」と小馬鹿にしたように鼻で嗤うと。


「その間抜け面、父親そっくりだな。……ふふっ! あぁ、思い出したら笑えてきたよ。お前の父親の死に際の間抜け面――アレはまさに傑作で、そして酷く醜かったなぁ!」

「あぁ、そうだったわね。うふふ……確かにアレは面白かった。見ていて、痛快で滑稽だったもの。ざまぁみろって感じ! ホント、あの顔が見られただけでも十分に危険を冒して始末した甲斐があったわね」


 醜悪な笑顔でケラケラと笑うキースと母のゾフィ。

 しかし、彼らの発言をルカは困惑した頭と耳でも聞き逃すことはなくて。


「き、危険を冒して……始末した? どういうこと? 父様は、過労で死んだんじゃ」

「ん? あぁ、おいおい! うっかり口を滑らすなよ、ゾフィ」

「えっ? あら、イヤだ。私ったらつい」

「ったくよぉ! まぁ、そんなうっかりしている天然なところも可愛いけどな」

「ふ、ふざけるなよ……答えろ! どういうことだよ、今のはっ!!」


 ルカ自身人生で間違いなく一番大きな声で繰り出す大喝が轟く。

 しかし、それを遮るように響く――無情な銃声。


「あくっ!?」


 一瞬、何が起きたのか分からなかった。でも、見れば左肩からは血が流れていて、その今まで感じたことの無いほどに強烈な激痛に思わず膝を折る。

 次いでキースとゾフィの方へ視線を向ければ、ゾフィの手には護身用だろう小さな銃が握られていて、その銃口からは煙を吐いていた。

 そこまで見て漸く事態を認識したが、それでも理解は追い付かずに呆けた顔を禁じ得ず。しかし、そんなルカの理解を待たずに、ゾフィは小馬鹿にしたような笑みと共にルカを見下すと。


「あーあ、やっぱり思ったよりも難しいわね。頭を撃ち抜くつもりだったのに、手元が狂って肩に当たっちゃった。でも、安心なさい。次は外さないわ。必ず殺してあげる」

「……ど、どうして?」

「どうして? それは、お前が私にとっての恥だからに決まっているでしょう? こんな出来損ないを、自分が腹を痛めて産んだ――それこそが、私の人生で最大の汚点なのよ。だから、この手で消すわ。お前という汚点をね! そして、私は新しい人生をやり直すの」

「恥? やり直す? 貴女は……貴方は一体何を言っているんですか!?」

「知る必要は無いわ! さぁ、今度こそ死になさい!」


 言い放ち、銃を構え直しては引き金に掛けた指に力を籠めるゾフィ。

 そうしてまさに引き金を引こうという、その寸前のこと。


「おいおい、待て待て待て! 少しは落ち着けって、ゾフィ」


 銃を上から抑える形で無理矢理下ろさせるキースを、ゾフィは鋭く睨みつける。


「何よ? 邪魔しないで。これは、私がこの手で蹴りを付けるのよ!」

「そう熱くなるなよ。自分で手を下すなんて、そんなリスキーな真似しなくても大丈夫だ。第一、こう見えて俺は人の命を奪うのは嫌いでなぁ……死ぬことでしか金にならないようなおっさんならいざ知らず、折角金になりそうな命を無駄にするのは頂けないなぁ」

「いや、でも……」

「それに、だ! どうせなら物理的に殺すんじゃなくて、心の方を殺さねぇか? あの無様でみっともなくて滑稽な傑作の顔、もう一度見たくはないか?」

「……どういうこと?」

「そんな怪訝そうな顔するなよ。何、どうせ逃げられないんだから、折角だし教えてやろうって話だよ。あんなに叫ぶくらいに知りたがっていた、事の真相ってヤツをさ」


 キースの嬉々とした提案――その内容を理解したのか、ゾフィは小さく嘆息。


「呆れた。全く、ホント趣味悪いんだから。でもまぁ……そうねぇ、確かにそれはそれで面白そうだし、これまでの人生の鬱憤晴らしに丁度いい。溜飲も下がりそう。いいわ、そうしましょうか。けど、それなら私が語り聞かせてあげた方がよりいい表情になりそうね……」


 かくして方針が決まると、ゾフィは咳払いと共にルカへと向き直って。


「よかったわねぇ、この人が享楽的で。お陰でお前は、死の前に全てを知ることが出来る。はてさて、どこから話しましょうか……まぁ、最初は結論からというのが常識よね。だから結論から教えてあげるけど――あのボンクラを、貴方の父親を、殺したのは私。キースに協力して貰って、自然死に見せかけるようにして始末してやったのよ!」


 げらげらと下品な笑い声と共に明かされた真実は、ルカにとっては瞠目したまま固まって言葉も出ないほどに受け入れ難いモノで。

 そんなルカを置き去りにして、ゾフィは尚も嘲笑と侮蔑の混じった笑顔と共に一人真相を語り続けた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る