第42話


「ど、どうしてですか? ……どうして貴方がここに?」

「あぁ、それは……まぁ隠す意味もないので、ハッキリお答えしましょう。実は、前回貴家にお邪魔してから今日まで、ずっと貴家の様子を監視しておりました」

「えっ?」


 思わぬ発言に、ルカから間の抜けた声が漏れる。


「か、監視? でも、疑いは晴れたって……」

「いいえ。完全に疑いが晴れた、というワケではありません。貴家をクロと断定する証拠も無いですが――他方貴家の潔白を証明する証拠もありませんから」

「まだ、当家を疑っている――と?」

「その辺りを白黒ハッキリするためにも、是非貴方と二人で話がしたいと思っていたのですが……まさかここまで難儀するとは。何せ貴族家の当主が、こんな廃道となった下水道を勝手口代わりに使っているとは思わなかったもので。ホント、苦労されているんですね。

 しかし、そこさえ分かれば後は容易い。出入りにそこまで気を配っているワケですから、絶対に下水道からの出入り口も人気の少ない場所を選ぶはず。立地から考えて、恐らく出口はここだろうとアタリを付けて三日ほど網を張っておりました」


 得得と展開される話に動揺を隠せない様子のルカだが、不機嫌そうな鋭い視線で睨み。


「……僕から証言を得るために、ここまでするのですか?」

「そう怖い顔をしないで頂きたい。ただ、話しがしたいだけです。貴方と、二人だけで」

「母上やキースさんと切り離せば、僕なら容易く割りそうだ――とでも思ったのですか?」

「期待がない、と言えばウソになりますが。しかし、今回話したい内容はまた別です」

「何ですか、それは?」


 増々鋭く怪訝になっていく表情と冷たくなっていく声音。

 まぁ無理もないと理解はするが、露骨に硬化していく態度にレイは思わず嘆息して。


「とりあえず、場所を変えましょうか。こんなところで立ち話も何ですし」


 そう言って、ルカへ手を差し伸べる。

 相変わらず怪訝な表情だが、観念したのか。ルカはその手を取って立ち上がった。



「どうぞ」


 レイが近場の店で調達してきた缶飲料を差し出せば、ベンチに腰掛けて待っていたルカは「……どうも」と不承不承といった様子で受け取る。

 相変わらず露骨に警戒されていることに微苦笑を浮かべつつ、ルカの隣にドカッと腰掛けて。そして手にした缶のプルタブを開けて豪快に呷ると、ふぅと一息。


「それにしても、今日はいい天気ですね」

「世間話をしたいのなら、他を当たって頂けませんか? 僕は、忙しいんです」

「忙しいなら、下水道ではなく外を歩いたほうがいいのでは? 明るくて歩き易いですよ」

「厭味ですか、それ? 知りませんでした。こんなに意地の悪い方が警察官だなんて」

「意地悪ですか? まぁ、否定はしません。尤も、以前私と共に貴家を訪問しました私の上司など、私よりも遥かに意地が悪いですけどね。筋金入りと言っていいくらいだ」

「……世も末ですね。そんな方ばかりが警官だなんて」

「そうでしょうか? 意地悪なんて言葉で形容されるレベルなら、可愛いものですよ。それに表面上意地悪でも、大概その根底には他者への思い遣りを秘めているモノだ。

 寧ろ世も末だというのなら……最早『意地悪』などという可愛い言葉では形容出来ないほど表面も根底も真っ黒な人間たちと彼らの意のままに動く人形が、この国で神聖不可侵とされていて伝統と歴史ある貴族家を牛耳っている方が余程だと思いますが?」

「……何だって?」


 レイを睨みつけるルカの眼に、警戒の色ではなく怒りの色が滲み始めた。

 その眼を向けられて、レイはニヤリと不敵な笑みで返す。


「どういう意味ですか?」

「言葉通りの意味です。自分の利益や機嫌のために実の息子を傷付けて苦しめることに一切の呵責を覚えない母親に、そんな弱い女性に取り入って甘い汁を啜ろうとするハイエナ。

 そんな心の底まで怪物に成り下がった連中に、家や財産どころか自分自身すらも好き放題弄ばれて搾取され利用され……それでもなお、反抗もせずに黙って従っている当主様。はてさて、『世も末』なのは一体どちらでしょうね?」

「――っ!? う、うるさいっ!」


 激情に任せて立ち上がったルカは、手にしていた缶をレイへ投げつけてくる。

 それを難なくキャッチしたレイが視線をルカへ戻してみれば、叱責を待つ子供の様に顔面蒼白で慄いた表情を浮かべて小刻みに震えていた。


「……ご、ごめんなさい」

「何で、謝るんですか? 何故、すぐに折れてしまうんですか? 貴方には、プライドというモノは無いのですか? 当主でありながら家の権利を全て奪われ、自身は使用人まがいのことを命じられて、挙句あんな不衛生な下水管を通れと言われればそれにすら従ってしまう。従順で勤勉で健気で、そして何より弱すぎる。今の貴方は、もう奴隷も同然だ」

「……ど、奴隷? 僕が?」

「えぇ、そうですよ。理不尽へ反発することも、無理難題に意見も言うことも、自分を見下し支配する者へ歯向かうこともない。いいですか? 意思も思想も思考もなく、ただ他者に従いいい様に使われるだけの人間……それを世間一般では奴隷と呼ぶのです!」


 ギリッ……顔を顰めるルカから、奥歯を噛み締める音が響く。

 その様子からして、レイの忌憚ない指摘や物言いに怒りや悔しさを感じているのは明白で、そうした感情は間違いなく僅かながらも自覚がある図星を突かれているが故のモノ。

 どこまでかは知れないが、自分の状況を理解しているのは幸い。

 残る問題はルカがここまで言われてもなお、止めどなく湧き上がる怒りも悔しさも屈辱も、全て何とか抑え付けて吞み込んでしまおうとする――そんな人間の顔をしていたこと。

 これを事なかれ主義というべきなのか、或いは現実逃避か、将又自己犠牲とでも呼ぶべきか……何にせよ根底は他人を優先する生き方であることに変わりはなく、それはそれである種で貴いのかも知れないが、同時に決して健全とも言えない。

だからこそ、レイは語気を強めて。


「ここまで言われて、これほど侮辱されて、それでもなお貴方は我慢を続けるのですか?」

「…………だって、だってそうするしかないじゃないですか!」

「そうするしかないとは、どういうことですか?」

「僕は、誰かと衝突したくない……争いたくないんです! 誰にも、嫌われたくないから。僕が我慢すれば、仲良しでいられる。母様ともキースさんとも、手を取り合える。そうして良好な関係を継続して、そして……そしていつの日か父様の悲願だった家の再興を!」

「成程。その悲願があるからこそ、どんな扱いを受けても文句も言わず我慢すると?」


 レイがそう問えば、ルカはこくりと頷く。今にも泣きそうな、潤んだ瞳で。

 心から漏れだしたようなその答えは、紛れもない本音なのだろう。その本音にレイは嘆息交じりで「そうですか……」と零し、ベンチの背凭れに大きく体を預けて空を見上げる。


「貴方は、立派な志をお持ちだ。その様な方に無礼な発言の数々、誠に申し訳ありません」

「えっ? あぁ、いえ……そんな……」

「ですが! ご当主様には、どうか覚えておいて頂きたい。自分の心も感情も必死に抑え込み、何も語らず意見も控えて――そんな無理をしてまで誠心誠意従い尽くしたとしても、その相手が貴方の味方でいてくれるとも、貴方を幸せにしてくれるとも限らない。

 自分を蔑ろにしてまで誰かを尊重して優先させたところで、その『誰か』は貴方をそこまで大事にはしてはくれないのですよ」

「――っ!? そ、それは……それは、どういう意味ですか?」

「世の中には、他人を利用できるだけ利用し続けた挙句に呆気なく切り捨ててしまえるような輩が大勢いるということです。利用価値がなくなったからだの、土壇場のピンチだから仕方がないだの、そんな自分勝手な理由だけを残してね。

 そして残念ですが、今の貴方の周りにいるのはそうした手合いのモノばかり。貴方はただ、利用価値のある道具程度だと軽んじられて見下されている。そんな連中が、貴方の幸福や立派な志を尊重するとは思えない。どうでもいい些事だと、取るに足らない下らぬことだと、見向きもしていないでしょう。今のままでは貴方は幸福を享受する未来は、その志が果たされる時は、永劫来ることはないでしょうね。それが、今の貴方の現実です」

「ど、道具? そ、そんな……そんな事、ある筈ない! だって、だって今までずっと尽くしてきたのに、そんなこと――」

「そこまでおっしゃるのなら、お聞きします。そこまで尽くしているお母様やキースさんとやらに、大事にされていると胸を張って答えられますか? 或いは貴方の忠節に、真心に、尽力に、忍耐に、見合った何かを受け取っていると自信を持って主張できますか?」

「――っ!? そ、それは……」


 ルカの言葉は尻すぼみに勢いを失っていき、その視線は、自信無さそうに忙しなく泳ぐ。そんなルカの肩を、レイは労わるようにポンと叩いて。


「自分で何も決めずに全てを他人に委ねて知らん顔をすれば、それは確かに楽でしょう。でも、その結果自分の心さえ無視してまで他人――それも貴方を大事にしてくれない人に支配されてしまっては、それはもう人生の放棄に等しいのではないでしょうか?」

「人生の……放棄……?」

「俺は一度、放棄しましたよ。放棄して、委ねてしまった。自分を駒程度にしか思っていないような、そんな人たちに。

 そして気付けば取り返しのつかない過ちを、どれだけ後悔しようが反省しようが贖罪し切れないほどの大罪を、犯してしまっていた。いや、この言い方は卑怯か……だって全ては俺の弱さと怠慢が招いた結末で、俺は紛れもない加害者でしかないなのだから」

「……れ、レイさん?」

「自分で考え決断して道を切り開き、選択の結果に責任を持つことこそが人生だ――今の俺を作ってくれた恩人の言葉で、それは正しいと今でも信じています。

 ですが一方で、自分で考え決断して道を切り開かなかった者や、自分の人生を支配する者に用意された道を望む望まざるに関わらず歩くしかなかった者は、どうなるのでしょう? 自分は何も悪くないと主張すれば、結末や罪過に責任と何もかもから逃れられると思いますか? のうのうと、別の人生を生きていけると思いますか?」

「………………」


 レイが問えば、ルカは何も言わずに目を逸らして。でも、ただジッと虚空の一点を見つめていた。何かに気付いて思案しているような、そんな真剣な眼差しで。

 そんなルカの肩を二・三度軽く叩いてから、レイはスクッと立ち上がると。


「どの道を往くかは貴方の自由ですが、叶うなら貴方には自分で考え決断して切り開いた道を歩んで欲しいモノです。俺とは違い、決して誰かに支配されて否応なく歩く羽目になった道ではなく――ね。長くなりましたが、要するに俺が言いたいことはそれだけです」

「でも、僕にはどうすればいいか……」

「前にも言ったハズですよ。全ては貴方の覚悟と、その先の選択と行動次第だ――とね。行動には選択が必要で、選択には腹を括る覚悟が必要です。そして失礼ながら、今の貴方に一番欠けているのは、行動や選択の前に覚悟です。変えたいのなら、腹を括って覚悟を決めることだ。どんな些細なことでも、覚悟の無い者に何かを変えるなどできません……当たり前と言えば当たり前ですが、俺はその当たり前に気付くのが遅すぎた」


 レイはルカの目を真っすぐ見据えてそう告げる。投げ返された缶飲料を差し出しながら。

 するとルカは、おずおずとした様子で再度受け取ってはプルタブを開けて口を付け始める。その様子を見届けてから、レイは微笑を湛えたまま踵を返して。


「でも、貴方はまだきっと間に合うハズだ――といっても、そう時間は無いでしょうね。だから残された時間で自分と向き合って、望むのなら覚悟を持って選び前に進むことです。

覚悟を決めて選択した一歩を踏み出せば、それを見ている人や応援してくれる人は必ずいます。貴方を真に大事に思ってくれる、そんな人がね」

「あの、どちらに?」

「もしも次に会う時は、もう少し晴れ晴れとした顔を見せてくれると嬉しいですね。それでは、また!」


 言い残して、後ろ手でヒラヒラと手を振りながらスタスタと歩いて行ってしまう。

 そうして雑踏の中へと消えていくレイの後ろ姿を、ルカはぼんやりとただ眺めながら。


「覚悟を持って、選択して前に進む……そうすれば、変えられるのかな?」


 噛み締めるように小さく呟いては、缶飲料を一気に呷ると立ち上がり。

 オドオドとした少年の顔ではなく、どこか覚悟を決めて凛々しさを宿して幾許か大人びた顔つきとなったルカは、力強い一歩を踏み出しては雑踏の中へ歩き出していった。

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