第41話

 単独行動を始めたレイがまず行ったのはサーベラ男爵家の監視で、その目的は二つ。

 一つは怪しい人の出入りが無いかの確認。そしてもう一つの本命と言っていい目的は、ルカの行動パターンを把握して接触する頃合いを見計らうこと。

 そう、レイはゾフィ夫人やキースといった邪魔者抜きのサシでルカと対面することを望んでいた。先の屋敷でのやり取りから力関係は明白で、あれを見せられては二人がいる状況でまともにルカが話をしてくれるとは思えない。結局二人の顔色を窺って、二人を庇うように都合のいい証言に終始するという展開になるだろうことは火を見るよりも明らかで、それでは単独行動をとってまでルカと接触する意味が薄れてしまう。

 それに、没落が見えているといえども相手は貴族家で、その実権を握る夫人の目が届く範囲では流石のRSP職員でも迂闊なことは口走れない。踏み込んだ内容を聴取などもっと出来ない。

 発言に対して侮辱された等と抗議に来られても面倒だし、何よりそれではライラに迷惑が掛かってしまう。如何に態度を改めて他の上級捜査官との関係が幾許か改善されたとはいえ、所詮はここ三カ月程度の話。五年もの長き時の中で深まった対立の溝を完全に払拭するには、些か以上に時間が足りないだろう。つまりは、対立者が多くて危うい状況なのは恐らく変わっていない筈で。

 だからこそ、今のレイにはルカとライラの両者が置かれた状況を踏まえて行動することが求められるからこそ、監視という手段を取ってまでルカ一人との接触を望んだ。

 けれども――


「……どういうことだ、これは?」


 監視を始めて十日ほど経過して遭遇した完全に想定外な事態を前に、レイは思わず困惑の声を漏らす。

 サーベラ男爵家屋敷が存在する地域は、荒廃著しくて主を失った廃屋も少なくない。そんな幾つかある廃屋の中で、レイは男爵家屋敷の様子を細やかに確認できる立地の廃屋を拠点として利用――無論、ライラに相談して不法侵入・不法占拠とならぬよう手配して貰った上で――して、サーベラ男爵家屋敷を四六時中監視していた。

 しかし、張込みを続けて早くも一週間以上が経過したというのに、人の出入りがまるでないのだ。母親は勿論のこと、キースどころかルカすらも出てこない。一方で、屋敷へ訪問者が来るわけでもない。

 余りに人気の無さにもぬけの殻なのではないかと錯覚してしまいそうになるけれども、決して屋敷に誰もいないということでもない。事実夜になれば明かりは灯るし、外には出てこなくとも窓越しで家事に勤しむルカの姿も確認できる。何なら、早朝に庭の手入れや玄関の掃除に精を出している様子すら確認できる。

 では、日用品や食材をいっぺんに買い込んでいるのでは? とも考えたが、果たして十日間分も物資を購入・備蓄するなど可能なのだろうか? 答えは否、だろう。

異常なまでに無さ過ぎる外界との接点、その理由を考えた末にレイはある仮説を立てる。


「……どこか、別に出入り口があるとしか思えない」


 そう考えて、屋敷建設の際にサーベラ男爵家が王政府へ提出した屋敷の間取り図――ライラを通して用意して貰った――を再度確認する。もう図面の詳細まで頭にインプットされるくらいに繰り返し見たのだが、念のためだ。

 しかし、やはりというか何も目新しい発見は無い。どこにも裏口や勝手口の類は記されていないし、今見えている視界の中だけでなく、監視を始めて三日目ぐらいに屋敷を実際に一周ぐるりと見て回った時にもそれらしいドアの類は見受けられなかった。

 整理する。別の出入り口はあると仮定するが、それは見える場所には無い。

 そうなれば、後考えられるのは……


「まさか空を飛んでいるわけでもあるまいし、そうなると……地下、か? いや、でもまさかそんなこと……あっ!」


 ふと、レイは思い出す。

 捜索に集中するためにしまい込んだ疑念、ルカから嗅ぎ分けた妙な臭い。

 あの時はそこまで考えが至らなくて判別できなかったが、思い付いた『地下』という言葉がヒントになって今回はあの異臭の正体――その可能性へ思い至ることが出来た。


「そうか、そういうことか! いや、しかし……もしこれが本当だとしたら、貴族の当主様とは思えない苦労ぶりだな。メンツにこだわるというのも、難儀なことだ」


 思わず微苦笑を禁じ得ないレイだが、浮上した可能性を早速検証するべくライラへ一報。

 通話を終えてからそう時を置かずに目的のデータを送信されてきて。そのデータを閲覧しながら、レイは拠点の廃屋を後にして何処へともなく歩き出していった。



「……ではお母様、行ってきます」


 流石にそろそろ食材や日用品が不足して、とうとう買い出しへ行かなければならなくなった。そこでルカは、顔色を伺うようなオドオドとした口調で夫人のいる執務室のドアに向かって告げるが……固く閉ざされたドアの向こうから返事はない。夫人とキースの談笑の声は時折漏れ聞こえてくるが、ルカの身を案じる言葉も見送りの言葉もない完全な無視。

 尤も、今更そんなことに対してルカは何も思いはしない。これが普段通りの日常で、もう慣れてしまった。惰性で声に出しているだけで、端から返事も見送りも期待していない。

 いや、期待できるハズがない、というべきか。本来向かう先は玄関であるべきだが、実際ルカが歩を向けた先は玄関とは反対の屋敷奥――普段ルカが寝床にしている一角の方。

 そこの床板によーく目を凝らさなければ識別できないくらい小さな突起が一つ。精々床板のささくれくらいにしか見えないそれを、ルカは器用に摘まんでは一気に持ち上げる。

 すると床板が開いて、現れるのは薄暗い地下への階段。ルカのパーソナルスペースもジメジメとして陰気な場所だが、それとは比にならないくらい地下へと続く階段はどんよりと陰気で重苦しい雰囲気に包まれていて、本能的な恐怖を煽る不気味さを演出していた。

 常人であれば、足を踏み入れることに激しい躊躇と抵抗を抱きそうな、少なくとも屋敷に賊が押し入るような非常事態でもない限りは貴族の当主ともあろう人物が足を踏み入れる様な場所では断じてない。

 でも、ルカは足を踏み入れる。怯むことも怖気づくこともない、至って平静な様子で。

 迷いない足取りでドンドン地下を下っていくこと数分。一寸先も見通せぬ闇の先で漸く眼前に現れたのは巨大な鉄の扉で、殆ど視界の期待出来ない暗闇の中にも関わらず手際よくその扉を開けて見せる。触角だけを頼りに、玄関の門を開けるのとそう変わらぬ手際の良さで。

 先の床板もそうだが、ルカの手先の器用さは並大抵のモノではない。極限の環境下で身に着けて磨かれてきた技量、といったところか。

 さて、数秒と立たぬ間に門を開けたルカは、ひらりと地下の大空間へと足を踏み入れる。先に広がるのは、所謂下水道。尤も今はもう使われていない廃道のようで、汚水の類は流れていない。けれども、それでも長年の使用で染みついた臭いまでもが払拭されていることはなく、鼻が曲がりそうな強烈な臭いは相当残ったまま。

 事実、何度も足を踏み入れているルカも、その度に思わず顔を顰めてしまうほどで。こんな場所に長居など当然御免被りたいが、けれども視界が覚束ない中を走り抜けるのは危険。そこでルカは、いつも急ぎ足で下水道を駆け抜ける。

 息を止めたまま早歩きを続けること、数分。


「……やっと着いた」


 とあるドアの前に辿り着いて、思わず安堵の声を漏らす。

 日常的に行っていることではあるが、こうして無事に辿り着ける度にいつも安堵の声が漏れる。何せ、ここで転んでケガをするだけでも大惨事。感染症への恐怖が襲い来るし、それで入院などとなれば母親に「余計な治療費を掛けるな、このバカっ!」どやされてしまうことは請け合い。鬼のような叱責も嫌だが、かといって命は惜しいからこそ、気を付けて自衛するしかないのだ。

 さて、ここまで着けば後は一安心。こちらも薄暗い中でも慣れた手つきでドアを開けて、眼前に現れた階段を今度は登っていく。数分歩いて漸く地表への入り口が見えて来たので、そちらもまた慣れた手つきで開門すれば、久方ぶりに明るい光がその目に飛び込んでくる。

 そうして開いた先に繋がるのは、日中でも人気のほとんどない入り組んだ裏路地。

目的地である市場からも、当然屋敷からも程々距離がある場所。しかし、貴族家の当主が直々に買い出しに出向いているという場面も見られてはマズいし、何より廃道となった下水道から出て来た場面などもっと見られては体裁に致命的な傷が付く。

 貴族家の当主が地下から這い出してきた等と広まれば、その時こそサーベラ男爵家の名は地に堕ちて――いいや、地面どころか地下にまで堕ちてしまう。そんなことで家を潰したとあっては、先人たちに申し訳が立たない。それだけは避けなければならないからこそ、こうして家から遠いが人気のない出入り口をわざわざ選んで利用しているということだ。

 ドアを少しだけ開けて周囲の様子を伺えば、視界に入る限り誰もいない。

 チャンスと、軽い身のこなしでドアから出て、急いでドアを閉める。

 まるで泥棒でもしているかのような惨めな振舞にはルカ自身ウンザリとしていて、やむを得ないと分かってはいるが、それでもやはり辟易とするのはどうも避けようがなくて。


「……はぁ」


 思わず深い溜息が漏れてしまい、同時に涙すらも零れそうになって来る。


「どうぞ」

「あぁ、どうも――ん? えっ!?」


 そんな折に、軽い言い回しと共に差し出されたハンカチを何の疑いもなく自然と流れるように受け取ったところで――ルカはふと違和感に気付く。

 そしてハンカチを差し出してきた者の方へ、恐る恐ると驚愕の表情を向ければ。


「あ、貴方は……RSPの!」

「二週間ぶりくらいでしょうか? お久しぶりですね、ご当主様」


 微笑を湛えたレイに対して、驚愕を禁じ得ないといった顔。

 予想外な展開への驚きは遂に限界を超えて、ルカはその場で腰を抜かした。

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