第38話

「して、本日はどのようなご用向きでしょうか? RSPの上級捜査官に来ていただく様な事情など、思い付かなくて……」

「これは失礼。実は、今現在とある事件を追っておりまして。昨今、王都を始めとする各地域である危険な薬物が流通していることはご存じでしょうか?」


 ライラが問うた瞬間、ゾフィの眉がピクリと動く。

 でもそれは本当にほんの一瞬で、すぐに朗らかな笑顔を張り付けると。


「そのような噂は、存じております。何でも、この周辺でも流通しているとか……物騒な世の中ですわ。それで、そのお薬が当家と何か関係でも?」

「それを調べたい、そう思っている次第です。件の薬、流通経路すら掴めないことから何処かの貴族家の助力を得ている可能性は睨んでいたのですが、それが貴家だという情報が」

「……当家を、お疑いで?」

「いいえ、滅相もございません。由緒正しきサーベラ男爵家が、よもやそのような不埒な悪行に手を出すなどと……私個人としては微塵も思ってはおりません」

「そうですか。それを聞いて、安心致しました。では、当家は一切無関係ですので――」

「ですが! 念には念を、と申します。恥ずかしながら、現在我々はどのような些細な情報でも腰を据えて精査していかねばならぬ程、件の薬に関する情報が不足しておりまして。そこで疑惑があれば、徹底的に調査するという方針を取っております」

「そ、そうですか……しかし、ですねぇ――」

「まして! 疑惑を掛けられているのが、王国の名門貴族たるサーベラ男爵家とあれば猶の事。あり得ないとは思いますが、もしも事実だとすれば。その時は、国の威信にも関わる大スキャンダルです。あらぬ疑惑を晴らすためにも、念のため詳細に捜査致します」

「で、でもそんないきなり――」

「因みに、こちらは決定事項でございますので。つきましては、貴家の事情での拒否は出来ませんので、悪しからず。ご覧の通り令状も取得しておりますので」


 トドメとばかりに、ライラは持参した令状を提示する。王国政府の公的な命令文書として効果を持つ令状を見せつけられては、流石の男爵家夫人といえども抵抗は出来ない。

 何より、顔を引き攣らせて額に脂汗を滲ませた顔に、やたらと言葉を濁してこの場をやり過ごそうとする反応……どう見ても怪しい。疑惑が確信に変わりそうなくらいに。チェックメイト――遂に追い詰めたと思った、その刹那だった。


「ちょっと失礼致しますよ。私から一言申し上げたいのですが、よろしいでしょうか?」


 開けっぱなしのドアをコンコンと叩いて自分の存在をアピールしては、突然柔らかい口調で口を挟む男。清潔感ある黒髪の短髪に人当たりの良い穏やかな笑みを湛え、貴族家屋敷に似つかわしいフォーマルスーツをサラリと着こなし眼鏡を掛けたその姿は理知的。

 さながらどこかの営業担当を思わせる雰囲気を纏ったその男は、レイやライラを含む他の誰が口を差し挟むよりも先に部屋に入っては夫人の傍らへ。味方の登場で夫人は安堵の表情を浮かべ、その様はまるで探していた親を見つけた迷子の子供といったところ。


「……貴方は?」

「申し遅れました。私、こういう者です」


 ライラが問えば、返答とばかりに懐から一枚の名刺を取り出しては、ライラに差し出す。


「キース=ジェミット……職業は、財務会計コンサルタント?」

「えぇ。サーベラ男爵家の財政状況改善のお手伝いをするべく、先代当主様の頃より贔屓にして頂いております」


 訝しげな表情のライラに、キースと名乗ったこの男はあくまで低姿勢で恭しい口調。何だか胡散臭いヤツ。間近で対面するライラだけでなく、傍目で様子を伺っていたレイもまたそんな印象を抱く男だった。


「そうですか。しかし、解せません。肩書きを見るに、貴方が本件に意見する理由も道理もないかと思いますが?」

「実は、そうでもないのです。何せ私は、奥様のアドバイザーですので」

「アドバイザー? 失礼ですが、今は財務や会計の話などしておりませんよ」

「存じております。貴女様のおっしゃる通り、財務会計面で男爵家のサポートをさせて頂くのが私の本来の務め。ですが今は、奥様のご要望もあって財務会計の面に留まらぬ様々な面でサポートをさせて頂いております」

「様々な面でのサポート?」

「えぇ。何せ、先代当主様が亡くなられたのは突然のことでしたので。それから奥様が抱えることになられた苦労は尋常ではなく。その心労たるや、痛ましくて見ていられないほどでした。つきましては、当家にお世話になった身として微力ながらお手伝いを――と」


 諄いくらいに丁寧な口調で話す男の言に、夫人は傍らで力強く首肯して同調するだけ。

 先程まではあんなに困惑と焦りの色を滲ませていたというのに、今や夫人の顔に不安の色は一切なく。寧ろ母親の腕に抱かれた子供の様に、心穏やかで安心し切った表情を浮かべている。それだけで、夫人から相当の信頼を勝ち取っているらしいことは伺える。

 レイとライラは目配せをして、同時に判断する。この男からも話を聞くべきだと。


「成程、職務とはいえ殊勝なことだ……いいでしょう。で、申し上げたい一言とは?」

「ありがとうございます。では、早速。奥様、ここは言う通りにしてはどうでしょう? 捜査官のお二人に、気の済むまで屋敷の捜索を許されるべきかと思います」

「――なっ!?」


 キースの言葉は、夫人には相当予想外のモノだったらしい。

 目をカッと見開いて、陸に上がった魚よろしく忙しなく口をパクパクさせている。

 しかし、そんな慌てふためく夫人の肩を優しく叩いては、キースはそっと囁くように。


「大丈夫ですとも。落ち着いてください、奥様。いいですか? 嫌疑を掛けられている内容は、男爵家とは一切関わりの無い事実無根の話――それは奥様や先代当主様を含め長年サーベラ男爵家と懇意にさせて頂いている私が一番良く分かっております」

「そ、それは……そうですが」

「でしたら! 何も恥じることはないのですから、ここは潔白を証明するためにも潔く全てを曝け出そうではありませんか。それで嫌疑が晴れるというのなら、よろしいことです。

 突然捜索したいなどと言われて驚き混乱するお気持ちもお察し致しますが、でも決して後ろめたいことなどないのですから。奥様は、堂々と胸を張っていればよいのですよ」


 それはまるで、洗脳か暗示でも掛けているかのようなやり取り。

 いや、強ちこの表現は間違っていないのだろう。

 何せ、先程まであれほど捜索に難色を示していたというのに。


「そう、ですわね。えぇ、そうですわ。キース、貴方の言う通りね……畏まりました、ライラ様。それではどうぞ思う存分、当家の敷地内をお探しください。そしてどうか、当家に掛けられた不名誉極まりない疑惑を晴らして頂けますと幸いです」


 穏やかで落ち着き払った表情を湛えて、静かに頭を垂れる夫人。

 キースとやらに吹き込まれただけでこの変わりよう、増々もって怪しいというもの。しかし、この心境と態度の変化から察するに恐らくは――弁えた上でも踏み込むしかないとは何とも癪な話ではあるが……こうなってはやむを得ない。


「感謝致します。それでは、早速取り掛かると致しましょう」

「そうしてくださいませ。あぁ、そうだ。案内役が必要でしょう? ルカ!」


 呼ばれて、状況をずっと固唾を飲んで見守っていた当主の少年がビクッと背筋を伸ばす。


「は、はい……」

「このお二人に屋敷を案内して差し上げて。分かっているとは思うけど、くれぐれも当主として恥ずかしくない失礼の無い振る舞いをするように」

「か、畏まりました……お母様。ではお二人とも、まずは屋敷を順にご案内させて――」

「違うでしょ、このバカっ! 全く、なんて気の利かない子なんだ、お前は!」


 タダでさえビクビクと震えていたルカ少年は、母の罵声で更にオドオドとした様子。


「も、申し訳ありません……ええっと……」

「あぁ、もういいわ! この役立たず! お前は、私に言われたことだけやっていればいい。とりあえず今は、そこで静かに立ってなさい!」

「……はい」

「おほほ……見苦しいところをお見せしてしまいましたわね。まったく誰に似たのか、躾も頭も足りぬ当主で、本当に恥ずかし限りですわ。捜査するのなら当主の部屋からが定石で、つまり最初はこの部屋からですわよね?」

「えぇ、そうですね。おっしゃる通りですが――」

「でしたら、ささ! 早速どうぞ。何しているのよ、ルカ! ボサッとしてないでお茶の一つでもお出ししたらどうなの?」

「はっ、はい! 今すぐに!」

「いえ、それは流石に――」


 ライラが止めるより先に、ルカはそそくさと夫人の部屋を出ていってしまう。

 警察官として容疑者からの利益供与はどのような形でも受けてはならないのは定石であり、そうでなくとも疑惑の渦中にある人間が出したお茶や茶菓子など心理的に抵抗がある。

 故に出されたところで口にすることなど出来ない――その旨を口にしようとするよりも早く、ルカは動き出してしまった。まるで肉食獣から逃げ出す兎のような機敏さで。そしてつまるところ、夫人はこの上なく余計なことをしてくれたワケで。故に咎める視線を送るライラだが、そんなライラの視線など気にする様子はまるでなく。


「さぁ、ライラ様。どうぞ気の済むまで捜索ください」


 と、満面の笑みでそう言いながら、夫人は部屋の金庫や引出しの鍵を直々にライラの手に握らせる。かくして最接近された際に、夫人から強烈な香りが漂ってきて。恐らくは香水だろうその匂いは鼻がバカになりそうなくらいの破壊力があり、ライラは口に出そうになる悲鳴を必死に内心に留めながら辛うじて笑顔を作って張り付ける。尤も、勘弁してくれ――そんなSOSのメッセージは隠し切れず顔に書いてあったが。果たして予想外の責め苦を前に笑みが引き攣るのを禁じ得ないライラだが、そんな彼女を他所にレイはといえば……


「何だ? 今の臭いは」


 思わず、ボソッとそう呟く。

 ライラ同様、レイもまた嗅覚に意識を持っていかれていた。慌ててレイの前を走り抜けていったルカ、彼の残り香の中から感じ取った異臭に。

 しかし、それを確かめようにも当の本人の姿はなく。かといって夫人にそれを聞ける状況ではないし、そもそもどう聞けばいいか分からない。


「お宅の息子さん、何か臭いですよ?」


 そんな聞き方を客人――それも貴族ですらないレイがしようものならば、夫人は烈火のごとく怒りだすだろうし、事態がややこしくなるだけ。

 気にはなる。疑念はある。でも確かめる術はない。

それに今は、目の前のことに集中しなくては。故に、その疑問は心の内にしまい込んだ。

 

 かくして波乱の中で始まった屋敷の捜索、その結果は想定通りとでも言うべきか。

事前に入手しておいたサーベラ男爵家が屋敷建立の折に王政府へ提出していた図面を元に把握していた全ての部屋へ直接足を踏み入れて、全ての部屋で目に付く引き出しにクローゼットとベッド下から物置に至るまでの悉く全てを目視で確認。

 目に付く所を文字通り虱潰しに、それこそ誰の目から見ても徹底的なまでに調べ尽くしたが――証拠となるような物品は、屋敷の中から終ぞ何も見付けることは出来ず。疑惑の家宅捜索、その結果としてサーベラ男爵家はシロだと断じるしかなかった。


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