第37話


 ルカが開けてくれた屋敷の玄関扉もまた、正門同様に建付けが悪いらしく開閉時に異音を響かせ。そんな扉から屋敷の中へと足を踏み入れた二人だが、入って早々に思わず感嘆の声を漏らしてしまう。


「あら、中はかなり綺麗なのね。あの外観からは、想像もつかない」

「ちょっ!? ら、ライラさんっ! 何口走っているんですか!」

「えっ? ……あっ、やばっ! し、失礼しました」


 ライラには、どうもその瞬間に思ったことを口に出してしまう嫌いがある。

 特に気を緩めるとすぐ口走ってしまうようで、恐らくそれは貴族の令嬢にして組織内でも上席の立場故に、極一部の相手を除いて基本的に遠慮も物怖じもせずに発言することが許されてきたが故なのだろう。

 その性格や振る舞いも素直と言えば聞こえはいいが、実際は単に気遣いが出来ていないだけで。仮にどんな理由を並べ立てたにせよ、ライラの性格や置かれた状況など相手には関係の無いことだし、口にした失礼極まりない感想を許容して貰う理由にはならない。

 三カ月前に気付き治そうとはしていても、性格というのは早々すぐには治らないモノで。過去と同じ失態を犯していることにレイから小声で指摘されて漸く気付いたライラは、すぐさまルカへ頭を垂れた。

 メンツや体面を重視する貴族相手に直接口走るのは大失態でしかないとんでもない失言だったのだが、相手が良かったのは不幸中の幸いというべきか。当のルカはくすっと笑みを浮かべるだけで、さして気にする様子もなく。


「お気になさらないでください。その様な感想も無理からぬと、理解していますので」


 あっさりと許してくれた。これにホッと胸を撫で下ろすライラと、やれやれと肩を竦めるレイ。だが、実際そう思ってしまうほどに外観と内装の落差が激しいのも事実である。

 玄関から廊下全域に敷かれた深紅のカーペットから、飾られた十数点に及ぶ絵画や美術品に調度品の類に至るまで――目に付くどれもが、貴族の教養を備えたライラはいざ知らず素人のレイから見ても明らかに高価な品であることで、加えてどれもここ一年以内に新調したばかりといったところ。

 随分と景気が良さそうで、それだけ見ると今や没落貴族の汚名を返上してすっかり過去の栄光を取り戻したようにも見える。だが一方で、苦しい時期の名残と呼ぶべきか相当数の絵画や美術品から調度品を手放した過去があるのもまた事実のようで、廊下の至る所にその痕跡が微かだが残ったままとなっている。まだ全て買い戻す、或いは新調することまでは出来ていないと言ったところで。道半ばとでもいったところか。

 また、あくまで新しく揃えたのは装飾品や什器の類に留まっていて、建物自体は外見同様に老朽化がかなり深刻な様子。特に床板の劣化が激しく、歩く度に真新しい深紅のカーペットの下からギシッ……と耳障りな軋む音が響いてくる。

 更に、まめに掃除していることは伺える一方で妙に埃っぽい臭いが鼻腔を擽って来て。過去の経験から劣悪環境にすら多少なりとも慣れのあるレイならまだしも、貴族育ちのライラにはハウスダストへの耐性などほぼ皆無。どれだけ堪えようとしてもくしゃみを止められず、その都度に居た堪れない表情で顔を赤らめるしかない。


「大丈夫ですか?」

「いえ、お気遣いなく」

「すみません。これでも一応掃除はしているのですが……」

「ん? 今のお言葉、もしかして掃除はご自身でやられているのですか?」

「えっ? あっ! ……えぇ、そうです」


 申し訳なさそうに零したルカの言葉を耳聡く聞き咎めたレイの問いに、しくじったという表情を浮かべたルカは観念したような口調で答える。

 無論、それは普通の貴族家であればあり得ない事。だが、門での出迎えから今に至る下りに加えて、玄関から廊下を歩く中で唯の一人として使用人の姿を見掛けず異様なまでに屋敷の中に人の気配はないことから何となく察しの付いていたことではある。だから、今更聞いても驚くことではないが、それでもやはり疑念を禁じ得ない。


「隣のライラと違い、私は貴族家の実情に明るくはありません。ですが、普通貴族の当主というモノは奥の部屋で執務に励み、家を守る職務は使用人の務めと理解していました」

「えぇ、普通はそうなのでしょう。ですが我が家はそのような方針だと、亡き父上から。それに執務は今母上が担っていて、私は手が空いているモノで。故に炊事から洗濯掃除といった一切の家のことは全て私が自分で行っております」

「それはまた……大変ではないですか? これだけ広いご自宅を、お一人で担われるのは」

「そうでもないですよ……と言いたいところですが、流石にもう慣れたといえども夜にはクタクタですね」


 どこか気恥ずかしそうに答えたそのルカの口調と様子には、嘘は無さそう。

 ということは、本当に全て一人でやっているのだろう。健気ではあるが、異常でもある。


「で、そのお母様はどちらで何を?」

「恥ずかしながら、何をしているかは知りません。ですが、今はここに居ります」


 そう言って、ルカはとある部屋の前で足を止める。

 屋敷の中でも一際立派な扉で、表面からノブに至るまでの全対が他のドアよりも明らか入念に手入れされている。そして執務を担当する母親のいる部屋ということは、察するに主人の私室といったところか。

 そしてルカは、そのドアを等間隔で三度ノックして。


「母上、ルカです。入ります」


 よく通る澄んだ声を張り上げて許しを請い、しかし何も返ってこないので徐にドアを開ける。すると、ドアを開けて早々に。


「……ちっ。何の用よ、このバカっ!」


 耳を劈くヒステリックで甲高い声と、同時に勢いよく飛来してくるグラス。

 ワインの入ったグラスだったらしく、壁に当たり砕けてバリンという破砕音を轟かせて、その後に壁を伝い落ちる水滴の音が空しく響く。

 予想だにしない突然の出来事を前に、ルカは恐怖と驚愕からビクッと身を竦めさせる。


「も、申し訳ありません。ですが――」

「ですが、じゃないわ! 私の部屋には入るなと、いつも言っているでしょうが!」

「――っ! も、申し訳ありません!」


 怒声を浴びせられたルカは頭を垂れて、その華奢な体は背中からでも分かるほどガタガタと震えていた。

 そんな見ていて気の毒になる彼の姿に、レイはふと思い返す。自身の幼少期を。

 レイもかつて、母を連れ去られてから自身を引き取ってくれたヨシフやアンから、何かと理由を付けて叱責や体罰を課されていた。その時のレイも今のルカのように身を竦ませて震えたモノで。結果怒られる度にオドオドと顔色を窺っては、その怖がる様子が余計に相手の癇に障って機嫌を損ねての繰り返し。

 結局、機嫌を損ねないためには理想の息子像を演じるしかなくなって、結果自己や思考を失った操り人形となるしかない。そんな苦しい負の連鎖が今まさに眼前で繰り広げられていて、恐らく今のルカはその連鎖から逃れられず苦しんでいる最中といったところか。その心中、体験した身として慮らずにはいられなかった。


「ほら、さっさと下がりなさい! 目障りだから!」

「で、ですが……その……お客様が……」


 それでもと、自信無さそうに弱々しくてたどたどしい口調ながらもルカは告げる。

 懸命に絞り出しただろう震えた声を合図に、室内へ足を踏み入れレイとライラ。そこで彼らが見たモノは、あの廊下など比較にならないほど美麗な内装の室内だった。

貴族の部屋にふさわしく洗練されたデザインの中に厭らしくない程度に金細工や宝石のあしらわれた明らかに高価な調度品に、部屋の隅には天幕付きのキングサイズベッドが存在感を放っていて。実に豪奢で、凡そ貧乏貴族どころか男爵ですらない、それこそ公爵か侯爵クラスに美麗で立派にして快適そうな空間。

 そんな部屋の主として深紅の立派な執務机に腰掛けるのは、齢四十代くらいの女性で。眉間に深い皺の入ったその顔は何とも険しく、如何にもヒステリックを起こしそうな気難しそうな風貌。自宅だというのに舞踏会にでも行くかのような他所向けの立派な絹のドレスを身に纏っているが、正直胸元を大胆に開いたそのスタイルは正直年相応とは言えず若作り甚だしくて痛々しい感じが否めない。

 そんな彼女は、部屋に足を踏み入れたレイとライラを見るなり視線を鋭く尖らせて。


「……アンタたち、誰よ? ここをどこだと思っているの?」

「驚かせて、申し訳ございません。私たちは、こういう者です」


 警戒の視線を向ける彼女に、身分証を差し出すライラ。

 相変わらず怪訝な顔でそれを見るなり、彼女は面白いまでにビックリ仰天と目を見開く。


「あ、RSPの方でしたか! これはとんだご無礼を」


 慌てて起立するなり、ライラの前へ。そして淑女然としたカーテシーと共に。


「お初にお目にかかりますわ。私はゾフィ=サーベラ、まだ幼いルカ=サーベラの後見として当主代行を務めております。是非とも、よしなに」


 先程はあれほどまでのヒステリックぶりを見せつけておきながら、ぬけぬけとこのすました振舞。変わり身の早さと面の皮の厚さを目の当たりにして、レイは思わず苦笑を禁じ得ないが、対照的にライラは至って平静な表情で静かに頭を垂れて。


「お会いできて光栄です、サーベラ男爵夫人。私はライラ、ライラ=カーミラと申します。RSP内での階級は上級捜査官であります。こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します」

「まぁ! あのRSPで上級捜査官を務められているなんて……さぞ優秀なのでしょうね」

「いいえ、まだまだ至らぬ若輩者。恥ずかしながら、自分の未熟さを痛感する日々です」


 そう答えたライラの顔に、謙遜の色はなく。

 だからこそ、その言葉を本心からそう答えているだろうことはよく分かる。

 変わったな……傍目から見ていたレイが思わずそう思ってしまうくらいには。

 しかし、物思いに耽る余裕などあろう筈も無く。話はレイを置いて先に進んでいく。

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