第36話
アクロブルクは、第零区画から第五区画までの全六区画によって構成されている。
第零区画の四方を守るように北から時計回りにほぼ同面積の第一から第四の各区画が設けられ、更にその第一から第四区画をぐるりと囲むように広大な第五区画が配されている。
一番手厚く守られている第零区画は事実上の王族特区で、壮麗な宮殿とそこに続く広大な庭だけの言ってしまえば王族の所有地同然の場所。
続く第一区画は公爵家の屋敷と司法行政立法の三権を行使する各種機関が設置されたまさに主要部で、以降第二区画には侯爵家の屋敷と国営銀行本店並びにその関連施設が、第三区画には伯爵家屋敷と軍本部並びに各種施設が存在し、RSPを含む警察関連施設は第四区画の子爵家屋敷が建ち並ぶ区画に設置されていた。
そしていよいよ第五区画だが……ここには貴族の中で最も数の多い男爵家屋敷と、他区画に勤務する貴族出身ではない職員の住居に彼らの生活を成り立たせる商店が建ち並ぶ。
第零区画は例外として、第一から第四区画は序列というよりは役割の違いという面が色濃いのだが、一方で第五区画は他の区画よりも明らかに格下感が強くて王都の中にありながら国家運営に関わる機関は出先機関含め殆ど存在していない。
加えて、一口に第五区画といっても内部における貧富の差はかなり激しく。他区画に負けぬ程豪奢で貴族然とした地区もあれば、同じ名称の地域の中とは思えないほど明らかに寂れて荒廃している場所も幾つか存在する。後者の具体例を挙げるとすれば、レイが今暮らしている非貴族の職員が賃借するアパート周辺などが当てはまるか。
今回レイたちが目的地としているサーベラ家は男爵家であり、第五区画の――それも没落寸前という評のままに、区画の中でも一際『寂れた場所』に屋敷を構えていた。
一階建てで高さがない代わりに床面積の広いその屋敷の外観は、何というか……寂れた場所に異様にマッチしている。元は歴史ある貴族の屋敷らしい瀟洒な外観だっただろうことは面影から垣間見えるが、その傷み具合のせいで何というか……さながら幽霊屋敷のようにも見える。元が優れていただけに、不気味さも一入といったところか。
通常貴族はメンツと体裁から多少の内装を犠牲にしてでも外装の補修に力を入れる筈であり、にもかかわらずこの碌に手入れの行き届いていない外観となれば、前評判通りの苦しい懐事情が伺えるというもの。
「ほぇ……これはまた凄――痛っ!?」
そんな外連味のない屋敷を見上げつつ感嘆の声を漏らしたレイのつま先に、突如走る激痛。見ればヒールが刺さっていて、ライラを見れば険しい表情で睨んでいた。
「ちょっ!? いきなり何するんですか!?」
「人様の家見ながら、溜息吐いてんじゃないわよ。失礼でしょうが!」
「……へっ? いや、別に溜息なんか吐いてない――」
「いい? これはその……あぁ、そうだ! 伝統と格式あるって言いなさい!」
「えっ? いや、得意げなところ申し訳ないですが、その言い回しの方が余程失礼では? 苦し紛れの誉め言葉過ぎるでしょう。あと、俺は別に溜息は吐いていませんし、ちょっと驚きはしましたけど、それはライラさんも同じですよね? 口、開いていましたよ?」
「……うっ! み、見られていた」
恥ずかしいところを見られていた上に、レイの言い分が正しいと受け入れたようで、白皙の顔は一気に赤面。しかし、それを取り繕うように一つ咳払いをすると。
「……さぁ、行くわよ」
「あっ、誤魔化した。というか声、上擦っていますけど?」
レイに半眼で睨まれて、流石に居た堪れなくなったのか。
「……ご、ごめんなさい。見た瞬間に結構驚いたし、正直取ってつけたような表現だなぁと自分でも思いました」
「素直でよろしい。さぁ、行きましょうか?」
しおらしい謝罪の声を聴いたレイは、どこか勝ち誇ったような笑みを浮かべつつも、スタスタと男爵家の玄関へ歩いていく。その後ろ姿をライラはむくれ面で睨むが、他方自分にも非があると弁えた上でもあるので強く言い出せず。
「……ふんっ!」
せめてもの意地なのか。不満げに小さくそう零すなり、静かにレイの後に続く。
その様子を背中越しで見ていたレイは、ふと小さく笑みをこぼしていたのだが……それはライラに終ぞ気付かれることはなかった。
◇
手入れが行き届いていないのか大分錆び付いた正門の前に立ち、呼び鈴を鳴らす。
すると格子状の門越しに見えるかつては立派だったのだろう屋敷のドアがギギギ……と建付けの悪さから来るのだろう軋む音を立てながら開いて。
そして、ドアの向こうから姿を現したのは――
「あの、どちら様でしょうか? 失礼ですが、ご用件をお伺いしても?」
金髪碧眼が印象的で、愛らしい顔にどこかぎこちない笑顔を張り付けた子供だった。
スラックスにシャツという格好から辛うじて少年だと判別できるが、もしも豪奢なドレスに化粧でもされた日には性別を偽れそうなくらいに中性的で端正な顔立ちで。身なりも立派で品も良く、その恰好にそぐわず歳の割に礼儀正しい口調と背筋の通った綺麗な歩き方から育ちの良さも伺える。
その外見的情報と玄関まで来客を出迎えに来た様子から、最初彼はこの屋敷の使用人かと思った。貴族家の屋敷で来客を出迎えるのは、通常使用人――特に執事の役割。格式高い家の多くは、家の名に泥を塗ることを嫌がって経験を積んだ老練なる執事を雇うことが多いのだが、当主が年若い場合や主人の趣味で若年や年少の執事を設ける例も無くはない。
そしてこのサーベラ男爵家もまた当主は年若い少年とのこと。故に当主への配慮から同い年くらいの使用人を雇ったのだと、最初はレイもライラもそう解釈した。
しかし、突然ライラは何かに気付いたようにハッとした表情を浮かべると、前に立つレイを押し退けて前進しては錆び付いた門の格子越しにその子供をまじまじと睨め付ける。
「あ、あの……何で……しょうか?」
「ライラさん? どうしたんですか? というか、ちょっと離れましょう?」
「貴方……もしかしてだけど、この屋敷の主人であるサーベラ男爵本人では?」
唐突な問いの内容に、ライラを門から引き剥がそうとしていたレイは目を大きく見開く。そんなことあり得る筈がない、そう言いたげな表情を浮かべて。
通常、貴族家の当主が自ら玄関に出向いて客人を招くようなことなどしない――そんなことは、貴族家と深い縁も所縁もなければ貴族家の実情にそこまで明るくもないレイですら知っていることである。
何故なら主人の顔を格下の家柄や身分の者に見られることは家の恥と考えて避けるほどにプライドとメンツを重視する生き物で、何よりその安全を守られるべき存在であるから。
故に誰が見ているか分からない往来に自分から顔や体を晒しに行くような真似はしないし、客人――それも正体が分からない相手の前に、ノコノコ出ていくような真似など論外。
それが普通でそれが常識の筈だから、貴族の当主本人ではなく単に顔や雰囲気が似ているだけの誰かに違いない。ライラの反応を見てもなお、そう考えていたレイだが。
「……えっ? あぁ、いやその……ち、違います」
困惑の宿る酷く自信の無さそうな口調。
誰がどう聞いても嘘だと疑いたくなるその口調に、ライラは更に目線を強めて。
「そうですか。因みに、後で嘘だと分かった場合は罪に問われる恐れがありますが、それでも答えは変わりませんか?」
「つ、罪? えっ? あの、貴方たちはどちら様ですか? 我が家にどのようなご用で?」
しどろもどろになりながらも、必死に平静を取り繕っては強い言葉を絞り出す少年。そんな少年に対して、ライラはコホンと一つ咳払いをすると。
「失礼しました。私は、RSP所属のライラ=カーミラ上級捜査官です」
「同じく、RSP所属のレイ=イギールです」
身分証を提示しつつ自己紹介すれば、今度は少年の方が目を見開いて驚愕する番。
「け、警察の方……ですか? しかも、あ……あのRSPですか? え、ええっと……そのような方が、当家にどのようなご用向きで?」
「現在王都を始めとした国の各地で密かに危険な薬物が出回っています。ご存じですか?」
「そ、そうなのですか? 初耳です」
「えぇ、そうなんです。そしてその流通に、貴家が関わっているという情報を得ました。そこで、こうして調査に伺った次第です」
持参した令状を提示して話をすれば、少年は更に困惑気味の表情。
だが、一瞬大きく目を見開いてからすぐに目を逸らして……その様子、確信はないが心当たりがありそうと言ったところか。
増々怪しいその態度を目敏く見咎めたライラは、畳みかけるように語気を強める。
「さて、ではもう一度問います。貴方は、サーベラ男爵家の当主ですか?」
「えっ? いや、そのぉ……」
「先程も申し上げましたが、質問に対して虚偽の申告をした場合は罪に問われる恐れがあります。加えて、私は貴族家に縁のある人間です。そこを踏まえて、どうぞ回答は慎重に」
最早脅迫と言って差し支えないその物言いだが、その見た目通りで少年は気弱なようで、高圧的な問い掛けは効果覿面だった。遂に少年は、観念したように絞り出した声で。
「……も、申し訳ありません。僕がサーベラ男爵家の現当主であるルカ=サーベラです」
「やはり、そうですか……」
少年――ルカの答えに、レイはまだ驚きを隠せない様子だが、ライラは合点が言ったような真剣な表情。
「正直な回答に感謝致します。事情もおありでしょうし、先の虚偽回答は聞かなかったことに致します。ですが、令状がある以上貴家の屋敷を捜索せねばなりませんので、敷地内へ入れて頂きたい」
「そ、それは……」
「言っておきますが、拒否は出来ません。もしも拒否なさるのでしたら、残念ですがこの場で身柄を拘束させて頂くことになります」
「……わ、分かりました」
ライラの眼光と宣告に、ルカは観念したようなオドオドとした足取りで門の前へ。
そうして施錠を解き始めたのだが、錆び付き始めた門とは違い固定具である錠とそこから繋がる鎖はまだ新しいようで錆び一つない。そして、その錠と鎖を扱うルカの手つきは何故だか妙に手慣れていて迅速で、普段から頻繁に開錠をしているだろうことが伺える。
そうしてモノの数秒で開錠して開門されるのだが、錠や鎖と違って門本体の手入れはやはり行き届いていないらしく、その証拠たるギィイイ……と錆び付いた金属を無理矢理動かした時特有の耳障りな不快音が響く。
「どうぞ、こちらへ」
指ではなく丁寧に手で示しながら、少年は屋敷へレイとライラを招く。
没落寸前の男爵家とはいえ、ここまで自分でやる貴族の当主など聞いたことがない。
そんなルカと男爵家への強烈な違和感を噛み締めつつ、二人は案内されるままにサーベラ男爵家の敷地内の中へと足を踏み入れた。
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