第33話

 老婆の残した住所を頼りにスラム街を更に奥へと進んで行って。漸く辿り着いたその場所にあったのは、周囲のどの建物よりも大きくて立派な邸宅。

 大都市、それこそアクロブルクの郊外にあっても不思議ではないその外観は、街へ入ってからここまで廃屋同然の建物ばかりを見て来たこともあってか異質極まりない。その羽振りの良さそうな趣からして、さながらこのスラム街の長の館といったところか。

 そして館の周辺を守るのは、明らかにガラが悪くて堅気ではない強面な男たち。

 警戒心に満ちた剣呑な雰囲気からして穏やかではなく、事実周辺を通る街の住民は彼らに顔を合わせないように顔を伏せてオドオドと通り過ぎていく始末。その露骨さは領主の行列を平伏してやり過ごす領民か、或いは道端に落ちている犬の糞を避けて歩くかの如し。月と鼈の例えだが、両者腫物であることに変わりはない。


 それにしても、だ。


 これほどの屋敷を構え、その護衛にこれだけの屈強な兵隊を組織できる――相当資金面が潤っているのは明白。無論、その金の出所がまともなビジネスの成果ではないのは、こんなキナ臭い街にわざわざ居を構えている辺り確かめるまでもないことだろう。

 付け加えると、この街の住民の生活状況からして、彼らのビジネスのメインターゲットはそこまで金の無い連中ということ。それこそ、あの老婆のように。

 ここまで推察してみれば、彼らのビジネスの種類は大分絞られる。

 かなり依存性の高い代物の取り扱いで、かつ原価の安い代物だ。

 そうなると、可能性が高いのは――


「これは、中に踏み込まないワケにはいかないな」


 レイは軽い足取りで建物に近付いて。すると当然、ガラの悪い男二人に絡まれる。


「何だ、てめぇ? 何しに来やがった?」

「欲しいモノがあるんだ。これを、譲ってはくれないか?」


 そう言って、レイは件の空き瓶を取り出す。それを見て、男たちは渋い顔で互いに目配せをしていて。その様子はどう見ても、心当たりのあると言った風。

 だが、二人のうち偉いだろう方の男は、その様子に反して。


「はっ! 知らねぇな、こんなモノ。ジュースが欲しけりゃ、他を当たりな」


 と、あくまでシラを切るつもりの様子だが、先の様子からして無関係でないのは明白。ならばと、レイは更なる揺さぶりのために。


「過ぎ去りし夢を見たい。届くことのない光が欲しい。絶望のどん底から這い上がりたい」

「――っ!?」


 これは、老婆が残したメモに記載されていた意味の分からない言葉の羅列。

 恐らくは合言葉だろうと踏んでいたが、その読みは当たったようで、男たちは慌て顔。


「お前、その言葉どこで?」

「売ってくれますか? これを」

「……ちっ! ちょっと待っていろ」


 そう言って、男は目配せ。すると下っ端だろう男は屋敷へ引っ込んでいく。

 そうして小さくなっていく男の背中を見れば、否応なく視界に収まる巨大な屋敷。

 レイは思わず、声に出す。


「中々立派な建物ですね。随分と景気良いようだ。儲けているんですか?」


 馴れ馴れしく軽快な口調で、臆することなく問うてみる。

 すると、当然返って来るのは怪訝な眼差し。


「てめぇ、見ねぇ顔だが何者だ? 素性くらいは明かして貰おうか?」

「見ない顔か……まぁ、そうでしょうね。何せ、この街自体に今日初めて来たもので」

「何だと?」

「それと素性か……明かしてもいいですが、その前に是非聞きたい。随分と金銭的に裕福なようですが、貧民相手にもコイツは結構売れているんですか?」

「……さぁな。答える義理はねぇよ。さぁ、とっとと答えろ。てめぇは一体――」

「お待たせしました、先輩!」


 屋敷へ戻って行った下っ端の声が、レイを凄んでいた男の声を遮る。

 それに腹を立てたのか、先輩と呼ばれた男は舌打ち交じりに蹴りを叩き込む。


「な、何するんっすかぁ……」

「てめぇ、今大事な話してんだ。話の腰を折るんじゃねえよ、バカ!」

「腰? 話の腰って、何すか?」

「……あぁ、もう! いいからおめぇは黙ってろ、バカ!」


 苛立ち混じりに、先輩の男は情けなく地べたに尻を突く男の手から瓶を回収して。

 その瓶をレイに差し出す。鋭く、睨め付けながら。


「ほらよ。とっとと金寄越しな」

「……断る。そんなモン、要らねぇよ」

「何だ――痛っ!?」


 突然、レイは瓶を握るその男の手を強く叩いて。その拍子に男は手を放してしまい、瓶は真っ逆さまに落下。バリンと破砕音を立てて、派手に割れた。


「てめぇ、何しやがる!」

「現品が確認出来れば充分だ。さて、今度は屋敷の中に案内して貰おうか?」

「何を言ってやが――っ!? ま、まさか! まさか、てめぇは……」


 レイの余裕綽々な澄ました顔と声に対して、男は驚愕の表情。

 しかし、すぐに引き攣ったような乾いた笑いを浮かべて――


「な、舐めんじゃねえぞ! ぶっ殺してやる、この野郎!」


 絶叫と共に、豪快な右ストレート。しかし、それを確実に見切ったレイは軽くいなしては男のボディへカウンターブロー。


「う、うげぇえっ!?」


 苦悶の声を漏らして地面に沈む男。そんな彼に、レイは「やれやれ」と嘆息し。


「熱烈な歓迎は有難いが、野蛮だなぁ……もう少し品性ってモノを持てよ」

「て、てめぇ……」

「まあ、落ち着けって。俺は別にアンタらと事を構えに来たワケでも、まして殺しに来たワケでもない。ただ、話が聞きたい。アンタらの手掛けるビジネスと金の流れについて」

「くっ、くそがぁ……」

「どうした! 何があっ――なっ、何だてめぇは!?」


 悠長に話している間に、騒ぎを聞きつけたらしい増援が到着してしまう。

 この状況に、レイは少々呆れ気味に「やれやれ」と嘆息。


「面倒だなぁ……まぁ、いいか。憂さ晴らしの相手にはもってこいか」


 淡々と言い放つレイの目は、冷たく凍り付いていて。

 そんな目で睨まれた増援たちは本能で危険を感じ取ったのか、ビクッとたじろぐ。

 しかし、今更怖気づいても遅い。不敵な笑みを浮かべつつ、レイは増援の護衛達目掛けて思いっ切り駆け出した。



 そこは、壁紙から床板に調度品までの全てを白と黒のモノトーン調で整えたシックな内装の部屋で。一人の個室にしては広すぎるこの空間を、レコードから流れる荘厳なクラシック音楽が満たす。部屋の主たるその男は、目を閉じて上質な音楽を堪能しながら背凭れに全体重を預けて、時折王都でも中々流通しない高級な焙煎豆から抽出したコーヒーを嗜むという放蕩貴族さながらのリラックスした優雅な昼下がりのひと時を過ごしている。

 穏やかこの時間はまさに至福であり、実際男の表情は一切の憂いも曇りもない。たった窓一枚隔てた外の世界には、今日食うモノに困るモノが大勢蠢き苦しんでいるというのに。


「昼はこうして穏やかに過ごし、夜には若くて綺麗な女を飽きるまで抱く……まさに勝者の生活だ。それもこれも、あの男に従った俺の先見の明と賢さあればこそ。俺は最高だぁ」


 コーヒーを啜りながら、恍惚とした表情で自惚れの強いセリフを吐くその男。

 しかし、そんな優雅な時間も唐突に終わりを迎える。


「……ん? 何だ? 何か騒がしい?」


 ドアの外から、クラシック音楽に混ざって聞こえてくるその雑音。悲鳴のようにも聞こえるその音に、男は流石に怪訝の表情。何事かと、徐に立ち上がるとドアを開けて――


「――なっ!?」


 室外の様子を伺うなり、面白いくらいに青褪めて絶句。

 無理もない。そこに広がっていたのは、コテンパンにやられて地面に倒れ伏す――中には壁にめり込んでいる者までいた――見知った顔の護衛たち。そしてそんな護衛達のど真ん中で悠然としている総白髪とあどけない顔が印象的な若年の男こと、レイ。

 どう見ても不可思議極まりないその光景に言葉を失っていると、自分に気付いたレイがくるりと顔を向けるなり笑顔を浮かべて。


「アンタが、ここのご主人か? 手間が省けたよ。探していたんだ。話を聞きたくてね」


 気さくに声を掛ける。地獄の光景とは不釣り合い過ぎる、朗らかな笑顔を湛えて。

 その笑顔が余計に不気味さを際立たせ、男は半ば半狂乱。


「――うっ! うわぁああああああああっ!?」


 火が付いたような絶叫と共に慌てて自室へ引っ込むと、慌てて自身の机の引き出しを漁り、そうして取り出した拳銃を手に振り返ったところで開けっ放しから室内に足を踏み入れていたレイと目が合う。


「て、てめぇ! 何だ? 何者だ? 何が目的だぁ!?」

「喚くなよ、うるさいな。それに、質問するのは俺だ。それにしても……」


 ぐるりと室内を見渡して、「ほぇ……」と感嘆の声。


「立派な外観だとは思ったが、内装はもっと立派だな。音楽なんか嗜んじゃって。それにコーヒーまでとは、優雅だねぇ。とてもスラム街のど真ん中とは思えない生活ぶりだ。

 あぁ、でも今は悪いがレコードは切らせて貰うぞ。話をするのに、邪魔だからな。音楽は、俺との話が終わったら存分に堪能してくれ」

「勝手に止めんじゃねぇ! というか、触るな! 貴重な年代物のプレイヤーだぞ!」

「そうか、それは失礼。けどまぁ、それがホントならさぞかし高価な一品なんだろうな。で、その様子じゃレンタルってワケでもなさそうだ。こんな貴重なモノを買えるくらいに裕福ってことか。外の世界はあんな感じなのに、胸糞の悪い不条理な話だ。だから是非教えて貰いたいね。なーんでまた、そんなに景気が良いのかな?」

「お前には関係ねぇ! もういい……死ねぇ!」


 絶叫と共に、引き金に掛けた指に力を込める。

 轟く銃声――しかし、銃声を合図に地面に倒れのた打ち回ったのは部屋の主の方だった。


「ウガァアアアアアアアアっ!? な、何が……何が起こったぁ?」


 左肩を押さえてワンワン喚く男に、レイは微苦笑。


「叫ぶ前に撃てよ。どいつもこいつも、何で引き金を引く前に必ず喚くだよ……」


 冷笑と共に告げられるその言葉に、男は地面を転がりながらレイを見る。

 するとその手には回転式の拳銃が。部屋に押し入って来た時、その手には何も握られていなかった。つまりは、自身が銃を構える間に銃を抜いて発砲するまでを完了させたということ。その早業を理解して、格の違いを認識して絶望。


「……ば、化け物……」


 恐々した声で、そう零す。その感想にレイは一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに不敵な笑みを湛えて。


「あぁ、そうだな。俺は、化け物さ。だが、この壁一枚隔てた向こうに貧困で喘いでいる人が大勢いて、それを知りつつ無視するどころか彼らを食い物にしてまで放蕩に耽るお前もまた、充分すぎるくらいに心が化け物だと思うけど?」

「う、うるせぇ! 金を稼いで悪いか!? 贅沢で優雅な生活を望んで悪いかよ!?」

「悪くないさ。ルールに則った真っ当な方法かつ、自分の努力と才覚によって純粋に勝ち取った結果ならば誰も文句を言わない。尤も、それでも不平は言われるかも知れないが。

 だが、お前は違うだろう? この贅沢で優雅な生活は、あんな真っ当じゃない代物を売り捌いて手に入れたモノ。だから、住居はアクロブルクのような大都市ではなくこんな場所を選んだ。手頃な快楽に溺れる人間は、こういう場所にこそ多く居るのだからな。

 けどな、覚えておくといい。不当に手に入れた栄華は、消え去るのもあっという間だ。儚い幻か砂上の楼閣か――何にせよ、何時かは消え去るのが道理というワケだ」


 のた打ち回る男に拳銃を向けながら、レイは残る左手で自身の懐を弄り。そして取り出したのは、RSPの身分証明書。それを提示した瞬間、男の顔から色がスッと消えた。


「……け、警察ぅ?」

「そういうことだ。現品は確認しているから、言い逃れは不可能だぞ? まぁ、そう青褪めた、この世の終わりみたいな顔するなよ。安心しろよ。令状は無いから、今ここでお前を逮捕はしない。

 でも、家宅捜索はさせて貰う。あと尋問も。そういうワケだから……覚悟して貰うぞ?」

「……はっ、はひぃ……」


 冷淡な声で告げられて、男は蚊の鳴く様なか細い声で答える。

 ガタガタと震えて、がくりと肩を落とし項垂れるその様は全ての終了を悟った様子で。逃走防止のためと手錠を掛けられたことで更に顔は絶望の色に染まった。

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