第32話

 眩い光あれば、必ず影がある――というのは、古今東西よく言われた話なワケで。

それは歴史と伝統あるこのアクロー王国とて例外ではない。

 途中宿泊を挟みつつ、王都から車で二日以上かけて漸く到着したとある場所。

 そこには、決まった名前が無い。国境近くとはいえ紛れもない王国領なのだが、夷狄の侵略に備えた城壁を思わせる分厚い壁によって取り囲まれていて隔離された様は別の国のよう。威圧感ある分厚い壁を越えれば、広がるのは所謂スラムと呼ばれる荒み切った街。

 アクロブルクどころか如何なる悪徳貴族の所領よりも桁違いに薄汚れた景観で、未舗装の道に今にも倒壊しかねない朽ちかけた建物が至る所で目に付く。街並みに合わせたかのように住民たちは皆粗末な服装に身を包んでいて、貧困からくる絶望故かその瞳に光は無く生気と覇気も感じられない。淀み腐った重苦しい雰囲気の満ちる、不気味で陰気な街。

 無論、このような惨状になってしまったのにも理由はある。

 王国領の中でもとりわけ僻地で王都へのアクセスが悪く、作物の生育に適しているワケでも何かしら資源が産出されるワケでもない。

 つまり、領有の旨味が無いのだ。寧ろインフラ整備に多額の支出が必要になってくるだけで、故に多くの貴族に『領有する価値のないマイナス資産』というレッテルを貼られて長らく見放されてきた不遇の地。

 神聖視される王族や貴族の威光が届かないこの街は、当の昔に法の秩序からも見放されている。今この街に根を下ろすのは、大半が脛に傷のあるならず者か貴族の圧政から当てもなく逃れて来た難民たち。そんな者たちの溜まり場故に、今や暴力と困窮に満ちて殺伐とした世紀末の如き危険な香り漂う場所となってしまっていた。

 そんな場所へ、レイはわざわざやって来た。無論、違法薬物流通の捜査のために。

 違法薬物は、王都と幾つかの都市で流通が確認されているという。そして王都ですら流通しているのなら、恐らくは王族や貴族の所領でも流通している可能性が高い。 ただ、領主を務める貴族の体面のために揉み消されて表沙汰になっていないだけで。

かなり広範囲に――それこそ国中に広まっていると言っても過言ではない有様なのに、中毒患者は誰一人として流通経路を知らず売人もまだ一人しか捕まっていないのが現状。

 難航して芳しくない捜査状況から察するに、捜査機関が手を出し辛い場所に事件解決の鍵があると見るべき。その候補は、大きく分けて二つ――権力者の屋敷か、スラム街。

 ライラから預かった資料を読み込んで状況を把握・整理する中でそう考えたレイは、先ずは後者から当たることに。尤もそれは、現状前者に手を出せないからという何とも後ろ向きの理由なのが情けないところ。止む無く、手が出せる場所から順番に、というワケだ。

 しかし、ここへ来る道中で手に入れた周辺地図――最新版と銘打たれているが、十年以上前に作成されたモノらしく。事実現在の地形とは大小乖離が存在する――を手に半ば当てもなく彷徨い歩くレイの顔は、どうにも不満と不快に歪んでいる。

 無理もない。無計画で杜撰な素人建築によって作られた街は、入り組んだ迷路のようで地図など当てにならず。加えて、強い日差しと纏わりつく湿気からくる過ごし辛い気候に、鼻腔を擽る不快な香りに思わず顔を顰める。過去の経験で極限の生活に一応覚えと耐性のあるレイですらウンザリとしてしまうほどに劣悪で、凡そ人の住む環境ではない。


「しかも、それも権力者の無策と怠慢のせい……リリーエラが知れば、さぞ怒るだろうな」


 ふと口を突いて出ていて、気付いてハッとする。

 この三カ月気の済むまで後を追って。それでも何も掴めなくて遂には諦めたハズなのに、気を抜くとふと考えてしまう。それほどまでに、レイが抱くリリーエラへの関心は深く、それは最早執着の域に達している。

 正直、そこまで固執する理由は当のレイ自身にも定かではない。でも、気になって仕方がない。もう一度会って話をしたいと、理屈抜きで切望している辺り筋金入りである。


「……いかんいかん。余計なことを考えるな。今の俺は、休暇中じゃない」


 ブンブンと首を横に振って、頭に巣食う思考を振り払って。

 そして再度気を引き締めたところで、更にスラム街の奥地へと捜索の歩を進めていった。



 道中、レイは道端に落ちている者に目を惹かれる。


「この瓶って……やっぱり!」


 拾ったその瓶、特に極彩色のラベルを見間違える筈もなく。念のため持参した写真と照合すれば、間違いなく同一。そしてその瓶が、一本ではなく何本も。


「間違いなさそうだ。消去法で選んだ選択肢がアタリとは、ラッキーだな。これが『残り物には福がある』ってヤツかな?」


 拾った瓶を回収して、更にスラム街の奥地へと進んでいった時にレイはふと目の当たりにする。自身が握るその瓶、それと同じ瓶を底が天を向くほど豪快に煽る老婆の姿を。


「――なっ!? おい、止めろ!」


 半ば反射的に、そう叫んでいた。そして接種を止めようと、一気に駆け出す。

 老人の手から瓶を取り上げて、そのまま地面に叩き付ける。瓶は破砕音を響かせながらバラバラになって、中身はこの熱気も相まって地面に瞬く間に吸収されていく。


「……あぁ……あぁ……わたしの……わたしのリベレーションが……」


 大地に吸収されていく液体に、がくりと膝を折って項垂れる老婆。

 その見ているだけで若干気の毒になって来る姿からして、かなり依存度の強い中毒者なのは明白で。同時に、この老人は薬物使用の現行犯。レイはその老婆を鋭く睨み付けて。


「話を聞かせて貰うぞ。アンタ、これをどこで手に入れた?」

「……さない……るさな……ゆる……ない……」


 語気を強めたレイの問いに、老婆はぶつくさと聞き取れない何かを呟くだけ。


「おい、何か言ったか? もう一度言ってくれ。これをどこで手に入れた?」

「……るさな……さない……許さない!」


 瞬間、老婆は立ち上がり。そして鬼のような形相を浮かべると、枯れ枝の様に細いしゃがれた腕でレイの首を絞めに掛る。


「――がっ!? な、何を……?」


 困惑するレイ。しかしそれも無理からぬこと。不意を突いたとはいえ、仮にも武装組織を単騎で殲滅できる戦闘力を持つレイの急所を掴んで見せた。そしてレイの首を絞める握力と、何よりレイの体を地面から浮かせる膂力はどう考えても老婆のそれではない。

 どう考えても不自然過ぎるこの状況、このままではマズい!

 半ば反射的にそう判断したレイは、老婆の腕を掴むと同時にその腹部に蹴りを叩き込む。

 そうしてよろけたところで老婆の締め上げから脱出し、着地するなり一気に疾駆しては老婆の腹部へブローを叩き込む。手心を加える余裕など無い、本気の一撃だった。


「――がえっ!?」


 一撃を貰った老婆は、嗚咽を漏らし吐瀉物を撒き散らしながら蹲るように倒れて。

 暫くピクピクと痙攣していたが、やがてその痙攣も収まって完全に沈黙。駆け寄って肩を抱きあげてみれば、その顔からはすっかり生気が消えていて白目を剝いている。


「……何だよ、これ……これが、こいつの効力?」


 文字情報として認識はしていたが、こうしてまざまざと直視すれば認識は変わる。

 追い掛けているこの薬物、その効能の一端を認識してレイは確信する。


「これは、一刻も早く流通を止めないと。広がれば、不味いことになる……ん?」


 ふと気付く、老婆の服のポケットから覗く一枚の紙切れ。ポケットの中を弄ってみれば、似たような紙切れは十枚近く出て来た。そのうち三枚ほど開いてみれば、記されていたのはどれも同じ僅か二行の文言。

 一行目は、記述内容から察するに恐らくはどこかの住所――それもこのスラム街の奥地。他方、もう一行は何やら意味の通らない文言の羅列で。一行目と違い、住所ではない。恐らくは名前でもない。では、これは一体……思案の末、レイは一つの答えに辿り着く。


「もしもこれがコイツを入手できる場所を記しているとすれば、こっちの文言はさしずめ購入時に確認される合言葉ってところか? 複雑な文言だ、加齢に加えて記憶混濁の副作用がある薬で記憶力が後退した脳では覚えているのは難しい。でも、薬物が手に入らないのは困る。だからこそのリスクヘッジとして、この何枚ものメモってワケか」


 推察した内容が事実なら、老婆の薬に対する執念は最早狂気の領域で戦慄すら覚える。そして、これほど年老いた老婆ですらここまで魅了し、あれほどの力を引き出すこの薬。まさに悪魔の薬であり、流石に放って置いてよい代物ではないことは明白。


「ごめんな、お婆さん。アンタの生き甲斐、潰させて貰うよ」


 覚悟を決めたレイは、ピクリとも動かぬ老婆を静かに横たえさせて。

 そして老婆から回収した紙を片手にスラム街の奥地へと更に足を踏み入れる。

 その先は、混沌とした危険な世界だろうことは明白。しかし、怯むことなく歩みを進める。義務感と使命から腹を括ったレイの顔は真剣そのもので、紛れもない正義の執行者そのものだった。

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