第30話


「なぁ!」

「……………………」

「おいってば!」

「……………………」


 拉致される様に独房から連れ出され、押し込めるように後部座席へ乗せられて、目的地も教えられずに発車。

 かくの如く何もかも理解出来ないままで、かといって何の説明もされない――そんな 状況への苛立ちのまま、リリーエラは隣に座るルドルフへ頻りに声を掛けるも完全な無視。

 その無礼極まりない振る舞いに、もしも手錠が無ければ今頃手の一つも出ていただろうくらいにはムッと腹を立てる。


「……無視かよ。マジで感じ悪いなぁ、アンタ!」


 舌打ち交じりにそう毒吐くリリーエラを、ルドルフはギロッと不快な目付きで睨んで。


「耳障りだ、黙っていろ。余計な無駄口を叩けないようにしてやろうか?」

「へっ! 漸く喋ったかと思えば、またそんな偉そうな口を……アンタ、マジで感じ悪い。一体何様のつもりなんだよ?」

「何様か……この国の王子の顔も知らぬとは、随分と罪深い。いや、単に頭が足りぬだけか。王族や貴族を標的にしたテロなど計画しておきながら、私の顔を知らぬことも含めて」

「何だと?」


 リリーエラの灰の瞳が、これ以上ないほど大きく見開かれる。そして動揺と困惑の色。しかし、そんな目で見つめられてもルドルフはさして反応を見せず。ただ、ゴミでも見るかのような冷たい眼差しで。


「不敬罪で即刻処刑されても文句を言えないくらいの無礼な物言いだが、これ以上黙っているのなら不問にしてやろう。しかし、まだ下らぬ口を挟むのなら……処断するまでだ。イヤなら黙っていろ。何、じきに分かるさ。知りたがっていた行先も、私の目的も」


 その言葉の全てが嘘でも冗談でも本気なのだと、如実に伝わってくる。

 その静かだがドスの利いた威圧的な声と、冬の森の凍り付いた湖より極寒の眼差しから。


「……………………」


 生来勝気で威勢のいいリリーエラだが、ルドルフの纏う威圧の前ではこれ以上強く出られずに思わず黙り込んでしまう。それは、彼女自身自覚無く内心で抱いていた威圧に屈した恐怖心によるもので、実際に彼女の額には冷や汗が浮かぶ。

 そうして車内は再度沈黙に包まれて、その間も車はグングン走行を続けていった。



 RSPの庁舎から車で走り続けること二時間くらいは経っただろうか。

 漸く車が止まったのだが、その場所はアクロブルクのような文明の発展など微塵も感じられない荒野のような物寂しい場所。


「さぁ、到着だ。さっさと降りろ」


 停車するなり、ルドルフはリリーエラにそう命じて。

 しかし実際にはリリーエラが自力で降車するまでなど待たず、彼女の細い腕を掴んでは力任せに引き摺り出して、固い荒野の地面へ無慈悲に放り投げる。


「あくっ!?」


 ドシャッ! 音を立てながら倒れ伏すリリーエラを、すぐにルドルフと近衛兵団が囲む。


「……あっ! あぁ……」


 それは、か弱い少女一人を囲む屈強な男たちという構図。

 力の差は歴然。もしこのまま襲われたら――否応なく想像してしまうその状況は恐怖以外の何物でもなく、リリーエラは声にならない声で慄きながらガタガタと震える。だが、そんなリリーエラを見下すルドルフは「ふんっ」と小馬鹿にしたように鼻で嗤い。


「アレだけ威勢よく吠えておきながら、途端その様とは情けない。仮にも同じく誇り高き王の種をその身に受けておきながら、どうも母親の血筋の影響というのは大きいらしいな。

 母上とお前の母は似た顔だが、血筋が違う。その差がここまで影響し、人としての強さの差を生んだ。やはり純粋高貴なこの私と半分穢れたお前では、格が違うということか」

「……えっ?」


 リリーエラの口から、呆けた声が漏れる。同時に、その灰色の瞳を大きく見開いて。


「どういう、意味だ? 今の言い回し、まるでそれじゃあ、お前とあたしが――」

「説明してやる義理も道理も、我にはない。それとも、お前に説明して我に何か得でも?」

「……やっぱり、お前感じ悪いな」

「だが、お前にはあるぞ。我に従う道理も義理も、使命すらも。何せ、下の者が上に尽くすのは義務であるのだ。故に貴様は、純粋高貴なる我に尽くさねばならぬ」

「尽くすだと? 気に入らないな、その言い回し……お断りだ!」


 先程の恐怖心はどこへやら、生来の気の強さを取り戻してルドルフを睨むリリーエラ。そんな彼女の眼と態度に、ルドルフは「ほう……」と興味ありげに不敵な笑み。


「その勝気振り、在りし日に見たお前の母を思い出させるな。愛息子のためにと、この我を睨み付けたあの女の面影をお前からは感じる。だが、あの女と同じで利口ではないらしい。この状況下で、自分に選択肢があると思い込んでいる。

 まぁ、十五年前の我相手なら無理からぬことではあるが……今は違う。かつては野蛮な手法を用いなければ成し得なかったこと、他者を意のままに操り従わせることが我には出来る。それを可能にする力、高貴な我にふさわしき力を手に入れたのだ。友のお陰で、な」


 自惚れの過ぎる恍惚な表情と、自己陶酔の極みと呼ぶべき言葉の数々。

 ゾッとするほどの気色悪さを覚えて、リリーエラは思わず引き攣った表情を禁じ得ない。


「……お前、さっきから何を言っている? まるで意味が分からないぞ?」

「半分卑しきお前には、理解できないだろう。いや、理解する必要もないか。案ずるな。すぐにその身で体感させてやろう。喜べ、愚妹。お前の母は終ぞ見せる機会は無かった我の力、特別にお前には疲労しよう。これは、偉大な兄から愚妹へのせめてもの贈り物だ」


 下卑た笑みを湛えたルドルフは、リリーエラに歩み寄り。

 その小さな頭を鷲掴みすると、力任せに持ち上げる。半ば強引に立たされたリリーエラは当然喚きながら決死に抵抗するが、その抵抗をルドルフは意に介さず。

 そしてルドルフはその体に夜の闇でもハッキリ見て取れる淡い微光をオーラの様に纏い始めて、その微光は徐々にリリーエラの方へ流れ込むように移っていく。


「――っ!? あぐっ!? あっ……あぁ……あぁああああああああああああああ!?」


 微光がリリーエラの中へ注がれるや否や、リリーエラは苦悶の表情で絶叫。

 それはまさに、己が体へ無断で入って来る異物に対する嫌悪と抵抗に他ならない。

 しかし、そんな必死の抵抗も束の間。微光を注がれ続けたリリーエラは、やがて一切の抵抗も絶叫もやめて。目に見えて四肢がダランと脱力した頃を見計らってルドルフが手を放せば、その華奢な体は一切の抵抗なく重力に引かれて地面にへたり込む。

糸の切れた操り人形の如き今のリリーエラの灰色の瞳には力強い光はなく、すっかり虚無に染まっていて。それはまるで澄んだ湖面から濁り腐った泥だまりになったかのよう。

 廃人のようなリリーエラの顎をクイッと持ち上げて、その淀み切った瞳を覗き込むとルドルフはご満悦の表情。


「よいぞ。賤民の血筋は、皆これくらい従順で大人しくあるべきだ。所詮賤民など、我ら高貴なる者を輝かせるための糧でしかない。なればこそ夢も願望も希望も持たず、ただ無知蒙昧なまま使い潰されていればよいのだ。それが役割であり、それこそが存在意義よ」

「ルドルフ様、支度が出来ました」

「うむ。こちらも丁度済んだところだ。では早速働いて貰うぞ、リリーエラ」


 ルドルフが呼びかけると、リリーエラは静かに立ち上がって。

 そしてその濁った光亡き瞳でルドルフを見つめる。するとルドルフは、更に満悦。


「忠実な下僕の顔だな。では下僕のリリーエラに、記念すべき最初の指令を与えよう」


 そう言って、ルドルフは拳銃をリリーエラに差し出す。迷いなく銃を手に取ったリリーエラは、相変わらずルドルフを真っすぐ見つめる。ただ、指示を待つ奴隷のように。

 そんな従順な下僕と化したリリーエラの肩に手を回したルドルフは、そのままぐるりと方向転換。背後へ振り返ってみれば、そこには頑丈な岩にロープで括りつけられて無様に泣き叫ぶ小太りな男の姿が目に飛び込んでくる。尤も、その叫び声は口に嵌められた猿轡のせいでまともに声になっておらず、ただ耳障りな雑音でしかなくなっているが。

 そんな男に、ルドルフはやれやれとばかりに肩を竦ませると。


「実に耳障りだろう? その上、アレは我の期待を裏切った。救いようのない、役立たずまさにグズだ。だからな、リリーエラ……お前の手で、アレを始末してくれるな?」


 耳元で囁くようにそう告げると、リリーエラはこくりと頷いて。

 両手で銃を握ると、その銃口を小太りな男――バルへと迷いなく向ける。

 そうして、今まさに銃口が火を噴くという寸前。どうやら固定が甘かった上に、必死に暴れたことが功を奏したらしく。バルは何とか左手だけ出せたので、その手で猿轡を外し。


「お、お止めください! これは……これは一体どういうことですか! 俺は……俺は貴方の言いつけを守って、奴隷市場に売られかけていたそのガキを拾った。俺が作った組織に入れて、周囲の反対を押さえて神輿の指導者にまで祭り上げてやった! 

貴方の命令も、言い付けも、俺は全て守ったはずだ! それなのに、どうしてですか! どうして、俺にこんな仕打ちを!?」


 唾を撒き散らしながら、矢継ぎ早に繰り出される必死の嘆願。

 しかし、決死の直訴を敢行するバルにルドルフが返したのは――吐き捨てる様な嘲笑。


「お前は、使っている間に破れた紙皿を取っておくか? 飲んでいる間に割れて中身の零れたジュースの瓶を、後生大事に取っておくのか? 虫が湧くかも知れないというのに?」

「……………………え? それは、一体何を言っているのです?」

「確かにお前は従順で、よく働いてくれた。それなりに役立った、悪くない働きだったぞ。しかし、お前は役割を全うできなかった。存外鼻の利くRSPに邪魔されて、計画はご破算になった。全ては、お前の責任だ。お前のせいで、我が計画は狂って失敗した」

「そ、それは……ですが――」

「それになぁ、事情が変わった。予期せぬ幸運で、計画は変更となった。新たな計画の中に、お前の役割は無い。つまりお前は、我にとって不要――それも生かしておくと害をなす恐れすらあるような、まさにゴミ。処分されるのもやむを得ぬというものだろう?」


 不敵な笑みを湛えての言に、バルの顔はみるみる憤りに染まっていき。


「ふ、ふざけるなぁっ! そんな……そんなの……そんなの横暴だ!」

「横暴? はっ! これは異なことを。我以上に慈悲と慈愛に満ちた貴人は居らぬぞ? 何せ、賤民たる貴様へ直々に死出の栄光を授けようというのだから。まさに身に余る栄誉。本来ならば涙ながらに謝意を述べるところであろうにその物言い……身の程を弁えろ!」


 夜の荒野に、ルドルフの怒声が木霊した。

 大喝でバルは勿論、彼の指揮下の近衛兵たちですら驚き困惑の様子。

 唯一表情に困惑の色が見えないのは、リリーエラだけ。そんなリリーエラに向かって、ルドルフは遂に命令を下す。


「……もういいぞ。殺れ」


 極寒の声音で下された命令に、リリーエラは静かに首肯。

 そして引き金に掛けた指に力を込めて。


「まっ、待って! 待ってくれ、リリーエラ! お、俺たちは……俺たちは仲間だろ? 共に国を変えようと誓った同志だろ? なっ!? だから、だから話を――ぎゃっ!?」


 リリーエラへ向けられた最後の命乞いは微塵も届かず、代わりに遮るような銃声が轟く。放たれた弾丸はバルの眉間を撃ち抜いて、バルはその命乞いの表情のまま事切れる。

 がくりと、力なく崩れるバル。そんな彼の無惨な最期を見ると、ルドルフは哄笑。


「醜い……実に醜く、滑稽だ! 賤民は、こうでなくては。お前もそう思うだろう?」


 ルドルフの問いに、リリーエラは無言で首肯。その反応に、ルドルフは満悦。

 人形遊びをしている子供のようなやり取りだが、当のルドルフにその自覚は無い。

 貴人の言うことは全て正しく、首肯するのは当然。ただその認識しかなかった。

 そして、その認識に従って更なる指令をリリーエラに下す。


「全ては我をこの国の……いいや、世界の王にするため。その崇高な使命を全うするため、お前は我に従い、我に尽くせ。名誉も尊厳も命すらも、その全てを捧げて費やして!」


 それは、『奴隷』という言葉が生温く聞こえるくらいに倫理の欠片も無い命令――否、ここまで来ればもう『呪詛』というべきか。

 勝気で芯の強く意地っ張りな本来のリリーエラならば、当然反発していたことだろう。しかし、今のリリーエラにそんな覇気は無い。奪われて、失ったのだ。その瞳の光と共に。

 だからこそ、当然のごとくリリーエラはそんな呪詛を静かに受け入れて。

その従順ぶりにルドルフは更なる満悦の笑みを浮かべて夜の荒野に高笑いを響かせる。

 かつてのとある国では、権勢を極めた貴族は己が栄華を『望月』に例えたという。

 その伝承を彷彿とさせるように、今宵の夜空には満ち足りた満月が燦然と輝いていた。



「気分良さそうだねぇ……この荒野の果てまで響き渡りそうな高笑いじゃないか」


 ふと、背後から聞こえる澄ました声。それに気付いたルドルフは、徐に振り返る。

 その人物の顔を見るなり、満面の笑み。まるで信頼を置いた友人と会った時のような、親愛に満ちた柔らかい表情だった。


「おぉ、丁度いい。是非とも礼を述べたいと思っていた。お前のお陰で、この通りだ」


 戦利品でも見せびらかすかのように、リリーエラを紹介するルドルフ。

 するとその人物は朗らかな笑みで。


「それは何より。これで、計画は次の段階に進める……というワケだね」

「あぁ、そうだ。だが、問題もある。例えば、こいつに何をやらせるか、とかな。なるべくセンセーショナルで、世間の反感を一挙に向けられるような大事件を起こして貰わねばならんのだが……何せ革命闘争を起こさせる計画は、ご覧の通り失敗してしまった」


 そう言って、岩に張り付けられたまま事切れたバルを嘆息交じりに指さすルドルフ。


「もう一度革命闘争を……と言いたいところだが、今から武器と兵隊を集めるには時が必要。こちらもあまり大っぴらには動けない。この状況で、さて何をやらせたものか」

「なるほど、なるほど。あぁ、そうだ! なら、いい考えがあるよ?」


 不敵な笑みを称えたその人物は、ルドルフに向かってあるモノを差し出す。

 それは、何やら液体で満たされた極彩色のラベルを貼られた飴色の瓶。


「これは?」

「知り合いが開発した新薬さ。元は兵士の戦意高揚と戦力向上のために開発した増強剤だったのだが、如何せん副作用が酷い。モルヒネの二倍の鎮痛効能と阿片やコカインの数倍以上の多幸感と高揚感を得られるが、一方で依存性も数倍増し。更には凶暴性を掻き立てて、幻覚を見せる効能まである。まさに劇薬だよ」

「それはまた、とんでもないモノを持ち出してきたな」

「どうだろう? 流通組織を作ってコイツを都市部でばら撒いてみる、というのは?」

「……成程、そういうことか。良い案ではないか?」

「未来の王たる君に、そう言って貰えるなんてね。期待に応えられたようで、嬉しいよ」

「何を言う。我の期待を損ねたことが無いのは、お前だけだ。故に、お前だけが我にとって唯一無二の朋友なのだ。そして、そんな朋友の案を採用しよう……頼むぞ」


 言われて、その人物はニヤリと笑う。

 橙の瞳は怪しげに輝いていて。闇夜の中でも尚輝くその瞳は、まるで太陽のようだった。

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