第29話


 オフィスに常備しておいた替えの制服に着替えると、ライラは急いでオフィスを後にする。逸る気持ちが表出したかのような小走り気味で庁舎の中を歩いて向かう先は、彼女がRSP内部でレイとローラに並ぶほどに信頼するあの男の執務室。

 目的の部屋に付き、その立派な樫の扉を三度ノック。そして中からの返事を待たずにドアを開けると……そこには二人の男の姿。

 一人はRSPの長官にして彼女の父親でもあるロイドクルス――今回会いに来た目的の人物。そしてもう一人は、先程邂逅したかの男。


「ルドルフ将軍? 何故、ここに?」

「あの珍妙な格好は、もう辞めたのか? 今の腑抜けた貴様には似合いだったと思うが」

「どういう意味ですか、それは?」

「控えろ、ライラ。断りもなく部屋に入った上にその振る舞い、将軍に失礼であろうが」


 ロイドクルスの射貫く様な鋭い視線がライラに向けられる。しかし、ライラはそんな視線を物ともせず、ルドルフを睨むが。


「ゼルビース伯爵。貴族家当主にして治安維持の重要組織たるRSPを陛下より預かられている御身が、ご息女の躾も満足に出来ないというのは如何なものかと思いますが?」

「そ、それは……申し訳ない。お恥ずかしい限りですな」

「ご息女は、RSPにも軍にも向いていない様子。さっさと退官させて、嫁入り修行でもさせたらよろしいかと。 躾のなっていない娘など、引き取り手はありませんからね」

「ご忠告、痛み入ります」

「では、これで失礼する。委細、任せたぞ?」

「はっ!」


 部屋の主でありながら、ロイドクルスは恭しくルドルフに頭を垂れて。

 そんな彼を一瞥もすることなく、ルドルフはさっさと踵を返してドアの方へ。

 退出の瞬間、ライラはルドルフとドアの前ですれ違う。その際、ルドルフはライラを横目で一瞥。そして「ふんっ!」と小馬鹿にしたように感じ悪く鼻で嗤うと出ていった。


「……感じ悪いわね、ホント」

「このバカモンがぁあっ!」


 割れんばかりの怒声で、思わずライラの背筋がビクッと伸びる。恐る恐る振り返えれば、顔を真っ赤に染めたロイドクルス。ライラは渋面を禁じ得ない。


「勝手に入ってきた挙句に、将軍に喧嘩を売るとは! 儂にまで恥を掻かせおって!」

「大変失礼致しました、父上――」

「今は長官だ! ……ったく、このバカめが!」


 言いたいことを一頻り言って少しは落ち着いたのか、定位置の立派な執務机に腰掛けるロイドクルス。そしてライラは徐に室内へ入ると、彼の前に直立する。


「お伺いしたいことがあります」

「お前たちが確保したあの娘と、その共犯者の件か?」


 ロイドクルスの確認に、ライラは静かに頷く。

 するとロイドクルスは、徐に机上の葉巻入れに手を伸ばしては葉巻を嗜み始める。


「あの二人の身柄は、近衛兵団の管轄へ移ることになった。今日の夕刻には、移送が行われるそうだ。国軍の主導で、な。そして我々は、一切手出しをするなとのことだ」


 紫煙と共に吐き出されたその言葉は、どこか諦観に満ちていて。

 しかし、そんな言葉で納得できるワケがなく。ライラは当然食って掛かる。


「バカな! 確保したのは我々です。手柄を奪うようなその扱いを、許すのですか?」

「許す・許さないという問題ではない。五年前のイギールの件と同じだ。お前が確保したが、身柄は国軍管轄へ移送されて手柄も連中のモノとなった――忘れたか?」

「それは……ですがアレは、事の重大さからやむを得ずの対処だったハズ。今回は違う。国軍がノコノコ出てくるような規模の事件ではないでしょう? それなのに、何故?」

「知らん! 詳細な事情は、こちらへ降りてきていない。ただ『移管する』の一点張りだ」

「……何ですか、それ? そんな横暴がまかり通ると?」

「まかり通るさ。それが権力というモノだ。相手はこの国の王子で、次期国王候補筆頭。そんな相手に捕らえた犯罪者二人の処遇如きで逆らうメリットがあるとでも?」

「それは分かりますが……だからといって、理由も聞かずに国軍の要求に従うのですか? それではもう、RSPは国軍の下部組織も同然! 組織としての矜持は無いのですか?」

「矜持だと? ふふっ! 生憎だが、保たれているとも。正当な手続きを踏むことで、な」


 そう言って、ロイドクルスは引出しから数枚の書類を取り出して、叩き付けるようにして机上に置く。机の上に散らばったその書類にはどれも『同意書』の文字が踊り、見慣れた名前と署名が躍る。


「これは……まさか!」

「あぁ、そうだ。あの二人を引き渡すことに関する、上級捜査官たち直筆の同意書だよ。お前以外全員分が揃っている。言っておくが、偽装ではなく全て本物。裏もとれている」

「どうして、こんな?」

「事情はどうあれ、これが現実だ。近衛兵団がこちらの上級捜査官たちと通じてこの書類を用意したのは間違いないが……作成の経緯がどうであれ、これは正式な効力を有する。上級捜査官の三分の二以上が同意している以上、この事案はRSPの総意として扱われることになるだろう。こうなればもう儂とお前が幾ら足掻こうが、どうにもならんぞ」

「……何てことを! どこまで腐っているのだ、あの連中は!」


 怒りを滲ませるライラだが、ロイドクルスは「ふんっ!」と小馬鹿にしたように笑う。


「何が可笑しいのですか? これは、紛れもない不正! RSPはもう警察としての矜持を失っている、それをこうもハッキリと目の当たりにしておきながら何故笑うのです?」

「不正だと、糾弾する資格がお前にあるとでも? あの子供――おっと、もう成人していたか? とにかく彼の経歴を偽装して捜査官に引き入れたお前の手法の方が余程不正だ。あの時から今に至るまで大きな問題にならずに済んでいるのは、儂の根回しのお陰だろう」

「――っ!? そ、それは……そうです」

「対して、彼らが近衛兵団と共謀して作成したこの書類は、手続き上も法的にも問題の無い紛れもなく有効な正式文書だ。不正と糾弾する筋合いは無いぞ、少なくともお前には。

 第一、お前は何故彼らが国軍の要請に従ってこの書類を作成したと思っているのだ? 国軍と王子の威光? 警官としての矜持を失っているから? 成程、それもあるだろう。だが、理由は他にもう一つ。それはライラ、お前への反発に他ならない。

彼らはお前に貸しがあるにも関わらず、普段から後任捜査官のお前に公然と軽んじられて軽蔑されて。挙句役立たずと見下されていたのだ。お前に不満を持っていたのは明白。そんな彼らが、お前の顔に泥を塗れるこの絶好の機会で手を差し伸べると思うのか?」

「うぅ……あっ……あぁ……じゃあ、これは……」


 震えるライラの声。しかしロイドクルスは、漸く理解したかと呆れ顔。


「だから言ったのだ。何かあっても庇えない、と。人からは好かれておけ、と。認識しろ。お前にはこれだけの敵がいて、対して味方は皆無。事ここに至っては、儂もお前の味方にはなってやれん。これがお前の普段の行いが招いた結末――認めて、受け入れて、諦めろ」


 力強い言葉で突き付けられたその現実を前に、ライラはもう何も言葉を返せない。

 才と能力に胡坐をかき、実績と結果をひけらかして他者を能無しと見下して嘲う。

 そのしっぺ返しをこんな形で受けるとは想定していなかったが、何にせよ全ては後の祭。

 過去の行いで首が締まったこの現実を前に、動揺と困惑と混乱からライラはその場で膝を折って。そして、絞り出すような声で零した。


「……私は……私が、敵を作り過ぎたせいで……こうなった?」


 自然と強く噛み締めた唇からは血が流れて、ライラの端正な美貌は歪んだ。

 血を流す唇の痛みのせいなどではなく、ただ己が行いへの後悔と悔恨のために。



「……そんなことが、あったんですか」


 ソファの上で両膝を抱えるように身を縮こまらせて座るライラが語った事実に、レイは言葉を失って。暫しの重苦しい沈黙の中で思案した末に紡ぎ出せたのは、そんな言葉。


「だから、あの子に関して私たちに出来ることは何も無い。捜査を続けることも、無論彼女の身柄を返してくれと依頼することも出来っこない。もう、どうしようもないのよ。

 そしてもしもまだ意地を張って抵抗すれば、それこそ他の上級捜査官の思う壺。RSPの決定に盾突いたことを理由に『職務遂行に不適格』と認定されて私は罷免されるわ。

 そして私が罷免されれば、君もタダでは済まない。こんな組織にも、メンツはあるらしい。だから経歴偽装を認識したうえで捜査官として受け入れることを認め、更には相応結果も出している君を理由もなく追い出すことはしないでしょう。

 でも、私が罷免されれば話は別。捜査官は上級捜査官の指揮下に入らなきゃならないけど、今の君を他の上級捜査官が受け入れるとは思えない。受け入れ先が見つからなければ、君もまた罷免を免れない。そうしてRSPを追放されれば、何が待っているか分からない」

「何が待っているか、分からない――ですか」

「えぇ、そう。そして悔しいけど、私も父と……いいえ、長官と同じ考え。私のキャリアと君の身柄を危険に晒してまで、捕らえた犯罪者の身柄にこだわる利点は見いだせないわ。そんなリスクなんか負えないの。だから……だから君も諦めて……お願い……」


 それは、絞り出すような声だった。

 現状を弁えた上で事情を飲み下して下した、諦めるという苦渋の決断――それに裏打ちされているだろう、感情を必死に押し殺した言葉。

 無論、レイも諦めたくはない。このままでは、リリーエラがどうなるか分からないから。でも、曲がりなりにも大恩がある彼女にそう諭されてしまえば。レイに選択肢など無い。

 同時に、窓の外から響くエンジン音。がばっと窓から外を見れば、続々と走り出していく車両。そして最後尾の車窓から垣間見えた、見覚えのある赤毛の少女。

 彼女を乗せた車両を、レイはただ見送るしか出来ない。そしてその小さくなっていく車両を見て、この現実を噛み締めて受け入れるしかないことを悟る。


「……わかり、ました」


 小さく呟き、そして窓から離れるとライラから手渡された書類に署名と捺印。

 そのまま黙って、ライラへ手渡す。彼女を、一瞥もせずに。


「ありがとう。ごめんね、レイ」


 受け取ると同時に、ライラは書類を手に一人オフィスを出ていく。

 恐らく、署名捺印した文書を長官へ提出に行くのだろう。降伏文書に等しいあの書類を。


「……ごめん……ごめんな、リリーエラ……もう、二度と会えそうにないや」


 一人になったレイの頬を、自然と涙が伝う。

 気付けば茜色の空はもう沈みかけていて、夜の帳が段々と空を支配していく。

 段々と暗くなっていく空模様の様に、レイの心も暗く陰鬱に沈んでいった。

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