第28話
「ちょっと、ライラさん! ライラさんってば!」
レイが何度呼びかけても、ライラは険しい顔をしたまま何も答えない。ただレイの腕を掴んだまま、引き摺って歩いていくだけ。だが、それもオフィスに着くまでの道中の話。
オフィスのドアを開けてレイを中に放り込み、そして尾行が無いことを確認してから自身も入室しては、バンッという音を立てて強くドアを閉めて厳重に施錠する。加えて窓を閉めて施錠した上にカーテンやブラインドまで閉めていくと徹底的。
かくして完成した、完全密室のオフィス。そこでライラは深い溜息を吐きながら怒りを湛えた険しい表情でツカツカとレイに歩み寄ると。
「こんのぉ……バカッ!」
室内に響く突然の大喝と、同時にレイの頬に炸裂する平手打ち。
パァアン! と音を立てたその一撃は強烈で、レイは耐え切れずにその場に崩れ落ちた。
「痛っ! 何するんです……か?」
ワケも分からないまま突然振るわれた暴力に、レイは呆然。
でもすぐに我に返っては段々とイラっとしてきて、文句の一つでも言おうと思ったのだが――目に涙を溜めるライラに、レイは言葉を失う。
「……ら、ライラ……さん?」
「バカ……バカバカバカぁ! 分かってる? 君、殺されていたかも知れないのよ?」
力なく崩れ落ちては、レイの胸に顔を押し抱きながらその旨をポカポカと殴るライラ。こんな姿を前に、流石のレイも些か後ろめたさを感じたようで。
「………………す、すみません」
「すみません、じゃないわよ! 心配掛けさせないで! 君の亡骸なんか、私受け取りたくない。君が死んだら、私は悲しいの……お願いだから、もう向こう見ずなことしないで」
「……肝に、銘じます」
力なくそう答えたレイ。胸から顔を起こしたライラの顔は、相変わらず涙を溜めてこそいるもののキッと鋭く目を尖らせた憤怒の形相。
「肝に銘じるんじゃなくて、一生忘れないよう深く魂に刻みなさい。」
「た、魂に? そ、それは流石に無理でしょ?」
「無理だっていうなら、代わりに君の体へ刻んであげるわ。喜びなさい。私の直筆だから」
「……え、遠慮しておきます。大丈夫です、魂に刻みます」
「ふんっ! まぁ、良いわ。約束だからね。破ったら、その時は殺すわよ?」
「さっきは『亡骸は受け取りたくない』とか言ってくれたのに、どっちですか?」
「さっきはさっき、今は今よ。と・に・か・く! 分かったわね? もう二度としないで」
「……は、はい」
「よろしい」
小さくそう呟くと、レイから放れて一人で立ち上がるライラ。
そしてそっぽを向きながらも、未だ座ったままのレイに手を差し出す。
「……どうも」
小さく会釈しながら、差し出されたその手を取って立ち上がるレイ。
でも空気は未だ重く、ライラはさっさと不機嫌そうに背を向けてしまう。
重苦しい沈黙に、レイは胃がキリキリするような感覚を覚えて。
そこでこの沈黙を打破するために、レイは思案の末に話題の転換を試みる。
「あ、あの……ライラさん」
「……何よ?」
「ええっと……その……あっ! その恰好、似合っていますよ」
「……? 恰好? 一体君は何を言って――っ!?」
瞬間、ライラの顔が赤面する。同時に、頭から湯気が立つ。白く、モクモクと。
「いっ、いやっ! ち、ちがっ! こ、これはその……ええっと……」
「まぁ、少々人目を惹く奇抜な格好だとは思いますが、着こなすなんて流石ですね!」
ワタワタオロオロと気の毒になるほど狼狽えるライラを、レイは笑顔で褒め讃える。
だがそれは、頭が痛くなるくらいに絶望的な対人コミュニケーションスキル不足の露呈。何より、この状況で最悪の一手を一切の悪気も無く打ってしまう辺り質が悪い。本人が恥じらっている状況での誉め言葉など、本心だろうが相手にはただの世辞にしか聞こえない。そしてあからさまな世辞に聞こえる誉め言葉は、時に悪態より人を怒らせる。
そうして人を怒らせれば、必ず報いがあるモノで。無論それは、今回とて例外ではない。
「――っ!? ……こ、こんのぉ……バカッ!」
再び響く大喝。同時に飛んでくるのは、平手打ちではなく固く握った拳。
「……ぐっ、ぐはっ!?」
レイの顔面ど真ん中へめり込むように炸裂した、強烈な右ストレート。
これには堪らず、鼻血を垂らしながらもんどりうって地面に倒れる。
「……な、何……で? ……ガク」
打ち所が悪かったらしい。段々遠退く意識。最後には、セルフ効果音を残して気絶する。
「や、ヤバッ! ご、ごめんやり過ぎた!」
慌てふためきながらも足早にレイに駆け寄り抱き起すが、ライラの腕の中でレイは白目を剥いて完全沈黙。ライラの謝罪の言葉は、レイの耳には届かなかった。
◇
「……う、うーん? あれ? 俺は一体――」
「あら、気が付いたのね」
ふと目を覚ませば、見慣れたオフィスの一角に設置されたソファの上。むくりと起き上がってみれば、窓枠越しに夕焼けの朱色に染まる空が目に入る。室内は電気一つ点けていないせいで少々薄暗く、そんな室内でライラは一人憂いを帯びた表情で窓辺に佇んでいる。
「ライラさん……あれ? もう着替えちゃったんですか?」
見ればライラの格好は、見慣れた保安警察の制服。どことなく名残惜しそうな声音でそう問うてみるが、返って来たのは睥睨。
「何の事かしら?」
「えっ? いやだから、あの格好――」
「な・ん・の・こ・と・か・し・ら?」
今までに感じたことのない強烈な威圧感の籠った、小気味よいリズムで刻まれる恫喝。
夕焼けを背景ににこりと笑顔を浮かべているという中々絵になる光景の筈が、どうにも目が笑っていなくて恐怖の映像に成り果てている。
これ以上追及したら殺す――言外にそう匂わせているライラの圧に屈したレイは。
「……な、何でもないです」
目を反らしながら回答。その回答に満足したのか、ライラは「よろしい」と今度こそに他意の無いにこやかな笑みを湛える。
「それよりアレ、見なさいよ」
そう言って、窓の外を親指で指し示すライラ。
怪訝な表情を浮かべつつも、レイはゆらりと立ち上がっては窓の方へ。そして促されるがまま、指示された方へ視線を向けて――ぼんやりとしていた瞳は一気に開かれた。
「――なっ!? 何ですか、あの物々しい感じ?」
「凄いわよねぇ……大袈裟というか。犯罪者二人――しかも片方は小娘なのに、この騒ぎ」
「小娘? ……って、まさか!?」
「そう。あれは私たちで捕まえたあの二人、バルとリリーエラの護送作業よ。で、君が遭遇したあの一団が、その護送を担当する兵士たち」
「……のようですね。あの装備、忘れる方が無理ってモノです」
確認できるだけで、用意された車両は五台以上。兵の数も、ざっと見ただけで数十から、もしかすれば百名を超えているかも知れない。
確かにリリーエラたちは叛乱を計画こそしたが、実行に移したワケではなく死傷者が出たワケでもない。だというのに、まるで大物犯罪者を護送するかのようなこの厳重警戒態勢は、何というかリリーエラたちの抵抗を恐れているというよりも別の目的……例えば外部からの視線を遮り情報を遮断しているかのようにこそ見える。
「不自然過ぎますね……何で、こんな大事に?」
「さぁね?」
「さぁねって、そんな他人事みたいな」
「実際、他人事よ。だって、私たちはもう捜査担当の任も外されたんだから」
「……えっ? 今、何と?」
「何度も言わせないでよ。私には、本件に関して一切関与を禁じる命令が下ったの。同時に、部屋にあった情報端末や紙資料も全て押収された。君の端末も、持っていかれたわよ」
「えっ?」
言われて、慌ててポケットを探すレイだが、確かにポケットから端末の姿が消えている。
デスクを見れば、確かに綺麗になっている。だがそれは、整理整頓が行き届いているなどという生易しい次元ではなくて、本当に何もかもが無くなっている。
「何ですか? この徹底ぶりは……どういうことですか?」
「うるさい。いいから黙って、これにサインして」
そう言って、ライラが差し出してきた一枚の書類。ペラ紙一枚のそれには仰々しくて堅苦しい文言とRSPの紋章が並び、最後はRSP長官の署名捺印で締め括られている。
恐る恐る受け取って内容に目を通してみれば、思わず瞠目。
要約すると事件に関して捜査上知り得た情報を一生涯秘匿し続けて、他言は勿論文書にすることさえも禁ずる。当然、この事件に関して一切関わることも禁止する。もしもこの禁止事項を破った場合には、厳正な処罰を与えるという物々しい一文で結ばれていた。
記された日付は今日で、捺印の朱肉もまだ乾き切っていない。つまり、作成されて間もないのは明白であり、だがその書類にライラはもう署名を済ませた後だった。
何が何だか分からないと、レイは困惑から頭を抱えて。
「……ど、どうなっているんですか? これは一体?」
「どうもこうも無い。私たちには他人事で、関係ない話だわ」
「関係、ない? 逮捕して取り調べまで担当させておいて、いきなり関係ない?」
「そうよ。組織とは、そういうもの。上の気分次第で、下々の命運は簡単に変わるわ」
「……無茶苦茶だ。こんなの、おかしいですよ!」
「どう思うかは自由だけど、これが現実。もう、私たちに出来ることは何も無いの」
「これでいいんですか? ライラさんは、こんな終わり方で満足なんですか?」
「だから、もうどうしようも無いって言っているでしょ? しつこいわね……」
覇気のない声でそう零し、さっさと目線を逸らすライラ。
普段の彼女からはあまりにもかけ離れたその振る舞いに、レイは思わず語気を強める。
「どうしたんですか? いつもの貴女なら、こんな不条理を突き付けられても敢然と立ち向かうハズなのに、どうして今回は黙っているんですか? ……ライラさんらしくない!」
「――っ!?」
ガバッとレイの方へ振り返ったライラの目は怒りに満ちていて。その怒りに突き動かされる様に突然レイの胸倉を掴んだかと思えば、そのまま壁に背中を叩き付けられて。極めつけには拳銃を抜いて、その銃口をレイに向けてくる。
「ら、ライラさん?」
「私らしくない? 何ソレ、厭味? 私が普段から下らない意地を張っているせいでこんなことになったっていう、そういう意味合い? そうやって、君まで私が悪いって?」
「えっ? ライラさんが意地を張ったせいで? それ、どういう意味ですか?」
困惑から震えた声で紡がれるレイの疑問。
その声とその眼差しに、ライラはハッとしたように胸倉から手を放して銃を引く。
「……ごめん。感情的になり過ぎた」
「どうしたんですか、ライラさん? 本当に、一体何があったんですか?」
レイの声音は、心底心配しているかのような色を帯びている。
ライラは唇を噛み締めて、どこか悔しげに震えていて。でも、そんなレイの様子に観念でもしたのか、大きな溜息を一つ零すと手近な椅子に腰掛けて両手で顔を覆い。
「……ごめん。こうなったのは、全部私のせいなの」
弱弱しい口調で、そう呟いた。
そして彼女は、全てを語り出した。レイが気絶している間に起こった全ての事を。
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