第25話

 少年がライラの指揮下に入ってから、約半月が過ぎた頃。


 新雪を思わせる壮麗な白亜の外壁とそれを彩る豪奢な金細工が目を惹く宮殿の広大な庭には、数万に及ぶ民衆が集結可能な広場が設けられている。普段国王が国民へ演説を行う場か、或いは可決された法律の開示や国家の指針の告示を行う場所として利用されるが、今日は普段とは異なる実に変則的で珍しい用途で利用されていた。


「被告二名は、私益のために王族を侮辱する言動の数々を繰り返し、更には国家を転覆させんと凶行を計画し実行した。当該事案が全て事実であると、当裁判は認定する。

 結果として神聖不可侵たる王族の権威は屈辱的な言動の数々によって大きく傷つけられ、更には引き起こされた愚行によって数多の尊い命が失われた。その社会的影響は甚大であり、責任は極めて大きく情状酌量の余地は認められない。

 よって、当裁判は厳罰を持って断固として対処するべきであると認定。国王であるこ のルートヴィヒ=フォームベルク=アクローリアの名の下に、被告人ヨシフ=イギールとその妻アン=イギールの二名に対して死刑判決を下すものとする」


 宮殿前広場に詰めかけた国民の数は、本来想定されている収容可能人数を大幅に上回っており。犇めく国民の様子が、この裁判への注目度の高さを物語っている。

 注目の的である国家への反逆を企てた大罪人のイギール夫妻へ裁判は遂に結審。

 煌めく黄金の王冠を頂き、緞帳を思わせる深紅のマントを羽織った白髪に白髭が印象的なアクロー王国の国王・ルートヴィヒの審判を下す威厳ある声が木霊した瞬間、詰めかけた大観衆からは罪人の死刑を喜ぶ歓声と罪人を中傷する罵詈雑言の怒声が湧き怒る。

 厳粛な審判の場は、まさに混沌を極めていた。

 だが――


「傍聴者よ、静粛にせよ! 被告二名の処刑は即日、この広場にて公開で行うこととする。裁きは国王たる余が自ら担い、被告二名は執行までこの広間に留め置く。以上である!」


 国王の力強い言葉で騒然とした広場は沈黙。その沈黙の中、国王は一時退廷。彼に続き他の王族貴族や裁判官や検察に至るまでの裁判の中心人物たちが次々と退廷していく。

 なお、退廷者の中にイギール夫妻の弁護人に当たる人物はいない。この裁判でイギール夫妻は弁護人を付けることは許されなかったから。弁護人だけではない。口に猿轡を嵌められる無様を晒した彼らには、一切の発言も許されていなかった。

 裁判の公平性等あったモノではない一方的な裁判だが、公正性を欠いているなどと訴える者は一人もいない。司法の有識者にも民衆にも、無論犠牲者の親族からも。

 つまるところ結果が最初から決まっている儀式的裁判でしかない。その茶番を終えた広場には王国側の人間はいなくなり、残されたのは拘束で身動きできず晒し者となったイギール夫妻とその警護並びに広間の運営を行う王国軍の兵士と警官。

 そしてあとは、立派な広間が一杯になるくらいに詰めかけた民衆だけ。

 古今東西、許されざる罪を犯した咎人を前にした民衆の間で醸成されて巨大に膨れ上がった民意は暴走するモノと相場が決まっている。制御できる者がいれば話は別だが、それが出来るのは無知なる国民より神の如く崇められる国王のみで、彼は今ここにはいない。

 そうなればもう、これからどうなるかなど火を見るよりも明らか。


「この罪人が! これでも喰らえ!」


 誰ともなく上げた怒りの叫び声。

 同時に投じられた石ころは空を切って真っ直ぐ飛翔し、大勢の民衆の前に晒し者にされたヨシフの顔面に直撃。額に傷を負ったヨシフは、傷口から赤い血を滴らせる。

 彼の頬を伝う赤い血は王宮の石畳に滴り落ちて、それが開始の合図となったかの如く。


「国を揺るがさんとした大悪人を許すな!」

「神の生き写したる国王を侮辱するなんて、この非国民め!」

「お前たちに唆されたせいで、俺の友人は死んだ……死ね……死んで償え、クズ野郎!」

「私の旦那を返して! ……返してよ、この極悪人共がっ!」


 堰を切ったかのように止めどなく沸き起こる罵詈雑言の嵐と、共に雨霰と降り注ぐ石礫。イギール夫妻に身を守る術など無く、静かに心無い言葉と石礫に打たれ続けるしかない。

 最早暴動と呼んで差し支えないほど荒廃した惨状だが、事ここに至ってもなお、王国軍も警官も沈黙を貫いたまま。精々民衆が既定のラインを越えてこないように制止する程度で、宥めたり制止したりと事態を鎮静化しようする動きも素振りも見えない。

 尤も、止める理由も無ければ、止めることも出来ないというべきか。

 夥しい被害を出したこの事件を、軍も警察も未然に防ぐことは愚か迅速に逮捕・壊滅させることも出来なかった。結果軍や警察のメンツは丸潰れで、軍や警察にとっては仇敵に等しい犯罪者を必死に守る気など起こる筈もない。

 加えて、ルートヴィヒを始めとした王国政府側の人間も、罪人の烙印を押された人間を感情的な民衆の前に晒せばどうなるかなど予測済み。承知の上で、敢えて晒し者にした。

 感情に支配された民衆から向けられる怒りと、激しい感情が齎す残虐行為。それが同様の犯罪を企図する者たちへの抑止となることを期待して。要するに、見せしめである。

 また、民衆の激しい憤りをぶつけて発散させる先もきちんと用意してやらなければ、行き場のない怒りが暴発してその矛先が王政府に向けられては困る。王政府としては、民衆の怒りをイギール夫妻に叩き付けさせる儀式が必要不可欠だった。

 だからこそのこの処置であり、当然政府は軍や警官へ『民衆を制止する必要はない』と通達している。国に忠節を誓う軍や警官たちが、政府の命令に異議を挟むことはない。

 故に猶の事、罪人がどれだけ石を投げつけられて口汚く罵られようとも素知らぬふりで沈黙を決め込むのみ。幸か不幸か、相手は仇敵。彼らの良心も痛みはしないのだろう。

 強権的に制止されなければ、怒りや憎悪という強い感情に突き動かされる民衆のボルテージに歯止めなど聞く筈がない。あとはもう、際限なくエスカレートしていくだけ。

 足元に石が無くなればゴミを投げつけ、ゴミが無ければ靴を投げ。仕舞いにいよいよ投げるモノが無くなってもなお、口汚い憎悪の言葉と呪詛の念を投じ続ける。

感情に任せた私的制裁は延々と続き、その様子はまさに凄惨の一言。

 民衆の放つ負のエネルギーと熱気は圧倒されてしまいそうに強烈であり。


「……これだけの悪意と憎悪が、たった二人に向けられるなんて」


 民衆の中に紛れて様子を伺っていた少年は、力なきか細い声で小さく呟く。

 ショックを受けたような、困惑しているような、そんな表情と共に。


「驚いた? まぁ、無理もないわよ。アレだけ恨みを買えば。尤も、ここにいる全員が全員、事件の被害者かそこに近しい者たちとは限らないけどね」


 ライラの淡々とした言葉に、少年は怪訝な表情。


「どういうことですか? 皆、近しい人を傷付けられて怒っているのでは?」

「事件に無関係でも、義憤だの正義感だのに駆られただの、或いはこの騒動をただ愉しんでいるだの、そんな理由で石投げているヤツもいるかも知れない」

「何もされていなくとも、怒りをぶつけて傷付けるんですか? ……何のために?」

「それは勿論、人間は批難糾弾されるべき者を見つければ寄って集って袋叩きにしたくなる生き物だから。実害を被っていなくとも、攻撃したくなる。自分は正義だと思えるから。

 正義の名の下に他人を攻撃すると、優越感とか高揚感を味わえる。要するに、気持ちいいのよ。口に出して言わなくとも、こうして誰かを非難し糾弾するのが皆大好きなの。

 当の自分は批難も糾弾もされたくないと思っている癖に、ね。人にされて嫌なことはするなってよく言うけど、結局皆人にされて嫌なことを平気でするの。まさに歪んだ心理、その究極形が今見ているこの景色よ」


 険しい表情で吐き捨てるようにそう言い放つライラ様子に、少年は何も言えなくなって。そんな少年の沈黙に気付いて、ライラはどこか気恥ずかしそうな表情を浮かべ。


「つい語り過ぎちゃったわね。でも、覚えておくといいわ。正義に守る価値など無いの。正義を守ったところで、待ち受ける結末はこんなモノ。醜いったらありゃしない」

「正義を守らないなら、一体何を守るんですか?」

「それはね……治安と平穏、そしてより多くの人命よ。警官は多くの民衆を守るために、一部の治安を乱す犯罪者を始末する。軍は国民の平穏な生活を守るために、敵軍と戦う。そして治安と平穏と人命を守るために、これから――」


 言い止して、ライラはやおらにイギール夫妻の居る方を指さす。

 指し示す方へ視線を向ければ、イギール夫妻の元へ歩み寄るルートヴィヒ国王の姿。


「皆、静粛に! これより、朕自ら処刑を執り行う」


 ルートヴィヒの大喝が木霊する。瞬間民衆は、水を打ったように静まり返った。

既に民衆からの怒りの投石で罪人は放って置いても死にそう程に無惨な姿ではあるが、無論それで終わりとはならない。

 罪人を晒したのは見せしめのためであり、民衆の暴力を容認したのは民衆を吐き出させるため。断じて、原始的な方法による処刑を民衆に代行させるためではない。

 国民の命を奪う行動は国家にのみ許された所謂特権であり、それを国民に代行されたとあっては国家の沽券に関わり秩序の崩壊にも繋がるのだから。

 しかし、早期に暴力を制止して民衆の感情に消化不良感を残してはマズい。

 だからこそ、イギール夫妻が死んでしまう寸前かつ民衆の怒りのボルテージが一先ずは下降の兆しを見せた絶妙なタイミングを見計らって、今この瞬間に国王は現れたのだろう。


「執行人よ、ここへ!」


 ルートヴィヒの指示に従い、二人の大男が現れる。

 身の丈ほどの巨大な斧を手にした彼らは、目元だけくりぬかれた漆黒の覆面にズボン姿で上半身裸という異様な格好。しかし一糸纏わぬ上半身は筋肉逞しく実に屈強であり、全身より漲るその力強さは処刑人という役割に恥じぬ貫禄を有していた。


「断罪の斧に、神の聖なる加護を。今、現人神たる朕が断罪の斧に祝福の焔を授けん!」


 二人の処刑人は、手にした大斧を国王の目線の高さに掲げる。

 その斧の刃にルートヴィヒが手を翳すと、突然火が灯る。鈍色の斧が紅蓮の焔を纏う様子はどこか神秘的で美しく、その中々に心を打つ演出に民衆は驚きどよめいて感嘆。


「祝福の焔は灯った。処刑人たちよ、断罪の時ぞ! 神の祝福を受けしその聖なる斧で罪深き者たちの首を断ち、その罪を浄化せよ!」

「「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」」


 高らかに宣誓する国王の声に、二人の処刑人は野太い声で雄叫び。

 同時に壇上の兵士はヨシフとアンの体を、首を落としやすいよう前のめりに固定する。その間も夫妻は揃って涙ながらに首を振りながら必死に何かを喋るのだが、猿轡が邪魔をしてその叫びは声にならない。ただ耳障りの悪い嗚咽か、或いは辞世の言葉が命乞いか。何れにせよ、聞く耳持つ者も興味を持つ者も誰一人いはしない。その証拠に二人の猿轡は外されず、最後の言葉を述べる自由すらも与えられることはなかった。

 通常あり得ない事だが、それだけ夫妻の罪に対する国中の怒りが凄まじいということ。それほどの怒りを買って、憎しみを向けられた大罪人――その最後の時は、遂に来る。


「いぞや、審判の時! やれ!」


 ルートヴィヒの短く小さな、淡々とした命令をしかと聞き届けた二人の処刑人は、阿吽の呼吸で寸分の狂いなく同時に大斧を大上段から振り下ろす。


「――ぐぇっ!?」

「――ぐぎゃっ!?」


 猿轡越しでも伝わるくらい大きな、しかし短い断末魔の悲鳴だった。

 まるで蛙が轢殺された瞬間の如き醜い悲鳴と共に、夫妻の首は同時に宙へ。滞空しながら数度回転して、重力に引かれるように地面へ。ボトリという嫌な音が、明瞭に響く。

 だが、地面に落ちた首からも、首を喪った体からも、血は流れ出さない。斧が纏いし焔、その灼熱が肉を一瞬で焼いて傷を塞いでしまったから。


「裁きは、下った! 民衆よ、喜べ! 民衆よ、祝え! 悪はここに滅んだ。正義は我らにあり! 神の子たる国王ルートヴィヒ=フォームベルク=アクローリアが健在の限り、この国に悪が蔓延ることはない! これはその誓いの証なり!」


 熱を帯びた声で叫ぶルートヴィヒ。

 その背後では兵士たちが長柄の穂先に夫妻の首を刺して堂々と高く掲げ、同時に民衆からは割れんばかりの熱狂を帯びた歓声が上がる。

 国王がどれだけ支持を集めているかの証左であり、同時に処された罪人がどれだけ嫌悪と憎悪を集めていたかの証。だからこそ二人は、罪人が辿る末路としては最悪な公開断頭からの晒し首という後世にまで語り継がれる恥辱に満ちた無様な末路を辿ったのだろう。

 そして如何に因果応報とはいえども、悲惨な末路を両親が辿ったのだ。

 普通なら憎悪か憤慨か、或いは悲壮か動揺くらいは見せてもいい筈だが――


「あらあら。義理でも両親が無残で悲惨な死に様を晒したというのに、実に冷淡じゃない。或いは、冷酷とでも言うべきかしら?」


 隣で眺めていたライラがそう零すほどに、少年の顔は実に無表情。

 いっそ鉄仮面でも被っているのではないかというほどに、眉根一つ動かすことはなく。


「彼らの無様な末路をしっかりと見届けろと言ったのは、ライラさんじゃないですか」

「それはそうだけど、泣くなとまで言った覚えはないわ。泣きたいなら、泣いてもいいのよ? あぁ、そうだ。もしもお望みなら、胸でも貸してあげましょうか?」


 そう言って小さく手を広げるライラから、レイは素っ気なく視線を反らすと。


「冗談は止してください。俺に彼らの死を悲しんで泣くほどの情が残っているとでも?」

「勿論、思うわよ。実際、君は内心では動揺も憤怒もしている」

「何を根拠に、そんなことを――」

「あまり強く握り過ぎると、後で止血が面倒になるわよ。大事な手なんだから、大切にね」

「――っ!?」


 顔色は、確かに変わっていない。口調も態度も、まるで変化を見せない。

 だが、それでも一切動揺しないというのはやはり難しい。

 無理もない。裏切られても、関係は変わらない。例え辛苦が多くとも、積み上げて来た思い出だって確かにある。多少なりとも情のあった者たちの無惨な死を目の当たりにして何も思わないほど、心を閉ざし無にすることなど彼には出来ない。

 それが出来るようになるには、まだあまりにも若過ぎた。


「……うっ……くっ!」


 ライラに看破されたせいか、極まった感情はどっと押し寄せて来て。

 それでもなお必死に痩せ我慢を続けているうちに、吐き気を催すほどに気分が優れなくなって足元もふらついて倒れそうに。そんな少年を、ライラは優しく抱き止めて。


「バカね。子供の癖に、我慢なんかしちゃって」

「……でも……でも俺は……俺は……すみません……」

「何で謝るの? 謝ることなんか、何も無いわ。それは人として、ごく自然の反応よ」


 ライラの声は優しくて、慈愛に満ちていた。それこそ、少年が思わず心を許すほどに。


「……ありがとう……ございます」


 小さく呟き、少年はゆっくり目を閉じる。

 密かに死を悼むその一筋の涙を、誰にも悟らせるほど静かに流しながら。

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