第26話


「――とまぁ、こんな具合だな。やれやれ、長く語り過ぎた……って、おいおい」


 見れば、リリーエラはめそめそと泣いていた。

 そんな彼女に、レイは嘆息交じりにポケットから取り出したハンカチを差し出して。


「泣かせるつもりは無かったんだが?」

「うるさいっ! 別に、泣いてない……泣いてないってば!」


 そう言いつつ、ハンカチをひったくって目元に当てるリーエラ。

 これにはレイも、やれやれとばかりに肩を竦めつつ。


「でも、流石に分かって貰えたと思う。どれほど立派な志や崇高な理想があったとしても、暴力では何も変えられない。ただ反発と嘆きと怒りと、そして後悔を招くだけだ」

「それは……そうなんだろうな。でも、あたしはやっぱりそれでいいとは思えない」

「何故だ?」

「だってそれって、あたしたちは何をされても逆らわずに我慢し続けろってことだろ? 世界のため国のため王族や貴族のため、苦しくても辛くても黙って耐えろってことだろ? それで、本当に正しいって言えんのか? それで平和だって言えんのか?」


 灰の瞳で真っ直ぐレイを見据えつつ、キッパリと力強く言い放つリリーエラ。

その威風堂々な口振りと力強い意思を漲らせた気迫、どこかで見たような気がする。

 さて、どこだったか……あぁ、そうだ。

 義父母の処刑の時に、民衆の前で見せた国王の威光。力で高圧的に従わせるのではなく、威厳と畏怖と尊敬を以て民衆に支持されていた君主の姿――それと、何故か妙に重なる。

 人に称賛され人に崇められるに値する器、光輝いているように見えるそれを人はカリスマとでも呼ぶのだろう。そしてそれはレイには勿論、ヨシフにもアンにも無かった。誰でも持てるわけではない途轍もない何か、今の高潔で凛々しいリリーエラにはある。

 だからこそ、だろうか。いつの間にか口角を釣り上げて「そうか……」と零していた。


「何だよ、その反応。どうせ『まだそんなこと言っているのか、このバカは』とでも思っているんだろ? 悪かったな、バカで」

「勝手に人の心を想像するな。でもまぁ、確かにバカだとは思うけどな。その上向こう見ずで無鉄砲で直情的と、ハッキリ言って一番騙されやすく流されそうなタイプだな」

「なっ!? て、てんめぇ――」

「でも、意外と大きなことを成し遂げていくのは、そういう純粋なバカなのかも知れない。そしてお前みたいなヤツの直向きや情熱こそが、理想を掴み取る原動力なのかも知れない」

「――えっ?」


 呆けたリリーエラ。そ顔を一瞥すると、レイは徐にゆっくりと立ち上がり。


「お前の言うことは、俺も正しいと思う。皆が理不尽や不条理を我慢して、その上で一部の人間だけが平和で豊かな生活を送る――それが良いことだと、平和だと、俺も思わない。

 でも、だからこそだ。折角目指す理想が正しくとも、やり方を間違えれば全て台無しだ。何もかもが狂っていって、狂えば最後は不幸で惨めな結末だけが残る。被害者は延々と終わることのない怒りと喪失に、加害者は死ぬまで抱え続ける後悔と絶望に苛まれる結末が」

「……レイ」

「まぁ、その不幸な結末を招いた俺自身が言えた義理ではないが……後悔塗れの俺は、未だに答えを見つけられていない。どうすればよかったのか、どうするべきか、幾ら考えても俺には分からない。答えなんか無いんじゃないかって、そうとすら思えてくる。

 でも、お前なら見付けられるかも知れない。俺には得られなかった答えを、俺とは違う結末を、果てに待つ輝かしい未来を、お前なら掴めるかもしれない。だから、そのままでいいと思う。真っ直ぐなまま、突き進んでくれ。お前は、俺たちとは違う道を行くんだ」

「……あぁ、分かったよ。あたし、やってみる」

「さて、長居が過ぎたようだな。これから尋問って気分でもない。悪いが今日も失礼する」


 そうして、リリーエラに背中を向けて歩き出すレイ。

 しかし、その背中に向かって。


「明日! ……明日も、会えるか?」


 尻すぼみに小さくなっていくリリーエラの問いが投げかけられる。

 するとレイは、静かに振り返り。


「あぁ、勿論。何せ、要件は何も済んでいないからな」

「要件? ……って、何のことだ?」


 小首を傾げ、頭の上に疑問符の浮かんでいるような表情。これにはレイも思わず苦笑。


「お前、俺が何しにここに来たか忘れたのか? 取り調べだよ、取り調べ。まぁ、二日連続脱線してしまったせいではあるけど、俺の本来の役割はお前への事情聴取だ」

「……あっ!」


 苦い表情と渋い声で小さく零して、今度はリリーエラが苦笑。


「そうだったな。すっかり話に入り込んで、忘れていた」

「お前なぁ……まぁ、いいさ。お前の性根と未来への姿勢はそのままでいいとは思うが、過去は別。過去への清算と決別はしないとな。理想の未来へ向かうためにも」

「……あぁ、そうだな」


 シュンとした表情のリリーエラ。

 その彼女の表情を見た瞬間、レイは思わず目を見開いて息を呑む。昨日むくれ面を見た時にも思った。どこか見覚えのある顔だと。その感覚が、また襲ってくる。

 しかし、そんな感覚を覚える理由が分からない。リリーエラとは知り合ったばかりで、以前に面識もない。個人記録を読み漁ったのだから間違いはない……が、沸き起こる感傷も間違いだとは思えなくて。摩訶不思議で奇妙な感覚にレイは翻弄される。


「……い? おーい? おいってば!」

「――っ!? えっ?」

「えっ? じゃねえよ。どうした? いきなりボーっとして?」


 心配そうにレイを覗き込むリリーエラの顔で、漸く我に返るレイ。


「いや、別に何でもない」

「何でもないって、そうは見えないぞ? ええっと……」


 心底心配そうな表情で、リリーエラはレイの額へ手を伸ばす。

 同時に自分の額に手を当てながら、「ふむ……」と思案顔。


「何か、すこーし熱が高いような……やっぱり、具合悪いんじゃないか? まぁ、仕事熱心もいいけど、体壊すほどってのは感心しないな。自分の体、しっかり労われよ」

「……ふっ! ふふ……」

「あっ! お前、今笑ったな? 何笑ってんだよ?」

「いや、別に……笑ってな……ふふふ……あはははは!」

「嘘吐け、ガッツリ笑ってんじゃねえか! 何だよ? 何がそんなに可笑しいんだよ!」

「悪い悪い。お前って性根はホントにいいヤツなんだな、って思ってな」

「はぁ!? お前、バカにしてんのか? というか、お前だけには言われたくないぞ! お前だって、十分変でワケ分かんないからな!」

「……何だと? 聞き捨てならないな。俺のどこが変だと?」

「全部変だろうが! 頑固でドライで淡々としてんのかと思えば、突然怖がったり狼狽したり震えたり。挙句の果てにいきなり笑いだすんだぞ? どう考えても変だろ?」

「それはっ! ……まぁ、そう……かも?」

「かもじゃなくて、変なんだよ! 紛うことなき変人だ!」

「そこまで言わなくてもいいだろうが! 自分だって変人の癖に!」

「変人に変人って言われたくねぇよ、このド変人!」

「うるせぇよ、このドド変人!」

「誰がドド変人だ! 変な呼び方すんじゃねえよ、こんのぉ……」

「何だ? 喧嘩なら負けないが? コテンパンにしてやる」

「上等だ! 今度はあたしが泣かせてやるよ!」

「出来るモノか。三回も泣かされている癖に」

「う、うるせぇ! あと、一回目はあの偉そうな銀髪女であって、お前じゃない!」


 狭い独房に木霊する二人の言い合いとバチバチと火花を散らす睨み合い――それはまさしく、これ以上ないくらいレベルの低い子供同士の他愛もない喧嘩でしかない。

 だからこそ、終わりが来るのも突然で。


「「……ぶっ! あははははははははははははははははははっ!」」


 どちらともなく噴き出す二人。腹を抱えて笑い合い、二人の目には涙が浮かぶ。


「あーっ、おっかしい! 警察にも、お前みたいな変なヤツもいるんだな」

「子供の癖に国を転覆させようって組織にいる方が、充分変だ」

「それはお互い様だろ? なぁ、先輩」

「何の話かな? あれはあくまで『ある男』の話で、俺の事じゃない」

「無理のある言い分だな。そう言い張るには、主観入り過ぎだ」

「……気のせいだ。さて、今日は帰るとしようかな」

「あっ! 待て、こら!」


 吊り上がった口角を隠すように、レイはリリーエラに背を向けたまま静かにドアを開けて何も言わずに出ていく。


「逃げやがった……まぁいいさ。また明日また来るらしいし。それにしても――」

「やれやれ、世話の焼けるガキだ。しかし、まぁ――」

「「全く、変なヤツだな……アイツは」」


 分厚い独房のドア越しに、二人の独白が交差する。

 小さい呟きで、独房の分厚いドアを超えて互いに聞こえたワケではない。

 でも、二人は同じ顔をしていた。困ったような、それでいてどこか嬉しそうな顔を。

 しかし、そんな表情も束の間。


「出てきたようだな。丁度いい。ノックをする手間が省けた」

「――っ!?」


 ドアの前に佇むレイに声を掛ける高慢で尊大な態度の男と、その背後に控える一団。その揃いの服装と装備で統一されていて、レイたちRSP関係者のモノとは全然違う。

 こいつら、軍人か――彼らの服装と装備に佇まいから、レイは瞬間そう確信する。

 それにしても、如何に国軍の人間といえどもここはRSPの庁内で軍の管轄外。要するに部外者たる彼らには多少の遠慮くらいはあって然るべきところだが、微塵も感じられず我が物顔で堂々としている。何より、彼らの纏うどこか異様で危険で剣呑な雰囲気。

 不自然過ぎる違和感を感じ取ったレイは、警戒心丸出しの険しい表情で彼らを睨んだ。

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