第24話

 光の無い虚無の瞳から涙を滴らせながら懸命に訴える。

 掲げていた正義は潰えた。いいや、そもそも存在しなかった。

 正義の無い行いを償う方法、それが何も思い浮かばない。

 でも、身動きの取れない今の状態では自決もままならない。だから、必死に懇願する。恥も外聞も、何もかも全てをかなぐり捨てて。

 だが、そんな少年の無心の願いに対して、ライラは静かに。


「ダメよ。私に君を殺す権限は無いし、この国の司法も君を殺してはくれない。法律上、未成年時の犯罪を根拠に死刑判決は下せないっていう規定があるからね」


 小さく、呟くように答えた。少年とって、これ以上ないほどに絶望的な答えを。


「……お願いだ……いや、お願いします! お願いしますお願いしますお願いします! 殺して……下さい。どんな手段でも――いいや、出来る限りむごく辛い方法で……頼む!」

「だから、無理だってば。大体、死んで何になるのよ?」

「でもそれしか! それしか思い浮かばない! 全部、紛い物だった。命を奪ってまで貫く価値など無かった。とんでもない罪を背負ってしまった。それを償うには、奪ってしまった命に対して俺が出来ることは、もうそれくらいしか――」


 少年の涙ながらの懇願。その言葉の途中で遮るようにして響く甲高い音と共に頬に感じるじんわりとした痛みを噛み締めて、漸く少年は自分がライラに叩かれたのだということを理解するに至った。


「甘ったれないでよ。反吐が出るから。死んで罪を償う? 何よ、それ。君一人の命で、背負った罪を全て償えるとでも? 失われた数多の命と釣り合うとでも?」

「――っ!? いっ、いや……そんなことは言っていない」

「いいえ、違う。自覚がないだけで、君はそう言っている。全く、逆上せ上ったモノね。都合よく利用されていて、数多の嘘と疑惑に囲まれておきながら微塵も気付けなかった、救いようのない馬鹿な子供の分際で」


 少年の胸倉を掴みながら、ドスの利いた冷たい声でそう攻め立てるライラ。

 これにはどう返せばいいか分からなくて、少年は頼りなく目を泳がせるしか出来ない。そんな無気力となった少年に、ライラは好機とばかりに不敵な笑い顔。


「でも、どうしても罪を償いたいというのなら……たった一つだけあるわよ、その方法が」

「――っ!?」


 がばっと顔を上げたその目には、光が灯っている。

 それはまるで疑似餌に嬉しそうに食い付く飢えた魚のような素直さで、ライラは思わず笑みを零しそうになって必死に堪えている様子。

 しかし、そんな彼女の反応などお構いなしに、少年は必死に叫ぶ。


「……俺は……何をすれば……何をすればいい? 教えてくれ……教えてください!」

「あー、ハイハイ。簡単な話よ。多くの命を奪ってしまったならば、それ以上の命を救えばいい。奪った命が数百あるなら、数千の命を救えばいい。生きて罪に苦しみながら、それでも命を救い続けることが、君に出来る唯一の贖罪。他に罪を償う方法など無いわ」


 ライラの言葉に、貪欲に輝いていた瞳は一気に光を失い、露骨に残念そうな顔で萎む。


「何よ、そのガッカリしたような感じは。私の提案に文句でもあるワケ?」

「理屈はそうかも知れないけど、俺にどうしろと? 俺には、そんな事出来るワケない」

「何言っているのよ? あるじゃない。君には、多くの命を救い得る方法が」

「――えっ?」


 呆然とした瞳の少年へ、ライラは自身の腰元から取り出したとあるモノを差し出して。それを目にした瞬間、少年の目が大きく見開かれる。


「それは……俺の銃? 何で、お前が?」

「証拠品として押収していたの。全く、子供の癖に良い銃持っているじゃない。まぁ、価値とロマンはあっても、実用性は無さそうだけど。

 あぁ、あの最新式の軍用銃ならないわよ。生憎アレは、私が蹴り飛ばしたせいでどこかいっちゃってね。だから代わりにこれを。言うまでも無いけど、弾は入ってないわよ」


 そう言いながら、徐に少年の手に銃を握らせるライラ。

 当然ライラの行動、その意図をくみ取れない少年は目を丸くするしかない。


「お、おい……これは、一体どういう?」

「言ったでしょう? 命を救えと。君は自分には命を救う方法なんか無いって言ったけど、それは違う。君は戦えるでしょ? そして戦えるのならば、守れる筈よ。命を脅かそうとする敵から、脅威から。それは、そのための武器。そのために使いなさい」

「銃で戦うってことは、軍人にでもなれってことか?」

「うーん……それも悪くないけど、王国軍の採用は中々に厳しいわよ? 臨時の徴兵ならまだしも、平時の今は入隊条件に身辺清らかである事も求められる。脛に大きな傷のある人間は妙な軋轢を生みかねないし、何よりそんな疑惑の人間が公然と武装していることに世間は嫌悪感を示すもの。今の君では、軍部も入隊を渋る可能性が高いでしょうね。

 そしてそれは、警察も同じこと。いいえ、民衆に近い分身辺調査の厳しさは軍隊よりも遥かに上。今の君が希望しても、ほぼ確実に不採用でしょうね」

「……じゃあ、どうしろと? 軍も警察もダメじゃあ、後は傭兵にでもなるしか――」

「戦争屋ぁ? ダメダメ、論外でしょうが! 金のために戦争して人を殺していたら、それこそ君の父親と同じじゃない。……ねぇ君、本当に罪を償う気あるワケ?」

「あるさ! あるけど……でも、どうすれば?」


 苛立ち混じりにそう問えば、ライラはニコリと笑いながら自分を指さす。

 どういう意味か、一瞬理解出来なかったが……暫し考えて、漸くその意味を理解した。


「……えっ? い、イヤでも……まさか、そんなこと――」

「大丈夫よ。うちは非公開組織で、世間一般にはその存在を秘匿されている。だから脛に傷があろうが関係ない。まぁ逆に、現職の推薦だの紹介だのが無いと入れないんだけど」

「コネ必須って事か。で、アンタのコネで入れてくれると?」

「そういうこと。理解して貰えたようで、何よりだわ。で? どうする?」

「どうするって……いいのかよ? 俺なんか拾って」

「勿論。君の経験は、血生臭いこの職場では中々に重宝されるスキル。だから君は、何かと便利に使えそうだと思ってね。それに最悪死んでも、事後処理が楽そうだし」

「………………」

「あぁ、でも勿論無条件なんて上手い話はないわよ? 二つほど、条件を付けさせて貰う」

「条件? 言っておくけど、俺は金なんか無いぞ?」

「知っているわよ。というか、要らないわよ! 私こう見えて高給取りだし、実家も太いの。だから子供からはした金巻き上げるほど、落ちぶれても困窮もしてないってば」

「……庶民の敵って感じの物言いだな。高慢な物言いが鼻につく」

「何とでも。他人の僻みや嫉みなんか、まともに取り合うだけ無意味だからね。

さて、条件の話に戻るけど……まずは名前を変えて貰う。ありふれた名前だし、姓だけでいいかな? 流石に名の知れた犯罪者の姓を名乗らせたままってワケにはいかない」

「それは……いいさ、別に。姓など、何でもいい」

「あら、そう。まぁ、新しい姓は追々決めましょうか。で、二つ目だけど……」


 するとライラは、少年の顔をビシッと指さして。


「君、今日から私の忠実な部下になって。私に心から絶対服従し、私のために生き、私のために死ぬこと」

「はぁ? 何だ、それ? つまりは、今日からはアンタの奴隷になれってことか?」

「奴隷……その言い回しはイヤね。せめて忠臣とか臣下とか、百万歩譲って忠犬かしら?」

「忠犬!? ふ、ふざけんなっ! ていうか、それと奴隷の何が違うんだよ!」

「全然違う。強制的に従わされているか、或いは自分で選んで従うか――違いは大きいわ。自分で考え決断して道を切り開き、選択の結果に責任を持つこと……それこそが人生だと私は考えている。その点、君はまだ何も決めてすらいない。まだ、人生を生きていない。

 だから、君はこれから人生を始めて欲しい。そして、第一歩として決めて欲しいのよ。自尊心を守って罪人として死ぬか、或いは罪を償うために私に従うか。さぁ、どうする?」

「でも、流石に犬なんて……はそんなの、受け入れられるワケが――」

「いいでしょ、別に。犬は可愛いし、それにどうせもう罪に塗れた『人でなし』なんだし」

「――ぐっ!?」


 ズケズケと、容赦のない一言。それは少年の心に深々と突き刺さって。

 しかしそんな少年に、ライラはニヤニヤと笑みを浮かべると。


「さぁ、どうする? 大量殺人の罪人として罪に苛まれ続けて独房で生き続けるか、それとも忠犬になってでも罪を償って生きるか、君の道は二つに一つよ」

「……ぐっ! わ、わかった……なるよ。なればいいんだろ?」

「聞き間違い? なればいいんだろ? な・ら・せ・て・く・だ・さ・い、でしょうが!」


 ぬけぬけと言い放つその言葉に、少年は身を震わせつつ。

 しかし背に腹は代えられない。覚悟を決めて、深く深呼吸してから。


「……あ、貴女の忠犬にしてください……ご主人……様」

「なーんかぎこちないけど、まぁいいか。あと、ご主人様はやめて。気色悪いから」

「えっ? じゃあ、何て呼べば?」

「普通に『さん』付けでいいわよ」

「……ライラさん、でいいのか?」

「えぇ、上出来よ。……さてと。方針が決まれば、お次は――」


 慣れた手つきで手早く少年の拘束具を全て取り外すライラ。

 そして自由になったといころで、ライラはその手を差し伸べる。


「じゃあ、行きましょうか? 就職祝いってワケじゃないけど、良いモノ見せてあげる」

「……良いモノ?」

「来れば分かるわ。さぁ、急いで? モタモタしていると、間に合わなくなってしまう」


 ライラの顔と差し出された手を交互に見つめて逡巡し、そして結局少年はおずおずとした様子でライラの手を取る。そしてライラに手を引かれるままに尋問室から外へ出る。

 久方ぶりに目の当たりにする日の光は、心地よいくらいに暖かい。

 でも、目が潰れそうなほどに眩くて……少年は思わず不機嫌そうにその目を細めた。

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