第22話
「んぅ? あ、あれ?」
ふと、少年は目を覚ます。
どれくらい眠っていたのだろうか? もう分からない。今日が何日で、今何時かさえも。
だが、目を覚ますなり自分の置かれた状況だけは理解して仰天。赤い瞳を大きく見開く。
「――なっ、何だよ……これ?」
革製の固い椅子に座らされて、椅子に備え付けられた革のベルトで両手足と腹部は固定。完全に身動きが取れず、ジタバタと暴れてもベルトが千切れる様子も外れる兆しもない。
「くそっ! 取れろ……取れろよ、このっ!」
「うるさいわねぇ。あんまりガチャガチャ音立てないでくれない?」
暴れる少年へ向けられた、淡々とした声。
酷く聞き覚えのあるその声の主へ視線を向ければ、少年が縛り付けられている粗末なそれとはまるで違う優雅で立派な椅子に腰掛けながら、退屈そうな様子で書類に目を通す女性の姿。薄暗い月明りの下でもハッキリ見て取った、その特徴的な白銀の髪と藍の瞳を見間違えたりはしない。彼女を見た瞬間、まるで狛犬を思わせる程鋭い目付きで睨み付ける。
「き、貴様ぁ……」
「貴様ぁ? 失礼な子供ね。私にはライラってちゃんとした名前があるんだけど? 人の事は、きちんと名前で。そして目上の人にはさん付けで呼びなさい?」
「知るか、そんなこと! どうでもいいから、早く放せっ!」
「あーらら、可愛くないったら。全く、親の顔が見てみた――あぁ、育ての親の顔は見ていたわね。救いようのないクズの顔を」
「ふざけるな! 貴様、またお二人を侮辱するのか?」
「威勢のいいことで。可愛げもなければ、今自分が置かれた状況への理解も無いとはね」
「状況? ……なら、教えて貰おうか。ここはどこだ? 何故、俺はこんな場所に?」
「どこって、RSPの地下牢だけど? 君は私に逮捕されて、ここに収監されているの」
「逮捕……収監……じゃあ、もしかして――」
「もしかして、あの二人も逮捕されているんじゃ……って? ご名答。当然別室だけどね」
「…………まぁ、そうだろうな。室内の様子見れば、それくらいは流石に分かる」
「でしょうね。それで? 二人に会いたいかしら?」
「――っ!? 会えるのか?」
問われて、少年は驚きと期待の入り混じった瞳をライラに向ける。
だが、ライラはそんな少年を見つめながらニヤニヤと嗜虐的な笑みを浮かべて。
「冗談に決まっているでしょ? 面会の許可なんて、出るワケないでしょう」
「……おちょくっているのか!?」
「えぇ、そうよ。意外と揶揄い甲斐あって、楽しいわね」
「ふざけるな、このっ!」
ライラに飛び掛かろうとする少年だが、当然椅子の拘束具に邪魔されて動くこともままならない。それでもなおも必死な形相でライラに迫ろうとするが、ライラとの距離は縮まることはなく。ただ、ライラの嘲笑が何にも遮られることなく直接注がれるだけ。
「ふふふ……頑張っちゃって、可愛いわね」
「うるさいっ! 殺してやる……絶対に殺してやるからな!」
「無理無理。今の君には、何にも出来やしないって。でも逆に――」
目にも止まらぬ早い動きで銃を抜いて、その銃口をレイに突き付けるライラ。
銃口と共に向けられた冷めた瞳と殺気に、レイは思わず息を呑む。
「私は君を簡単に殺せるわよ? だから、死にたくないならあまり調子に乗らない事ね」
「……やりたければ、やればいい。覚悟は出来ている。死など恐れてはいない」
「さっきまで目を輝かせていたわりに、よく言うわね」
「…………ちっ!」
「それにしても、分からない。そんなにあの二人に会いたいの?」
「当然だろう? 何故そんなことを訊く?」
「君がされた仕打ちは、とても義理とはいえ親が子にする仕打ちじゃないもの。まるで愛情が感じられない。道具扱い……少なくとも人としては扱われていない感じだった」
「そ、そんなことは――」
「憂国の志と正義の心を都合よく利用されて革命の戦士に仕立て上げられ、その手で何人もの人を殺すように仕向けられ、挙句最後には保身のための捨て駒の役目を押し付けられる。とても愛のある真っ当な扱いとは思えないけど」
「……お前に、何が分かる? 何が分かるんだよっ!? 俺は愛されて、期待されて、信頼されていたんだ! だから……だからっ!」
レイの絶叫が、地下牢に木霊する。
するとライラは、冷めた表情で「ふーん」と零して。
「本当に、可哀想な子ね。君だけなーんにも分かっていないとは」
「な、何だと? どういう意味だ?」
「どうもこうも、君は愛されて期待されて信頼されていたなどと思い込んで利用されているような、ホントにおめでたくて救いようのない哀れな子供って意味よ」
そう言い放つライラの顔には、確かな憐憫の色が浮かんでいる。
その表情が、声音が、雰囲気が、彼女の言に嘘が無いと言っているようで。
でも、それを真正面から受け入れるなど到底できる筈もなく。
「て、適当言うな! そんなこと……そんなことがある筈ない!」
「声が上擦っているわよ。多少は自覚があったんじゃない? まぁ、どちらでもいいけど。いずれにしろ、君は知ることになる。私が突き付けるからね、厳しい現実を。
さーて……その現実と向き合った時、それでもまた同じことを言い続けられるかしら?精々楽しみにしておくわ。ムダだと思うけど」
言いたいことを言うだけ言って、ライラはさっさと踵を返して歩き出す。
「お、おい! どこに? どこに行く気だ?」
「どこって、帰るのよ。今日はこれ以上、ここにいる意味なんて無いからね。まぁ心配しなくても明日にはまた会いに戻るわよ。あぁ、そうだ。今日はゆっくり休んでおくといいわ。明日からは、多分寝られなくなるから。それじゃ、また明日」
後ろ手で軽くひらりと手を振って、悠然と地下牢を出ていくライラ。
「……何なんだ? 明日? 現実を突き付ける? 一体、アイツは何を?」
そして一人になったレイの頭には、ライラが残した不穏な言葉が絶えずグルグルと駆け巡る。今にして思えば、そうやって勝手に想像させて不安を抱かせるのが目的なのだろうが、当時の少年はそんな思惑など知ることはなく。まんまと不安を掻き立てられていた。
◇
翌日から、少年への拷問は始まった。
だがその目的は、何かを聞き出すためというワケでは無さそう。
痛めつける――何を聞くこともなく、何を確かめるでもなく、ただ甚振るだけが目的。
椅子に縛られた状態で鞭打たれ、塞がり切っていない左腕と肩の銃創を抉ったり、或いは睡眠を含めた一切の休みが取れないように金属具で首の角度を制限されたり……
確かに苦しい拷問ではあったが、それでも決して耐えられないモノではない。
少なくとも、革命戦士になるべく十年間も厳しい修練を積んできた少年からすれば。
だが、それはほんの一日だけの事。身体的な拷問を数時間に渡って行い、金属具で睡眠まで奪って行った翌日、またしてもライラはやって来た。軽薄な笑みを浮かべて。
「おはよう。気分はどうかしら?」
「……別に。アンタの生温い拷問なんかじゃ、特に何も感じないね」
「大の大人ですら発狂しても不思議じゃない状況だというのに、まだ元気そうで何よりだわ。まさに不撓不屈。革命戦士っていうのも、強ち名前負けってワケじゃあ無さそうね」
「……へっ! 褒められても、嬉しく……無いっての」
「褒めてないわよ、ちょっと呆れているだけで。でも、見込み通りと言えば見込み通りね」
手慣れた感じで首に装着された金属具を外しながら、そう言い放つライラ。
その言葉に、少年は思わず怪訝な表情を禁じ得ない。
「……な、何? それは、どういう意味だ?」
「昨日の拷問、アレはほんの挨拶代わりよ。本番は今日から始まるの。言ったでしょう? 現実を見せるって。さて、お待ちかねの現実直視タイムのお時間よ」
ゾッとするぐらいに邪悪な笑みを浮かべながら、その笑顔にふさわしくない酷く呑気な声でそう言ってのけるライラ。彼女はいったん外に出ると、台車を押して戻って来る。
「……それは?」
「見ての通り、映画用の映写機だけど? 映画、見たことあるでしょ?」
「……ないよ」
「えっ? 田舎の貧困家庭出身ならまだしも、あんなに裕福な家に住んでいて?」
「裕福なんかじゃないし、それに悪いかよ? 娯楽の類は、禁止されていたんだ」
「……あぁ、成程。よくある勘違い教育家系の方針ってヤツだ。娯楽は精神が弛むだの、軟弱だの、そんな下らない理屈で言いくるめられていたってところかしら?」
「どうでもいいだろ、そんなこと。で? 映写機なんか使って何するつもりだ? 昨日は散々鞭打ったから、今日は娯楽映画っていう飴で懐柔しようって、そういう肚か?」
皮肉交じりにそう言ってのけるレイ。
そんな可愛げのない振る舞いに、ライラは肩を竦ませながら鼻で嗤って。
「そんなワケないでしょう? 君がこれから目の当たりにするのは、娯楽のフィクションとは程遠い厳しいリアル。今日も、飴じゃなくて鞭よ」
「……どういうことだ?」
「見れば分かるわ。さぁ、厳しいリアリティショーの始まりよ」
延長ケーブルでどこからか電源を供給しているらしい映写機は、ライラの操作で映像を地下牢の壁に投射し始める。そうして、地下牢の壁狭しと映し出された映像は。
「――なっ! 何だよ、これ……」
「見ての通り残忍な犯行の映像。まるでケダモノね。おぞましいったらないわ」
侮蔑交じりに淡々と語るライラの言葉通り、映し出されたのは服装にも顔にも見覚えのある兵士たちによる目を覆いたくなるような惨劇。
彼らが襲撃しているのは明らかに貴族の館ではなく、どこか地方の田舎村。
加えて、襲われているのはどう見ても王族や貴族の関係者ではなく、無関係な民間人。同志たる革命戦士たちは、無抵抗の彼らに無慈悲で凄惨な暴行を加えで虐殺。残された女子供と老人のうち老人と男児をまるで的でも狙うかの様な軽薄さで嘲笑交じりに射殺。
年齢問わず男手を根絶やしにして抵抗力を奪えば、後はもう好き放題。家々に押入っては食料を奪って家畜を殺し、更には生き残った若い女たちは人妻や子連れから少女とその悉くを見境なく犯して尊厳を踏み躙り。最後には奪えるものを奪い尽くして満足したのか下品に哄笑しながら木造家屋へ火を点けてまわり、骸諸共に村を全焼させてしまった。
それは崇高な革命の理念からは程遠い、品性も道理もあったモノではない賊の所業。しかもそんな鬼畜の振舞をしているのが、共に戦った同胞たちという事実。
信じ難い映像を前に少年は呆然自失となり、痙攣の如き小刻みで首を横に振る。
「そ、そんな馬鹿な! 嘘だ……あり得ない! 捏造だ、こんなもの!」
「残念だけど、紛れもない事実よ。君たちの同行を調査していたこちらの捜査員が撮影した映像だから、間違いないわ。それに、少し考えれば辻褄が合うんじゃないの?」
「ど、どういう意味――」
「資金や物資を押さえていた夫妻と別行動を取っていたのなら、食料はどうしていたの? 兵隊共と事件時は一緒にいたと思うけど、それ以外の時間まで抜け目なく監視していたの? 武器の消耗具合はどう? 弾薬の減りが少し早いとは思わなかった? 隠れ家が内部密告で発覚したワケだけど、裏切り者は一体どこでこちら側と接点を持ったの?」
「――っ!?」
矢継ぎ早に繰り出されるライラの問いに、少年は目を見開いて硬直するばかり。
確かに、言われてみれば夫妻より支給された弾薬こそは相応潤沢だったが、食料はかなりカツカツの状況だった。それなのに『夫妻から金を預かっているから調達してくる』と言って、一部の革命戦士はいつもどこからともなく多くの食料を調達していた。
革命戦士達の数は、少年一人で管理監督するのは困難な数。故に自分の目の届かない範囲外で彼らが何をしていたのかを完全に把握できていたとは言い難い。
武器の消費も、外出時の護身用だから持たせてくれと言われていたハンドガンを中心に弾丸の減りはかなり早かった。実際、弾丸の減りが早いと苦言も呈していた。
沸き起こる疑問の数々、その答えがもしもこの映像だとしたら。
そして何より、革命戦士たちが調達してきた食料は少年も口にした。
ということは、即ち――考えた瞬間に襲ってくる、胸から口へ競り上がって来る感覚。
「――うっ! うぉえええええええええええええええええっ!」
耐え切れずに嘔吐した。腹の中身を、ほぼすべて。それだけ吐いてもまだ不快感は収まらず、更に嘔吐を続けて結局吐瀉物に血が混じる程に吐き続けた。
「あーらら、派手に吐いたわね。これは敵わないわ。流石に清掃の手配をしなきゃダメか。長居もしたくないし、今日はここまでにしましょうか」
鼻を摘まみながらそう言って、映写機の投射を停止するライラ。
そして台車を押して、吐瀉物を避けるようにして部屋を出ていく。
「その様子なら、睡眠禁止の拘束具は不要そうね。それじゃあ、また明日。良い夢を」
普段と変わらぬ軽快で厭味な声音でそう言い放つと、ライラはさっさと部屋を出ていく。
言葉通り、ライラは眠らせないようにするための首枷を付けていかなかった。
だが、首枷があっても無くても変わりはしない。今日に限っては。
「……うぅ……うぅううううう……うわぁあああああああああああああああああああ!」
無辜の民を救うためだと大義を掲げた革命闘争。
しかし実際には、当の自分たちが守るべき無辜の民を苦しめていた。
無論それらはあくまでもライラたち警察側の用意した証拠だが、真偽を確かめる術はなければ嘘だと断じられる材料もなく。寧ろ事実だと思える状況証拠ばかり思い浮かぶ始末。
結局映像を真実だと半ば無意識レベルで確信して、大義も無く苦しめた人たちへの居た堪れなさと罪の意識に正気を保っていられなくなった少年血を吐く様な絶叫が木霊する。
昨日、どれだけ自分の体を痛めつけられようとも叫び声を上げなかった。
そんな少年が尋問室に来て初めて上げた叫びであり、即ち精神の均衡を保っていられなくなったことを示す何よりの証左であった。
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