第21話
突入した近衛兵が必死に夫妻の遺体を探しているその頃。当の夫妻は少年を先頭に、真っ暗で視界の覚束ない地下道を懐中電灯の僅かな明かりを頼りに殆ど手探りで進んでいた。
室内が薄暗かったことに加えて夫妻の体の陰に隠れていたせいで、指揮官含む突入部隊には見えていなかった。だが実は、あの室内には脱出用の隠し通路の入口が存在していた。
銃撃が始まって同胞たる戦士たちが無惨にもバタバタと死んでいく横で、少年は咄嗟跳躍。夫妻を押し倒すようにして手早く隠し通路のドアへ飛び込むことで、何を逃れていた。
しかも、飛び込むと同時に抜け目なく入口を閉めて簡易だが施錠までしておく入念振り。結果、あの状況からまんまと逃走に成功して今に至っていた。
全ては同胞たる革命戦士たちが肉の壁となってくれたこと、敵部隊が必要以上に派手な銃撃をしてくれたことで室内の視界が土埃で更に損なわれてしまったこと。ついでに、耳を劈く銃撃音で隠し通路の開閉音が掻き消されたことも幸いしているか。
少年の咄嗟の機転と幾つも重なった奇跡的状況によって実現できた大脱出劇。
だが、流石にあの銃弾の嵐の中で三人全員が全くの無傷で済むほど物事は上手く運ばないもので。遂に見えた出入り口から降り注ぐ月明りを目の当たりにした頃、突然に。
「……うっ!」
苦悶に満ちたヨシフの呻き声。
「貴方!? どうしたの?」
「叔父上、如何なされましたか?」
夫を、叔父を、心配して労わるように声を掛ける二人。
だが、そんな声にヨシフは忌々しげな表情を浮かべ。突然少年の頬を容赦なく平手打つ。
「……お、叔父上?」
頬を押さえながら困惑する少年。彼にヨシフの月明りでもよく分かるくらいに鋭い憤怒と批判の眼差しが向けられる。
「全部……全部貴様のせいだ! 貴様の不甲斐なさが、我らをこんな目に遭わせたのだ!」
「そ、そんな……ですが――」
「黙れっ! 言い訳などするな。何故事前にあの裏切り者共を処刑しなかった! 何故連中の行動に目を光らせておかなかった! お前が部隊長として事態をしっかりと予見して、あの不届きな不穏分子共を処分しておけば……こんなことにはならなかったのだ!」
腹の底から轟く怒声は、静かで平穏な夜の空に響き渡って震わせんばかり。
物凄まじい激情に、少年は悟った。これはもう、自分が何を言っても無駄だと。
傍らで様子を見守るアンもまた、ヨシフに倣ってどこか批難交じりに少年を見つめる。味方はいないなら、今ここで出来る事は謝罪だけ。そこに中身の有無など、関わりない。
「……も、申し訳ございません。私の、監督不足でした」
「謝罪など要らぬ! 貴様の不始末でこれまでの歩みは全て台無しだ、このバカ者っ!」
今度は拳骨。でもそれを、避けることなく頬で甘んじて受ける。
頬の痛みと口の中に感じる血の味、何より弾丸が腕を軽く掠めたに過ぎないヨシフよりも遥かに重傷な左肩を貫通した銃創の痛みにも、悉く耐える。
するとヨシフは、興覚めしたのか自身の行動の無意味さを悟ったのか、吐き捨てるように「ふんっ!」と鼻で嗤うと。
「だが、私とアンが無事なのは幸いだ。ここまで事態を牽引してきた我らさえ生きていれば、革命はまだ続けられる。大事なのは、我ら二人の命だ。意味は、分かるな?」
語気強く意見を押し付ける様な物言いだが、そんな物言いをされずとも分かっている。
利用した隠し通路は、恐らく一時間も経たずに発見される。一応道は塞いでおいたが、所詮は気休め。必ず突破される。あとはもう、一本道の通路を進むだけ。猶予は無い。となれば時間稼ぎが必要で、二人を生かすというのなら役割を担うのは必然。
横暴極まる言と、そこに滲む生への執念でギラつく強い眼差しに、何より彼が時折自慢していた貴重な最新式拳銃を手渡してくるその行動が、彼の意図を物語っている。
「……分かっております。どうぞ、ご無事で」
差し出された拳銃を受け取りつつ、そう零す。これが今生の分かれと、覚悟を持って。
「では、どうぞお元気で。革命の成就、祈っております」
「そう思うなら、出来るだけ長く時間を稼げ。少なくとも、我らが逃げ果せるまでな」
「……はい」
「それじゃあ、後はよろしく。じゃあね」
「えぇ。叔母上も、お元気で」
希望の象徴のような月明りが照らす出口へ向かう彼らを、薄暗い通路に一人残された少年はただ見送るだけ。
少年自身意外だったのは、遠ざかっていく彼らの背中をぼんやりと眺めていても、何の感慨も沸かなかったこと。恐怖も失望も、何もない。諦めか、或いは戦いの中で感性が歪んだせいか、将又人を殺し続けて来たことに対する圧し潰されそうな罪悪感からか。
何れにしても、驚くほどすんなりと『死』という事実を受け入れている自分がいた。尤も、捨て石は受け入れられても時間稼ぎがどこまでできるかは定かではないが。
何せ預かった銃は最新式といえども、所詮は拳銃。大口径の歩兵銃相手に、遮蔽物も何も無いところで撃ち合いを演じても三分と持たないだろう。いや、今の負傷した腕では一分も持つかどうか……無論、最後の奉公として出来る限りのことはするが。
捨て石としての現実を受け入れ、息を顰めて辛抱強くじっと敵を待ち構える。
そうして精神を研ぎ澄ませて来るべき決戦に備えていた――だが、その瞬間の事だった。
「――へっ!? なっ!? き、貴様っ! ぐわぁああああっ!」
「そ、そんな……何故ここが――きゃぁああああああああっ!?」
今生ではもう聞くことはないと思っていた叔父夫妻の声だが、その悲鳴と声音からして只事ではない。一体何が? 反射的に走り出し、出口からひらりと躍り出る。
「――なっ!?」
外へ出た瞬間に瞳へ飛び込んできたその光景を前に、思わず瞠目を禁じ得ない。
白目を剥いて力なく地面に転がる叔父夫妻と、そんな二人を蔑むような目で見下す一人の妙齢の女性。月明りがよく似合う白皙の美貌を備えた彼女は、白銀の長い髪を夜風に靡かせながら眼前に躍り出て来たレイに藍色の瞳を向けるなり、一瞬目を見開いて。だが、それも一瞬。すぐさま不敵で不穏な印象の微笑を向けると。
「あら? てっきり兵は皆殺しにされているだろうと思っていたけど、まだ生き残りが居たとは。それにしても、随分と若い――というか、子供じゃない」
「……子供扱いするな! 俺だって、革命のために戦う戦士だ!」
「戦士ぃ? やれやれ、全く。こんな子供まで兵隊に使って革命ごっことは、世も末ね。……あぁ、でもそういえば資料に書いてあった。養子がいるって。それ、君の事?」
「だったら何だ?」
「否定はナシ、っと。でも、妙ね。君が今出て来たその場所、部隊が突入した隠れ家から伸びる秘密の通路の出口でしょ? そこには、いずれ追っ手が来るだろうことは明白で。君はそんなところに、一人で潜んでいた。今の動きを見るに、逃げ遅れたというワケではなさそうだし……あぁ、成程。捨て駒ってワケ? こいつらの逃走時間を稼ぐための」
「あぁ、そうさ。お二人が逃げるまでの時間を、俺が命を懸けて稼ぐ。それが俺の務めだ」
レイが堂々とそう答えれば、その女性はぱちくりと目を見開いて。
「――ぶっ! あはははははは! こいつら、想像以上のクズね。いっそ清々しいわ!」
夜闇の中でも分かるくらい露骨に、目に涙を溜めて腹を抱えて笑い出す。
侮蔑の籠った、紛れもない嘲笑。レイは眼つきを鋭く尖らせる。
「き、貴様……何笑っている? お二人を侮辱するな!」
「侮辱? 事実でしょ。クズはクズよ。大人が子供を犠牲にしてその隙に逃げようだなんて、まさにクズの思考。死んでおくべき、最悪な人間よ――ねっ!」
吐き捨てるようにそう言い放って、容赦なくヨシフを踏みつける女性。
するとレイは敵意の籠った鋭い視線で彼女を睨みながら、力強く握る銃を向ける。
「……お二人を、放せ!」
「もしかして、この期に及んでまだ義理立てするつもり? 捨て石にされたというのに?」
「関係ない。お二人は、世界に必要な御方だ。こんなところで捕らえさせはしない!」
「つくづく可哀そうな子ね、君は。まぁでも、いいわ。その忠犬ぶりに免じて、チャンスをあげる。取り返してみれば? 出来るモノなら……ね」
「言われるまでもなく、最初からそのつもりだ。お前を倒して、取り戻す!」
レイは、構えた銃の引き金を引く。銃撃の瞬間左肩の銃創の痛みで表情を歪ませながらも、辛うじて放った弾丸は彼女の顔目掛けて真っ直ぐに飛ぶ。
しかし、女性は夜闇の中でも弾丸が見えているかのように軽々と身を翻して躱し、すかさず懐から抜いた銃を発射。放たれた弾丸は夜風を切って滑空し、レイの左上腕を射貫く。
「あくっ!?」
左肩に続いて左腕におった銃創。その激痛に耐え切れず、レイは膝を折る。
「狙いは悪くない。射撃に躊躇も容赦もない。よく訓練を積んだ上で、相当場数を踏んでいるみたいね。まだ子供なのに、中々の逸材。でも、そんな君でも左肩に重傷を負っているのは痛いわね。僅かにズレた照準、それが明暗を分けたのだから」
「……くっ!」
「もう無理よ。諦めて降参なさいな。君に勝ち目はないわ」
勝ち誇ったように悠然と迫りながら、淡々とそう言ってのける女性。
それでも右腕一本で銃を構えるが、そのモーションを見切った女性が圧倒的な踏み込みと共に一気に接近。目にも止まらぬ速さで肉薄されたと同時に放たれた蹴りが手首に炸裂し、衝撃によって敢え無く銃はどこかへと飛ばされてしまう。
「――し、しまっ!?」
「悪いわね、少年」
小さくそう呟く女性は、無慈悲にもがら空きの鳩尾へ強烈な拳を叩き込む。
「がっ、はぁあっ!?」
一瞬息が出来なくなるほどの打撃。
必死に堪えようとするが、連戦での疲労にダメージが蓄積した体ではそれも叶わず。
「……ぐっ! く、くそっ!」
小さな声を漏らすと、限界を迎えたレイはその場にドサッと倒れ込む。
「子供は、もう寝る時間よ。お休みなさい。精々、いい夢を見なさい?」
しゃがみ込んだ彼女は、レイの頭を撫でながら言い放つ。
そんな彼女に何か言い返したい気持ちはあったが、体が付いてこない。
重たい瞼に耐えられず、静かに目を閉じて。その意識を敢え無く手放してしまった。
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