第9話

 レイがリリーエラの取り調べを行っていたのと同じ頃、ライラはといえば――今は自身直属の上官に当たるRSP長官専用の執務室にいた。

 黒を基調としたシックだか重苦しい雰囲気に包まれたその部屋は、国家機関の最高責任者の執務室というだけあって室内の様子も並ぶ什器も全て豪華で上品。中でも一際存在感があって目を惹くのは、やはり室内最奥に設置されたデスク。そのリクライニングにドカッと体重を預けて踏ん反り返って座るこの男こそ、この部屋の主にしてRSP長官その人。

 総白髪の老齢ながらも若々しい強面の容貌に、眉間の深い皺で飾られた猛禽を思わせる鋭い眼光。葉巻を嗜んでおり、リラックスした表情で紫煙を吐き出しては、机上の灰皿の底に押し付けるようにして灰を折る。その風貌も相まって実に様になっている振る舞いは、正直警察のトップというよりはむしろマフィアのドンを思わせる。

 そして喫煙を一頻り堪能したところで、彼は眼前で直立するライラへ向き直ると。


「ご苦労。お陰で、事件は未然に防がれた。見事な手際だと、褒めてやる」

「ありがとうございます。お誉めに預かり、光栄――」

「しかしだ! これは頂けんな」


 労いの言葉を早々に切り上げて、机の上にバサッと乱暴に書類を叩き付けた。その眼力を更に鋭く――それこそ視線だけで人を射貫けそうなほどに――尖らせて睨み付けながら。

 叩き付けるように渡されたその書類を手に取ってみれば、まず表紙にはレイの顔写真。他にはレイの個人情報が羅列されていて、大まかに目を通したライラは小首を傾げつつ。


「彼に関して、何かご不満でもございますか? ゼルビース長官」

「ふ、不満だと? よくもまぁそんなことを……あるに決まっているだろうが!」


 平然とした表情に何食わぬ口調で、ぬけぬけとそう問うて見せたライラ。

 そんな彼女には、唯者ならぬ雰囲気を纏ったRSP長官のロイドクルス=ゼルビースも流石に唖然とした表情を禁じ得なくて。遂には怒りに任せて机を強く叩く。灰皿の灰が、立派なデスクの上に散らばった。


「お前は、一体何時まであんな危険分子をここに置いておくつもりだ?」

「危険分子? 彼がですか?」

「そうだ! 危険だろうが! コイツの前歴を鑑みれば、明らかに!」

「前歴など、どうでもいいでしょう。大事なのは今だ。そして今の彼を、私は危険だとは思わない。故に何時までと問われましても、使える限りは使い潰すつもりですが?」

「こ、こんのぉ……お前は、どこまでバカなのだっ!」


 悠然とデスクに腰掛けていたロイドクルスは、遂にガタッと音を立てながら起立。

机に乗り出しては、鬼のような形相でライラを強く指さして。


「お前がどう思うかなど、それこそどうでもいい! 忘れたか? この男、本来であれば五年前に国家反逆罪で処刑されているべき者であろうが!」

「そうですね。で? それがどうかしましたか?」

「どうかしたか、だとぉ? 貴様、それは今の国の情勢を分かった上で言っているのか?」

「国の情勢? 内外に様々な危険分子を抱えている、ということは無論存じております」

「ぐっ!? あぁ、そうだとも! この男も絡んだ五年前の一件以降、この国には反政府勢力の影がチラついている。それこそ、昨晩お前が潰した組織の様に! そして国外にも、バルドス帝国という頭痛の種があるのだぞ!」


 バルドス帝国――それはアクロー王国とは緩衝体となる小国一つ隔てた近隣国。

 歴史の長さこそアクロー王国に及ばぬものの、領土と人口においては王国を上回るまさに大陸最大の帝国。アクロー王国も大陸の覇を賭けてバルバドス帝国と幾度となく戦火を交えていた時期もあり、その度に国力で劣る王国は苦戦を強いられてきた苦い歴史がある。

 戦争自体は戦局有利と巧みな講和策によって決定的な敗北こそ辛うじて免れてきたが、それでも中には領土を失った戦争もあって。何より戦争の度に経済や人民は大きく疲弊し、結果国力の低下を招いただけで、被害に見合った対価を得られたことなど一度も無かった。

 そんな反省から、王国は融和策を取ることで帝国をなるべく刺激しないように舵を切り、以降は隣国として適切な距離を保ってきた。

 それほどまでに、王国にとっては関わりたくない面倒な相手なのだが、どうもここ最近は情勢がキナ臭く……緩衝地帯たる小国への干渉を水面下で行っていて、いずれ王国へ侵攻してくるのではないかと危惧されていた。


「何でも、最近即位した皇帝は『バルバドス帝国こそ大陸の覇者である』とか何とか息巻いて、せっせと軍備増強路線に走っているとか。国内に重税を課してまで」

「あぁ、そうだ。まるで血の気の多い狂犬みたいな国よ。だが、狂犬でも何でも力を持っていることは事実で、実際にあの国の国力はわが国より上。総力戦となれば勝ち目はない」

「このままでは、緩衝地帯が帝国の手に落ちるのも時間の問題。晴れて地続きの隣国同士となれば、その時は挨拶代わりにちょっかいを出してくるかも知れませんね」

「他人事みたいに構えるな! とにかく! そういう時勢なのだというのに、王政府直属の組織である我々が、そんな危険分子を内部に抱えていると知れたらどうなる!?」

「なら、知られなければ良いのでは? 情報統制を徹底的に敷くことで」

「そこまでして、守る価値がそいつにあると思うのか!? 貴様、まさか忘れたのか!? アイツの……アイツらのせいで、我々は大事な――」

「お言葉ですが! 事件当時の彼は首謀者であるイギール夫妻の洗脳下にありました」

「――なっ!? 何ぃ!?」

「つまりは当時の彼もまた、首謀者によって散々利用された挙句に捨て駒にされた哀れな子供に過ぎない。無論彼は加害者ではありますが、同時に被害者の一人でもあるのです。

 それに、彼はこの五年で己が過ちと向き合い、罪を認め悔やみ、償うために精力的に職務に励んでいる。事実こうして、結果も出している……それで十分ではありませんか?」

「……ぐぅ……だ、だがなっ! あの危険分子を使い続けているせいで、今のお前が今庁内でどんな認識をされているか! それをお前、本当に弁えているか!?」

「認識ですか? ええっと……非国民を部下にする物好きに、拷問狂の冷酷女と、あとは使えない部下を人とも思わない苛烈な独裁者に、独断専行ばかり行う無軌弾みたいな女。あとは、七光りのワンマンプレイヤーと……そうそう、冷めた目と能面みたいな表情が不気味な残念美人なんて評価もあったかな? あと他には――」

「もういいわっ! あと、最後の一文は知るかっ!!」


 淡々と質問に答えて見せるライラに、ロイドクルスは舌打ち交じりに頭をガリガリと掻き毟りながら再び着席。その顔は、更に眉間の皺が深くなってより厳めしい表情であった。

 湧き上がる興奮を抑えるためだろうか、自然と机上の木箱に手が伸びて。そこから葉巻を取り出すと、慣れた手つきで火を付けては紫煙――と深くて重い溜息――を吐き出した。


「そこまで他人からの評価が地に落ちていることを自覚していながら、何故改めない? 何故、自分から厄介な種を抱え込む?」

「周囲から評価が芳しくない事と、彼を部下としていることに大きな相関があるとは思えませんが? 実際、周囲からの私の評価が最悪なのは、彼を迎える以前からの話だ」

「堂々と言うことか!」

「何より、解せません。他人からの評価、人から好かれる、そんなに重要なことですか?」

「……何だと?」

「思うに評価とは、本来結果に対してのみ付いてくるべきだ。その点、私は誰よりも結果を出している筈ですよ? 彼と共にね。

 つまり本来通り結果だけを評価するのであれば、私も彼も誰より評価されて然るべき。それなのにこうも評価が低いということは、皆揃って結果以外を評価基準に含んでいるということだ。しかも協調性だの熱意だの、挙句家柄なんて下らないモノまでね」

「……もう止せ、それ以上喋るな」

「何故結果だけで評価しないのでしょうか? まぁ、百万歩譲って協調性や熱意を評価点に含めたとして、家柄? そんなモノまで含める必要がどこにあるのでしょうか?

 徹頭徹尾、純粋なる結果だけの評価を行えばいいものを。それをしないから、何も出来ないし何もしない無能なバカが偉そうに椅子に踏ん反り返るなんて無様がまかり通る」

「……貴様、もしやそれは儂の事を言っているのか?」


 一層不機嫌そうな声音。

 しかしライラは、どこか冗談めかした口調で「まさか!」と答えて見せる。


「もしも私が本気でそう思っているのなら、こうして貴方の元へ足を運んで、大人しく立って話など聞いたりしませんよ。私が自ら赴くのは、上席たる貴方だけ――他の者には、呼び出されたところで相手にしないことにしておりますので。能力が低いバカは、やはり話が下らなくて気を失いそうになりますからね」

「そ、そうか……」

「私は貴方に巧言令色の類を申し上げることはしない。ですが、その分誰よりも結果を出して貢献している。そういう意味では、私は誰よりも貴方に尽くしていると言える。それでもなお、私が貴方を見下していると思いますか? 私以上に貴方を尊敬し、従順で優秀な上級捜査官がいると思いますか?」

「そ、それは……うむ。まぁ、そうだな」


 ライラの率直な言には一切の躊躇が無く、それ故かおべっかの類にも聞こえない。

 事実そう聞こえたからこそ、ロイドクルスはどこか嬉しそうに些か頬を緩ませる。


「しかし、従順だというのなら、儂の言うことにも少しは耳を貸して欲しいものだがね」

「お断りします。幾ら貴方の願いでも、聞けるものと聞けないモノはありますので」

「……頑固な奴だ」

「大した能力もない癖に、家柄のコネで苦労もなく入庁し。日頃何をしているかと思えば、遅い時間にノコノコ出勤するだけで何もせずに踏ん反り返るだけ。いや、他人の足を引っ張ることと、反吐の出る職員へのハラスメントには積極的ですか。犯罪者には、例え捕らわれた者だろうと関わろうともしない癖に。

 最後は税金から高い給金を貪り、経費で高い酒を飲んで女のいる店で女を侍らせては、無意味なバカ騒ぎに興じる。まさに害悪だ……そんな連中に共に気に入られるような真似、私のプライドが許さない。あんな滑稽な連中に認められたいなどと、私は微塵も――」

「止せ! もう、それ以上言うな。言い分を理解はするが、流石に口が過ぎるぞ」


 ロイドクルスに制止されたライラは、大人しく口を噤む。

 そしてロイドクルスは、肺の空気を全て吐き出さんばかりの深い嘆息を漏らして。


「分かった。そこまでお前の意思が固いのなら、もう何も言わん」

「ありがとうございます。そうして頂けますと、幸いです」

「だが、覚えておけ! 他人からの評価や他者に好かれること、それは重要な事ではある。もしもこれから先、お前が何か望むことを叶えたいと思った時のためにも――な」

「ご心配なく。私は、自分の望みは全て自分の力で叶える主義です。それはご存じの筈。私は、他人の力など借りない。他人の力など当てにしない。まして、私の足を引っ張りかねない連中や私の期待に応えられないような部下など、万が一にも必要になることは無い。

 必要なのは、理解のある上官と私の期待を実現できる部下一人……それで充分で、それ以上は要らない。それで後悔することも、きっとないでしょうね」

「全く、お前というヤツは……」

「して、まだ何かお伝え頂くことはございますか?」

「いや、もういい。下がっていいぞ」

「はっ!」


 呆れ顔で嘆息するロイドクルスに、ライラは背筋を正して指先まで神経を巡らせた、お手本の如き見事な敬礼を返す。ロイドクルス以外には絶対にしない最敬礼である。そして踵を返してドアへ向かう。


「ライラ!」


 しかし、いざドアノブに手を掛けて部屋を出ようとしたその刹那――突如として室内に木霊する自身を呼ぶ声。これには流石のライラも足を止めて、肩越しに振り返る。


「忘れていたが、最後に一つだけ……分かっているとは思うが、忠告しておく」

「何でしょうか?」

「あまり、儂を当てにできると思うな。今のお前は周りを敵に囲まれている状況で、ハッキリ言って庁内一の腫物だ。もし何かあっても、その時は幾ら儂でも庇ってやれん」

「……それは、上官としての諫言ですか? それとも――」


 ライラの表情が、笑顔に代わる。

 朗らかで優しい、しかしどこか毒があって嘲るような……そんな笑顔に。


「家族としての思い遣りでしょうか? ねぇ、お父様?」


 笑みを湛えたライラの問いに、ロイドクルスは思わず面喰う。

 暫しの逡巡から、室内は沈黙に満たされる。そして――


「ここではそう呼ぶな。……しかし、どうかな? 前者、と言うべきだが……正直、私情が全くないと言い切れる自信は無いな」


 弱々しくて伏し目がちな、言葉の通り自信の無さそうな回答。

 初手ライラに向けられた猛禽の睨視が嘘のようで、気恥ずかしさすら混ざっているよう。

 そんなロイドクルスの独白をしかと聞いたライラは振り返り、彼を真っすぐ見つめて。

 

「そうですか。では精々肝に銘じ、貴方へご迷惑の及ばぬように励みますよ……お父様」

「だから、その呼び方は止せと言った。今は長官と呼べ」

「これは失礼致しました。では、以降気を付けます……長官」


 言葉の上では従順な、しかしどこか皮肉交じりな、そんな答え。

 その何とも言えない微妙な答えを残して、ライラはさっさと部屋を出ていく。

 一刻も早く部屋を出たいと、そう言わんばかりの足早さで。


「……やれやれ。全く、どこまでもお転婆で手の掛かる困った娘だ」


 一人執務室に残ったロイドクルスは嘆息交じりにそう呟きながら、吸いかけの葉巻に口を付ける。深呼吸ばりに吸い込んだ紫煙を、ゆっくりと吐き出してリラックスしたその顔は、紛れもなく愛娘の成長を喜ぶ父の顔の顔であった。

 だが、一方で――


「……余計なお世話だ。何を……何を今更! 今更父親面などするな、クソ親父!」


 長官室のドアノブに手を掛けたまま硬直するライラが漏らす、蚊の鳴く様な小さい声音。それは忌々しさと苛立ちを噛み締めたような響きであり、事実そのまま廊下を闊歩する足取りもまるで地団駄を踏むかのよう。

 下唇を強く噛み締めた彼女の顔は普段より遥かに厳めしく。不機嫌なオーラを纏うライラの威圧感は、他の職員たちに自然と道を譲らせるほどに圧倒的なモノであった。

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