第8話


「……うぐっ!? ……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」


 昨晩と同じく、またしても過呼吸気味になる。

 頭が割れそうなほど強烈な頭痛で、毛穴が一気に開いて脂汗が止まらない。


「お、おい? お前、どうし――」

「……なさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」

「……何だよ、おい! お前、しっかりしろ! おい、どうした! おいっ!?」


 どう見ても普通ではないレイの姿に、リリーエラはレイの肩を掴んでは強く揺さぶる。そうして揺さぶられて、漸く我に返ったのか。


「――っ!? ……俺は? ……あぁ、そうか……また……」


 起きていたのに、悪夢に魘されていたかのような様子。

 リリーエラは思わず、怪訝な表情で。


「ホント、どうしたんだよ? お前、さっきまであんなに高圧的だったのに」

「……気にするな。発作みたいなモノだ。たまに、どうしても出てしまう」

「発作って、そんな馬鹿なことがあるかよ! どういうことか、説明くらい――」

「さぁな。何でもないさ」

「――なっ!? て、てんめぇ! 折角人が心配してやったのに、そんな態度無いだろ!」

「知るか。……今日は、もういい。帰る」

「はぁ? えっ? おいっ!?」


 リリーエラの文句に耳を貸さず、レイは立ち上がるなりドアの方へヨロヨロとふらつく足取りで歩き出す。


「おいっ! ちょっと待って! 待ってってばっ!」


 しかし、そのまま帰してなるものかとばかりに、レイの肩を掴んだリリーエラ。

 レイは心底面倒臭そうな声音で。


「……何だよ?」

「何だ、じゃないだろ! お前、人に根掘り葉掘り聞いて、挙句アレだけ言いたい放題言っておいて、今日はもういいから帰るだと? 自分勝手にも程があるだろ!」

「それがどうした? 大体、今日は元々単なる顔合わせと簡単な事情聴取だけで、本番の取り調べは明日からのつもりだった。だから、良いんだよ。今日はこんなところで」

「だから、それもお前の都合じゃないか! 自分の都合ばかり押し付けやがって……こんなの、フェアじゃないだろ!」

「……………………はぁ?」


 まるで要領を得ない、リリーエラの突拍子もないその言葉。

 レイは肩越し――しかし、自分の顔を見せず相手の目も見ないよう――に振り返ると。


「何を言っている? 取り調べだぞ? フェアもクソもあるか」

「いいや、どんな時も人と人はフェアであるべきだね! それが最低限の礼儀で、要するに不公平反対だ!」

「……ガキなのは見掛けだけにしてくれ。中身までガキだと、手に負えない」

「ガキガキガキガキ言うな! あたしは、もう十六歳だ!」

「知っているさ、そんなことくらい。知った上で言っている……ガキだと、な」

「また言ったなぁ、こんのぉ!」

「うるさいなぁ……こっちは気分が悪いんだ。耳元でキャンキャン喚くな、鬱陶しい! というか、いい加減帰してくれないか?」

「鬱陶しいだとぉ? もう、頭きた! 絶対にこのまま帰してやるもんか! 帰りたかったら、きちんとフェアに振舞え!」

「またそれか? もう面倒臭くなってきた。……フェアって何だ? 何をすればいい?」

「ふふん♪ 簡単だ。お前がしたように、あたしも今からお前に質問する。あたしは正直に答えたんだから、お前も正直に答えて貰うぞ!」


 得意げにそう言い放つリリーエラの顔面を、全力でぶん殴りたい――ふつふつと沸き上がるその欲求を、昨晩ライラに言われた言葉を思い出すことで何とか抑え込んで。そして肺の息を全部吐き出しそうなほど深い溜息と共に、くるりと振り返ると。


「……心底面倒臭いが、仕方ない。答えてやるよ。ただし、答えられるモノに限らせてもらう。取り調べ時、受ける側には拒否権が認められているからな。それを適用する」

「拒否権? そんなのあるのか? 聞いてないんだけど?」

「言うタイミング無かったから、言ってない」

「てんめぇ! ……まぁ、いい。けど、だからって全部『答えられない』はナシだぞ? 一つくらいは答えていけ!」

「……ちっ!」

「あっ、今舌打ちしたな! お前、さてはそのつもりだっただろ? こうなったら、絶対一つは質問に答えて貰うからな! じゃないと帰さねぇ!」

「分かった! 分かったから、早くしろよ。じゃないと本気で帰るぞ? 俺には、別にお前のお遊びに付き合う義理も義務も無い。下らん駄々をこねるなら、実力行使で帰る」


 レイの纏う雰囲気が、些か剣呑なものになる。その雰囲気、同時に昨日の逮捕劇を思い出したのか、リリーエラは「ぐっ!?」と声を漏らして。


「……わかったよ。じゃあ、第一の質問。さっき発作だって言っていたけど、アレは――」

「答えられない。はい、次」

「――ぐっ!? こんのぉ……」

「何だ? 質問はそれだけで終わりか? ならもういいな? 帰――る?」


 実年齢よりも遥かに幼く見えるむくれ面のリリーエラを見た瞬間、レイは思わず硬直する。その血の様に赤い瞳を、これ以上ないほど大きく見開いて。

そんなあからさまな動揺は、流石のリリーエラにも伝わったようで。


「……? どうした、お前? いきなり固まって」

「えっ? あぁ、いや別に。気にするな、何でもない」

「もしかして……見惚れたか?」

「それは無いな。俺にはクソガキを愛でる趣味は無い」

「おまっ!? またクソガキって言いやがったな!」

「はいはい。それより、俺は今一つ質問に答えた。なら、もう帰っていいな?」

「――なっ!? おい、ちょっと待て! それはズルいぞ!」

「知らなかったか? 大人はズルいんだぞ」

「……まぁ、知っているよ。それくらいは」

「そうか。まぁ、何でもいいさ。とりあえず、後十秒以内に質問が出てこないなら終了だ。俺は帰らせて貰うとするよ。はい、十、九、八、七、六、五、四、三……」

「えっ? ちょっ、ズル! ええっと……ええっと……あぁ、そうだ名前!」

「……はい、ゼロ。今のが、最後の質問な。で、何だったっけ? 名前?」

「あぁ、そうだ! お前はあたしの名前を知っているみたいだけど、あたしはお前の名前を知らない。だから教えろ!」

「偉そうに。けどまぁ、ガキに『お前』って呼ばれるのも癪だな」

「またガキって! お前、いい加減に――」

「レイだ!」

「へっ?」

「だから、レイだよ……俺の名前。満足したか?」


 淡々とした口調でそう答えた。

 すると、今度はリリーエラが「えっ?」と零しつつ大きく灰色の瞳を見開いて。


「……? どうかしたか?」

「あぁ、いや……何でも……ない……です。そうか……レイか……レイだな!」

「あ? あぁ。だから、そうだって言っているだろ」

「そうだよな……ははは……よ、よろしくな? レイ!」


 徐に、リリーエラは手を差し伸べてくる。先程までの鬱陶しいくらいの明るく元気で勝気な振る舞いとは正反対な、しおらしくてぎこちない態度で。

 しかしレイは、差し伸べられた手を取ることはなく。ただ疑念に満ちた顔で。


「……何だ? いきなりどうかしたか? その反応、俺の名前に何か文句でも?」

「えっ? あぁ、いや。ホントにそんなの、無い……全然……無いさ、大丈夫」

「………………? 変なヤツだな。まぁ、いい。明日以降、機会があれば聞き出してやる」

「えっ? 明日も、来てくれるのか? ……そうか」

「……はぁ?」


 どこか言い辛そうに口にされたその言葉は、レイが予想だにしていなかったもので。

 あんまりに意外なその言葉に、レイは思わず面喰って固まる間の抜けた表情を晒す。


「お前、本当に変だぞ? さっきからどうした?」

「何でもない! ほら、今日はもう帰るんだろ? ほら! さっさと帰った帰った!」

「ちょっ!? えっ? おい、コラ押すな! まだドア開けてないんだから」


 ぐいぐいと背中を押して、レイをドアの外へ向かわせるリリーエラ。

 そんな彼女に物理と勢いの両面で押し切られる様に、レイはドアを開けて外へ出る。


「それじゃあな! ……また明日!」


 相変わらずの気難しい顔でそう言い残して、リリーエラは自分で独房のドアを閉めた。


「……ホントに理解できない。何だったんだ、今の?」


 小首を傾げて呆気にとられつつ、忘れずにドアを施錠するレイ。

 正直、気にはなる。何を言おうとしたか、何を考えていたか。だが、アレでは到底話してくれる雰囲気ではないし、何より自分から帰ると言った手前で尋問を続けるのも如何なものかと思えてくる。自分勝手だとごねられるのは明白で、それに付き合う気力も無い。


「……まぁ、いいか。別に、今すぐに俺が知る必要のあることではなさそうだ」


 喉に刺さった小骨の様に違和感として心に残るモヤモヤを抱えつつも決着を付けたレイは、足早にその場を離れていく。他方、一人独房に残るリリーエラは、ドアに背を預けたまま険しい思案顔。


「レイ……レイって、まさか……いや、でもそんなことあるワケないか」


 こちらもこちらで悶々とした疑問を抱きつつ、しかし同じくうやむやにすることで決着をつける。しかし、彼女の抱える問題は一つではない。一つ問題を片付ければ、今度はまた別の問題が頭に浮かんで。

 リリーエラは「はぁー」という深く思い溜息を漏らしながら固いベッドへ倒れ込む。


「……アイツの言うこと、多分ホントなんだろうな」


 ふと蘇る、レイの言葉。そして同時に思い出す、逮捕される数日前の出来事。




『どうしてもやるって言うのかよ! こんな……こんな虐殺みたいな真似を!?』


 その日、リリーエラはアジトにしていた娼館で同志たちと方針について議論していた。

 武装蜂起か他の方策か。武装蜂起するとしても誰をターゲットにどう展開していくか。

 取り上げた議題に対して、血気に逸る同志たちは皆口を揃えて一刻も早い武装蜂起――それも王都アクロブルクでの身分の貴賤を問わない無差別殺戮を主張しており、 そんな同志たちに対して指導者としてリリーエラは思わず声を荒げる。

 でも、必死に叫ぶリリーエラへ返って来るのは敵視とも呼ぶべき険しい視線。

 そして忌憚も容赦もない意見……というよりは、最早罵詈雑言。


『他に手があるって? 私たちの意見を、意思を、伝えるこれ以上の方法があるとでも?』

『それは……今は思い付かない……でも――』

『でも、何よ? もう、そうやって先延ばしにされるのはウンザリなんだけど』

『大体さぁ……アンタとバルで始めた組織だからアンタがリーダーみたいになっているけど、偉そうに文句言うだけでアンタ実際には何にもしてないじゃん』

『――なっ!?』

『そうだよねぇ。金は私たちが稼いでいる。実際に戦うのだって私たちと、私たちが引き入れて繋ぎ止めた客じゃん。金の運用やこのアジトだってバルが用意したワケだし』

『そうそう。何もしてないし出来ないなら黙ってろよ、神輿の分際で』

『……神輿?』


 怒涛の如く押し寄せてくる辛辣な言葉の数々に、リリーエラは思わず言葉を失う。

 そしてトドメとなったのは。


『もう、こうなっては仕方あるまいよ。リリーエラ、ここは皆の意見を通すべきだ』

『……バル、お前までか』


 後にリリーエラと共に逮捕されることとなる小太り男――バルの弱々しい口調での進言。まさに状況は多勢に無勢で。多数決の原理における数の暴力で押し流されるように結審へと進もうとしている。リリーエラの心情としては賛同しかねる結論にも関わらず。

 だが、ここで上手いこと皆を纏め抑え込めるだけの器量も貫目もカリスマも彼女には無い。彼女自身が一番自覚している通り、彼女は所詮神輿でしかないのだから。

 そこまで弁えて、こうなればもうリリーエラが口にできる言葉は一つしかない。


『……分かった』




 思い出す決意の日。そうして彼女は決めて、歩んでしまった。レイの言う誤った道を。


「そうして流されて進むところまで進んで、結果大勢死んで。そうなればきっと、あたしは死ぬほど後悔していただろう。止まって良かったのかも知れないな。

 ……あぁ、でも! でも、このままでいいとも思えない。このまま黙っていて、皆苦しんだままで、それでいいワケがない。あー、もう! 一体どうすればいいんだよ!」


 ベッドを力一杯殴る。ギシッ……と軋む音が響いて、静寂。

 静かな部屋には苦悶の声に答えを出してくれる者など居る筈もなく、リリーエラはただ不貞腐れたように枕へ顔を埋める。

 そして暫くすると、枕に埋もれた中から聞こえてくる僅かな嗚咽交じりの声。


「……あたしは……あたしは一体、どうすれば?」


 そうして自問自答を、思案を続ける。

 でも答えはやっぱり出なくて。堂々巡りで当てのない思考を延々と続けるしかない。


「……お願いだ……お願いだから、教えてくれよ……レイ」


 そしてふと、そんなことを呟いて。

 でも当然その声はレイに届くことはなく、リリーエラは今度こそ声を上げて涙した。

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