第7話

 夜が明けて、午前が過ぎて昼下がり。眩しくも暖かい日の光が、窓から射し込んでくる。

 そんな気持ちのいい昼間の、人通りの多いRSP庁舎の廊下の端を遠慮がちに歩くレイ。その様子からは、到底昨晩の大捕り物で見せたような覇気などまるで感じられない。

 だが、無理からぬことでもある。何せ彼の耳に絶えず聞こえてくるのは、周囲の同僚たちのひそひそと声を潜めた話声。微かに聞こえてくるその内容、どれも好意的なモノではない。ロクでもない嘲笑ばかりで、加えて纏わりつくように向けられる夥しい好奇の視線も絶えず感じられて、職場でありながらレイが噛み締めるアウェイ感は尋常ではない。

 この露骨なまでの腫物扱いは、最早いじめの域。けれども、当のレイは余計な波風を立てないように通路の端を歩いてこそいても、それ以上気にする素振りは見せない。文句を言うことも睨み返すことも無く、ただ平然とした様子で歩いていく。

 そうして歩き続けていく内に、段々と人気のない方向へ進んで行って。


「……ここか」


 そう呟いた頃には、もう周囲に人の影はまるでない。当然、囁き声も視線も無い。

 そんな場所に、レイは決して憩うために来たわけではない。あくまで、職務の一環。一度深呼吸して、リラックス。そして眼前の重厚な鉄の扉を軽くノックした。

礼節を尽くした、三回等間隔でのノック。適切なマナーを守った振る舞いだ。


「………………」


 しかし、礼節を尽くした振る舞いに対する返事は無く。しーん、と静まり返ったまま。待てども暮らせども室内からは何も聞こえてこないので、不満げな表情で止む無くもう一度ノックを繰り返す。勿論三回等間隔の、適切なマナーで。


「あぁ、もうっ! うるさいなぁ! ガンガン叩くな、耳障りだっ!」


 その後も粘り強くノックを続けたところで、聞こえてきたのは怒声。


「そうは言っても、女性の部屋だ。合図も無しに入るワケには――」

「知るかっ! 入りたければ、勝手に入ればいいだろう」


 ぶっきらぼうで高圧的ながらも明確な許可を貰ったレイは、嘆息交じりにその重厚な鉄の扉の施錠を解いてゆっくりと扉を開く。重々しい、ズズズ……という音を響かせながら。

 そうして漸く開いた扉から一歩足を踏み入れれば、殺風景なコンクリートの壁と牢獄然とした仰々しい格子の嵌められた窓の殺風景な独房。広さは机に椅子二脚と粗末な簡易ベッドを置くのが精一杯で、決して広いとは言えない最低限の生活水準といったところか。

 それほど粗末極まりない空間だが、眉間に寄せた深い皺と気難しそうにレイを睨むその表情のせいか、部屋に閉じ込められた少女は妙にこの部屋の雰囲気に合っている。流石は年若い身で曲がりなりにも武装勢力に所属していただけはある、というべきか。


「お前はぁ……昨日はよくもやってくれたな! よくも、あたしの仲間を!!」


 そして開口一番口にしたのは、やはりというべきかレイに対する恨み節。

 囚われの身だということを忘れているのではないかと思うくらいに強気で威勢が良くて高圧的なその口振りは、よく言えば肝が据わっていて、悪く言えば単なる向こう見ず。

 単細胞で直情的な、視野が狭くて浅慮短慮な猪突猛進タイプか――実物を直視し、更に言葉まで躱せば、事前資料に目を通して抱いた仮説の人物像がレイの中で確信に変わる。


「……何だ、お前? さっきから、あたしをジロジロと見て」

「いえ、別に。ただ、想像通りの頭の足りないタイプのようだと思ってね」

「おい! それ、要するにバカって言いたいんだろ?」

「分かっているじゃないか。その通りだ」

「ふざけんなっ! そうやって高みに立った風に人を上から目線で見下して……お前たち国の偉い連中はいつもそうだ! そうやって、いつもいつも……クソがぁっ!!」


 怒りに任せて、少女は椅子を蹴り飛ばす。ガシャン! 床に響く、椅子の倒れる音。


「備品を壊さないでくれよ。手続きが面倒だからな。それにしても、大層な怒りだな。で? その憤りが、今回の事件の引き金というワケか?」

「……お前には関係ないだろう」

「一応俺は取り調べで来ている身だから、そう釣れないことを言われると困ってしまう。それに、昨日からずっと気になっていた。だから是非とも、答えて貰いたい」

「気になる?」

「あぁ。何故、お前みたいな子供が武力闘争に訴えようとしたのか……どうにも気になる。一体、お前は何を成したかったんだ? 何がそんなに、お前を突き動かしていた?」

「――っ!? そうかよ。所詮は興味本位か? そうだよな? お前たちみたいな連中は、皆あたしたち民衆を観客気取りで上から見下して、都合よく利用するだけなんだからな。舐めるなっ! あたしたちは、人間だ! お前らみたいな連中のために都合よく使われる道具でも玩具でもない!」


 怒声を張り上げて、同時に繰り出す真っ直ぐな拳。

 レイはそれを正眼で見据え、迫る拳を真正面からその手で受け止める。


「くっ!? このっ! 放せよ、くそっ!!」

「道具……玩具……か。そこまで王族や貴族から酷い扱いを受けて来た――と?」

「あぁ、そうさ! 皆そうさ! 腹を空かせながら田畑を耕しても、実りは全部税として持っていかれて! 足りなければ見せしめとして鞭で打たれ! 中にはタダの気紛れで殺されたヤツも、顔が気に入らないからって首を斬られて晒されたヤツだっていた!

 女子供は、もっと悲惨だよ。足りない税の代わりだの何だのと理由を付けて無理矢理家族や恋人から引き剝がされて連れ去られた挙句、気の済むまで玩具みたいに辱められて。最後は病気になったからって捨てるか、飽きて娼館に売り払わられるか……お前が殺した彼女たちだって、元はそんな地獄のような日々を過ごしてきたような者たちばかりだ!」

「成程、だから道具で玩具か。確かに哀れな境遇で、同情するよ。……納得いかないよな。恨む気持ちも理解する。でもだからといって実力行使に、暴力に訴えるのは頂けないな」

「……仕方ないだろ? もう、他に方法なんて無いんだから!」

「他に方法が無いと言うからには、何か試したということだな? どんな方法を試した?」

「直訴したさ。でも、ムダだった。直訴した連中は皆、不敬罪だってその場で処刑された。処刑の瞬間、連中笑っていたよ。『歯向かうなんぞ、バカな奴らだ』って」

「だろうな。この国で、王族や貴族は神聖にして絶対不可侵の存在とされた特権階級だ。そんな存在に意見など出せば、結末は火を見るより明らか。バカと罵られても仕方ない」

「なら、もう仕方ないじゃないか! 言ってダメなら、力で分からせるしかない! そうして一矢でも報いてやらなきゃ、犠牲になった人たちも……母さんだって浮かばれない!」

「……母さん?」


 少女は、力と感情任せに自身の拳を掴むレイの手を振り解く。

 一方のレイの口からは、少女の言葉の中で特に気を引いたその言葉が自然と突いて出た。


「お前の母親は確か、数年前に亡くなられたそうだな? 何でも、流行病だったとか」

「……よく知っているな。あたしのこと、調べたのか?」

「取り調べをする上で、相手の基本情報は知っておくべき――敬愛する上司の教えでね。だから、お前の情報はあらかた頭に入っているよ。リリーエラ=クロニーさん」

「ホントにムカつくな、アンタ。あぁ、そうさ。あたしの母親は、どこぞの貴族に好き勝手弄ばれた末に捨てられて……最後は絶望と病気の苦しみの中で死んでいった」

「そのようだな。それで? だからお前自身も王族貴族を恨んで計画に加担したということか? 全ては母の無念を晴らすため――そう言いたいのか?」

「あぁ、そうさ! だからあたしは、仲間を求めて組織に入った。皆で協力して力を蓄えて、同志を募って計画を練った! 全ては憎き王族貴族共に復讐して、母さんの無念を晴らすため! そして……母さんや皆のように、奴らに苦しめられている人を救うために!」


少女――リリーエラが語気強く語った闘争の目的と戦う理由。

全てを聞いたレイは、思う。

想像通り、彼女の原動力は怒りと憎悪だった……と。

予測は出来ていた。こういう手合いは、その性質から異常なまでの行動力の持ち主だったりするワケで。そしてその行動力の源泉は大概、憤怒や憎しみといった激しい感情だ。

 無論行動が大きければ大きいほど、その裏にある感情は激しいものになる。今回の様に人命を損なう武装蜂起という大それたことを計画していたとあれば、当然元となる感情の強さが尋常なモノではないのは明らか。それこそ、近しい人の無念の死くらいのキッカケくらいある筈だと。寧ろそれくらいの動機が無ければ、国相手に戦おうなどというモチベーションなど沸いてくる筈が無い。

 そう。レイは、全て知っている。単なる知識としてではなく、経験として。

 だからこそ、毅然と言わなければならない。現実を突き付けなければならない。

 他の誰でもなく、自分の口で。それが自分の責務であり贖罪でもある筈だから。

 一呼吸置いて、レイは覚悟を決める。そしてキッと鋭くリリーエラを見据えると。


「下らないな! 本当に下らないよ、全く」

「――なっ!? 何だと、この野郎! お前、今何て言った!」


 二人を挟む机に身を乗り出したリリーエラは、勢いに任せてレイの胸倉を掴む。涙を浮かべる瞳で、睨み付けながら。 

 だが、そんなリリーエラをレイは冷めた目付きで睨みつつ。


「何度でも言ってやるさ。下らない……反吐が出る程に!」

「貴様ぁ、よくもそんなことを! 高いところから偉そうに踏ん反り返っているだけの苦労知らずに……お前なんかに、何が分かるって言うんだよ!? 虐げられて苦しむ弱者の気持ちなどこれっぽっちも知らない癖に、知った風な口を利くなっ!」

「……バカが。その発言こそ、『自分が何も知らない』と宣言しているようなものだと何故気付かない? 知った風な口を利いているのはお前の方だ、クソガキ」

「何だと? てめぇ、もう一度言ってみろ!?」

「何度でも言ってやるさ。お前は、何も知らないガキだ。だから想像できないんだろう?怒りに任せた自分がやろうとしていたことが、武力闘争が、一体どんな結果を招くのか」

「そんなの、分かっているさ。皆、傷付く……王族や貴族だけじゃなく、あたしたちも」

「あぁ、そうだな。で? まさか、それだけとは言わないよな? お前たちが武装蜂起して、招く結果は他に何がある?」

「それは……その……そうだ、社会が変わる! 犠牲の果て、きっとより良き方へと! 五年前はダメだったかも知れない。でも、今回こそは絶対に――」

「やはりか。思った通りだったな。お前は何も分かっていない。何も想像できていない。尤も、改めて聞くまでも無いことではあったが」


 意気揚々と語った未来予想図。それを一蹴するレイの冷たい声音に、リリーエラは一瞬たじろいで言葉を失う。その間に、レイは自身の胸倉を掴む彼女の細い手を振り払って。


「いいか? 復讐だの大義だの、どんな言葉で飾り付けようが所詮暴力は暴力に過ぎない。そして暴力は、必ず誰かの心に復讐の火を灯す。今、お前の中に燻っているように」

「そ、それは……で、でも! 仕方ないじゃないか。だって奴らが、王族や貴族が――」

「先に仕掛けて来たから、やり返すのか? なら当然、王族貴族も報復に打って出るぞ? 報復に報復で返されたら、また報復するか? 更なる報復が待っていると弁えた上でも?」

「そ、それは……」

「不毛だ、そんな報復合戦は。大体、いつ終わる? 一体どこで終わりにするつもりだ? 王族と貴族の血筋を根絶やしにするまでか? お前たちが一人残らず全滅するまでか? 何にせよ、気が遠くなるほどの長い時間が掛る。そんな泥仕合、終わるまでに何人死ぬ? どれだけの犠牲を積み上げればいい? 王族貴族とお前たち反乱軍だけじゃなく、大勢の無関係な民間人をも含めた一体どれだけの人間を生贄にすれば、お前たちは満足する?」

「み、民間人? ……いや、そんな! だって、あたしたちの敵はあくまで――」

「これは驚いたな。まさか、そこまで想像力が無いとは……相手は、この国で不可侵とされる特権階級の王族や貴族だぞ? 誰も巻き込まずに済むと、本気で思っていたのか?

 屋敷を襲撃すれば、使用人が巻き添えになるぞ? 移動中を狙ったとしても、使用人や御者の巻き添えは避けられないだろう。式典なんぞ狙った日には最悪だ。その時はきっと、大勢の民衆を巻き添えにする。当然、特権階級を襲撃するような大事件を鎮圧するためとあれば、国は威信を賭けて軍や警察を派遣するだろう。無論、彼らは全員民間人だぞ」

「……………………そ、それは」

「それでもまだ、民間人を巻き込まずに済むと言い切れるのか? 民間人を一人も殺さず、王族と貴族の血筋に連なる者たちだけをピンポイントで殺せると? 絶対に不可能だ。

 で、もしもお前たちが一人でも民間人を殺してみろ? 瞬間、お前たちの掲げた正義は崩壊する。犠牲者やその遺族に、『社会を変えるための仕方のない犠牲』とでも説明するのか? 納得して貰えるワケが無い。ただ、お前たちへの恨みを募らせるだけ。

 もしや、『これは私の母親や他の犠牲者の無念を晴らすだ』とでも説明してみるか? もっと納得して貰えるワケが無い。却って火に油を注ぐことになるだけだ。その犠牲者やその遺族とって、そいつらは既に死んだアカの他人。無関係の、しかも死人の無念を晴らすためだと説明して、大事な人を奪われた人がその理不尽に納得するとでも?」

「……………………てくれ」

「結局、お前たちのやろうとしていることなど、単なる八つ当たり。受けた痛みを他者に押し付けようというエゴで、我儘だ。幼稚な愉快犯の蛮行と何も変わらない、最低な所業」

「もうやめてくれっ! 聞きたくないんだ、これ以上は!」


 レイの淡々とした言葉の数々は、リリーエラの心を容赦なく刺していって。

 遂に耐えられなくなったリリーエラは、絶叫と共にその場に膝を折って頭を抱える。

 だが、涙を流して震えるリリーエラだが、そんな哀れな様の彼女に対してレイは労わりや慰めの感情など微塵も抱くことはなく、彼女の胸倉を掴んで無理矢理起き上がらせて。


「聞きたくないから何だ? 甘ったれるな。お前に、逃げることなど許されない。そんな勝手など認められない。きちんと、罪と向き合って――」

『それは、お前が言えた義理なのか? しかもそんな、偉そうに』

「――っ!?」


 嘲笑の声は、確かに響いた。レイの頭の中で、聞き違うことの無いほど明瞭に。

 そして瞬間、レイは硬直してしまい、リリーエラへ向けた言葉もすっかり止まって続く言葉は何も出てこない。まるで、言葉そのものを失ってしまったかのように。


「……あっ……あぁ……お、俺は……」

『お前だって、同類じゃないか。それなのに、人の事を悪く言える資格があるのか?』

『ひっでぇなぁ……あーあ、酷い酷い。俺には到底出来ねぇなぁ、そんな真似!』

『罪と向き合え――なんて言っちゃうんだ? 自分が五年経っても出来てない癖に?』

『それって、もしかして……自分の代わりにやって欲しいだけなんじゃないのか?』

『そうだな。自分が出来ないことを、人に擦り付けようとしているだけだろ?』

『結局、お前はクズだってことさ。そうさ……お前は、本当に最低だ! 誰よりも!!』


 レイの脳内では、レイを攻め立てる罵詈雑言、嘲笑と侮蔑に塗れた悪意の合唱が絶え間なく響き続ける。実際に聞こえているワケではない筈なのに、本当に聞こえているような――それも耳元で囁かれているかのような酷くクリアな声で。

 そんな容赦のない責め苦を前に、今度はレイが頭を抱えながら膝を折る番だった。

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