第6話

 怒涛の逮捕劇を終えた後、確保した二人の手首足首に錠をかけて。そうして拘束した二人を車の後部座席へ放り込む。そしてレイが運転席に、ライラが助手席に座り。


「じゃあ、華々しく本部へ凱旋と行きますか。安全運転でよろしく」

「……はいはい」


 嘆息交じりにそう答えたレイは、アクセルを踏み込んで。かくして、警官二人に犯罪者二名の計四名によるまるで楽しくない真夜中のドライブが始まる。

 運転中のレイに代わり、見張りを引き受けるのはライラ。ずっと後部座席の二人に不穏な動きはないか、或いは懲りずに抵抗してくる兆しはないか、拳銃片手にサングラス越しでもよく分かるくらいに鋭い眼光で睨み付けて観察し続ける。

 そんなライラの警戒の甲斐あってか、或いは手足の錠に観念したのか。後部座席の二人は借りて来た猫のようにすっかり大人しい。少女はブスッとした不機嫌そうな、小太りの男はオドオドした、正反対の表情ながら双方揃って一言も喋らずにタダ沈黙を決め込む。尤も、その沈黙のせいで車内の空気は何とも言えないほどに重苦しくて、充満するギスギスとした気不味い空気感のせいで居心地は最悪であったが。

 しかし、気不味い空気感を打破したくとも、この雰囲気で口火を切るのは相当に勇気がいる。寧ろ適当に会話をしてもすぐに会話が途切れて、結果余計に沈黙が重苦しくなるだろうことがリアルに想像出来てしまうからこそ誰も口を開かない。

 そんな調子が走行開始から一時間以上絶っても尚続く、まさに地獄のようなドライブ。だが、この嫌な沈黙は思わぬところで唐突に終わりを迎えることになる。それは、遂にRSPが本拠地を構えるアクロー王国の王都・アクロブルクが見えて来た頃のこと。


「……あれが、王都か。凄いんだな」


 車窓から望む景色――真夜中でも街全体が煌々と輝き、その輝きに照らし出された天を衝くほどに高い建造物群が幾つも林立する壮観な光景――をまじまじと眺めていた少女が、不意に声を漏らす。それは感嘆とも、忌々しそうにもとれる声音で。


「アクロブルクは初めて?」


 肩越しに振り返りつつ、ライラが問う。

 すると少女は、車窓からライラの方へ真っ直ぐに視線を向けると。


「あるワケないだろ。あたしたちみたいな貧困層にとって、王都は手の届かない場所だ。真っ当な方法では、足を踏み入れることすら許されていないのだから」

「……そうね、その通りだわ。現状をよく理解しているじゃない。お子様の癖に」

「お子様じゃない。あたしには――」

「で? 真っ当な方法ではない方法で初めて目の当たりにした王都の景色は如何かしら?」


 少女の言を遮ったライラの言葉は、何とも厭味交じりの物言い。

 傍から聞いている限りですらそう聞こえるのだ。当然少女には、厭味以外には聞こえなかったことだろう。少女は「ちっ!」と舌打ちをしながら。


「綺麗だけど、ムカつく……見ているだけで、最悪な気分になって来る。もういっそ、全部ぶち壊してやりたいくらいだよ。この手で、な!」

「それ、もうまるっきり悪役のセリフじゃない。怖いわね、本当に」

「あたしは悪党だから、こうして捕まっているんじゃないか」

「……そうね。確かにそうだ。貴女は、立派な悪役だったわね」

「けど、あたしだって好きで悪党になったワケじゃない……そうだ、誰もがこんな立派な町で何不自由なく暮らせるような平等で豊かで平和な国だったら、きっとあたしは悪党にならずに済んだのに」

「……ふぅん。あっ、そう」


 少女の怒りと悲しみと苦しさと悔しさが綯交ぜになった、自嘲気味なセリフ。

 それを耳にしたはずのライラが返した言葉は、実に淡白で呆気ない。

 そしてライラの返事を最後に、再度沈黙が訪れて。結局、その沈黙は更に車を走らせる事一時間ほど、目的地のRSP本部に付くまで延々続くこととなったのだった。



 王都アクロブルクの郊外にあるRSPの本部は、留置場設備も有している。

 そこへ捕らえた少女ともう一人を引き渡したレイとライラは、自分たちのオフィスへ戻って来る。拠点となるこの場所で一息ついたのも束の間、もう数時間後の昼頃には二人の取り調べが始まり……数日以内に二人の罪の全貌は詳らかになるだろう。

 そうなればもう、後は裁きが下されるのを待つだけ。まさに事件解決はもう目前という状況で、警官としては安堵の色を浮かべてもいい状況の筈なのだが――


「……………………はぁ」


 デスクの上で頬杖を突いて、深い溜息を漏らすレイ。

 その表情には安堵の色も達成感からくる喜びの色も無く、寧ろどこか冷めて憂いを帯びた浮かない表情。そんな露骨に奇妙なレイの様子に、流石に思うところがあったのか。


「何よ、そんなに浮かない顔をして。折角敵組織を潰して、主犯格と思しき連中を逮捕したっていうのに。一体、何がそんなにご不満なのかしら?」


 優雅に紅茶を嗜みながら端末でのデスクワークに勤しんでいたライラは徐にスクッと立ち上がり、レイの側へツカツカと歩み寄っては肩を優しく叩きながら問い掛ける。

 しかし、対してレイはライラの方を一瞥して、サングラスを外したライラの藍色の瞳と目が合うも――終始ぼんやりと曇った表情のままで、仕舞いには無言で視線を逸らす。

 何とも素っ気ないその態度に、イラッと来たのだろう。ライラは舌打ちをすると。


「――いででででっ!?」


 無言で少年の頬を指で引っ張る。

 不意打ちで思わず声が出る程の痛み。これには流石の少年も無視を決め込むことは出来ず、自身の頬を抓る手を振り払うと同時にライラを睨み付ける。


「何するんですかっ!?」

「態度が気に食わなかったから、つい。私の質問に、無視で返すとはいい度胸じゃない。今日は何だか、妙に反抗的ね。喧嘩なら買うわよ?」

「そんなつもりは無い……ですけど」


 失態を犯した後の制裁がフラッシュバックして、しおらしい反応。

 ライラは小さく溜息を漏らすと、レイの傍らにパイプ椅子を用意して腰掛けると。


「で、何よ? 何か思うところでもあるの?」

「それは……その……」

「ハッキリ言ってくれない? 私、ウジウジした態度は嫌いなんだけど?」

「……考えていたんです。あんな子に、一体どんな過去があるんだろう――って」


 観念したように絞り出した答えを聞いたライラは、藍色の瞳を大きく見開き驚きの表情。だが、二・三度瞬きしてから、一転して極寒の眼差しでレイを見据えると。


「はっ! 何それ? もしかして同情? それとも、感情移入? あの子の境遇は昔の自分と同じようなものかも知れない――みたいな? それとも! 自分と同じく哀れな犠牲者の一人かも知れない――の方かしら? 何にせよ、下らないったらないわ」


 吐き捨てるように辛辣なライラの物言いに、レイは唖然としてしまい。

 でも、こういう時でも自然に言い辛そうな「すみません」が口を突いて出るのは、長年の習慣が成せる条件反射の賜物か。それはレイ本人にも、分かりはしない。

 他方、そんな反射の謝罪を聞いたライラは、やれやれとばかりに肩を竦めながらも立ち上がり。そして丸まったレイの背中へ、容赦のない激しいビンタを叩き込む。


「――痛っ!? げほっ!? ごほっ……ごほっ! えっ? 何ですか、いきなり?」

「背筋が曲がっているから、叩き直してやろうと思って。ついでに、その甘い性根もね」

「……甘い、ですか?」

「甘いわよ。紅茶の中でダマになった角砂糖よりも遥かに甘い。甘過ぎて、反吐が出るわ。全く、そんな事気にしてどうするのよ? もしあの子に同情の余地があれば許すとでも? 或いは『政治の被害者なら仕方ない』とか何とか言って、あの子の無罪でも訴える?」

「それは……その……」


 口籠るレイに、ライラは大きな溜息を零す。


「呆れた。いい? どんな理由があろうが、どんな事情があろうが、彼らが国家の安全を損なう可能性がある危険分子であることは事実なのよ?

 確かに、何を企んでいたのかはまだ分からない。でも、彼らが娼館を隠れ蓑にし、その稼ぎでアレだけの武器を購入。そして囲い込んだ娼婦と誑し込んだ客を含めたかなり組織的な戦闘員の準備をしていたのは事実だし、それは彼らと戦った君が一番よく分かっている筈。もし野放しにしていたらどうなっていたか――危険性は誰よりも痛感したでしょ?」

「それは!? ……そう……ですけど……」

「ならばその危険を取り締まり、最悪の事態を未然に防ぎ、事実を明らかにした上で司法が適切な罰を下す手助けをするのが私たちの役目。

 無論罰を下すうえで必要な事実を明らかにすることは大事だけど、不要な事情なんて明らかにする必要も知る必要も無い。彼女たちの動機など、微塵も知る必要などないわ」

「……………………」

「余計なことに、意識を向けないで。不要なことに気を取られないで。意識が散漫になれば、決意が揺らぐ。決意が揺らげば、引き金を引くことを躊躇う。そして私たちがいざという時に躊躇えば、大勢の人が傷付き死んでいくのよ? それは、許されることではない。

 自覚なさい? 私たちの行動には、決意には、指には、それだけの責任が圧し掛かっている。私たちは、その責任を引き受けた覚悟を持って、その引き金を引くの。出来るか出来ないかじゃなく、責務を背負うと覚悟した以上はやるしかないのよ」

「それは…………」

「そして君は、その責務を背負う覚悟を既に決めている筈よね? 犯した罪を、償うために、あの日私と約束した筈。ならば、何を迷うことがある? 何を躊躇うことがあるの? 思い出しなさい、レイ。君が責任を背負う覚悟を固めた時のことを」

「……覚悟を……決めた時……」


 瞬間、レイの脳裏に蘇る記憶。

 見渡す限りで幾つも並ぶ無機質な墓石には、それぞれ名前と生没日が刻まれていて。

 全て同じ没日が刻まれたその夥しい墓石それぞれに、泣き叫びながら縋る人々の姿。

 目を背けたくなる痛ましい光景と、耳を塞ぎたくなる血を吐く様な慟哭。

 無論それらは、所詮レイの記憶が見せる……謂わば、記憶の残骸でしかない筈。

でも、まるでその場で見聞きしているかのような鮮明さでレイに襲い掛かってきて。


「――っ!? ……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……うわぁあああああああああっ!?」


 異様な過呼吸から、突然の恐怖に染まった絶叫。

 ガタっと椅子から立ち上がったかと思えば、後退り。壁に背中を付いて、そのまま頭を抱えて膝を折っては、怯え竦んでいるかのようにガタガタと震え出す。


「――ヤバッ!? ちょっと、落ち着きなさい! ねぇ、ちょっと!」


 どう見ても異常なその様子に、流石のライラも慌てた表情で。

 レイの背中を摩り何とか宥め落ち着かせようとするが、レイの怯えは収まる様子が無く。


「……まだまだ傷は深かったようね。地雷踏んだ私の責任か。これはもう、仕方ないわね」


 尚も震えるレイの様子に、覚悟を決めたようにそう呟く。

 そして――意を決したように、ライラはレイをその胸に抱き入れた。


「――あっ?」


 突然のことで驚愕し、間の抜けた声がレイの口から零れた。

 そして驚きで吹き飛ばされたかのように、レイの震えは嘘のように止まる。


「……あ、あの……えっと……これは……」

「落ち着いた? 全く、手間が掛かる。私にここまでさせるなんて、君はある意味大物ね」

「……その……すみません……」

「いいわよ、別に。それに、今は私も悪かったわ。すこーしだけ、ね」

「す、少し……ですか?」

「……何よ? 何か文句でも?」

「いえ、そんな……ことは……すみません」

「ここは『すみません』じゃなくて、『ありがとう』と言って欲しいところね」

「えっ? あぁ、はい……えーと、ありがとう……ございます?」

「ふふっ! 何よ、そのたどたどしい感じは……まぁ、いいわ。それよりも――」


 徐に立ち上がり、自席へと戻っていくライラ。

 そして何かを手に戻って来た彼女は、レイの前で膝を折るなりその手に何かを握らせる。


「……これは、一体なんですか?」


 怪訝な表情で掌を開いたレイが見つめるのは、ちょこんと乗った小さな情報記録媒体。

 当然これだけでは何が何だか理解できないレイは、それとライラの顔を不思議そうな表情で交互に見つめるしかできない。するとライラは小さく溜息を漏らして。


「見て分からない? メモリだけど?」

「いや、それは分かりますよ。で、この中には一体何が?」

「個人情報の記録よ。君が捕まえたあの娘の、ね」

「……………………えっ?」


 何を言われているのか理解が追い付かないらしく、長い間から漏れたのは素っ頓狂な声。それはライラに抱き締められた時よりも遥かに間の抜けた、それこそレイ自身ですら今まで聞いたことが無いくらいに情けない声だった。


「彼女の個人情報って……これを、どうしろと?」

「どうしても気になるんでしょ? 彼女の事。なら、気が済むまで聞けばいいわ。何なら、今思い出した後悔を伝えてもいい。勿論、聞くべきことを全部聞き出した上で――だけど」

「……! それって、つまり?」

「全部言わなきゃ分かんないの? 意外と鈍いんだから。……コホン。レイ、君に彼女の取り調べを命ずるわ。期間は一週間――それまでに必要な情報を全て揃えなさい。以上よ」

「……………………あ、あの――」

「返事は!?」

「――あぁ、はい! 承知しました。必ず、揃えてみせます!」

「よろしい。期待しているわ。あと、言うまでも無いけど取り調べ中の暴力は厳禁だから。私、そういう野蛮な振る舞いは嫌いなの。スマートに聞き出しなさい?」

「肝に銘じておきますよ。 ……ライラさん、ありがとうございます!」


 嬉しそうに、ガバッと勢いよく頭を下げるレイ。

 するとライラは困ったような、それでいてどこか嬉しそうな微笑をレイに向ける。


「言っておくけど、当然失態は許さないから。期限までに聞き出せなかった時は――」

「そ、それは勿論……心得ています」

「なら、いいわ。精々期待して、私はあの冴えないオッサンの相手でもしましょうか」


 そう言って、ライラは自身の手の中にあるもう一枚のメモリを弄ぶ。

 少女の情報が記録されたメモリは、レイの手の中。そして先の言葉。

 ならば恐らく、そのメモリの中身は。


「それって、もしかしてあのもう一人の男の個人情報ですか?」

「……? そうだけど、それが何か? もしかして、こっちも興味あるの?」

「いえ、そうではなく。ただ、ちょっと気になっただけです。二人の個人情報、いつの間に集めたんだろう――って。無論そちらは今回最初からマークしていたので、元々集めていたんでしょうけど、彼女は違う。こちらにとっても完全に初見でしたし、逮捕して顔を確認してからそこまで時間経っていない。なのに、もう個人情報を集約しているなんて」

「それはまぁ? 私は事務作業だけは早いらしいからねぇ」

「……う゛!? もしかして、まだ根に持っているんですか?」

「冗談よ、半分ね。纏めたのは私だけど、流石に彼女の情報を一から十まで全部自分で集める時間は無かったからね。だからそっちは、庁内の知り合いにお願いしておいたのよ」

「あぁ、成程! そういうことですか、納得です。……でも、意外ですね」

「……? 意外って、何が?」

「ライラさん、庁内の知り合いがいたんですね! で、一体どんな方なんですか?」


 一瞬、空気が凍り付いた。ピシッという、氷面の割れた音が聞こえるくらいに。

 そんな状況に気付かないレイがライラに向ける視線は、実に無邪気で無垢。

 悪気など微塵も無い純粋な興味だと、その澄んだ目は如実に物語っている。

 けれども、悪気の無くとも無神経な言葉は、時に露骨な悪意の籠る言葉より怒りを買う。

 ――そう、まさに今回の様に。


「……? ライラさん? どうかしまし――」

「……るせぇ!」

「――へっ?」

「うるっさいわねぇ! 私にだっているわよ、知り合いくらい! 悪いっ!?」

「ちょっ!? えっ!? な、何ですか? 何で、怒って――」

「どうせアレでしょ? 私はボッチだって、そう言いたいんでしょ? いい度胸ね、上等だわ! そんなに喧嘩買って欲しいなら、買ってあげるわよ!」

「いや、そんなつもりは全く無いですよ。ただ、あまり人と仲良くしているところを見たことが無いので、どんな人なのかと――あっ、ちょっ、無理です! 無理ですってば! 人間の腕はそっちには曲がらな……いぎゃぁあああああああああああああああああっ!?」


 激高したライラによる、容赦のない関節技。

 メキメキと軋む骨と、レイの絶叫が二人しかいないオフィスに響く。

 人の心の地雷とは、どこにあって何時どんな拍子で踏むか分からない。

 結局は、デリカシーと想像力が大事ということなのだろう。尤も、それを身に染みて感じたところで、事態が起きてからでは何もかもが遅い。


「あぎゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 大切な教訓を事前に学べなかったツケを払うかのようなレイの苦悶の絶叫は、広大なRSPの庁舎中に遍く響き渡って。結果的にただでさえ人の寄り付かないライラのオフィスだが、この日以降より一層人が寄り付かなくなったのは、また別のお話である。

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