第5話


「お待たせ~! さて、現場はどんな感じ――って、うわぁ……ひっどいわねぇ」


 場違いに明るくおどけたような口調と共に現場へ入って来たライラだが、その死の充満する惨状を目の当たりにするなり眉根を顰めて肩を竦める。


「まさに地獄絵図――漏れなく全員殺すなんて、ホントに容赦ないわねぇ。怖い怖い」

「この状況で、人聞きの悪い冗談を言っている場合ですか? 第一、全員じゃないですよ。身柄を押さえるべき者は、殺さずに押さえてあります」


 顔に付いた返り血も拭かないまま暗闇の中で静かに待っていたレイは、ライラの足元へ向けて確保した二人を放った。まるで荷物でも扱うかのような適当さで。

 ドサッという音を立てて、ライラの眼前へ引き出された二人。その様子を見るなり、ライラはニヤリと笑みを浮かべて。


「上出来! 流石は、私のただ一人の部下を務める男。鮮やかなお手並みだわ。これは苦労して令状を取った甲斐があったというモノね」

「そうですか。まぁ、こっちは言うほど大した苦労はありませんでした。借りていたコイツも、結局使わずに終わりましたので」


 突入前にライラから半ば押し付けられる形で借りた自動式拳銃を、ライラへ差し出す。受け取ってまじまじと見てみれば、確かに使用された形跡はなく弾丸も全て残っている。レイが普段使用している六連発式回転銃とは弾の規格が違うので、補充は不可能。つまり、強がりでも冗談でもなく本当に使っていないのは明らかで、ライラの顔が若干不満げに曇った。


「いい加減、使ってくれてもいいと思うのだけど? これじゃあ、何時までも感謝の言葉が聞けないじゃない」

「不満なら、貸して頂かなくて結構ですが?」

「あら、可愛げのない。昔はもっと可愛かったのに」

「昔って、何時の事ですか? ……第一、聞いてどうするんです? 俺からの感謝の言葉なんて、何にもならないでしょうに」

「別にどうもしないし、何にもならないこともないわよ。ただ、私が聞きたいだけ」

「だから! それは一体何故かと聞いて――」

「いやぁ、それにしてもホントに大した腕前ね。惚れ惚れするわ」

「――って、ちょっと!? 人の話を無視しないで――」

「見たところ軍から払い下げられたモノみたいだけど……へぇ、年式は比較的新しいのね。資金面は潤沢なのかしら? 中々に優秀な銃器を揃えている辺り、大したモノだわ」

「……………………やれやれ」

「そんな強力な武器で武装した、しかもこの数の敵を相手に、骨董品のリボルバー銃一丁で完勝するなんて見事な腕前じゃない。もう、RSP最強を名乗ってもいいんじゃない?」


 ニヤニヤと笑みを浮かべながら好き勝手に賛辞を述べる――いいや、一方的に捲し立てる、というべきか――ライラだが、その振る舞いは同時に『質問など答える気はない』という彼女なりの意思表示でもあるのだろうことを、レイはひしひしと感じ取っていた。

 勝手に意味深なことを言っておきながら、その追及は適当に濁して答えない。

その飄々としたマイペースぶりは今回に限ったことではなく、寧ろ普段からこんな感じ。分かっていたこととはいえ、やはり何だか悶々とするその思わせぶりな感じは頭痛の種になりつつあり、レイは思わず嘆息を禁じ得ない。


「あら? 折角私が珍しく褒めてあげたのに、そんな深い溜息で返すなんて酷いわね」

「珍しすぎて、明日は雪でも降るのではないかと心配しているんですよ」

「大丈夫。明日の天気予報は晴れよ? あぁ、でも……確かに珍しいといえば珍しいわね」

「それ、自分で言うんですか?」

「……? あぁ、そうじゃないわよ。確かに私が人を褒めるのも珍しいけど、それ以上に珍しいと思ってね。君が敵を撃ち漏らすなんて――さ!」


 バンッ! 突然響いた銃声。その出所はレイの銃ではなく、ライラが握る銃から。

 驚愕から瞠目して固まるレイだが、ゆっくりとライラが銃口を向けた先へ視線を向けてみれば、そこには出血の激しい右手首を押さえながら苦悶の声を漏らす半裸の女性の姿。


「――っ!? そんな、まさかまだ息が?」

「どうやら、お仲間の死体の下に隠れてやり過ごしていたようね。気の狂いそうなこの地獄の中で、声一つ出さずに息を顰め続けるとは大した精神力じゃない。流石は革命戦士ってところ? まぁ、どうでもいいけど。何にせよ、よくないわ。こういう油断は、ね!」


 軽い口調でそう言い放ち、ライラは再度引き金を引く。

 放たれた弾丸は生き残っていた娼婦の頭を撃ち抜いて、今度こそ確実に息の根を止めた。

 最後の抵抗を完全に潰したところで、ライラは得意げな笑みでレイを見つめる。

 他方、レイは下唇を噛んだバツの悪そうな表情で、向けられるその視線から逃げるように目を逸らす。


「失態ね、これは。吐いた唾を呑み込むようで何だけど、少々ガッカリよ」

「……………………」

「それに、最近の態度。もしかして、忘れた? 私が君を――王族貴族へのテロを企て実行し、多くの命を奪い去った大罪人たる君を、拾ってあげた時に交わした約束のことを」


 突然、ライラは手にした銃をレイの額へ押し付ける。ゴリッという音が耳に響き、同時にライラが引き金に指を掛けている姿が垣間見えて。 

 加えて、向けられる光の無い冷たい眼差し。これには思わず、レイも息を呑む。


「私の満足する完璧な結果を出して、私を満足させること――それを叶えてくれているうちは、構わないと思っていた。経過がどうであろうが、態度がどうだろうが、何でもね。

 でも、それが叶わないなら話は別。結果が出せないのなら、君に待っているのは死だけ。長いモノで、もう五年? 流石に、こう見えて君には多少の情を感じているからね。せめてもの慈悲として、君の最後は私の手で直々に始末を付けてあげましょうか」


 凡そ人間とは思えないほどに、感情を感じさせない無機質な声音で。

 凡そ人間とは思えないほどに、強烈な威圧感を放つ嗜虐的な笑顔で。

 冗談とは思えない悪意と害意を宿した言葉を吐くライラは、悪魔に見えた。


「……はぁ……はぁ……はぁ……」

「あぁ、そうだ。もしも地獄に落ちたなら、その時は君の義両親と同胞たちによろしく。多くの人の命を奪い、多くの人の人生を狂わせて。最後はその報いを受けるかのように無様な死を迎えた、あの愚かな者たち……彼らは一人残らず地獄にいるでしょうからね。

 地獄でも、感動の再会が出来るなんて喜ばしい限りじゃない。本望でしょう? それじゃあ、名残惜しいけどそろそろお別れと行きましょうか。さようなら、レイ=イギール君」


 ライラの引き金に掛ける指に力が籠った瞬間、レイはそっと静かに目を瞑る。

 まるで、その死を受け入れたかのように。

 だが、次の瞬間レイの耳に響いたのは――


「バーンッ……フフッ! なーんてね。冗談よ、冗談! ふふふ……はははっ!」


 自分の額を貫く銃声ではなく、心底楽しそうなケラケラとしたライラの笑い声。

そうして一頻り笑って、漸く満足したのだろう。彼女は銃をホルスターに仕舞った。

 果たして、解放されたレイだが……本気で死を体感した極限の緊張下から解放されてまともに立てる筈もなく。その場で力なくフラフラと地面に座り込んでは、恐怖で歪んだ顔に脂汗を滲ませる。


「……はぁ……はぁ……はぁ……」


 遂には肩で息をするほどに過呼吸となって、床に手と膝を付きながら蹲ってしまう。拳銃一丁片手に単騎で敵部隊を難なく壊滅させるレイを、ここまで恐怖させる威圧感はまさに尋常ではなく。それは即ちライラ自身もまた只者ではない事の証左。

 そして猶恐ろしいことに、アレだけレイを恐喝したかと思えば今度はレイの眼前にしゃがみ込んで、喜色満面の笑みを湛えてレイの頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でまわす。その表情、まるで飼い犬でも相手にしているかのような無邪気さである。


「よ~しよし! いい反応じゃない。私の怖さ、忘れてはいなかったようで安心したわ。その反応と普段の勤務実績に免じて、今回は不問にしてあげる。でも、忘れないでね?」


 蹲るレイの胸倉を掴んで無理矢理起き上がらせると、レイの耳元へその顔を近付ける。ライラの吐息がレイの耳朶を擽るくらいに、近く。


「次は、もうないかも知れないから。終わりっていうのは、いつ来るか分からないモノよ。それは君だって、良く知っているでしょう? 命も明日も、意外と呆気なく失われてしまうモノ。弁えなさい? 君は一生、私には逆らえない。死ぬその時まで、永遠に私に従う。それが、命を救い贖罪の機会を与えてあげた私の権利で君の義務。

もし次私の意に反して私を失望させた時は、その時こそ確実に処分されると思うことね。野良犬よりも、いいえ虫ケラよりも、あっさりと惨め殺してあげる。いいわね?」

「……………………はい」


 全く優しくない脅迫の言葉を、愛を伝えるかのような優しく声で囁いてみせる。

 傍若無人極まりない物言いだが、レイに異論も出さずにただ頷く。こくりと、大きく。その反応に満足して気を良くしたのか、ライラはレイの胸倉から手を放すが……解放されたレイは自然と正座のような体勢となり、過呼吸気味に肩を震わせる。

 そんな哀れなレイの姿に、ライラはニヤリと笑みを浮かべながら手を伸ばしては、先程までの荒々しさとは打って変わって優しい手つきでレイの顎を掴み、恐怖に歪んだその顔をじっくりと舐め回すように見つめ始めて。


「……あっ、あの……何ですか?」

「いい表情だと思ってね。どんな人間であれ、恐怖に歪んだ顔は素敵。だけど、君の表情はその中でも格別。初めて見た時からずっと、君のその表情は私の心を掴んで離さない。

 だから、その顔を見られたことだし、今日はこれで勘弁してあげる。何より、次も閊えていることだしね。さてと……長らくお待たせしたわね、お二人さ――ん?」


 いよいよとばかりに、レイが身柄を確保して地面に転がしておいた二人へ矛先を向けるライラだが……その二人――特にベールで顔を隠した方を見るなり、怪訝な表情を浮かべ。


「おや? もしかして!」


 抱いた違和感に突き動かされるまま、ライラは一息にそのベールを強引に剥ぎ取る。すると露わになったのは……まだあどけなさの残る少女の顔。肩口まで伸びた赤い髪と灰色の瞳が目を惹く彼女は、目付きこそ鋭く険しいが紛れもない美少女で。そんな彼女の顔を見るなり、レイとライラは驚愕の表情――ライラに至っては、サングラス越しでも見て取れるほどに瞳を大きく見開いていた――を浮かべる。


「そんな、まさか……お、女の子?」

「えぇ、驚きね。まさか組織の中核人物が、こんな女の子だったとは」


 確かに、一目見た瞬間から随分と華奢で弱々しい体躯だとは思った。

 けれども、相手は曲がりなりにも娼館を根城にする武装組織の中核人物で、それはこうして最後までその身柄を守られていたことからして間違いない。そんな状況からくる先入観故に、矮小な体躯とはいえ流石に正体は成人の男性だろうとレイは思い込んでいた。

 しかし、実際の正体は思い込みとは真逆。これにはレイもライラも、流石に驚きを禁じ得ないというもの。

 尤も、姿形は少女といえども、中身はまるで違うらしい。

 力強い意思を宿した狛犬を思わせる鋭い目付きで、レイとライラを交互に睨んで。


「あたしをそんな目で見るな! 何だ、お前ら! 何か文句でもあるのか!?」


 虜囚として地面に転がるこの屈辱的かつ危機的状況下――実際、もう一人の男はすっかり竦み上がって声も出ない――でありながら、実に堂々たる態度。

 成程、組織の中核に居座っているというのも、満更冗談でも無さそうではある。


「いや、文句は無いが……驚いただけだ。まぁ、いい。早く連行しましょうか」

「えぇ、そうね。これは、俄然色々と聞きたいことが出てきたわ。手配は済ませてあるし、早く行きましょうか」


 ライラの目配せに頷くレイは、その少女を立ち上がらせようと肩に触れるが――


「触るな、変態! クソみたいな国のクソみたいな犬如きが、私に触るな!」


 突然、体を激しく動かして抵抗。

両手を手錠で封じられた状態にも関わらず激しい抵抗に、レイは思わず面喰う。

 何時までも暴れられては困る。だが、相手は年端もいかぬ少女ということもあって、何とか穏便に抵抗をやめさせようと試みる。だが、そんな気遣いなどお構いなしの少女はなおも激しい抵抗を続けるばかり。

 そんな押し問答を延々と繰り返していた時に、突如響く小さな溜息。

 やれやれと呆れ顔のライラは、カツカツと足音を鳴らしながら少女の眼前へ立つなり無表情で見下して。一切の感情を見せぬまま、手にした銃を少女の眉間に向ける。


「――ひっ!?」

「ちょっ!? ら、ライラさん? ま、まさか……」

「そのまま抑えていなさい。私、うるさい子供は嫌いなの。だから黙らせるわ、永久にね」


 淡々と凄みを帯びた声で脅しながら、引き金に掛けた指に力を込めていく。


「それじゃあ、死になさい? クソガキちゃん」

「ちょっ、ちょっと待っ――」

「きゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 先程まであんなに勝気な少女から響く、恐怖に染まった絶叫。

 そしてそれを打ち消すように響く、無慈悲な銃声。夜の裏路地に響いた銃声とほぼ同時に、少年が手を焼いた少女の抵抗はピタリと止まる。


「ライラさん……何てこと――えっ?」


 銃声は、確かに響いた。この至近距離、不意打ちで向けられた銃を撃ち落とした上で眉間を撃ち抜く高度な射撃技術を持つ人間が外すような距離ではない。

 何より、あんなに元気に抵抗していた少女が動きを止めた――普通に考えれば少女は即死したと見るべきだが……いざ見てみれば、少女の眉間には弾痕どころか傷一つなく。どうにも、ただ目を閉じて気絶しているようにしか見えない。


「……これは、一体?」

「キャンキャンと騒がしかった割に、呆気なく気絶したわね。ホント、情けないったら。まぁ、所詮お子様――って、何よ? 何でそんなキョトンとした顔でこっちを見て」

「あっ、いやだって……ライラさんの事ですから、てっきり本気で殺すつもりかと」

「はぁ? そんなワケないでしょ。折角追い詰めて確保までして、それで殺してどうする」

「でも……じゃあ、今の銃声は?」

「空砲よ。子供騙しなら、これで十分かと思ってね」


 そういうライラの銃をよく見れば、マガジンが取り外されていて弾丸が装填されていない。まじまじと見つめて初めて分かる事実であり、銃口を向けられたあの状況でそこまで見極めるのは難しい。まして、銃を携帯していない少女の目なら不可能と言っていい。


「……成程。まぁ、そうですよね。はっ、ははは……」

「尤も? 流石にこれでまだ抵抗するようなら? どうしていたか分からないけどね」


 不敵に嗤うライラに、レイはゾッと肌を泡立てる。

 そんなレイの額に、ライラは一発デコピンを打ち込んでは目を覚まさせてやった。


「痛っ!?」

「何ボケっとしているの? ほら。確保したんだから、さっさと帰るわよ。その子拾って」

「あぁ、はい!」

「アンタも行くわよ! 自分で立てるでしょ?」

「ええっと……いやぁ、実は腰が抜けて。だから手を貸して頂けると――」

「立てるでしょ? ていうか立て! じゃなきゃ殺す」

「はっ、はひぃ……」


 言うだけ言って、ライラは踵を返してさっさと歩きだし。

 そんなライラの後に少女を抱えたレイと小太りの男が続く。

 しかし、目的を達成しての華々しい凱旋である筈が――抱える少女を見つめるレイの顔はどこか陰気で消化不良な、やりきれないといった具合の暗い表情であった。

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