第8話 影

 明くる日、瑞穂は神社に向かおうと山道を登ろうとしていた。暑い日が続いているせいか妙に水分がほしくなり、リュックからペットボトルを取り出した。ペットボトルは空であった。飲みかけだったそれはとっくに尽きていた。ため、仕方なく瑞穂は寄り道をすることになった。

 瑞穂はきょろきょろと周囲を見回す。

「たしか公園があったような……あった。自動販売機はここ高いから水道でいいか」

 喉が渇いた瑞穂は公園の蛇口に近づいた。

 そこで異変に気づいた。

 蛇口の下には黒いシミがある。滴が垂れて濡れたあとだろうかと最初瑞穂は思った。

 口をつけようとして、瑞穂は固まる。

「なに……これ」

 瑞穂の目の前に広がった異質な光景。

 蛇口から、なにかが、はいだしていた。

 瑞穂は背筋がぞっとするような気色悪さに戦慄した。

 とっさに蛇口から離れて距離をとる。

 瑞穂の声に反応したように蛇口からひどく汚い音が響いた。

 同時に、漏れ出した滴が形をなす。奇怪なうなり声を発しながらなぞの液体じみた生物はついに完成した。

「ギキョアガウガタア! アァァエェテ?!?」

 ブルブルと震えながら人語ではない叫びを発しながらその生物は瑞穂に飛びかかった。

 襲い来る恐怖に瑞穂は身を翻す。

 間一髪、何か・・の体当たりは避ける。

 猛ダッシュで石ころにつまずく。スニーカーの先がてんと弾む。転倒はしなかった。

 だが瑞穂の頭はパニックになっていた。

 どうしたらいいか分からない。

 逃げることに専念すべきだろうか、思った矢先、向かいの軒先で風鈴が鳴った。

 ちりりん。

 思い出すのは、ツキガミ様の舞。

 そして、はじめの頃に渡されたお札・・の存在だった。


 瑞穂は動く。

 ツキガミから渡されていた札はたしかいつものリュックに入れていたはずだ。一番大きなポケットを片手で探る。

 その間も謎の生物の追撃は止まらない。

 引き返してきたそいつは瑞穂の腕を狙った。

 再び、タックルを危なげによける瑞穂だったが例のお札はなかなかみつからない。

 瑞穂はリュックをしらみつぶしに探す。チャックを思い切って開けるが指には引っかからない。どこを探してもあるはずの感触がないのだ。

 入れ替えたはずはない、絶対にあるはず。

 瑞穂の記憶はたしかなはずだが確信がもてない。もしや忘れているだけで取り出してしまったのかと汗がでてきた。

「っが!?」

 そうやって思考が集中したせいで油断していた。瑞穂の腕をそいつがひっかいた。瑞穂は痛みと恐怖でなにごとか叫ぶ。さらにそいつは傷口を深くえぐってくるではないか。瑞穂は痛みにうめきながら、願うようにもう一度、リュックをあさった。


 ――はらり、と何かが落ちた。


 気配につられて視線を向ける。足下には紙の人形があった。

(そうだ、確か同じ場所に!)

 瑞穂は慌てて手前のポケットを探し直す。

「あった」

 奥の布地に挟まっていた札を急いで掲げる。

 瑞穂は強く言い放った。


「守護!!」


 瑞穂が叫んだ瞬間、まばゆい光が視線をおおった。

(これでいいんだよね、ツキガミ様……?)





 野犬のような影は霧散し、あとには何もない。異変が起きたというのに通りは静かで、民家からはテレビを見る家族の笑い声が聞こえている。


 どうやらお札を使ったことであいつは撃退したらしい。

 瑞穂は心底ほっとした。


 額に流れた汗をハンカチで拭き取る。

「なんだったのよ……」

 怖かった、とても。

 衝撃で腰が抜けてしまった瑞穂。立てないまま脚がいまだガクガクと震えている。


「瑞穂、だいじょうぶですか?」

「あ、なでしこ……? ごめん、手、貸してくれない?」

 居合わせらたしい大学の友人が声をかけた。

「いいですわよ」

 日傘を開けて、ロッジのような公園の建物から出てくる。

 そういえば撫子も遠出だろうかと瑞穂は思った。

 たしか彼女の家は反対方向の丘にたたずむ屋敷だったはず。わざわざこんなところにいるのは珍しいなと思い返したが、彼女にももしかしたら秘密のひとつやふたつでもあるのかもしれないと思い、瑞穂はそれ以上勘ぐるのをやめた。

 撫子が瑞穂に手を出す。瑞穂は感謝を告げながらその手をとった。



 苦心しながら立ち上がる瑞穂をみつめるその目は異様に輝いていたが瑞穂からははみえないようだった。

 撫子は手を引くと日傘を構え直す。

 太陽から顔を隠すように、撫子はそっと犬歯の目立つ歯で笑った。

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