第6話 奥村太陽の実力
「ハッ……中々様になってるじゃねえか」
放課後の夕暮れ。
舞原 伊織こと鬼教師の圧に負けて強制的に練習用ユニフォームに着替えさせられた俺を見て、吾郷先輩がニヤつく。
「フッ……まさか入学初日からお前とバッテリーを組めるとわな」
入部見学に来ていた樺井がキャッチャー用具を身につけて、マスク越しに不適な笑みを浮かべている。
鬼教師の指示でこの一打席勝負のキャッチャーは樺井がやることになった。
おそらく他の部員だと俺の球を取ることが出来ないと判断したのだろう。
約半年ぶりに投げるのでまずは入念にストレッチをして、次に俺の球種はストレート、スライダー、カーブ、チェンジアップとあるのでサイン確認。
それが終わり投球練習。
うっ……ボールを触るだけで、嫌な記憶が蘇ってくる。
額からだらだらと流れてくる脂汗を拭って、久しぶりにボールを投げた。
悲しいかな……軽く投げてみた感じ力はそこまで落ちてない。
まあ全盛期よりは劣るけど。
「そう言えばお前サウスポーだったな。コントロールも悪くなさそうだが、俺にとっちゃあ打ちごろだな……てか顔色悪いけど大丈夫か?」
俺の投球練習を見て吾郷先輩が余裕そうな笑みを見せると同時に何やら心配してくれてるようだ。
もしかしたら、根はいい人なのかもしれない。
「まあ……こんなもんかな。じゃあ、やりますか……」
俺は20球ほど投球練習を行ったあと、吾郷先輩を打席に入らせた。
そして、俺の入部拒否をかけた戦いが始まった。
さて……じゃあねじ伏せますか。
あれ? 負けにいくんじゃないの?
って思ったかもしれないが、よく考えたらそれは無理。
何故ならあの鬼教師はそんなに甘くはないからだ。
奴はシニア時代によく練習や試合を観にきてたから俺の実力を知っている。
ここで手を抜いてわざと負けようもんなら一発でバレる。確実に殺される。
ならどうするかって?
大丈夫だ。俺はこの危機的状況の中で光明をみいだした。
そう、この勝負には穴がある。
ここにいる誰もが、ルールを決めた鬼教師ですら気づいていないであろう致命的な穴が。
まずは……この勝負に勝つことだ。
「さあ……来い!」
右打席に入ってどっしりと構える吾郷先輩。
なるほど、大口を叩くだけはある。
それなりに威圧感のある構えだ。
だがな、俺はそうやって勝負に敗れていく奴を何人も見てきたぜ。
こういう奴は最初の一球が肝心だ。
選択するボールは──
流石に樺井もわかってるみたいだな。
俺の投げたいボールのサインを一回で出してきたか。
インコースのストレート。
俺は大きく振りかぶって、樺井のミットめがけて思いっきり腕を振る。
……吾郷先輩、あんたには2つ気づいていないことがある。
1つはあの投球練習が伏線だったこと。
あの20球は全て100キロそこそこのストレート。
それをじっくり見て目が慣れてしまったあんたは初球の身体に近い速球に対応できない。
そして、もう1つは俺の正体。
無名校のお山の大将で満足しているようなあんたには決して気づきようがない……
俺が中学時代に無双していたエースだと!!!
「なっ……!? 速っ…………!?」
俺に敗れる。
吾郷先輩が振ることすらできないボールが樺井のミットに寸分も狂うことなく吸い込まれた。
「ス…………ストライク……!!」
審判を務めていた野球部員が高らかに腕をあげた。
「おっ……おいマジかよ!! あの吾郷が反応すらできないって……!」
「何者だよあの新入生!?」
「ボール見えなかったぞ!!?」
「しかもインコースギリギリ……!」
「エグいエグい!!」
勝負を見物していた他の野球部員からどよめきの声があがる。
「やはり少し落ちてるみたいだな……奥村」
その中で鬼教師だけが、俺が劣化していることに気づいていた。
今のボールも140キロそこそこしか出ていない。
それでも入学したての一年生で、しかも右投げよりも比較的球速が落ちると言われている左投げで140キロなら十分速いが、ワールドカップを制した時は最速150キロをマークした。
本気で投げてこれなら、落ちていると言えるだろう。
「どうします先輩、まだ続けますか?」
おそらくあの投球練習を間近で見ていたあんたには、今のボールが150キロかそれ以上に見えただろう。
そうなれば結果は見えてるようなもの。
「ぐっ…………クソっ、俺の負けだ!! 勝手に入部しろ!!」
これ以上の醜態を他の部員の前で晒すよりは、潔く負けを認める。
懸命な判断だろう。
吾郷先輩はヘルメットを脱ぎ、足早に去っていった。
「ナイスボールだったな。奥村」
キャッチャーを務めていた樺井がマウンドに駆け寄ってきた。
「お前こそ……」
初見でよく捕れたなと言おうとしたところで……
「はああああああ……しんどい……」
俺はマウンドに膝をついた。
「だ、大丈夫か!?」
いや、無理。
一球本気で投げただけですごい疲労感。
なんか格好つけたけど、吾郷先輩が一球で諦めてくれてよかった……多分本当に一打席勝負してたら打たれてた。
とにかく体の震えが止まらない。
まるで野球をやりたくないと身体全体が主張しているようだ。
……でも、これでようやくこの苦しみから解放される。
遂に野球をやらなくてよくなるんだ。
「奥村……約束通り、うちの野球部に入部してもらうぞ」
鬼教師が笑みを浮かべながらゆっくりと近づいてきた。
正直そんな約束はしていないが、そんな事を言っても無駄だろう。
だから俺はちゃんとあんたのルールに乗っ取った上で論破させてもらう。
「その事なんだが、あんた確かに言ったよな。この勝負は『勝った方の意見が通る』と。今の勝負で勝ったのは誰だ? あんたじゃない、俺だ。つまりだ、野球部には入らないという俺の意見が通るということだ。そういうわけだから、もう今後俺は野球をやらない。以上」
どうだ、ルールの盲点をついた俺の完全勝利だ。
残念だったな鬼教師……自ら決めたルールによってあんたは負けたんだ。
「お前が野球をやるかどうかは私がきめるんだが?」
「!?!???!!?!?」
なんじゃそりゃああああああ!!!!
そんな暴論あるかよ!!!!
なら今の勝負なんだったんだよ!?
てか、それなら俺はこれから三年間毎日野球漬けの日々!!??
そ……それだけは……
「嫌だああああああああああ!!!!!!!!」
***
「はあっ……やっぱりかっこよすぎだよ……奥村くん……」
今の勝負を見物していた江波 葵は、逃げ惑う奥村太陽を見つめポツリとそう呟いた。
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