第3話 旅の始まり 北部へ
*** アクアリア西領、シンバル邸 ***
アクアリアの中でも西領は広大な土地を持っており、その多くが水はけのよい、農地に適した土地である。
アクアリアで長く続いている雨も、西領は比較的天気に恵まれることが多かった。気候も安定しており、アクアリアの食料はこの西領が支えていると言ってもいい。
当代の公王も、この西領の先代領主から公王に選ばれた。代々の公王の多くはこの西領の出、いずれ自身や一人息子も公王に選ばれるのだろう、シンバル公もそう考えていた。また、それを疑う者もそう多くはなかった。
しかし最近になって妙な噂を耳にするようになった。
南領から来たゴロツキが聖女とやらを探して回ってるそうだ。
何を血迷ったのか、元老院に差し出せば公王になれるとでも思ったのだろうか。
せめてコソコソとやってくれれば見て見ぬふりもできるというのに、余計な火種にしかならないだろう。
*** アクアリア東領、北部への街道 ***
「聞いていたよりもずっとゴロツキが多いですね。こんなんなら、もう少しいい装備をしてきても良かったですよ。
ほら、そこらの行商の方がずっと厚着をしてますよ。
これではどちらがどちらの本職かわかりません。」
馬車を御しながらビーターが話しかけてきた。
東海岸の家を発って、3日目。道中の宿場で宿を取りつつ北部に向かっていた。
ビーターがトライアから預かってきたという荷馬車はとても快適で、クッションの効いた車輪と、御者席の後ろに座席がついた上等なものだった。
東海岸から北部までの道のりは大きな町がなく、点々と宿場があるのみ。そのため長旅に適した上等な荷馬車を曵いた行商が多く往来する。
北部に近づくにつれ、ちらほらと集落が目につくよになり、それと共にうろつくゴロツキと、ビーターの口数が露骨に多くなってきた。
「嫌だなあ、これじゃまるで北部の治安が悪いみたいじゃないですか。
…私、北部の出身なんですよ。北部のいいところを見せたかったんですが、時節が悪いようですね。
…あ、ほら見てください。鈴の実ですよ。ここらで低木の果実を見たら、鈴の実だと思ってください。
流通している鈴の実は白っぽいですが、北部じゃ熟して黄色くなってからたべるんです。日持ちしないので北部でしか食べられませんが、王都からも物好きがわざわざ食べにきたり、なんて話を聞きますよ。」
退屈はしないが、うるさい。
「あまり北部にはいらっしゃっていないとお聞きしました。北部はとても詳しいですが、仕事柄、街を見て回ることが多いので北部以外の東領にも詳しいですよ。
例えば、東領の南部の更に南端まで行くと港町だらけなのですが、そこらはとにかく鶏が多くてですね…」
しばらくこちらの世界にいて気付いたことだったが、動物や植物、食べ物、元の世界にいたもの、あったものをこちらでも見かける。
果物だとリンゴやミカン、動物なら鶏、馬、牛といった子どもでも知っているようなものならこちらの世界にもあるようだ。
きっと、どこかに象もいるだろう。
「そろそろ最初の目的地につきます。先程、私は北部の出身とお伝えしましたが、ちょうどその町でしてね。
私の家族を紹介するついでに、今日は私の実家に泊まりましょう。」
そうして、日が暮れる頃に最初の目的地の町に着いた。
ビーターの実家は、やや街の外れた辺りににある。あまり大きくはないが、建物も庭もよく手入れされていた。
夕日に伸びた木陰と、風で木の葉がこすれる音と、街の喧騒がなぜか懐かしいような心地よさがあった。
「愚息が世話になっております。
トライア公からお二人の話はかねがねお伺いしておりました。
昔から落ち着きのない子でして、護衛のはずが、ご迷惑をおかけしてないか心配しておりました。
東海岸から長旅でお疲れでしょう。…ちょうど鈴の実を使った菓子をご用意したところでして、食前のデザートをご一緒しましょう。」
ビーターの父、クリムト侯からの歓待の言葉をいただいたが、こちらも話が長くなるくせがあるようだ。裏のない人間だと感じた。
館の客間に案内されると、ビーターの母と思われる女性と、姉か妹と思われる女性がいた。
「お待ちしておりました。まずは、お掛けなさって。」
促された席には、すでに人数分のケーキが用意してあった。
「妹のミタリーです。」
「ビーターの母です。執事が町でビーターを見たというので、先にご用意させていただきましたの。」
派手さはないが、質素で丁寧な作りの服。慎ましやかな振る舞い。この家ではそういったものを美徳としているのだろう。
「聖女様を探されてるそうですね。この辺りでは結構な人が聖女様を見ていましたから、聖女様が夢か幻かだったなんて思っている人なんか滅多にいませんよ。」
「そういえば、お忍びでしたね。
でも私たちには気になさらなくていいですよ。お二人が、別の世界からいらしたことも存じ上げておりますわ。トライア様は、私たちには口が軽いようで。
きっと兄のおかげです。
…もし差し支えがなければ、少しお話を聞いてみたいですわ。」
この家族の雰囲気に飲まれたのか、俺も元の世界で覚えていること…電気、自動車、飛行機。この世界では珍しいものの話をいくつか話してあげた。
話の度に、ビーターの家族がいい反応をするのでついつい話しすぎてしまったかもしれない。
話の途中でメイドにも聞かれていた気がするが、信頼できそうな顔だったので話は切らなかった。
ただどうしても、前の世界で自分が何をしていたか、どんな人間関係があったかは思い出せない。
姉はもう少し自分よりは覚えていそうだったが、アテになる程のものでもなさそうだった。
「来月から、王都に働きに出ますの。もし王都に長くいらっしゃるのでしたら、王都でもお会いできるかもしれませんわね。」
「ミタリーは東学院を首席で卒業するくらい賢いんだ。それで王城、治水省のエリートで登用されることになったんだ。」
「お兄様、そういうことは身内の口から話すとこではありませんわ。
でも、アクアリアで生まれ育った以上、水に囲まれる仕事に就けるのは、とても幸せなことです。
もし王都でお会いしたらいい場所ご案内しますよ。治水省に入るくらいだから、とても詳しいんですよ。」
「ふふ、じゃあもしお会いできたらよろしくお願いします。」
「ミタリー、私たちは王都に滞在している間はトライア様別邸の離れにいる。お前が王都に来たとき、まだ私たちが王都にいるようだったら連絡してくれ。」
この日はそれぞれ用意してもらった部屋に泊まった。
明日は北部の町をめぐる。トライアに頼まれ、半ばアテもなく北部に来たが…正直旅行気分だ。
前の世界でも、姉と旅行したのはいつのことだったか…。
聖女に逢いたくて 時田五郎 @Konchi-kun
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。聖女に逢いたくての最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます