第2話 旅の始まり 旅立ち
*** アクアリア南領、領主館 ***
アクアリアの南領の領主、リコード公爵は長い悪天とは裏腹に、機嫌が良かった。
人口だけは多いが、汚くて治安の悪い南領の領主でいる限り、公王になる機会などないと思っていた。それが女一人差し出すだけで、次の公王になれるというのだ。
この日は南領の貴族たちの中でもリコード公爵に忠誠の高い諸侯を集め、緊急議会を開いていた。
「…先日政務官からの使いの者が私の元に現れた。聖女がまた現れたとのことだ。」
集められた諸侯は、何を言い出したのかわからないといった顔を一斉にリコードに向けた。
「諸君らの言いたいことはわかる。
だが立ち場をわきまえよ。政務官殿がわざわざ使いを出して、この私に聖女捜索をするよう命じてきたのだ。
こうなると疑う道理も、断る道理もあるまい?
それに政務官殿は元老院に顔が利く。
この話が私の元に降りてきたとなると、この話は元老院にすでに伝わっていることだろう。それどころか元老院が出どころやもしれんな。
同じ愚民のつまらん与太話であっても、出どころが政務官殿や元老院とあっては話が違う。
ここは我々の忠誠心の見せ所ではないか?」
「南領が聖女を召し上げたとなれば、元老院は私を次代の公王として支持せざるを得ないだろう。
我々がこの先ずっと、この汚い南領で燻り続けるのはであれば、一つ賭けてみようではないか。
私が公王となれば、西から農園を、東から聖山を取り上げお前たちに持分をくれてやる。
だが、西、東、北、どいつも腹の底が見えぬ連中だ。奴らがどこからかこの話を嗅ぎつけ、私を出し抜くやも知れん。
まさに火急を要する事態だ。諜報のできる者、ゴロツキに顔の利く者でもいい、総力を上げて取り掛かってもらいたい。」
演説を黙々と聞いていた諸侯は皆半信半疑だったが、次代の公王に取り立てられるわずかな可能性に賭けて、各々の管理地へと帰還していった。
「…ばかな話だ。」
会議室に1人残ったクラパール伯はボヤいていた。
クラパール伯はリコード公爵への忠誠などまるで持ち合わせてはいなかったが、クラパール伯の管理地にある都市は南領で唯一といっていい、まともな発展をした都市だった。
それゆえ南領の税収はクラパール伯に頼るところが大きく、リコード公爵からは忠臣として見なされており、今回の招集の対象にもなっていた。
南領で、最も先を見通すその両目には、暗雲のみが見えていた。
*** アクアリア東領、東海岸にある町の外れ ***
「東領主、トライア様からの使いの者です。トライア様から美月様、陽様をお迎えに上がりました。」
出迎えると、扉の前に赤髪の大男が立っていた。
「こんにちは。ビーター・クリムトと申します。トライア様からお二人の聖女様捜索のお手伝いと、護衛を仰せつかっております。」
ちょうどこちらも旅支度を終えたところだったが、地図を持っていたようなので一旦ビーターという男を家に上げた。
「まずは、改めて自己紹介させていただきます。
東領直轄のエンゲルス隊所属、ビーター・クリムトです。
エンゲルス隊は主に諜報を、それ以外は領主に直々に命を受けて動きます。
聞こえは言いですが、要するに武力を行使できる雑用係ですね。」
ビーターは胸当てと厚手の布でこしらえた簡素な装備に、二振りの剣を腰に差している。軍に所属しているにしては、随分軽装に見える。
「私の身なりが気になりますか?他の隊の者は、重そうな鎧と槍を携えていますよ。
今回の捜索はお忍びですから、私はこんなものでいいのです。手がかりさえあれば北領や西領にだって行きます。このくらいの武装なら、兵隊だとは疑われないでしょう。」
隣の姉にひじで小突かれてしまった。さすがにジロジロ見過ぎていたようだ。
「しばらくお世話になるので、私たちからも自己紹介をさせてください。
私が日向美月で、この子が弟の陽です。私は御者ができて、弟は多少剣が使えるので、二人で行商をしています。」
「…どうも」
姉に全て言われてしまった…。
「それはいいですね。荷馬車に慣れているのであれば、少しの長旅も気にならないでしょう。
本当は私の剣の腕と馬車の技を披露したかったのですが、自慢するのはよしておきますね。」
いかつい男なので少しだけ警戒していたが、にこやかに話す様を見ていたらいい人のように見えた。
姉も心なしか愛想がいいように見える。…気に入ったか?
「まずは聖女様がよく目撃されたという、北部の街を目指しましょう。
…そのくらいしかアテがありませんしね。
川沿いの街道を辿れば、いくつかの街とを通ってアクアリア王都に着きます。」
そうして旅の予定を打ち合わせた後、ビーターがトライアから預かったという立派な荷馬車に乗り込み家を発った。
長く続いていた雨も、この日ばかりは晴れ間が見えていた。
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