大切な聖女に毒を盛ったのは私

夕山晴

大切な聖女に毒を盛ったのは私

 

 ──私だって、美人だし、家も裕福なほうだし、魔法の成績だって上位なのに。


 エイリンは忌々しげに、向かいに座るフローラを見た。

 柔らかそうなウェーブがかかった金の髪に、大きな紫の瞳。淡い水色の制服も長いスカートがふんわりと揺れていて、フローラのために作られたのではと思うくらいに似合っている。


「なあに。エイリン。そんな怖い顔してるとみんなから嫌われちゃうわよ。せっかくこんなに美人なんだから勿体ないわ」


 そう言ったフローラはみんなから慕われていて。

 それでいて、つつけば壊れてしまいそうな容姿を持つ彼女をみんなが守りたくなるようだ。


 つまり、エイリンとは正反対。

 濃紺の真っ直ぐな髪とくっきりとした顔立ちは、強く凛々しく、下手に話しかければ機嫌を損ねると思われているようで。

 慕われるどころか距離を置かれている。


「……そう思うなら、私の前から消えてくれない?」


 エイリンは一人、サンドイッチを広げてランチタイムを始めたところだった。

 親しい友人はおらず、声を掛ければ怖がられるだけなので、誰も誘わず一人で休憩時間を過ごすのだ。

 そこへ図々しくやってきたのが、フローラである。


「別にいいでしょう? 私とエイリンの仲じゃない」


 人を魅了する笑顔を浮かべながら、ランチを広げはじめた。カップにお茶まで注いでいる。

 身勝手さに、エイリンの機嫌はますます悪くなった。


 エイリンとフローラは同じ学園に通う生徒である。

 難関試験を突破し、魔法の才ある者のみが通える中央都市随一の学園だ。

 各地方から集まるため、断然、初めましての顔が多い。しかし二人は顔見知り──どころか、同じ町出身の幼馴染なのだ。


 仲が悪かったわけではなかった。

 喧嘩もするが、一緒に遊んだ記憶の方が多い。

 同じ学園に通わなければ、きっと、以前の関係のままでいられたはずだ。


 だからエイリンはいつも思う。

 もし、この学園にフローラがいなければ。


 ──フローラが、いなくなれば、と。


 奥歯を噛み締めてフローラを睨む。その目は一瞬仄かに光った。

 すると、テーブル周りの草木が揺れ、芝生の上の落ち葉がぶわりと浮かんだ。

 空中に現れた、竜巻を小さくしたような気流の球に、浮かんだ葉は吸い込まれていく。

 エイリンの風魔法──それも攻撃用だ。


 向ける相手はもちろん、目の前の幼馴染。


「やあだ、こんな目の前で」


 フローラは風に靡く髪を押さえながら、動揺すら見せない。それが屈辱。


 睨みつつ、唇を噛んで。

 浮かんでいた竜巻の球を放てば、狙い通りフローラに向かい──しかし、ぶつかる寸前、かき消えた。


 視界を遮るように巻き込んでいた葉を散らすと、荒れていた草木は一気に凪いでいた。


「ほらね。目の前で攻撃されたら、さすがに受けてあげられないの」


 フローラは乱れた髪を耳に掛け、何事もなかったようにランチに手を付けた。

 想像通りの結果だったが、やはりこたえる。

 本気で攻撃してあっさりと阻まれるのは。


 フローラは強い。

 防御魔法なんて、簡単に発動できてしまうほど。

 成績上位のエイリンだが、フローラの防御魔法には敵わない。成績トップはフローラで、とくに防御魔法は群を抜く。


 悪態をつきたいところだが、それはそれで悔しい。

 僅かに眉をひそめるだけに留め、エイリンもまたサンドイッチに手を伸ばした。


 悔しいことには悔しいが、しかし、目的は達成されたのだ。


 愛想よく笑うフローラを気にしつつ、サンドイッチを口に放り入れた。


 同じ町の出身だというのに、フローラの所作は洗練されていた。

 聖女だからと覚えさせられたのだろう。とても美しい。

 白く細い指がカップを持ちあげ、口へと運ぶ。

 そして──。


「待ってください。フローラ」


 気配もなく現れた男に、心底がっかりした。


(あーあ。また)


 フローラを制止した短い青髪の男──セドリックはフローラのカップをそっと奪った。

 にもかかわらず、あくまでも紳士的。そんな様子にもうんざりした。


「先ほど強い突風がありましたし、土埃が入っているでしょう。こちら、新しいものに取り替えますね」

「あら? いつもお気遣いありがとうございます。セドリック」


 名を呼ばれ、柔らかに目を細めたセドリックのことを、エイリンは「フローラ親衛隊隊長」と心の中で呼んでいた。

 彼はいつもいつも、エイリンの邪魔をする。


 舌打ちを飲み込んで、席を立った。


「……ああ、もう。一人にさせてったら。私はこれで失礼するわ、あとはお二人でどうぞ」

「いいえ。僕がフローラと同じテーブルにとはあまりに勿体ない。僕も失礼します。ごゆっくりどうぞ」


 セドリックに着席を促したにもかかわらず、手を振りながら丁寧に辞退する姿も「親衛隊隊長」に相応しかった。







「いつまで付いてくるつもり?」

「今回のは、あまりに酷かったんじゃないか」

「何が」


 動揺を隠しつつ、向き直った。

 セドリックの口から浴びせられる言葉は、最近はめっきり苦言ばかりだ。

 もちろん原因はフローラを目の敵にするエイリンにあるのだが。


「知らないとは言わせない。フローラのカップに毒を入れただろう」


 そうはっきりと言われ、嘆息した。

 風魔法がフローラによってかき消された瞬間。視界を奪ったその一瞬に、毒を仕込んでいた。

 あと少しで、毒入りのお茶を飲んでくれるところだったのに。


「だから?」

「どうして君はいつもフローラを脅かすようなことを」

「……気に入らないから」

「それだけの理由でこんなことを何度も? 許されると思うのか」

「許されようとは、思っていないもの」


 入学当時、どちらもただの新入生だった。

 しかしその一ヶ月後には、フローラが聖女だというお告げがあったと言われて、差は歴然となった。

 周りからの扱いが変わり、人が集まり、才能も開花したフローラは魔法もどんどん上手くなっていった。

 元々可愛らしく愛想も良かったフローラは、今や人気者だ。


 エイリンは置いていかれないように必死に勉強し、今の順位にしがみついている。


「別に大した毒じゃないわ。全部飲み干したとしても、高熱に一週間うなされる程度の毒よ。私が人殺しなんてするはずないでしょう?」

「……五日後に卒業パーティーがあるじゃないか」

「ああ、そうね。もしフローラが体調不良で参加できなくなれば、次点の私が代表で挨拶することになったのに。惜しいこと」


 もしフローラがいなければ、自分がトップだった。

 フローラの立ち位置に自分がいたとしても、何もおかしくない。


「セドリックこそいつも私の邪魔をしないでくれる?」

「邪魔しないわけにいかないだろ! フローラに毒を飲ませようとしてみたり、無い罪を押し付けようとしたり! もうやめろ!」


 セドリックは入学後初めてできた友人だった。

 人目を引くフローラと並んでいても、エイリンのキツイ顔立ちを見ても、臆せず気さくに話しかけてくれたのは彼だけだった。

 だから心許してしまった。傍にいることが当たり前に感じるほど。


 けれど友人だと思っていたのは自分だけだった。


「そうよね。大事なフローラを傷つけられたら大変だもの」


 聖女の恩恵を受けたかったのだろう。彼はあっという間にフローラとの距離を詰めた。

 いつしか彼の穏やかな笑顔を見るのはフローラの隣だけになった。

 繰り返していた些細な嫌がらせがバレたのもこの頃。


「わかってるなら!」


 フローラを守るため、セドリックは目を光らせるようになった。鉄壁の守りだ。


 聖女への足掛かりにされたのが悔しいのか、簡単に騙された自分が憎いのか。

 エイリンは一層フローラを陥れようと精を出した。


「でもやめられない。これが私だから。まあ、もう少しよ。もう少しで卒業じゃない。そうすれば、もうやらないわ」


 全部、卒業する。

 眩しいフローラと見比べる自分も、嫌がらせの日々も、セドリックを気にすることも。




 ◇◇◇




 卒業パーティーはつつがなく行われた。

 せっかく用意した毒は飲ませられず、予定通りフローラが挨拶をした。


 ホールの中央階段の上、全体が見渡せる位置に彼女が現れると歓声が湧く。

 耳馴染みの良い言葉で、可愛らしい声と顔で、美しい仕草で行われたそれに、卒業生も教師も皆、目を奪われていた。

 エイリンただ一人を除いて。


「……魔法を扱えるようになった私たちはこれから人のため、国のためにと力を尽くすことになります。私たちには力があります。けれど、決して驕ることなく、まして悪に手を染めることのないよう、ここで誓いましょう。皆様の未来が輝かしいものでありますように」


 最後の一言を言い終えると、聖女らしく淑女然としてお辞儀した。

 するとすぐにフローラの周りに人が集まる。それはもう恒例で。

 元々キツイ顔立ちのエイリンはさらに眉間の皺を増やして、階段の下から眺めていた。


 しばらくして人の輪が疎らになった頃、フローラに近づく。階段を登った先で下を見ると、人がちっぽけに見えた。


「……大層な挨拶ね。あんなこと本気で思ってるわけ?」


 公衆の面前で、自らフローラに近づいたのは初めてだった。

 万年二位のエイリンがフローラを目の敵にしている、という噂は有名だ。人との交流が限りなく少ないエイリンさえ知っているほど。


 息を呑んで見守られる中、フローラは顔を輝かせた。


「わ、エイリン。どうしたの。あなたから来てくれるなんて! さっきの挨拶のことなら、もちろん本気よ」

「どうだか」


 食ってかかったエイリンにもフローラは一切表情を変えなかった。諭すように言う。


「私は聖女。みんなのことを大事に思うわ。誰もが幸せになれるよう、悪に手を染めることがないよう……見守り、助けることが務め。もちろんエイリン、あなたのことも」


 伸ばされた手をこれほど鬱陶しく思ったことはない。


(……本当は魔法の使用が禁止されている休憩時間に、目の前で攻撃魔法を使ったのよ。それなのに、”悪に手を染めることがないように”ですって?)


 毒まで盛った。ほとんど悪に身を落としているようなものだ。


 魔法は崇高なもの。限られた人間しか扱えないから、一般人とは一線を画す。

 使えない人間からすれば脅威にもなる魔法は、重宝されるも、しかし警戒もひとしおだ。

 犯罪者となれば危険人物になること間違いなし。そのため学園では倫理観を徹底して学ぶ。


 力は人のために使いましょう。弱きものを助けることが強きものの務め。決して人を傷つけることのないように。


(それを無視している私を、”見守り、助ける”ですって?)


 睨んだ先には、穏やかに微笑む聖女の顔。


 その顔がまるで自分を見下しているように思えて。

 目の前の手を、つい、払った。


 ──払っただけだった。


 その拍子にフローラはバランスを崩し、華奢な身体は階段の下へ落ちていく。

 信じられないものを見ると、どうやら時間が止まるらしい。ゆっくりと落ちていくフローラの驚いた顔が目に焼き付いた。


 誰のものかわからない絶叫と、聖女の名を呼ぶ声が響き渡り。

 呆然としたエイリンは、なす術もなく、警備隊によって捕らえられた。



 ◇◇◇



 石の壁で囲われた太い木製の格子の中で、膝を抱えて座っていた。

 空気は湿り、床は冷たい。


 まさか牢の中で卒業の日を過ごすとは思わなかった。


 聖女は稀有な存在だ。膨大な聖力を持ち、あらゆる魔法を自在に操ることができる。

 百年に一度現れるかどうかの存在は、王が特に目を掛け保護している。

 どこにいても危機から守れるように卒業後は本格的に護衛が付く予定だった。そんな矢先の事件。


 聖女に危害を加えれば大罪だ。良くて生涯独房暮らし、打ち首だってあり得る。

 こうなることはわかっていた。

 けれど覚悟が足りなかったらしい。


(自分の手を汚して捕まったならよかったのに。さっき、私は、何もしていないのに……!)


 毒を飲ませたことで捕まるのならよかった。

 しかし、あれは、事故だった。

 それが思いのほかダメージが大きい。


 顔を膝の中に埋めて、エイリンは唇を噛む。


 落ちていく時に見せたフローラの驚いた顔は、初めて見たにもかかわらず──ずっと見たいと思っていたものだというのに、だ──決して心を晴らしてはくれなかった。

 それどころか芽生える罪悪感に苦しめられる。

 薄暗い独房の中、情けなさと惨めさに泣きたくなった。もちろん涙なんて流さないけれど。





 静かな牢に足音が聞こえてきたのは、だいぶ時間が経ってからだった。

 ここに入れられてからどれくらいの時間が経ったのだろう。

 牢からでは外の様子が一切わからない。身体は正直なもので、小腹も空いてきたから半日程度は経っていると思われた。


 処置が決まったのか、それともまさか食事でも持ってきてくれたのかと顔を上げたが、そこにいたのは警備隊でも看守でもなかった。


「……エイリン?」


 格子の間から顔を見せたのは青色の髪。


「セドリック? どうして、」


 場にそぐわない人物の登場に、問いかけようとして口を閉じた。

 そんなもの決まっている。自然と笑いが込み上げた。


「ふふ、もしかして、私の憐れな姿を見に来たの? 笑いに来たの? ああ、それとも聖女を殺したと罵りに来たのかしら」


 険しい顔をしつつも無言で首を振るセドリックを見て、フローラが死んでいないことを知る。

 ほっとした心が邪魔だと思った。


「いつも言ってただろ! こんなこともうやめろって!!」

「あーあーあ、今さらこんなところでまで正義をかざすの? わざわざ小言を言いにきたのかしら。ご足労なこと。余計なお世話よ、ほっといて」


 この場所も惨めだが、少しの後悔を悟られるほど惨めなことはない。

 そんな姿をセドリックに見せたくなかった。


 嗤うならとっとと嗤ってもらって、早々に立ち去ってほしい。


 そもそも、と続けた。


「こんなところにいていいの? 間違いなくフローラは落ちたわ。あの高さだもの、いくら命に別状がなくたって、怪我の一つや二つしているんじゃない?」


 薄暗くてもセドリックが顔を歪めたのがわかる。

 あえて煽るような言葉を選んだ。

 怒らせて、帰らせたかった。


 しかし、予想に反して、セドリックは冷静さを保ったままだ。

 怒ることなく、そっと格子に近づき、静かに言った。


「………………フローラは、無事だ。怪我ひとつない」

「うそ……!」


 あれは事故だった。予期しない出来事だった。

 いくら聖女といえど──防御魔法に優れていても、想定外の事には対応できないはず。

 完全に意識の外では魔法も使えない。


「どうして……」


 呟きのような問いには無言を貫いた。

 そんなセドリックを見て、ピンとくる。


(ああ、そっか。もしかして)


「……フローラを助けたのは、セドリック?」


 誰もが油断していた場面だった。

 けれど「親衛隊隊長」ならできたのかもしれない。

 ずっとフローラを見ている彼ならば。


 セドリックは何も言わないが、寄越した視線で予想が的中したのだとわかった。


 ずんと黒くなる心を自分の力では止められない。

 フローラが生きていると知ってほっとした心は一気に消え失せていた。


「また、私の邪魔をしたのかしら」


 魔法を使おうと目が一瞬光ったが、牢の中にはもちろん魔法を無効化する結界が張られている。魔法を使うことはできなかった。


 力を込めた拳に爪が食い込む。

 最後の最後まで、この男に阻まれた。


「なんてこと! 最後だった! 卒業すればもう機会は無いわ。今日が最後の日だった。そうなるはずだったし、そうするつもりだったのよ。それなのに私だけが牢の中?」


 本来であれば、何も起きず、何も起こさず。

 自分の卒業を、自身で祝って……そのまま、そっと学園の記憶ごと魔法で封印するはずだった。

 惨めな学園生活を二度と思い出さないように。


 しかし結界が張られた独房ではそれもできず。

 未練の塊であるフローラだけが、のうのうと愛されて生きるのだ。


「セドリック!!!! あなた、本当にどこまで私を、馬鹿にするの!」


 どうせ牢の中で生きていくのならば、事実を──フローラが生きていることを、知らせないでほしかった。

 自分が殺したと思い込みながら、死んでいきたかった。


 眉を吊り上げたが、セドリックはそれ以上に怒りを見せた。

 格子を拳で殴りつけ、低い声で怒鳴った。


「何のために……フローラを守ってると思ってる! 聖女を手にかけたとなれば、ただじゃ済まない! だから!」


 今まで見たことのない……今までで一番、苦悩に満ちた顔だった。


「っ、エイリンには思いもつかないだろうけど……なぜ僕がここにいると思う? なぜ、僕がここに来られたと思うんだ?」

「え?」

「フローラを間一髪で守ったからだ! 褒美をくれると言うから会いに来た。他でもない君に!」


 こんなところ、普通、入ってこれるわけないだろ。

 そう呟くセドリックには後悔が見えた。


「……もっと前に手を打っておけばよかった。君がフローラと接触する前に、僕が止めていれば」

「は?」

「こんな場所に入ってしまったら、僕にはどうすることもできないじゃないか」


 そこまで言われてようやくある確信が生まれる。

 大きく見開いた目で、掠れた声で尋ねた。


「……私のため、なの?」


 数々の嫌がらせも、罪を擦り付けようとしたときも、毒を飲ませようとしたときも。

 毎回現れ、邪魔をしてきたのは、全て。


「私のために、私の邪魔をしていたの? ……ずっと?」


 聖女を害したことで罪を負わないように?


 怒りが落ち着いてきた頭で首を傾げた。

 だが、セドリックは大きく否定する。


「いいや! 自分の、ためだ! 君がそんな目に遭うのがわかってて、みすみす見逃せなかった。鬱陶しがられてるのはわかっていたが、こんな場所、エイリンには似合わないだろ」


 じめじめした薄暗い場所。

 万年二位で人付き合いもない、良くない噂も流れている。そんな自分にはむしろ似合いではないだろうか。


「明るい場所が似合うんだ、君は。次席だぞ? 相当の努力がなければ不可能だ。……人が話しかけてこないっていうのも、君が綺麗だから、近寄りがたいって意味で」

「それでもセドリックは話しかけてきたじゃない」


 そうだ、そもそも彼はフローラが目的で近づいてきたはずで。

 なんと理由を付けるのかと思ってみれば、彼は理解に苦しむことを言う。


「……すごく、勇気を出したんだ」

「そんなの信じると思ってるの。あなたはいつもフローラのことばかりだった」

「そう言われても、信じてもらうしかないんだが。一度話してしまえば近寄りがたさも消えたし。それに僕がフローラばかりだったのは、君のせいで」

「はあ?」


 何言ってるの、と今度こそ閉口した──そのとき。



 ──カツン


 大きな足音を響かせて現れたのは、可憐で憎いフローラ本人だった。


「あら、セドリック、探しましたよ」

「……フローラ? このようなところにこられても大丈夫なのですか? 具合はいかがです?」


 驚きに目を見開いたセドリックをフローラは楽しそうに見た。


「セドリックが守ってくれたではございませんか。この通りどこも怪我はしておりません。本当に助かりました。ここにはセドリックにお礼を言いに来たんです。いつも守ってくれて、ありがとうございます」

「……いいえ」


 ちらりとエイリンを見てフローラが微笑む。

 ぞわりと嫌な予感がした。

 セドリックに視線を戻し、フローラは続けた。


「このような場所では情緒もございませんが……折り入ってお願いがございますの。実は無事に卒業すれば、婚約者を決めるよう言われています。……セドリック、私と婚約していただけませんか?」


 エイリンは驚いてセドリックを見たが、後ろ姿では何を思っているのか判断できない。

 学園どころか国中の人気者。可愛らしく愛嬌もあるフローラの婚約者だなんて、喉から手が出るほど欲しい立場だ。

 フローラ自身の魅力はもちろんのこと、国からの支援も手厚い。


 聖女に頼まれたなら、断れない栄誉。


 そもそもそのためにフローラに──エイリンに近づいてきたはずだ。

 微笑み頷くセドリックを想像し、エイリンはかぶりを振った。


(そんなの嫌よ。見たくないわ)


 セドリックの思い通りに、正式に聖女の恩恵を受けられる立場になるところは。


「ちょっと! よりによって私の目の前で? やるなら他でやりなさいよ……! わざわざこんなところで」

「あら、セドリックが私の婚約者になるところは見たくないってこと? ごめんね、気が利かなくって」

「はあ? 何て?」


 イライラと眉を吊り上げ、今度はセドリックにも声を荒げた。


「セドリックもセドリックよ。身動き取れない私の前で。突っ立ってないでフローラを連れて出て行きなさいよ。……フローラが目的で近づいてきたんでしょう? 良かったじゃない、望み通り」

「違う!」

「何よ、さっきは……私のためだなんて言ったくせに! はいはい、おめでとー、聖女サマに、その婚約者サマ?」

「何もめでたくない! 何を知ってる風に」

「いいから、出てって! 出てってよ。目の前から消えてくれない? 二人とも」


 今、魔法が使えたなら、遠く飛ばしていた。視界に入らないところにまで。


 本気で睨んだが、残念なことにフローラには一切効かなかった。


「やだ、怖いわ。エイリンってば。でも落ち着いて? そんなに睨んだってそこにいるあなたにはどうすることもできないのよ」


 牢の中では何もできない。

 突き付けられた現実に唇を噛んだ。


「今すぐに出してあげたい気持ちもあるけれど、そういうわけにもいかないの。……ごめんなさいね?」

「……くっ」

「ふふ、エイリンの悔しそうな顔もいいものね。さあセドリック、いかがでしょう? 承諾してもらえると嬉しいのですけれど」


 急かされた返事を、セドリックはややあって口にした。


「……申し訳ございませんが、他を当たっていただけますか」


 思わぬ即答に驚いたのはエイリンだった。


「え! どうして! 全部このためだったでしょう!」

「何が」

「何がって! 私に話しかけてきたのも、フローラに近づいたのも、私の邪魔をしていたのも、ずっとフローラのことを見ていたのも!」

「君は本当に僕の話を聞かないな。さっきも言ってただろう、フローラばかり見ていたのは君のせいだって」


(何を、言ってるの)


 ゆっくりと首を傾げると、セドリックの目に射抜かれた。青い髪が揺れる。


「君が! 隙あらば嫌がらせをするから! フローラから目を離せなくなった。どうしてくれる!」


(え、逆ギレ?)


 前のめりになったセドリックから心持ち離れるように仰け反った。


「それ、私関係ある?」

「あるだろ!? エイリンの嫌がらせを止めたかったんだから。それに、君がいつもフローラばかり気にするものだから、隣にいれば視界に入れるかと思ったのもある」


 真剣な顔で何を言うかと思えば。


 眉を顰めてぽつりと言った。


「……なんだか可哀想ね」


 セドリックの隣でフローラが吹き出した。


「それを、君が言っちゃおしまいなんだよ! まったく! 鈍いにも程があるだろ。それとも気づかないふりをしているのか」


 セドリックは大きな溜息を吐く。


「今回だって君を見てたんだ。危なっかしいなって。だからフローラを助けることができた。だが、もう……こんなところに入ってしまったら……。後悔はしたくないから言うけど、君の事ずっと好きで」


(!? この人、今なんて言ったの?)


 思わず怪訝な顔になったが、セドリックは少し照れたように、それでいて悔しそうに頭を掻く。


(待って。そんな顔は見たことない)


 友人のように付き合っていた。

 気楽に話せる唯一の友人だった。

 授業の話や、スイーツの話、先生の話に……フローラの話。


 どんなに有能かとか、聖女の力とか、過去の故郷での話とかも。


「エイリン、もっと素直になったら。私の事も、大好きでしょう? 落ちていく時見たのよ、エイリンのショックを受けたような慌てた顔。驚いちゃった」


 まさか、と顔をさすった。

 そんなはずはない。

 が、格子の中から見たフローラは、故郷にいた時と変わらない顔で笑っていた。


「嬉しかったし、ちゃんと助けてあげる。あれは不注意で起きた不運な事故だって、本当のことを伝えたわ。だからもうすぐここから出られるから」

「どうして?」


 馬鹿にしないでと喚くのも忘れ、呆然と尋ねた。

 フローラの婚約話に、セドリックからの告白、自分のフローラへの思いと驚くことが続いていた。

 正常な状態ではなかったのかもしれない。


「言ったでしょ。見守り、助けるって。私は聖女。エイリンのことなんてお見通しなのよ」


 どんなときでも変わらない笑顔は、確かに聖女のもの。

 等しく人を安心させるのは聖女の仕事の一つだ。


 そんな彼女がまるで残念そうに、口を尖らせた。


「あーあ、振られちゃった。聖女の私に勝てるなんて、エイリンくらいよ?」


 フローラは若干声を落として、続ける。


「安心して。誰も取ったりしないわ。あなたの大事なセドリックを」

「………………は?」


 間抜けな顔だった。

 が、それを馬鹿にするわけでなく、フローラは楽しそうに笑ってセドリックに目をやった。

 今のセリフは声量を落としていたとはいえ、彼にも十分聞こえる距離だった。

 案の定、動作がぎこちなく、口元も少し引き攣っている。わざと聞かせたに違いなかった。


「ふふっ、振られた私は退散するわ。みんな心配性だもの。安静にって口うるさいんだから。聖女なのだし、自分の身くらい守れるのに」


 治癒の力は本人には使えない。

 王や警備隊の心配は当然ことだろうと思うのだが、フローラは不満らしい。

 フローラは成績上位者。もちろん攻撃魔法も得意なのだ。


 姿が見えなくなる直前、最後に振り返った。


「私、知ってたのよ? エイリンが本気で私を嫌ってるってこと。その理由もね」


 聖女の笑みとしては粗末な出来。

 本当の気持ちを表したように、哀情を垣間見た気がした。


「もし本当にいじめられていたら、泣いて縋ることだってできたのに。一つも上手くいかなかったわ。セドリックのおかげで」

「え?」

「セドリックったら、エイリンのこと、しっかり守ってるんだもの。エイリンに、不名誉な出来事が起きないように」


 ちろ、と赤い舌を見せたフローラは、


「ずるいわ。私だってセドリックに愛されたかったのに」


 といたずらっぽく笑った。

 このくらいしたって許されるでしょう? と軽い足取りで去って行く。


(知らなかった。フローラがセドリックのことを好きだったなんて)


 思えば、セドリックと並んでいたときのフローラはいつも笑っていて。

 楽しそうに微笑み合う二人を見ると、いつも胃がムカムカした。

 その不快感を発散させるようにフローラへと悪意を向けたのだ。


 その、理由は。


「……フローラについていかなくていいの」

「それ、今言うか?」


 頬を搔くセドリックは、いつも通りだ。


(おかしいのは、私。ここが薄暗くて良かった)


 いつもの不快感とは別の、心臓を掴まれたような衝動をなんと言い表せばいいのか。


 火照る顔にどうか気づきませんように。


 そっと両頬を押さえたエイリンだったが、ぼそっと聞こえた声に固まった。

 聞かせるつもりもない、つい口から出てしまった呟きが聞こえてしまったのは、この空間があまりに静かだったからだろう。


「あーー、可愛い、っとと」


 慌てて口を押さえたセドリック。

 耳を疑い、一瞬で火照りも引いた。


「もしかして、見えるの」

「………………ここは牢の中じゃないから」


 よくよく見れば瞳がうっすらと光っている。

 夜目がきくよう自分自身に魔法を使っていたのだろう。


「~~~~っ、出てって!」

「いやだ。君がここにいるなら、僕はフローラの傍にいる必要なんてないんだから」


 セドリックは聞く耳を持ってくれなかった。

 その顔は、フローラの隣にいるときと同じ、いやそれ以上に嬉しそうに見えた。




 ◇◇◇




 フローラが言い残した通り、パーティーでの一件は事故として扱われた。

 牢から出されるや謝罪も受けた。

 聖女を突き落としたという醜聞は綺麗さっぱりなくなったのだ。


 外は夜が明け、明るくなっていた。

 エイリンはセドリックと並んでパーティー会場を後にした。


 しかし、甘い雰囲気とは程遠く。

 卒業を祝うために花で飾られた庭園で、くどくどと文句を言われていた。


「え! 記憶を消すつもりだったって!?」

「え、ええ、まあ。そんなに驚くこと? あなただってできるでしょ、やろうと思えば」


 記憶操作は高位魔法。

 並の魔法使いではできないが、卒業生の中で三位の実力を持つ彼ならできるだろう。


「そうじゃない! そんなことしたら僕の事すべてが記憶から消えるじゃないか! フローラの記憶は残るのに」

「え? そうね、入学前はそこまで仲も悪くなかったし、全て消すとなると故郷の記憶も消さないといけないから」

「そこじゃない!」


 さすがに「好き」まで言われて、わからないほど鈍くはないつもりだ。

 何をしても見放さないでいてくれたのは、鬱陶しく思っていたはずの「フローラ親衛隊隊長」。


 フローラに「セドリックに守ってもらっていた私が羨ましかったんでしょ、どうせ」と言われた時には柄にもなく赤面した。絶対にセドリックには見せられない。


 髪を掻き上げて笑う。


「今は、消さなくてよかったと思ってるわ。セドリックのおかげでね」

「……っ、そうだろう」


 自分へ向けられた笑顔に、薄黒い胸の内が晴れるようだった。


 そっとセドリックの手に触れる。

 驚き焦った顔も、少し照れたような顔も、まさか自分に向けられるとは思わなかった。

 そんな顔を見られるとは思ってもみなかった。


 絡めた指の温かさが身に染みる。

 まさか、セドリックの告白に返事することになろうとは誰が思ったことだろう。


「長い悪夢を見ていたようだわ。──私もセドリックが好きよ」


 あなたが思うより、きっとずっと前から。


 一筋の風が吹き、エイリンの心のように華やかに、花びらが舞った。

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