第10話 VS アーマード・ベア

 ゲームでも出てきたこの鎧熊アーマード・ベアは、鱗に似た金属の皮膚を獲得しているだけで、実際には鎧を着ている訳ではないらしい。ま、巣に入ってきた冒険者やら騎士の鎧を剥ぎ取って着るって設定じゃ無理があるよな。身体でかすぎるんだよコイツ。


 この育ち具合だと、もしかしたらボスなのかもしれない。


 全身を覆う金属はその割合が著しく多い。ゲームでは急所を守るくらいだったのに、目の前のコイツは関節周り以外はほとんど全て守られているという徹底ぶり。フルプレートと言って過言ではない。過保護に育てられたのかな。箱入り娘だ。メスかどうかは知らんけど。


 太ももまで守られてんじゃねえか。お堅いねえ。


 いや、すまん。俺にはケモナーの気はないのでメスの熊に太ももを見せられたところで興奮しない。と言うか、動物の太ももに興奮するとか性癖としてニッチすぎるだろ。誰が提供してくれるんだ? 動物園か牧場に行くのかな?


 とか、全然関係ないことを考えて逃避しても、やっぱり現実はスプリンターなので100mを3秒で走ってきて俺を捕まえる。スプリンターっつうかチーターだな。二つの意味で。



「どうすっかなあ」



 どうするも何もコイツを倒さないことにはここから出られない。そう言えてしまうのはアーマード・ベアが俺たちの前に立ち塞がっているからではなく、ここがボス部屋だと示すように熊の向こうにぴったりと閉じている扉が見えたからだった。


 マジで箱入り娘じゃねえか。


 たぶん餌だってそこかしこにある落とし穴トラップから落ちてくる魔物を食って生きてきたんだろうな。よく見れば俺たちが落ちてきたのと同じような縦穴がずらりと壁際に並んでいて、そのそばに骨の山がうずたかく積まれている。自動餌やり装置だ。



「要するに俺たちは餌って訳だな」

『じぇりこはおいしくないよ。うではおいしい』

「いま俺のこと見捨てようとしただろ。それでも俺の従魔か」



 ジェリコに文句を言っていると、箱入り娘の熊は侵入者である俺たちが気に食わないのか、それとも俺たちを食おうとしているのか咆吼を上げた。壁に反響してビリビリと空気が震え、ジェリコの身体が波打つ。これだけ大声を出しても伯爵の屋敷に聞こえないってことは相当な防音設備なんだろうな。いや、ここが相当深いだけか。嫌になるね。


 餌になる気はないのでジェリコと逃げるが、さて本当にどうしよう。ジェリコは金属を溶かせない。試しに消化液を鎧熊にぶつけてみたもののまったく溶ける気配がない。唾を吐きかけられたお嬢様みたいに憤慨させただけだな。そんなことされたらお嬢様じゃなくてもキレるけどさ。


 で、そんな風にキレさせてしまっているので、もちろんテイムだって無理。ジェリコと違って一瞬前のことを忘れるほどこのお嬢様はバカじゃない。餌をやって怒りをなだめる前に俺たちが餌になるのが目に見えている。


 

『ますたー、うでたべさせてくれた』

「ちょっと黙ってろ、気が散るから!」



 この鎧熊は強敵だ。強敵にちがいねえ。とはいえ、俺が最終的に攻撃しなければならないのはコイツよりずっと強い『潔癖アンタッチャブル』で、ラスボスで、こんなところでへばってるわけにはいかねえ。中ボス、どころか小ボス程度のコイツなんか簡単にぶっ飛ばさねえとな。



「ジェリコ。俺が囮になる。お前はあの熊の金属じゃねえところを狙って消化液を撃て」

『わかった』

「金属じゃねえところだからな?」

『わかった』

「あとついてくんな! 俺が囮になれねえだろうが!」

『わかった』



 ほんとかコイツ。脳死で会話してるからな。そもそも脳があるのか自体不明だ。


 すでにジェリコ戦の反省を生かして【体力バイタリティ】は解放済み。【速力アジリティ】も【感力アキュイティ】も回避に必要なものは大体購入している。いまやザコ敵の攻撃などひとつも当たらず、同時攻撃されても身体をどうひねれば避けられるか【知力インテリジェンス】が教えてくれる。


 最強の囮。


 それがダメージ0であり、攻撃力が稼ぎに変わる俺が目指す道。避けながらも攻撃を当てて金を稼ぎ、魔物がレベルアップしそうになったらジェリコに攻撃させるのが基本戦法。それはこの鎧熊相手でも変わらない。


 横薙ぎに振ってきた鉤爪を側転宙返りで避けると、たたっと距離をとって、ジェリコに攻撃させる。ビタンと音がして消化液が金属のところにぶつかったのが見えた。ノーコンじゃねえか。金属は溶かせなくとも、垂れた消化液は関節のある場所までドロドロと達し、鎧熊の皮膚を溶かす。


 咆吼に耳を塞ぐ。

 ジェリコにもっと狙いを定めろと指示をする。


 コントローラーを握っていた頃よりも明らかに多くを考え、全ての感覚を鋭敏にして情報を集め、最小の体力消費で避ける持久戦を考えているあたり、俺にも戦士としての自覚が芽生えてる。戦わなきゃ死ぬ。ゲームじゃないリアルがここにある。


 なんてこった。俺は生きている。


 懐に飛び込むたびに、攻撃を避けるたびに命が輝く。そういうことか。攻撃するたびに残高が増えるのは、命をいるからだ。明らかに接近戦での稼ぎがいいのは、その分、命の危険があるからだ。命を賭けて、危険をくぐり抜けた分だけ、命の価値が上がる。そういうことだろ?



『命の残高:命を賭け、死の危険を乗り越えた分だけ数値が増える。より危険が多いほどその払い戻しは大きい』



「なんてヒリつく能力だよ」



 避ける避ける避ける避ける。

 ジェリコは壁にへばりついて登り、ぐるぐると移動を繰り返しながら鎧熊の関節を狙って消化液を飛ばし続ける。俺はジェリコが鎧熊の背後に来るように位置を調整しながら駆け回る。



「いける!」



 ジェリコの消化液が関節に決まる。鎧熊が悲鳴じみた声を上げて、消化液を払おうと腕を振る。腕にあった金属片が外れて、飛ぶ。まるで蓄積されたダメージのゲーム的表現。鎧熊の鎧が徐々に削られて、ガランガランと音を立て地に落ちる。



「いけ――」



 ――いつの間にか、俺は吹っ飛ばされていた。


 俺は気づいていなかった。いや、気づくには鎧熊との距離が近すぎた。身体から金属片が外れたなら、その分、鎧熊の攻撃速度は上がる。一つ何キロあるのか、熊の身体を守っていた金属片は地面に転がったままびくともしない。


 鎧と言うより、ほとんど拘束具だったのか。


 鎧熊は自由になったその腕でかぎ爪を振り下ろしていた。当然のように俺の身体は切り裂かれて吹っ飛んでいる。領地を主張するペンキみたいに真っ赤な血が地面を染めるのを見ながら、俺の身体はペンキローラーになったんだと思いながら、ゴロゴロと転がって壁にぶつかる。あまりの痛みに一瞬だけ気を失う。パッと目を開くと残高が一気に百万円減って、身体が回復していた。『即死級のダメージを受けました』の文字がステータスの上を躍る。


 ってことはなんだ。

 人間一人分の命は百万円ってことか?

 学費だって払えねえじゃねえか。


 残高はまだ一千万を超えていて、つまり、残機10と言えるけれど楽勝とはもう言えない。鎧熊の攻撃を避けられるほど俺の敏捷は高くない。反応すらできなかった攻撃だ。太刀打ちできると考えるほど俺の頭に花は咲いていない。



『ますたー! ますたー! しんじゃやだ!』


「生きてるっての。お前はそこにいろ。降りてきたら攻撃されて死ぬぞ」



 頭の中でジェリコに応えながら立ち上がり、鼻をかんで血を飛ばし、折れた古い歯を吐き出す。残高での回復は歯も再生するようで、舌で触っても欠けがない。便利なこった。続いて、身体をペタペタと触り正常なことを確認する。服は裂けて血まみれだし、持っていたはずの木刀は切り裂かれた衝撃で四つくらいに折れて鎧熊の足元に転がっている。それでも俺の身体は著しく健康だった。


 戦うには十分なコンディション。


 鎧熊は俺が立ち上がったのを見て、ぎろりと睨みつけてきた。もしかしたらオスなのに箱入り娘と言い続けてきたことに腹を立てたのかもしれない。すまんな。鎧がとれてようやくお前がオスだって解ったんだよ。


 鎧熊はぐっと屈伸すると、俺に突撃する準備を始めた。ったく休ませてくれるとかねえのか。その巨体と金属の鎧が相まってトラックみたいに見える。もしかしたらぶつかったらまた転生するのかもな。


 するつもりなんかねえけど。


 俺はステータスを開く。こんだけ避けまくって攻撃だって受けまくってるのに【体力バイタリティ】も【速力アジリティ】も【感力アキュイティ】もLv1を無情に突きつけてくる。レベルは買えない。これは俺自身のレベルだってそうだ。つまり現時点でこれ以上「敏捷」を増やす方法はなく、鎧熊の攻撃を避ける術はない。そして、もちろん、俺の与えるダメージは相変わらず0だ。


 そう、いまのままなら。


 俺は即死級のダメージを受けたときに表示されたを見る。



=========


 実績〈道を開きし者〉を解除しました。

 解放条件:即死級のダメージを受ける。


 ダメージ0の限定解除が実行できるようになりました。実行しますか?


 限定解除:5分間10000円


=========



 より危険が多いほどその払い戻しは大きい、ってか。


 即死しないとこれ出ないの条件厳しすぎるだろ。


 俺は文句を言いつつも叫んだ。



「限定解除!」

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