第8話 アクセルと決意

 アクセルは俺の姿を見るとパタパタとやってきて鉄格子をがっしりと掴み、その間から手を伸ばしてきた。



「お兄ちゃん。お兄ちゃん」

「おうおう、なんだ」



 どうもアクセルは父の前じゃなければ俺のことを「お兄ちゃん」と呼ぶらしい。まあハルの記憶からそれは解っていたけどね。可愛いよな。むかし弟が欲しかった俺にはより可愛く見える。俺が寝わらから立ち上がり前までくると、アクセルは俺の手を取ってぎゅっと握りしめた。ふわりと光が漂ってすぐに消える。《聖魔法》か。アクセルもハルと同じように使えてたもんな。



「身体痛くない? 大丈夫?」

「ああ、ピンピンしてる」

「自分で《聖魔法》使って治したんだ……。お兄ちゃん得意だったもんね」

「まあそんなとこだ。と言うかアクセルこそこんなところにきて大丈夫なのか?」

「大丈夫……じゃないけど、でも……」



 アクセルは顔を伏せて俺の手をさらに強く握りしめた。俺はそのとき初めて人の唇がそんなに大きく震えるんだと知った。アクセルは唇を噛みしめてその震えを飲み込んで、何事もなかったかのようにパッと顔を上げて笑う。



「お兄ちゃんに会いたかったから」

「……ありがとな」



 アクセルの頭を撫でながら、ハルを思う。すげえ愛されてるな。アクセルのためにも人生諦めんじゃねえよ、ハル。髪をくしゃくしゃと撫でているとアクセルの額にある傷跡がチラリと見えて、俺は顔をしかめた。



「……アクセルこそ、アイツに酷いことされてないか」

「されてない。されてないよ」



 アクセルはにっと微笑む。俺はちらとメイドを見た。彼女の顔はそれが嘘だとはっきり証言していて微かに目をそらし下唇を噛んでいる。不甲斐なさと無力感がそこから溢れて俺に感染する。


 畜生。


 まずはここから逃げ出して、もっともっと強くなってから伯爵をぶっ飛ばそうと思っていた。あいつはラスボスだ。辺境を守る『潔癖アンタッチャブル』だ。魔法も剣もアイツに触れる前に叩き落とされて、こちらは土と血にまみれてボロボロなのに、アイツは服にホコリ一つつかない。生活魔法を常に展開して、その状態からさらに防御魔法と攻撃魔法を自在に操り剣まで振るう天才。ゲームの主人公でさえ長い旅を経て力をつけようやく倒せる相手だから、この俺がすぐにぶっ飛ばせるはずなんてない。


 でも、そんな考えじゃだめなんだ。


 俺は俺のことしか考えてなかった。と言うよりアクセルは「大事な息子」だから伯爵は手を出さないだろうという楽観があった。アイツの頭はマジでどうかしてる。もし俺が逃げ出したら平気で俺を殺すだろう。手引きしたメイドだってただじゃ済まない。そして、その怒りは確実にアクセルに向く。怒りを込めてアクセルを最強に育てようとするだろう。『潔癖アンタッチャブル』を継ぐにふさわしい存在にしようとするだろう。



「お兄ちゃん? やっぱり痛いの?」

「大丈夫だ。俺は大丈夫」

「僕が……僕が絶対助けてあげるからそれまで待ってて。お願い。それまでこれ、お守りにして」

「……なんだこれ、香水?」

「うん。母様が使ってた香水。いっつもぎゅってされるとこの匂いがしてたでしょ? お兄ちゃんにあげるね。お兄ちゃんは僕よりずっと辛いから」

「アクセル……」

「大丈夫。僕は大丈夫だから」



 アクセルは俺の手をぎゅっと握りしめて耐えていたけれど、一滴、ぽろりと頬を伝ってから、ボロボロと泣き出してしまった。



「ご、ごめんね。ごめんね、お兄ちゃん。僕、泣かないって決めてたのに……。お兄ちゃんの方が辛いのに……。父様がね、母様のもの全部燃やしちゃったんだ。母様が大切してた本も、ハンカチも、服も全部全部燃やしちゃったんだ。母様の匂いが残ってるのはそれしか残ってないんだ。だから、お兄ちゃんにあげるね」

「アイツ……! これはアクセルが持ってろ。これしか残ってないなら……」

「ダメ。ダメだよ。お兄ちゃんが持ってて。これを持ってるとね辛くなくなるんだよ。苦しくなくなるんだよ。母様のこと思い出せるから。だからお兄ちゃんが持ってて。お兄ちゃん……死なないで」



 鉄格子に頭をくっつけて、アクセルは俺に身体を近づけようとする。



「お願い。お願い。お兄ちゃん死なないで。僕の前からいなくならないで。お兄ちゃんまでいなくなったら僕、どうしていいか解んないよ……。助けるから。絶対助けるから、待っててお兄ちゃん」



――助けられなかった。僕は誰も。



 ゲームでアクセルが吐いたセリフがいまになって身にしみた。そうか、アクセルが悪役に墜ちたのは、俺を助けられなかったからなのか。助けようとしたものを助けられなくて自分の無力に苛まれて、何を犠牲にしてでも強くなろうと思ったんだ。


 アクセルは涙を拭うとまたにっこりと笑った。



「じゃあね。また来るから」

「アクセル。俺はいなくなったりしない。俺は大丈夫だから」

「うん。お兄ちゃん。待ってて」



 アクセルがメイドと共に地下牢を出て行くと、俺は母親の香水を開けて匂いを嗅いだ。抱きしめられた記憶が蘇ってきて涙が溢れた。ハルが泣いている。



「お前まだ、ここにいるんだろ? やり残したことがあるんだろ? 立てよ、ハル」



 魔法系のスキルがとれないのはハルのスキルツリーが眠ったままだからだと理解した。グレーの表示が、まるで引きこもったハルの部屋を守る扉みたいに全てのものを拒絶しているみたいに見えた。



「アクセルをなんとかしてやりたい」



 あれで10歳だぞ。辛いだろう。苦しいだろう。寂しいだろう。それでもハルを思って心のよりどころを手放してしまうくらいあの子は優しい。

 

 置いてなんていけない。


 それに、俺がここから逃げ出して奴隷契約が破棄できたところで、手引きしたメイドたちはただじゃ済まない。俺の事だって死に物狂いで探すだろう。外で訓練している暇なんてない。


 戦わなきゃダメだ。

 相手がラスボスだろうと。

 強くなれ。


 ハルが目を覚まして、父親をぶっ飛ばそうと思うくらいに。自分の人生を生きようと思うくらいに。俺は25で、ただの居候だ。12歳のハルに比べれば十分に生きた。ハルが戻りたいというならこの身体を受け渡す覚悟くらいある。きっと俺が転生できたのはただのバグだからな。


 俺は自分のスキルツリーを開くと「逃げるための資金」を使って「戦うためのスキル」を購入し始めた。

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