03:シャンネリーゼの前世
「そんなに畏まる必要はないよ。頭を上げてほしい」
「承知いたしました。王子が学園にいらっしゃるとは珍しいですね」
我が国の王子はこの学園の卒業生で、昨年まで生徒会長も務めておられた。そして同時期に優秀さを買われ生徒会に属していたレイリオはその補佐のようなことをしていたらしい。
シャンネリーゼとは直接の関わりはないが、レイリオを介して顔見知りにはなっている。
二人が話し始めたので邪魔にならないようシャンネリーゼは一歩下がる。レイリオがぴくりと反応したがさすがに王子との会話中に下手なこともできず、その隙にベストポジションを陣取った。
「今日は婚約者とお茶会の予定でね。迎えついでに久しぶりに散歩でもしようかと思ったんだが、二人に会えるなんて幸運だな」
彼は王子としてとても優秀な方で、人望も厚い。まだ学園に在籍している婚約者の卒業と同時に立太子の儀が行われる予定となっている。
「レイリオも今年卒業だろう? 絶対に僕の秘書として雇うから、他に就職口を見つけたりなんてしないでくれよ」
「そこまで買ってくださり光栄です。王子こそそのお言葉違えないでくださいね? 無職はご免ですから」
「きみが無職なんてありえないよ。さて、いつまでも相手をさせてしまうわけにもいかないよね。彼女が拗ねてしまう。あんなに見つめてくれているんだ、行ってあげるといい」
笑みを湛えてレイリオの後ろに黙って控えていたシャンネリーゼに王子が微笑みかける。シャンネリーゼも笑みを深めた。
途端にレイリオの方からぶわりと仄暗いものが溢れて漂い始めたのを肌で感じたが無視をした。
「……ええ、そうします。では御前を失礼いたします」
王子から許しを得たレイリオに腰を抱かれ促されるが、つい一瞬足を踏ん張ってしまう。益々彼から仄暗いものが溢れてチクチクとシャンネリーゼを刺してくるので、ちょっと一瞬理性が本能に負けただけなんだから許してくれたっていいではありませんかと心の中で言い訳をする。
踏ん張ってしまった足からはとっくに力を抜いていて、レイリオにエスコートされるがままに歩いた。
一番近い角を曲がったところで王子の視界からは二人の姿は完全に消えただろう。レイリオが低い声でシャンネリーゼを呼ぶ。
「シャンネリーゼ」
愛称ではない呼びかけにシャンネリーゼは肩をすくめた。レイリオがどれほど嫉妬しようとも、これについては本能的な要素が強すぎてどうにもしようがない。
「なんですの」
「また王子に見惚れてたでしょう」
「いつものことでしょう」
いつものことだ。その理由をレイリオだけはわかっているし、レイリオがわかっていることをシャンネリーゼもまたわかっている。
レイリオの足が止まったので、腰を抱かれたままのシャンネリーゼも合わせて立ち止まった。
「シャンネリーゼ、」
「だって、何回見ても魔王様にそっくりなんですもの」
前世のシャンネリーゼは自分の主である魔王様をそれはそれは崇拝していた。魔王様のためなら命も惜しくなかったし、言葉通り本当に魔王様のためにあの命は終えた。
その魔王様と王子の顔がそっくりそのままなのだから、見惚れもする。
シャンネリーゼにとってのベストポジションは、レイリオの背に王子の姿を遮られることなくじっくり拝める位置のことなのだ。
「リーゼはさ」
レイリオの瞳は逸らされることなくシャンネリーゼに向く。勇者だった頃は上手に隠されていたはずの熱が、今は隠す気もなく瞳の奥で仄暗く燃えている。
「僕のことを勝手に差し出そうとしたり、」
「……」
「婚約者が隣にいるのに無視して王子にうっとりしたり、」
「……」
「僕の扱いが酷いとは思わない?」
「うーーーん…………」
シャンネリーゼは唸った。
そもそもシャンネリーゼのレイリオの扱いが酷いというより、レイリオのシャンネリーゼへの執着が凄い、の方が正しい気がする。
彼はシャンネリーゼが社交で男性と踊ることを酷く嫌がるし、なんなら会話しているだけでもスッと背後に現れる。居場所が常に把握されている気がする件については本当にいつか方法が知りたい。
「僕じゃなく王子の婚約者になりたかった?」
ぱちり、と瞬く。
シャンネリーゼは別に王子に恋をしているわけでも、夫婦になりたいとも思っていない。それは魔王様相手でも同様だ。命を拾ってもらった恩義と、目を離せないほどの眩しいカリスマ性に傾倒していただけ。別人とわかっていても、あの顔を見ているとどうしても前世の自分が顔を出す。
ただ、それだけのことだ。少なくともシャンネリーゼにとっては。
レイリオの本心を隠すための薄気味悪い作り物の笑みを見上げて、小首を傾げた。
「私はレイリオ・ステカの婚約者ですわよ?」
「うん。僕が選んで親が決めた、ね」
淡々とした口調だった。そこにシャンネリーゼの意思がなにひとつないと決めつけているようだ。
ムッとしたシャンネリーゼは、シャンネリーゼを見ているようで見ていない顔を叩いた。ぺちん、と軽い音が響く。
流石にこれは予想外だったようで、瞳を丸くして珍しく間抜け面を晒した婚約者にもう一度、はっきりと告げる。
「私は、レイリオ・ステカの婚約者です」
「……」
「誰にもその座を譲る気はありませんわ」
「……でもきみはいつも簡単に手放そうとする」
ご令嬢方に責められるシャンネリーゼの口はいつもレイリオに塞がれてきた。でもそんなのは、
「ええ、リボン巻いて差し上げますわよ」
ぴくり、とレイリオの眉が動く。次いで口も動きかけたので、だから最後まで聞けという意味を込めてまたぺちんと叩く。そしてふんっと胸を張った。
「私から奪えるのであれば、の話ですわ! 私、自分のものを奪われるのは大嫌いですの」
小さく開いていたレイリオの唇から抗議の言葉ではなく息だけが零れた。
婚約をした時点でシャンネリーゼはレイリオのものであり、レイリオはシャンネリーゼのものだ。よそ見も浮気も一切許すつもりはないし、する気もない。
レイリオがあまりにシャンネリーゼに執着しているので、その苛烈な一面はシャンネリーゼの中で息を潜めているにすぎない。
「これでも前世は狡猾さで有名な魔女一族の女でしたのよ」
魔女は欲しいものはどんな手を使っても手に入れるし、手に入れたものは絶対に奪わせない。今世のシャンネリーゼは魔女ではないが、その生き様は骨の髄にまで染みついている。
「それに王太子妃なんて絶対面倒ですわ! 公爵夫人ですら面倒ですのに!」
シャンネリーゼは勉強は不得意である。必要最低限を見極めて如何に華麗に逃げ出すかを考える方が得意だ。
なんとも言い難い沈黙が数秒続いたあと、腰を引き寄せられ後ろから抱きしめられる。シャンネリーゼはその抱擁に照れもしないが逃げることもなく、その腕の中に納まった。
「……うん。王太子妃なんてサボってばかりのリーゼには無理だよ。だから大人しく公爵夫人になっておいて」
レイリオの頭がシャンネリーゼの頭にこつんとぶつかり、彼女は頭を少し動かして彼を見上げる。きゅっと瞼を閉じ情けなく眉を下げた、レイリオには到底似合わない今にも泣き出しそうな顔だった。
「ええ、公爵夫人にならなってあげてもいいですわ」
あやすような柔らかな口調に、拘束する腕にさらにきゅっと力が入った。でもそれは決してシャンネリーゼを苦しめる程ではない。
その腕に手を添え、身体を預ける。気が済むまで好きにすればいい。
レイリオが向ける想いの大きさに、シャンネリーゼが向けるそれがつり合っていないことは自覚している。この先も釣り合うことはない気がする。でも、その差が少しでも埋まればいいなと思うくらいには彼の執着に絆されている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます