第十五更 いわくつき




「最近荒らされた店ねえ……」


 紺色のジャガーXJが、京都の市街地に停車している。その運転席で夏井は、煙草を吸いながらカーナビを触っていた。

「自分もあんまり関わってへんからなぁ、その件。どこやろな。確かもう少し上がったとこのバーがどうのこうの、言うてたような……」

「すみません、夏井さん。何から何まで」

助手席で高野は、咥えていた煙草を離して頭を下げた。

「いやええってほんま! そもそも、前から言うとるけど、自分、君の部下なんやで。敬語もやめや言うてるのに」

「いやあ……年上ですし……」

夏井は困ったように笑いながら、サイドブレーキを解除する。

「年上言うても、ふたつかみっつやん。それに極道なんて立場が全てなんやから、上のもんが下のもんに敬語なんて、示しがつかへんよ」

心地よいエンジン音がする。高野は煙草を咥え直して、前を見据えた。

「それでも、俺は尊敬する先輩には敬語、使いますよ。極道らしくないとか言われても」

ハンドルを握った夏井が、微笑み頷く。

「……ま、それも高野くんのええとこやな」


 高野のそういった『甘さ』は、一定層には好かれていたし、一定層には嫌厭されていた。それを理解しながら、高野はあくまでも自分を曲げるつもりはないようだった。夏井はそんな所も含めて、この高野という男を気に入っていた。


「あ、夏井さん! 成海から連絡が」

車はスピードを落とし、細い中道に入って停まる。

「どこ?」

「キャバクラ、ジズ……ジズ? 聞いたことあるような……」

「あー、西芙蓉町通の上手やね。いわくつきの店やからな、あそこ……」

「いわくつき?」

煙草をコーヒーの空き缶に放り込み、夏井は車を後退させる。

「せやで。自分も詳しく知らんけど……徹さん。あの人が絡んどるとか絡んでないとか」

徹、という言葉をきっかけに、高野はいくつかのことを連鎖的に思い出した。

 吉鯖徹。元西木組、代打ち師。西木組——六原慧子。

「……あ」


 走り出した車の速度は、京都市内特有の入り組んだ細道を行くには、あまりにも速い。しかし高野も慣れたもので、むしろ夏井が法定速度で走っていたら、近くにパトカーがいるのだろうと思うようになってしまった。かなりの速さで流れる街を車窓から眺めながら、高野は短くなった煙草を指先で摘んだ。

 そのキャバクラ店が、数年前まで西木組に利権を握られていたという話を、たった今ようやく思い出した。呆れたような、諦めたような顔で、呟く。

「なーんですぐ思い至らないんだろうな、俺……」

「ま、それも高野くんのええとこやな」



 キャバクラ・ジズの店構えは、ゴージャスながら落ち着きのある、高級志向の風体だった。店の前まで来て、改めて高野は、その店のことを思い出した。

「俺ここ、昔偵察に来たんですよね……」

「あら、そうなん?」

「ほら。俺、前に、一回任されたでしょ。新しいキャバ作るの」

シノギもひととおり経験しろ、という竜嶽の指示により、高野は一時期キャバクラのオーナーをやっていた。

「あの店、まだあるん?」

「一応あります。俺はもう手引いたけど」


 車を店の前に停める。車外に出た二人は、ポケットに両手を入れたまま、店を見上げた。

「結構繁盛しとったよなあ……高野くんが作ったにしては、えらいええ雰囲気の店や思ったわ」

「ちょっと、失礼でしょ」

「せやけど納得や、要は真似しはったちゅうことやな」

高野は肩をすくめ、歩みを進める。

「別にここに限らず、うちのシマのキャバは大体回って参考にしてますよ。東京や大阪の有名店も行ったし、なんなら……香港の風俗店も見てきたし」

「そら勉強熱心やなあ~」

後を追うように歩いてきた夏井に対して、重いドアを開け、すれ違いざま高野は呟く。

「そういう風に、教えられたから。神音さんに」

「……」


 店内も豪華な調度品に彩られ、それでいて下品な感じはない。二人が入るとすぐにボーイがやってきた。

「失礼いたします、お客様。当店は開店時間が……」

そこまで言って、二人のスーツについたピンズに気付く。ボーイは慌てることなく、再び頭を下げた。

「大変申し訳ございませんでした。今、店長を呼んで参ります」

「すみません。お願いします」

高野の会釈に微笑み、ボーイは奥へと消えた。

「躾がなっとるねえ……」

「見た目チャラそうでしたけどね。さすが」

ジズは、この近辺では割と有名な人気店だ。評判も良い。


「お待たせいたしました」

現れた店長は、歳の頃は高野とそう変わらなく見えるが、所作や物腰がしっかりとした男で、いかにもやり手という雰囲気だった。


「突然すみません。鈴鳴組の高野という者です」

「同じく、鈴鳴組の夏井言います」

「高野さん、お久しぶりです」

面食らったように、高野がのけぞった。

「え? ……俺が来たの、かなり前ですよ? 店長もあなたじゃなかった……」

「あの頃はまだボーイでした。驚かせてしまってすみません」

高野はほう、と溜息をついた。

「……よく覚えてますね」

「人の顔を覚えるのが得意で」

店長はそう言うと、人の好い笑顔を見せた。

「夏井さんは初めましてですね。どうぞよろしくお願いいたします」

「こちらこそ、よろしゅう」

背の高い夏井を見上げる店長は、平均より小柄だ。


「それで、今日は?」

「ああ、えっと」

高野は虚空を見つめ、僅かに思案する。

「……最近、何か、妙な連中に襲われたそうで」

「……ああ」

店長が眉を顰め頷く。

「人を探しているとかでね。確かに、数人来ましたよ。少々暴れられましたけど、割とすぐに帰っていったので、大きな問題にはなりませんでした」

「誰を探してました?」

「……ピンクの髪の女、と」

高野は小さく頷く。少しお待ちください、と言い、店長はカウンターの中で何かを探し始めた。

「一人、思い当たる人がいて。ずっと昔、私がまだバイトだった頃、この店のナンバーワンだった人のことだと思います」

店長が一枚、写真を取り出して二人に見せた。

「アキさんという方です」

写真に写った女性とその名前に、高野は思わず天を仰いだ。

「ああ……」

「どないしたん、高野くん」

「いや……なんでも」

なるほど、と彼は口の中で呟く。六原慧子の元勤務先。奴らは当然調べに来るだろう。しかし、娘ではなく、母親のほうを探しに来たのだろうか。小森は一人でこの町まで来たと言っていたが──高野は項垂れるようにして、そこまで考える。それから再び店長に向き直った。

「それで、なんて?」

「こちらは知らないの一点張りです。実際、今どこでどうしているか、本当に知らないので……そうこうするうちに諦めて、という感じですかね」

「うーん……」

「その連中がどこのもんやとか、どの辺に帰っていったとか、わからへんよな?」

「すみません、そこまでは。ただ、見たことのある人はいました」

「というと?」

店長が、六原慧子の写真を指差す。

「アキさんがここで働いていた頃、時々彼女を迎えに来ていた運転手が」

「へえ……どないな人?」

「普通のヤクザの組員に見えました。といっても、彼女がここで働いていたのは、もう十年以上前ですから……あの頃とは見た目も変わっていましたけれど。でも、顔は、確かに見覚えがありました」

「……」

高野はしばし顎に手を当てて考えていたが、ぱっと店長に向かって微笑んだ。

「ありがとうございます。突然来てすみませんでした」

「こちらこそ、お茶も出さずにすみません」

「とんでもない」

そう言うと高野はポケットからメモを取り出し、さらさらと何かを綴る。

「……これ、俺の直通の電話番号です。もし何かあったら、ここに電話もらえませんか?」

「ありがとうございます。心強いです」


 丁寧に見送られ、二人は店を出る。

「何とも言えん収穫やね」

「まあ、あんまり進展があったわけではないですけど……」

ぼやきながら、高野は一度店を振り返る。

「けどここは、また来る気がする」

「……誰が?」

向き直り、高野は首を傾げた。

「連中と、……俺も、かな」

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