第六更 まるで魔法の呪文のような


 かくして僕は、鈴鳴組の代打ち、四代目となった。


   *


「四代目ぇ?」

僕の横でフォークにパスタを巻きながら、やくさんは素っ頓狂な声を上げた。

「てことは、何。先生って三代目だったの?」

「らしいです」

僕はBARシンハライトのカウンターで、やくさんお手製の〈セロリとトマトのリングイネ・ペスカトーレ仕立て〉を口に運びながら頷いた。


 ちなみにこの状況の経緯について。今日は非番だったので、僕は朝からだらだらとすずめの休憩室で一人、携帯ゲームの麻雀をしていた。すると昼前になってやくさんから『お昼まだなら試食に来て(^_-)-☆』なるメールが届き、空腹につられてのこのこ彼の店を訪れた、というわけだ。


 それにしても、パスタが美味しい。太めの平麺に、濃厚ながらすっきりとした後口のトマトソースがよく絡む。たっぷり盛られた魚介は、添えられたセロリのおかげで臭みがなく、いくら食べても飽きない。仕上げに、と目の前で削られたバジルソルトの香りが、口に入れるたび鼻から抜けて病みつきになる。


「三代目、かあ。先生のお師匠さんは知ってるけど、それが二代目ってことは、お師匠さんのお師匠さんがいるってことだよね。オレも知らないな~それは」

「僕も結局、よくわかりませんでした。まぁ、機会があれば聞いてみます」

僕が鈴鳴組の代打ち師になったことを伝えると、やくさんは「就職おめでとう」なんて笑って、昼から酒を飲ませてくれた。出された軽めのモヒートは、ミントを液体窒素で瞬間冷凍させ、それを砕いて作られたものだ。細かいミントがたっぷりと混ぜられているにも関わらず、特有のえぐみは全くない。僕の知るどんなモヒートよりも美味しい。この人が出す料理はどれも、過去最高を悠々と塗り替えてきて、今まで食べていたものに戻れなくなる。恐ろしいことだ。


「にしても、成海ちゃんが先生の弟子ね。神音ちゃんもホント、楽しんでるよね」

「……やっぱり楽しんでるんですか、あの人」

イカを飲み込んで僕が不服そうに言うと、やくさんはからからと笑った。

「そりゃ楽しいでしょ。こんなこと今までなかったもん! オレだってワクワクしちゃうよ、これから君らがどうなっていくのかさ」

そんなふうに無邪気な笑みを見せられてやっかみを言うほど、僕も無粋ではない。もやもやをモヒートで飲み下しながら、あの日、僕が代打ち師を引き受けた後のことを思い出す。


   *


 ロアイヤルを出て、おやっさんは事務所に帰るというので、予定のない先生と二人で送っていくことになった。『鳴鈴館』という看板がかかったその事務所に入るのは、初めてではなかったが、組織の人間として訪れるのは少し緊張した。


「いつでも来たらええ。ここもお前ん家になるんやから」

おやっさんは僕を見ずに、ぶっきらぼうにそう言った。たぶん、照れているのだろうな、と思った。僕はもう今日だけで、おやっさんのことを随分と信頼してしまった。……鈴鳴組というのは、かなり個性の強い人の集まりで、西のトラブルメーカー、なんて聞いていたけれど。それを束ねるのだから、懐の広い親なのだろう。噂によると、鈴鳴組は傘下に剣崎会の三次団体をたくさん抱えているらしいし、おやっさんには相当多くの子がいるはずだ。器の大きい人間というのは、やはり相応の魅力がある。


 おやっさんを送り届け、僕と先生は何とはなしにすずめに向かった。道中、先生は煙草ばかり吸っていた。


「あの、先生」

自販機の前で先生を呼び止めた。芙蓉町の晩秋の夜道は、僅かに肌寒く、橙色の街灯に照らされて美しい。先生の銀髪も、光に透けてオレンジに見える。

「コーヒー買ったら、飲んでくれますか?」

答えを聞く前に小銭を入れ、僕はホットのブラックコーヒーの缶のボタンを押す。しゃがみこんで取り出すと、いつの間にか、先生も隣にしゃがんでいた。

「……びっくりした」

「お前は?」

僕の手から缶コーヒーを取り、代わりに先生は小銭を握らせてくる。

「いや、自分で……」

「いい。買え」

こうなったら、僕が何を言っても無駄だ。立ち上がり、握らされたお金で、同じものを買う。


「あの、ありがとうございます」

しゃがんだままの先生が、自販機からコーヒーを取り出す。立ち上がる気配がないので、慌てて僕も隣にしゃがんだ。

「ん」

ご丁寧にプルトップまで開けて渡される。まさかこのまま、自販機の前にしゃがんで飲むつもりなのだろうか。僕は言葉を失い、黙ってそれを受け取った。先生はそのまま、自分のコーヒーを開封する。かしゅ、という音の後、彼がこちらを見た。

「……乾杯」

「は、えっ? あっ、あ、ありがとうございます」


黒い缶同士をぶつける。口をつけると少し熱かった。先生はそのまま、呷るように飲んでいる。晒された白い喉が上下するのを、薄暗がりの中でぼんやりと眺めた。


「……お前は」

缶から口を離した先生が、僕を見ずに呟いた。

「麻雀、好きか」

「……え」

真意をはかりかねて、押し黙る。

「俺は」

抑揚のない声。低く、僅かに鼻にかかったような、聞き慣れたそれが、静かに僕を揺さぶる。

「好きでも、嫌いでもない。俺にはこれしかなかった。だから麻雀をしている。……お前はどうして麻雀をする?」

「……」


 試されている。僕の答え次第で、先生が、僕をどう扱うか、いや、僕にとっての麻雀をどう扱うか、変わってしまう。そう感じた。

 だから僕は、すぐに口を開いた。


「わからないからです」

「……」

その目が、僕を見た。

「麻雀がわからないです。僕にはまだ、全然、わかっていない。定石とか、奥深さとか、心理戦もメソッドも、何もわからない。だからもっと知りたい。先生の、」

そこまで言って、はっとして、言葉を飲み込んだ。先生のほうを見ると、彼の目はオレンジ色を映して光っていた。優しい目だった。僕は、飲んだ言葉をゆっくりと、呟いた。


「……先生みたいになりたい」


 口に出してしまえば、それは酷く安っぽくて、ありふれた言葉だった。けれど僕にとっては、まるで魔法の呪文のような、あるいは、死刑宣告のような。そんな重さを持っていた。

 先生は、僕を見つめ、微笑んだ。


「何してんのお前ら」

背後から突然声を掛けられ、僕はびくりと身体を跳ねさせた。慌てて立ち上がり振りむくと、咥え煙草の神音さんが立っている。

「やっぱ成海くんと先生じゃん。え? マジで何してんの?」

「な、なんでもありません」

先生のほうを見ると、まだしゃがんだままコーヒーを飲んでいる。


「……まあいいや。あ、そうだ成海くん、鈴鳴組へようこそ」

彼は両手を広げ、歓迎するよ、なんて嘘っぽい笑顔を浮かべる。煙草の煙越しに、赤く光る目が見える。

「神音さん。僕のこと推薦してくれたのって、神音さんなんですよね?」

「そうだけど?」

「……なんで、僕なんかを?」

神音さんは首を傾げる。

「なんか良さそうだったから?」

「……」

絶句する僕の横で、先生が立ち上がった。

「お前らどうせすずめ行こうとしてたんだろ? 行こうぜ」

神音さんが先導切って歩き出す。先生は缶をゴミ箱に捨て、その後ろをついていった。慌てて僕もコーヒーを持ったまま二人を追う。


「にしても、正式な組員じゃないとはいえ、なるなるが俺の弟分になるなんてな。あ、俺のことお兄ちゃんって呼んでもいいぜ? どう?」

「いや、それは……えっと……」

「冗談だよ」

短くなった煙草を握り潰しながら、神音さんが笑う。

「まあ、なんでも相談しな。先生にもちゃんと麻雀教えてもらってさ。困ったことがあったら言って」

なんとかできることはなんとかしてやるよ、と新しい煙草に火をつけながら言う神音さんの横顔を盗み見る。……『お兄ちゃん』に、見えなくもなかった。


   *


「楽しんでもらえてるなら、良いかな」

回想から現実に戻り呟くと、やくさんが小さく笑った。

「成海ちゃんも楽しみなよ。元気に楽しくやれる時間なんか、人生でそう長くないじゃん。楽しめるうちに目一杯楽しまなきゃ」

ムール貝をフォークで器用に剥がす彼を見ながら、グラスを置く。

「なんたって今じゃもう、町中で噂になってるよ。鈴鳴組の雀鬼と虎の子が弟子とったって」

「え、ええ?」

ぞっとする話だ。普通に芙蓉町を歩いているが、大丈夫だろうか。


「……というか、虎の子、って」

「そうだよ。神音ちゃんて、鈴鳴の虎の子って呼ばれてんの」

ああ見えて結構仕事できるんだよ、とウインクした。


「親父さんとは似てないけどね。あんな感じでちゃらちゃらしてるし。役職持ったり組でのし上がったりすることに興味ないから、表立っていろいろしてるわけじゃない。でも界隈じゃそこそこ有名人だよ」

やくさんがくるりと巻いたパスタを一口頬張る。僕も最後の一口を食べた。少し冷めてしまったが、美味しい。虎の子か、と思う。

「そんで、先生は一部じゃ白虎なんて呼ばれてる」

僕は思わず咀嚼を止め、やくさんの顔を見た。彼はまるで無邪気な子供みたいに、いたずらっぽく笑っていた。


「楽しみだね、成海ちゃん。君はなんて呼ばれることになるんだろうね?」




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