12-2 『何もしない』


 懐かしいピオニーの匂いがふんわりと鼻腔に広がる。

 高校生の時から変わらない瑠夢愛用のシャンプーの香り。涼しい夜の気温。そしてその涼しさを埋めるような人肌の温もり。

 いつかの夜を思い出す。こうして一つのベッドで体を寄せて眠ったことを。


「やっぱり全然狭くない」

「…………」

「これだったらベッド買わなくてもいいかも。ずっと一緒に寝てもいい?」

「…………」

「菜月? もう寝ちゃった? ……え、まだベッドにきて5分も経ってないよ」


 瑠夢に背中を向けて寝転がる私の様子を伺うように後ろからのぞき込む。

 背中を向けて寝る理由は一つ。気恥ずかしさと、寝顔を見られたくない気持ちからだ。そして寝たふりをしているのには別の理由がある。


 寝たと思って放っておいてくれればいいのに、まだ眠るのには早いのか瑠夢は私のほっぺにツンツンと指を沈める。「おーい」とか「ぷにぷに」とか言ってる瑠夢が可愛らしくて我慢できなくなり、ふっと笑いを吹き出すと「やっぱり起きてた」とまだ構ってほしい子供のような声を出す。


「何で寝たふりしてたの?」

「……するでしょ。こんな体勢にもなってたら」

「こんな体勢?」


 分からないなぁと言うように言葉を返してくる。

 今、私は瑠夢に後ろから抱きしめられるような姿で寝ている。

 こんな気まずいことをされておいて、冷静に会話ができると思うのだろうか? できない。私はできない。だから寝たふりをして眠りにつくのを待っていた。


「あー、抱き枕にしてる。私、ぎゅーってしないと寝られない体質で」

「普段使ってるぬいぐるみ使おうよ」 

「そうしたらその分ベット狭くなっちゃうよ?」

「誤差だよ、それくらい」

「でも人肌って安心しない? いつもより深く眠れそうだと思うの」


 確かに、寮時代もいくつか抱き枕やぬいぐるみをベッドに置き日替わりで使っていたような記憶がある。昔、一度は瑠夢の抱き枕になったこともあったかもしれない。


「菜月の細さ、私の腕にジャストフィットなんだよね」

「……今日だけだよ」


 可愛く、甘え上手な瑠夢に負けて抱き枕になることを承諾した。


 枕元に置いたリモコンで照明をオフにして、部屋を真っ暗にする。

 まだ目は慣れないせいか、後ろにいる瑠夢の体温と息遣いがより伝わって来た。


 早く寝よう。明日も仕事だし。

 何よりこのソワソワした気持ちを消すには意識を無くすのが一番だ。

 副交感神経を優位にするためにゆっくり息を吸って、息を吐く。

 吸うときに膨らんだ身体が瑠夢に抱き締められた手にぶつかるのが気になったが、数回した時点で気にならなくなってきた。目が慣れてきたせいか、この態勢にも段々慣れてきた。もう少しで眠りにつけそうだ。瑠夢はもう寝ただろうか。

 なんとなく目がとろんと落ちて来た。そろそろ眠りにつけるかもしれない。

 そんなことを考えていたときだった――


「……はむっ」

「っ!」


 身体がびくりと跳ねた後、耳から背中へ向かってゾワッとした感覚が走る。何事かとびっくりした後に、情報が整理された頭から今あったことを報告される。瑠夢に耳たぶを甘嚙みされた。……何で?


「菜月可愛い」

「な、なにしてんの!?」

「耳たぶ可愛くて」

「可愛くない! 可愛かったとしても噛まないで」

「うーーん、どうしようっかなぁ」


 再び甘嚙みされる。


「んぅ……」


 口から微かに漏れる瑠夢の息が耳へとかかり、その刺激もが甘い電気信号へと変換される。


「菜月の反応とっても可愛いから、無理かも」


 軽いけど妖艶な喋り方に心臓の動きは活発になった。

 後ろから抱きしめられているから瑠夢の表情は分からない。

 どんな顔をしているから分からないからこそ、瑠夢の甘い声がより魅力的に感じる。


「明日も仕事だから……。寝なきゃ、だから」

「熱出たことにして休んじゃおうよ?」

「有給っ、使いたくない……」

「? じゃあ使わなきゃいいじゃん」

「給料引かれちゃ、ぅ」


 耳をはむはむと噛まれながら、瑠夢は会話をする。彼女の声が振動として伝わってくるのがまた刺激となり、頭の中はふわふわとしていく。全ての感覚が瑠夢に従わされる。


「声、我慢しなくてもいいんだよ」


 時折動く私の身体に気づいてしまったのだろうか。いや、気づかないわけがない。

 密着しているわけだから私の思考以外、全て筒抜けになっているのだろう。


「やだ……」


 もしかしたら思考すら、見抜かれいるのかもしれない。


「可愛いのに。もっとちゃんと聞きたい」


 そうして瑠夢はお腹のあたりでぎゅっと抱きしめていた左腕をパジャマの下へと侵入させる。この先起こることを予期し、抵抗したが耳から来る刺激もあり上手くいかない。侵入した左手は私のお腹を優しく撫でる。


「菜月、良いこと教えてあげる」


 下着のアンダーラインギリギリのところまで撫でてはへその下まで円を描くように手を動かしながら甘い声で悪魔の言葉を告げる。


「本当に何もしない人は『何もしない』なんて言わないんだよ」


 そして上方から下着と肌の間へと手を入れる。

 包み込むように手を添えると「やっぱりスタイル良いよね、菜月は」と呟いた。


「あ、前にあるじゃん」


 運悪くも前開きタイプだと気づかれてしまい一瞬で外される。解放されたそれは障害なくそれぞれが瑠夢の手に弄ばれる。

 

「恥ずかしい? 耳、熱くなってきちゃったね」

「当たり前、やだ。瑠夢、だめ」

「可愛い。菜月の可愛い姿もっと見たい」


 またしても円を描くように撫でる瑠夢の指に、頭はクラクラしていく。

 頭ではダメだと分かっているのに。この状況に――この瑠夢から弄ばれることに後ろめたさと高揚感がないまぜになる。

 言葉ではダメだと言ってるのにもう少しだけ続けて欲しいと頭のどこかで思ってしまう。

 もう瑠夢のことは好きではないと思っていたのに。


「菜月。私は菜月が好きだよ」


 耳元で囁くように、甘さに熱を加えた声で。

 あの劇薬の言葉を。


 止まることのない愛の刺激にキャパオーバーした私がガクンと大きく身体を揺らし呼吸を乱した。 

 瑠夢も何かを察したのだろう。左手は方向を変え、次なる刺激を与えに行こうとする。一度頭が真っ白になったことでようやく冷静になれた私は、この状況に流されてはいけないと理性を取り戻し、好き勝手していた左腕をようやく捕まえ、声を上げる。


「やだ……、やだ。瑠夢、やだ。やめて」

「下は苦手?」

「……そういうことじゃなくて。いや、そういうことかもしれないけど。……そうじゃなくて」

「?」

「こういうのは、好きな人同士がするものじゃないの?」

「私は菜月が好きだよ」

「私も瑠夢が好きだけど、そうじゃなくて!!」


 身体の向きを変えて、瑠夢の方へと向き直る。

 抱きしめられていた名残でまだ右腕は私の身体に沿わされて、何だか抱きしめられているような格好だ。……ああ、まだ冷静な頭でいれていない。


「恋人同士、とか。そういう意味」

「……大人になったらそうでもないけど」

「そういう関係もあるかもだけど……」

「菜月嫌なの?」

「嫌だよ」


 瑠夢の質問へ即答する。当たり前だ。


「私じゃなくてもいいみたいじゃん」

「……他の友達にはしないよ。菜月だからした」


 また菜月とこういうことしたくて。と甘い声で言う。


「菜月は特別。これじゃ、ダメ?」

「それは」


 ……ダメじゃない。


 小さく、瑠夢に聞こえないような声で呟く。

 この声が届かなければいいなと思いながら、届いてほしいと思ってる。


 あぁ。頭ではダメだって分かっているのにどうしてこんなに意志が弱いのだろう。

 頭の中をドロドロに溶かして何も考えなくさせた瑠夢のせいだ。

 全部瑠夢のせい。瑠夢のせい。

 だから今日は瑠夢に溺れてもいいよね。


 瑠夢の手がパジャマのズボンの中へと入っていった。

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