12-1 ピーチタルト


「おすすめはやっぱり当店一番人気のショートケーキですかね」


 仕事終わりに駅ビル内にあるケーキ屋さんでショーケースを覗いていたところ店員さんに声を掛けてもらった。気まずくなった相手(私が一方的に思っているだけだが)との関係を改善するためにはどれを買ったら良いかと難しい相談をしたところ、快く相談に乗ってくれたのだ。


「ですが仲直りをするなら、やっぱり相手の方の好みのものを選ぶのが一番だとは思います」

「ですよねぇ」


 しかしそれが分からない。あんなに盲目的に好きだったというのに、好物の一つも知らない。というも瑠夢はなんでも美味しそうに食べていたからだ。私の記憶では皆が一直線で並び、頭ひとつ飛び出た印象のものはない。


「フルーツはお嫌いじゃないですか?」

「フルーツ……」


 記憶の中にある瑠夢の写真を思い出す。確か、たくさんのフルーツに囲まれた……フルーツバイキングの写真を載せていた気がする。窓側の席で斜めに入った日差しを味方にする瑠夢の可愛さが眩しかった記憶がある。


「嫌いではないと思います」


 またしても『好き』だと答えられない自分に嫌気がさしつつも答えると、店員さんはぱあっと明るい表情となり「それなら!」と言葉を続けた。


「好みがわからないのでしたら、特別感で勝負してみてはいかがでしょうか」

「特別感……」

「季節限定のピーチタルトなんですが、こちらを豪華にホールで買ってみるのはいかがでしょう」


 『期間限定』『ホール』『特別』。どれも瑠夢が惹かれそうな言葉で悪くないかもしれない。

 こちらです、とカウンターの上からタルトとある場所を指さす。円形のタルトの上にクリーム色の桃がバラを咲かすように配置されている。葉が舞い散るようにアクセントで置かれており、高級感のある見た目をしていた。高級感があるだけあって、隣に置かれた値札にはぎょっとする数字が並んでいる。


「このお花の豪華さと、……タルトってあまり買わないので少し特別な感じがしませんか?」


 箱を開いて、瑠夢がどんな顔をするか想像をしてみる。

 間違いなく「わぁ……! かわいい!」だろう。驚きながらも嬉しそうに微笑む姿が思い浮かぶ。


 私の頭の中は曇った瑠夢の「何で?」でいっぱいになっていた。

 会ったらどう接したら良いのか。今朝、起きてから家を出るまでの間、もし顔を合わせることがあったら上手く喋れるかなんて考えては、起きて来なかったことに少しホッとしていた。


 瑠夢の気持ちは分からない。ストーカー行為を歓迎したり、もうしないと言うと目に見える態度でがっかりしたり。理解できない由来によって少しだけ瑠夢を気持ち悪く感じたりもしてしまった。ほんの少しだけ。

 だけど、その気まずさから距離を置くのは違う気がする。そもそも全ての原因は過去の私にあるんだ。私の醜行を受け入れる瑠夢に引くなんて意味の分からない構図だ。


 それを払拭すべく、スイーツを買うという行動に出た。

 瑠夢のため、なんて思っているが本当は私のためなのかもしれない。

 瑠夢の喜んでいる顔を見て安心したいんだ。変な考えがあったとしても、可愛く喜ぶ瑠夢の姿を見れば頭の中でいっぱいになっている曇った瑠夢の顔が上書きされる気がして。


 だから、少し値が張ったとしても頑張ろう。

 全ては明るくて楽しい同居生活のためだ。

 

「ピーチタルト、ホールで1つお願いします」


 店員さんは明るい顔で承知いたしました、と言いショーケースからタルトを取り出し、後ろの台で箱詰めの作業を始めた。

 戻ってきたときにすぐ決済できるようにとカバンからスマホを取り出す。ロックを解除するとラインに未読があることに気づいた。瑠夢からだった。


『私の好きなごはん作っちゃうからね!』


 と拗ねたクマのスタンプ付きでメッセージが送られていた。

 そういえば仕事中に好きなご飯は何か尋ねられていたんだった。好きなご飯は即答できるが、答えたメニューが夕飯になる予感がして慎重に返信を考えていたらいつの間にか返信を失念していた。

 瑠夢の料理の技量がどんなものか分からないため、まずは簡単な料理をと思っていたのだが……。


 ごめん。忙しくて返信できてなかったと大嘘の返信を送ると、すぐにメッセージが返ってくる。


『お仕事終わった?』

『うん、もう帰るところ』

『どこ? 迎え行く!』

『駅ビルで買い物してる。ちょっと待たせるかもよ?』

『問題なし。A4出口で待ってる!』


 次いでピシッと敬礼をしたひよこのスタンプが来るとラインが大人しくなる。

 タイミングを計ったかのように作業を終えた店員さんへと声を掛けられ、箱詰めされたタルトを見せられた。

 問題ないですと答えると箱を袋に入れて、会計へと移る。


「9,720円です」


 う……。やっぱり高すぎる。

 だけどこれも明るい同居生活のため!


 * * *


 指定された出口へと行くとスマホをいじる瑠夢がいた。周りの人と比べて等身が高いため、帰宅ラッシュで混雑する駅でも一目で見つけることができた。

 タルトが崩れないように気を付けながら駆け寄ると、瑠夢は気配を感じてか顔を上げる。無表情で画面を見つめていた瑠夢の顔は私を捉えると、色が付いたようにどんどんと華やかな表情になっていく。


「菜月、おかえりなさい!」


 「おかえりなさい」という慣れない言葉に反応を失ってしまった。寮に住んでいた時代は瑠夢が出かけることの方が多く、迎え入れている側だった。長い一人暮らしで帰っても声を掛けられることなんてなく、ただいますら言わなくなった私にとっておかえりなさいと言われることがこんなに嬉しいなんて、今日が来るまで知らなかった。

 瑠夢からのおかえりで気まずさなんてどっかに行っていた。甘いものを買う必要もなかった。


 ただいまと言えばいいのだろうか? でもなんか、それは照れ臭い。

 反応に困り言葉を模索している中、瑠夢はそんなことも知らない顔で手に持った袋に目を向けた。


「ケーキ? 買ってきてくれたの?」


 持つよ、と言って手首からビニール袋を引き取られる。


「帰ろう! ごはんできてるよ」

「うん」


 落ち合ってすぐに帰路に就く。

 最寄り駅から5分圏内という破格の距離に私たちの家はある。


「楽しみだな、ケーキ。ここってショートケーキが人気なお店だよね?」

「確かにそう言ってた。でもショートケーキじゃないよ」

「ほう。菜月の好みで選ばれてたらティラミスだよね~? てか何のケーキ?」

「…………」

「わかった。引っ越し記念ケーキだ!」

「そう。……引っ越し記念」


 私の好みを知っていてくれたことに驚き一瞬言葉を忘れる。瑠夢とはいい関係であると思い込むために買ってきたなんて本当のことは言えるはずもなく、瑠夢がそれらしい正解を作ってくれたのでその答えに乗った。


「瑠夢は。何作ってくれたの?」

「何でしょ~?」


 満面の笑みで顎に指をあて、首を傾げる。映画のワンシーンか? 可愛い。


「てか料理できるの?」

「できるよ! むしろ得意な分野」

「へぇ、その顔で料理できるなんて無敵じゃん」

「そうだよ? 引く手数多。だけど私は敢えて一人でいるの」


 昨日から菜月と一緒だった。と瑠夢は発言を訂正した。


「私とは大違いだ」

「え、菜月は早く男作りたいの?」

「いや、そういうわけじゃないけど。"敢えて"とかじゃないから」

「変なとこ気にするんだね? ……あ。ついた!」


 駅徒歩5分の距離はあっという間で、気がつくと目の前に高いマンションが現れていた。

 カードキーをかざしオートロックを解除する。そのまま、エレベーターに乗り込み再びカードをかざす。自分の住む階にしか止まらないエレベーターらしい。これだけで高級マンションなのは分かるだろう。

 エレベーターが止まり、出て右側へと歩いていく。右側に配置されたのは1部屋のみで私たちだけの空間のようになっている。


「ただいまー」


 鍵を開けて瑠夢がゆるい声で誰もいない部屋へ挨拶をする。


「ただいま」


 次いで私も。今度はベストタイミングで言うことが出来た。

 少し恥ずかしさはあるものの、温かい気持ちになった。


 そして、他にも。


「めっちゃいい匂いする!」

「えへへ。でしょー?」


 ニンニクとオリーブオイルの匂い。これだけで食欲をそそる。

 何を作ったのかとダイニングへと行くと、白のお皿には彩度が高い黄色・赤の野菜、白の白身を魚の皮の黒色で引き締められた主食が置いてある。他にもベビーリーフのサラダやスープなどテーブルには美味しそうな料理が綺麗に並べてあった。


「菜月が持ってきてくれたお皿借りちゃったんだけど良かった?」

「悪いわけないよ! めっちゃ美味しそう、これアクアパッツァ?」

「そう。どう、お洒落?」

「お洒落! 瑠夢、天才じゃん。毎日瑠夢の料理が食べられるとかやばくない?」

「えへへ、でしょ。早く手洗いうがいしてさ、ごはん食べちゃおう!」


 * * *


「天才だった……」

「まだ言ってるの〜?」


 お風呂に入り、しばらく経っても終わらない余韻。

 瑠夢のごはんは一瞬にして食べ終わった。美味すぎる。口の中に入れた瞬間に広がる素材の味。一つも取りこぼしたくなくて目を瞑って、一口一口を噛みしめた。

 瑠夢にやりすぎ、とからかわれたがこれは大袈裟ではない。10人中10人は同じ反応をするだろう。それくらいに天才的なごはんだった。


 そして食後のデザートをこれから食べる。瑠夢は喜んでくれるだろうか。

 もう瑠夢への気まずさなんて無くなっていたが、せっかく買ってきたデザートだ。喜んでくれるかどうかは気になるところ。


「タルトだったんだね」

「うん。好き?」

「うん、好き」


 私の質問と同じ言葉で答えを返す。

 口角は上がっているが、テンションが高いときの様子ではない。

 これはもしかして、やってしまった??


 切り分けたタルトをフォークで一口サイズにし、瑠夢は口へと入れた。


「美味しい。みずみずしくて甘い!」


 お手本のような感想。これはもしや……。


「あまり好きじゃなかった系?」

「ううん。好きだよ、ピーチタルト」

「うそ」

「本当。今好きになった」

「…………」

「呆れた顔しないでよー。好きになったんだから」

「でも」

「10年後に振り返ったらさ、順番なんて分かんなくなるから。この日にピーチタルトを食べたから好きだったんだっけ? 元々好きだったんだっけ? みたいに!」


 そんなことはないと思う。


「明日も明後日も私は瑠夢は思い遣りからピーチタルト好きになったんだよなぁ……って考えちゃうと思うよ。それが3、4日続いて1年」

「そして10年? そんなに長期間私のことを考えてくれるの? それはそれでいいかもしれない」

「やだよ。瑠夢だらけになっちゃう」

「なってもいいじゃん? 10年続けようよ、同居」

「そうやって提案する方があっさり先にいなくなっちゃうんだよなぁ」


 持久走の一緒に走ろうってやつみたいに。そういえば瑠夢と並んで走ったこともあったっけ。普通に置いて行かれたな。


「じゃあ、私が好きなものを一つ教えてあげる」

「どういう話の流れ?」

「上書きしてよ。次は瑠夢の好きなものに合わせて、プレゼントしてあげようっていっぱい考えて?」

「悪い女」


 でも気になり、何が好きなの? と尋ねる。

 すると、何でもない顔をしながら私のことを指差した。


「菜月」

「……はぁ。そうやって何人たぶらかしてきたの?」

「菜月だけ。私がそんな遊んでいるように見える?」


 ……瑠夢の顔面ならこんなあざとい技術を使う必要はないか。


「何、もしかしてお願いでもあるの?」


 瑠夢の目論見が分かったように口を開く。実際は当てずっぽうなのだけど。


「今日は菜月の部屋で寝てもいい?」

「え?」

「ベッドだけまだ買ってなくて。昨日は繋ぎとして持ってきたお布団で寝たんだけど、眠り浅くて9時に起きちゃったんだよね」


 恐らく就寝時間は私と同じ1時過ぎだったと思う。十分に眠れているのでは? と疑問が頭に浮かぶが口に出さずにそっと心にしまっておくことにした。余計なことを言わないのが同居で上手くやっていくコツ。


「確かに固い布団とか苦手そうだもんね。良いよ。じゃあ私はソファで寝るね」

「え?」


 そして相手への気遣い。これらが同居で大切な二つのポイント。


「二人で一緒のベッドは狭いじゃん。それこそ、全然眠れなくなりそうじゃない?」

「えーー! 二人とも細いから大丈夫だよ~! それに持ち主の菜月をどけて自分だけベッドで寝るなんて心が痛む」

「瑠夢って悪いって思うことあるんだ」


 たまに意地悪なことを言ったりもするけど。


「ある!! 私そこまでわがままじゃないよー」


 頬を膨らまして可愛く怒る。そしてダメ押しなのか、私の右手を両手で包み、おねだりの顔を作った。


「ねぇ菜月。一緒に寝よ?」

「でも」

「大丈夫。何もしないから」

「別にそういうのは心配してないけど」

「いびきうるさくても問題なし」

「かかないよ。……多分」


 瑠夢の提案に乗らない私に対して、「とりあえずさ」と話を無理矢理に進展させようとする。


「寝てみよう。それで寝にくかったら私がソファに行く」

「瑠夢はベッドで良いよ。……とりあえず試すだけね」


 明日もあることを思い出し、このままでは寝る時間が遅くなると思い最後の押しに折れることにした。


「やった! じゃあ、いこ!」


 包み込んだ両手は離すことなく、私の部屋へと引っ張っていこうとする。

 しかし歩みは途中で止まった。


「あ。歯磨き」


 ルートを変更し、歯ブラシが二つ並ぶ洗面台へと向かった。


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