02 楽しい時間をもう一度

「ねぇ菜月、一緒に住もうよ!」

「え?」

 

 突然の話の流れに思考が止まった。どうして、そうなった?


「考えたの。今までの中で一番楽しかった時間を」

「その答えは高校生だった?」

「そう!」

 

 お酒で滑舌が甘くなりながら、言葉を続ける。血色が良い頬、ふわふわな喋り方。楽しそうな笑顔。ああ、可愛い。


「同じ部屋で、どうでもいい話したり、一緒に漫画読んで寝落ちしちゃったり。勉強しながら寝落ちしちゃったり。深夜にホットレモネード作って一緒に飲んでたら、いつの間にか楽しいおしゃべり会始まっちゃったり。なんか、すっごい楽しかった!」


 指を折りながら、楽しかった日々を数えている。


「またさ、一緒にこういう時間作らない?」

「仕事もあるし、あの時みたいにってのは難しいと思うけど……」


 楽しい時間であったことは同意できる。だけど、今はあの頃とは違う。

 明日が保証された毎日をただ生きていた昔とは違い、今は自分で生きていく保証を作るために毎日を過ごしている。違う環境で昔のように『楽しいだけの時間』を過ごしていけるとは思えない。そういう訳で少しだけ後ろ向きな考えであることを示すと、

 

「菜月と私なら大丈夫」


 痛いくらいに信頼を寄せた言葉が返ってきた。彼女はさらに甘い言葉を続ける。


「今も菜月といるの楽しいよ。10年間会ってなかったのが嘘みたい」

「…………」

「あー、にやけてる。嬉しいんだ?」

「……別にそんなことは」


 そんなことはある。

 ああ、悔しい。10年経っても変わらず、瑠夢の言葉に、表情に翻弄されるなんて。我慢できず気持ちを表情に出してしまうなんて。


「家事とか、ちゃんとしてよね」

「するする! したことないけど、頑張る!」

 

 両手をグーにして、意気込むようなポーズを取る。そして同居した場合の具体的な要望を言われたことで瑠夢は話が先に進んだことに気付き「それって」と呟いた。


「いいよ、一緒に住もう。瑠夢」

「…………!」


 瑠夢の顔は徐々に喜びが滲んだ表情へと変化していく。


「ありがとう! 菜月」


 テンションが高まったようで、勢いよく私を抱きしめる。

 温かく、柔らかい。お酒とシャンプーが混ざり合った匂いが鼻腔へと広がる。シャンプーは一緒に暮らしていた時期と変わっていなかった。


「そうと決まれば、住むところ探さないと」


 ウキウキとした様子で右手にスマホを持ち、スワイプを始める。物件検索のサイトにアクセスしたのだろう。


「え、何で?」

「何でって? どうせ菜月のお家、一人暮らし用でしょ? 狭いところに2人は無理だよ~」

「あー……」


 てっきり私の部屋に転がり込んでくるのだと思っていた。しかしよく考えてみれば広いお屋敷暮らし(行ったことはないから想像だけど)で暮らしている瑠夢に、海外ではうさぎ小屋と呼ばれるような狭いマンションの一室で2人は確かに厳しいかもしれない。

 

「職場は?」


 最寄り駅を答えると、瑠夢は条件メニューでその最寄り駅ただ一つを選択する。

 そして2階以上、角部屋、トイレ・バス別、築年数5年以下などこだわり条件をどんどんと選択していき、検索結果は最低金額でも一般OLでは目をふさぎたくなるような高額となっていた。

 東京は一人が暮らすだけの狭い部屋でも給与の3分の1を締める金額だ。そんな相場の中、こだわりを足していけば金額が高くなるのは当たり前のことだった。

 しかし、瑠夢はそんなことは全く気にせず、自分好みの外観・間取りの物件を楽しそうに探している。ページを開くたびに表示される家賃を見て、二人で割ると……と計算をするとどんどん背筋が涼しくなる。


 いくつかページを確認した後で、瑠夢は「ここ、良くない?」とスマホを私の方へと傾け、意見を伺う。良いと思うけど、家賃が……と答えると、


「良いよね!」


 と、都合の悪い意見は聞かなかったかのような返事が返ってきた。そしてその勢いで「じゃあ、ここに決めちゃいます」と物件見学のボタンを押そうとしたので、焦ってストップをかけた。


「?」

「予約するのは明日にして」

「何で? ダメだったらキャンセルすればいいじゃん」


 それに、良い物件は他の人に取られちゃうかもしれないよ? と言葉を続けた。


「今、酔っぱらっちゃってるじゃん。その場のノリで決めるような話じゃないよ」


 瑠夢の言っていることは正しい。良い物件は無くなるし、合わないと思ったらキャンセルをすればいい。そう、正しい。


 問題は私にある。急に気後れしてしまったのだ。

 夢のように話していたことが、住む物件の候補を決め、内見の予約を取ろうとする姿を見て急に現実味を帯びてきた。本当に瑠夢と暮らしていけるのだろうか。この選択をして後悔はしないだろうか、と不安が次々と溢れ出す。


 瑠夢と私の関係は、高校生の一番仲が良かったところで止まっている。瑠夢はまた同じ環境へ身を置けば、あの時の続きが始まると思っている。

 でも、もう何もかも違う。10年、違うところで生きてきて、あの時は柔軟だった価値観が今はガチガチに固められた。生活だって、仕事をしているしていない。お金に余裕があるない。何もかも違うんだ。


 そんなところで、瑠夢の期待する時間を送れる自信がなかった。

 瑠夢の期待に応えられなかったら、瑠夢の中で私はどんどん薄くなっていくだろう。薄くなっていつか同居を解消する。そんなことになった私は今度こそ耐えられない。


 そして、シラフの瑠夢は本当に一緒に暮らしたいと思っているのか。これも不安のひとつだった。


「酔いが醒めた後もう一度考えて」


 私の気持ちの問題を瑠夢の酔いを利用して誤魔化した。これは酒の勢いで決めたことじゃない、そんな確信で背中を押して欲しかった。

 そんなことも知らずに彼女は相変わらずの笑顔で自信満々に返事をする。


「だいじょーぶだよ。菜月が大好きなのは、変わってないから」

「そうだとしても」

「もー、心配性だなぁ」


 少し愚痴を溢しつつも、仕方ないなと笑い、「分かった」と返事をしてくれた。

 そしてグラスで一口お水を飲むと、はっとした表情になる。

 ころころと表情が変わる姿は本当に可愛い。


「そういえば菜月のライン知らない」

「消しちゃったの?」

「ううん。消したつもりはなかったんだけど、気づいたら消えてて」

「ふーん……」

「本当だよ? 私、わざわざブロ削するようなめんどくさいことしないもん」


 再び不機嫌そうに口を尖らせる。下手な言い訳をされるよりもブロ削をめんどくさいと言われる方が信憑性が高い気がする。


「携帯貸して」


 答える間もなく、瑠夢は私のスマホを手に取る。そして私の指を取りホームボタンに合わさせ、指紋認証に成功する。頻繫にやっているような流れる手つきだった。


「そういうの他の子にはしない方がいいよ?」

「菜月だからしてるの。菜月にしかしないもん」


 ラインの会話を含めても見られて困るようなものはないので、瑠夢にスマホを取られ操作されるのは止めなかった。


 QRの読み取りをし、友達追加も終わった頃だろうか。瑠夢の携帯がピコンと鳴り、その数秒後私の携帯が震えた。それを合図に満足そうな顔の瑠夢がスマホを返してきた。


 画面はトーク画面のままになっており、私が瑠夢へ『瑠夢、一緒に住もう〜♡』とメッセージを出し、瑠夢がOKとスタンプで返信する形になっていた。全て瑠夢の自演であるが。


 スタンプを送っている瑠夢のアイコンに目がいく。エメラルドグリーンの海をバックに、それを眺めるような後ろ姿で瑠夢は写っている。

 夏に行ったのだろう。綺麗な青空の下に瑠夢はいる。色むらのないミルクベージュの髪は太陽の光を浴びてよりキラキラと艶めきを放っている。余計な肉のない二の腕。センスの良いフィットアンドフレアのワンピース。

 後ろ姿だけで美人だと分かる写真だった。


「彼氏が撮った写真?」

「そんな人いないって。ママに撮ってもらった」

「そう」


 好きな人に撮ってもらうと、いい写真が出来ると耳にしたことがある。こんなに綺麗な写真を撮れるという事は、よほど瑠夢のことを愛していたーー昔に付き合ってた彼氏じゃないかとつい探るような真似をしてしまった。しかし杞憂だったようだ。

 家族からたくさんの愛を受けているということか。


 アイコンを見るのも満足し、スマホを閉じた。


「明日、酔いが醒めたら連絡して」


 一緒に住む件のことを念を押しすると「任せて!」と返される。本当に覚えていられるのだろうか。

 ……まぁ、連絡が来なかったら今の生活から変わることはないわけだし、私はそれはそれで良いんじゃないか。こうして念押しするなんて、一緒に住みたがってるみたいじゃん。


 自分の気持ちがごちゃごちゃとしてきて、それを誤魔化すようにお酒を一口入れる。そこまで強くないお酒だったので、あまり効果はなかった。

 対する瑠夢は話も収まりを迎え、集中が解けたのか


「んー、菜月。朝まで一緒にいよ〜」


 と、酔いに飲まれたように男殺しの台詞を吐いて、私の肩へともたれかかってきた。

 菜月と一緒に住めるの楽しみだなんて言いながら。

 

 戸惑った鼓動を無視するために、グラスのお酒を飲み干した。

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