迷子の幼女=ウイルス
渡貫とゐち
自分を守れるのは自分だけ
改札の前(駅の外側だ)でうろうろとしていた小さな女の子がいた。
その子をずっと見ていたわけではないけれど、しばらくスマホを見てからふと顔を上げれば、女の子がまだそこにいた。
視線を回して誰かを探しているようだ…………迷子なのかもしれない。
声をかけると怪しまれるので、まずは駅員にこのことを伝え、女の子の事情を聞いてもらうことにする。
女の子側からすれば、ただのサラリーマンだろうが駅員だろうが同じく大人の男性なので警戒するだろうけど、俺が声をかけるよりはマシだろう。
駅員なら、事案になることもない。
駅員に連れられて窓口までいった女の子だったが……その後、その子が引き返してきた。
なぜか真っ直ぐ俺のところに足を運んで――――
残り一メートルのところで止まって、こっちを見上げてくる。
「おにいさん、いっしょにママをさがして」
「…………なんで」
「おにいさんが駅員さんを呼んでくれたんでしょ? だからおにいさんがいいなって思ったの」
「いや、そのまま駅員さんに頼めばいいじゃないか」
「駅員さん、怖い……」
「こんなおじさんの方が怖いでしょ」
「? そんなことないよ。おじさんじゃなくて、『おにいさん』だもん」
「おにいさんじゃ……、年齢的におじさんじゃないかな……。でも、ギリギリまだ二十代だからおじさんじゃないのかも……?」
おじさんと言っておいた方が傷が浅いとも思っていた。
おにいさんと自称しておきながら、「いやおじさんでしょ?」なんて言われたら傷つくだろうから。なので、だったら最初からおじさんでいればいい……。
が、女の子は俺のことをおにいさんと思ってくれたようだ。
「おにいさん、なんでとおざかるの。とおいよ」
「懐いてくれるのは嬉しいけどさ、もう少し離れてくれるかな……小さな女の子と親しくもない大人が傍にいると、周りから怪しまれて通報されちゃうからね」
周りの視線が気になる……。実際、通行人からちらちらと見られているのだ。
――女の子が怪しい男に襲われているのではないか? と思われても仕方ないだろう。
大人と子供は、身内でなければ近くにいるべきではないのだ。
「じゃあ、今だけおにいさんじゃなくて『おとうさん』って呼ぶ?」
「それはダメだ。途中で君のお母さんが戻ってきたらどうする。誤解されるだろう……、声を上げられたら悪者はこっちになるんだ。あとで誤解が解けるとしても、今の誤解は解けないことになるんだから……。毎日乗る電車で悪評が広まるのは嫌なんだよ。……こういう欠陥があるから、迷子の子供や困っている子供に手を差し伸べる大人が少ないんだよな……。手を差し伸べたら火傷した、みたいな……危険がある。だからみんな、見て見ぬフリをする――――」
さっきまで、見て分かる困っているこの子を、誰も助けなかったのだ。
リスクを考えれば、誰も『助ける』行動を起こせなかった。
「じゃあ、わたしがごかいをといてあげるけど」
「君の言葉よりも人は見た光景を信じるものだよ。悪いけど……君に人を動かすほどの影響力はないんだ」
「むー」
不満を示すように頬を膨らませる迷子の女の子。
そんな顔をしたって君の影響力が強くなるわけじゃない。
不満を訴えるように近づいてくる女の子を――やや大きな声で止める。
「ストップっ。それ以上は近づくな。近づけばこっちが誤解される」
「近づいちゃいけないの? 叫ぶよ?」
脅しになっていないけど、「叫ぶ」というワードにゾッとした。こっちがなにもしていなくとも、女の子が叫んだだけでこっちが白い目で見られるのが現代社会の怖いところだ。
「……距離さえ取っていればこっちのもんだ。今の時代は監視カメラもあるし、俺が無罪だってことはすぐに伝わるはずだよ。……それでもやっぱり、時間が経ったことで解けないままの誤解もあるんだけどさ……」
「…………」
「なんだよ、ゆっくりと近づいてくるな! 距離を取れと言っただ、」
「えい」
軽やかなステップで飛びかかってくる女の子。
こんな往来の激しい場所で対面の女の子に抱き着かれてみろ、俺は社会的に死ぬぞ!?
――飛びかかってきたが所詮は小さな少女だ、大人が動けば避けられる。
「あ。……よけちゃダメ」
「避けなければ俺が死んでたんだよ!!」
「わたしのこと、病原菌とか思ってる……?」
ほお、言い得て妙だった……分かりやすいたとえだ。
「当たらずとも遠からず、かな」
ただし、付着した菌に影響を受けるのは俺たちを『見ている側』だ。
誤解する、という最悪のウイルスが少女に染み込んでいる…………
そして彼女こそがウイルスの発生源なのだ。
女の子が両手を広げた。
小さい彼女が両手を広げても大きくは見えないが……比較すれば脅威が跳ねあがる。
「かっちーん。……もうにがさないから」
「やってみろ、こっちはこっちで本気で逃げてやるからな……――本気の逃走劇をお前に見せてやろう」
じ…………、と緊張感が生まれる。数秒が経った後、外のバスロータリーから聞こえてきたクラクションの音で俺たちは動き出す。駅前でがちんこの鬼ごっこだ。
隠れて、追いかけられ、逃げて――――を繰り返す。
やがて、夕日も沈み、夜が顔を出していた。
そう時間は経っていないはずだが…………短時間とは言え、本気の鬼ごっこを久しぶりにしたことでどっと疲れが出てきた……会社帰りにこれはしんどい……っ。
息を切らして、改札前のベンチに座る。
遅れて、まだまだ元気そうな女の子が隣に座った。
「つーかまーえたー」
「…………もうそれでいいよ」
呼吸が整わない。すっかりと衰えた……というかただの運動不足だろうけど。
スーツがよれよれだ。本気の鬼ごっこにスーツも悲鳴を上げている。
革靴は意識を失っているんじゃないか……?
くいくい、と袖を引っ張ってくる女の子の相手はしていられなかった。
息が詰まって、呼吸困難になりそうだ。
「――あ、おかーさん」
「え?」
ベンチに近づいてくる駅員と、同い年か、少し年上の女性。
少女がお母さんと呼んだのだから見間違いではないだろう。
「もうっ、やっと見つけたわ……っ、どこにいってたのよ!!」
「おかあさんこそどこに……。だいじょうぶだったよ、おにいさんと遊んでたの」
「……遊んでいたというか逃げていたというか……」
「わたしが鬼だったからね」
母親が分かりやすく動揺していたが、娘の笑顔を見たら俺に抱く危機感もすっかりと消えてなくなっていたようだ。……セーフ……。もう誤解を解く体力も残っていない。
「あの……娘の面倒を見てくれて、ありがとうございます」
「いえ…………なにもしてないですから」
なにもしないことを意識してがんばっていたようなものだ。
その後、女の子は母親に手を引かれて帰っていった。有り余る元気で大きく手を振っていたので、こっちは小さく振り返す……この駅をよく利用するなら、別の機会にまた会うことになるかもしれないな――――
「おほん」
と、傍にいた駅員が咳払いをした。注意を向ける仕草だ。
駅員は持ち場に戻ることなく俺の前に立ったままだ。
「迷子の保護、ありがとうございました」
「いえ……」
「ただ、往来の激しい場で大胆な鬼ごっこはやめていただきたい。普通は大人のあなたが子供を注意する側のはずですが……」
「…………誤解を、されないようにと…………」
「気持ちは分かりますが。小さな子に手を差し伸べることで悪者に見えてしまうかもしれない、と怯えて逃げるのは自衛としては充分ですが、逃げ方も考えた方がいいでしょう。さっきまでのあなたは誤解ではなく、普通に迷惑な人でしたからね……」
「それは――――それもそうか……」
「駅員を頼る、もしくは同行してもらうなりすればあなたへの誤解もないでしょう。たとえるなら、男ひとりで女性用の下着売場へ入るのはなんだか悪いことをしているみたいですが、女性と一緒であれば咎められることもない……でしょう? そういうものですよ」
「結局、こっちで対策しろってことですか……」
国が、世界が――――ルールが変わることはなさそうだった。
…了
迷子の幼女=ウイルス 渡貫とゐち @josho
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