第7話 敵意 後
「瞳美⋯⋯気をつけろ」
進もうとすると、涼花さんが手を伸ばして制止した。涼花さんは1度私に目を向け、刀に手を添えた。
人型の亡者達はそれぞれ左右の腕が1本ずつ、異様に発達している。
あからさまにあの腕が危険だと示しているようだ。
私達に気がついた亡者はゆっくりと片腕を引きずりながら迫り来る。
おそらく、これが御厨さんの言っていた人に害をなす亡者なのだろう。
私は咄嗟に札を2枚投げた。
重なった札は途中でバラけ、2体の亡者に向かって飛んでいった。
まっすぐ飛んだ札は当たったと思ったが、実際は2枚とも外れた。
「え、当たったと思ったのに」
私の投擲は悪くは無かったはずだ。
もう一度同じように札を投げると、また当たらなかったが、今度はなぜ当たらなかったのか目で捉えた。
亡者は札を躱したのだ。
私の投げた位置が少し離れているせいもあるが、ほんの少しその身体を傾け、札を避けている。
あののっぺらぼうの顔に、目や耳がついているとでもいうのだろうか。
「こいつら賢いな。場所を変えるぞ瞳美」
涼花さんが後方へ走り出し、頷いた私はその後を追った。
振り帰ると亡者も足を早め、私たちを追って来ている。
「瞳美はそっちへ」
「はい」
丁字路で私は左に、涼花さんは右に走った。
亡者はそれぞれ1体ずつ私と涼花さんを追いかけていた。
昨日見たものとも、一昨日のとも違う。
どちらかと言えばあの日の由貴のような、明確な敵意を剥き出しにして私を狙っている。
足を止め、私は覚悟を決め亡者に対面した。
異様に発達した左腕を地面に擦りながら亡者は近づいてくる。
「はっ」
札を1枚飛ばしたがまた軽々と躱される。
速度を上げ接近した亡者は左腕を振り上げ襲いかかった。
「危な!」
私は咄嗟に後ろに避けたがバランスを崩してよろけて尻もちをついた。亡者は直ぐに地面に振り下ろされた左腕を斜めに払った。
運良く転んだことで攻撃を回避したが、直ぐに追撃がやってくる。
再度振り下ろされた腕を避ける暇はない、そう直感し、札を1枚左手で取り出し、目の前につき出した。
「その力を持って我が身を守り給え」
どこからともなく浮かんできた言葉を口にし、力を込めた瞬間、光の壁が札の前に現れ、鈍い音を鳴らしながら亡者の左腕を止めた。
本当に浮かんできたのだ。けして事前に考えていたわけではない。
立ち上がった私はその後、何度も札から発生した光の壁で亡者の攻撃を止めた。
札から現れた壁は驚くほど頑丈で、単調に腕で殴りつけるだけの攻撃を何度も止めてくれる。
私は直接札を貼りつけようとしたが、それは避けられてしまった。
そしてやはり直接は怖い。
この得体の知れない身体に触れるとどうなるのか、まだ知らない。
ひたすらに隙を探し続けたその時、横に払った腕を躱すと、亡者は勢いそのままに背中を向けた。
「今だっ」
札を取り出し、すぐさま投げ飛ばした。
亡者を気がついたが時すでに遅く、札は背に貼られ、亡者は煙を立てながら消えていった。
札を貼るのに苦労しても、いちど身体にくっついてしまえば呆気ない。
確定した消滅からは逃れられない。
消えていく亡者を見下ろしながら、服についたホコリを払った。
初めて亡者に襲われたはずなのに、さほど動揺しなかった自分に驚きながらも、それが過去の経験のせいだと思うとため息が漏れた。
亡者も元は生きた生物なのに、死んでから、もしくは生きたまま魂を弄ばれた被害者なのかもしれない。
そう思うと途端に亡者が哀れに思えた。
「和磨達のためだけじゃない。死んだ人のためにも頑張らないとね」
地面に落ちた札を拾い、ポケットに入れると、涼花さんを探すため走り出した。
丁字路に戻ってきた時、屋根の上を飛び回る夏樹さんの姿が見えた。
夏樹さんも私に気づき、2階の屋根の上から飛び降りた。
「あれ? 瞳美ちゃんひとりなの」
「もう驚きませんけど2階から降りてきてなんともないんですか」
「うん」
呆れて顔が引き攣ってしまう。
いくら肉体を強化していても痛いことにはかわりがないだろうと。
「さっき2体の亡者と会った時に涼花さんと別れたので。涼花さんはあっちに行きました」
涼花さんが走っていった方向を指さして向かう。
しかし進んでも進んでも見つからず、私達はかなりの距離を走った。
「涼花ちゃん、どこまで行ったんだろう」
途中で夏樹さんは探索のためと、また民家の屋根を走っていた。
本当、家にいる人たちにとっては亡者よりこっちの方が怖いと思う。
「あ、あそこだよ瞳美ちゃん」
そう言った夏樹さんを見ると、正面斜め左あたりを指さしていた。
外壁に阻まれ、私からは様子が見えなかった。
「あっちの畑にいるよ」
真っ直ぐ進んで途中、左に曲がると広い空間に出た。
住宅街から打って変わって畑が広がり、視界が広がった。
その先の、畦道の真ん中で涼花さんは複数の亡者と戦っていた。
いつどこから来たのか、随分と数が多く、好戦的な亡者ばかりがいる。
私の顔に汗が滴った。
別に大量の亡者を恐れた訳では無い。
涼花さんの華麗な太刀捌きに見とれてしまったのだ。
囲まれ、動きを制限されながらも様々な形をした亡者の攻撃を躱し、受け止め、的確に日本刀で斬り倒している。
剣道を嗜んでいるとは予想はしていたが、こうも華麗に刀を扱う女子高生がいることに戸惑い、冷や汗が溢れ出た。
「瞳美ちゃん。行こう」
「は、はい」
夏希さんと共に加勢に向かおうと慌てて札を手に取った。
涼花さんは私達が来たことに気がつくと、待ったと言いたげに手を伸ばして手のひらを見せた。
その顔は暗くてはっきりと見えない。
が、隣にいた夏樹さんはなにか感じ取ったみたいだ。
「あ、いいや瞳美ちゃん」
「へ?」
やれやれ、と夏樹さんは首を振りながらナイフを腰に戻し髪を触った。
私は何度も首を振り夏樹さんと涼花さんを交互に見た。
「行かないんですか」
「うん。それより見ててあげて」
突然の心の変化を妙に思いつつ、言われた通り目を向けた。
涼花さんは亡者を押してはいるが、依然として囲まれ、苦戦している様子だ。
このままだとジリ貧になる。
そう思っていると涼花さんは敵の真ん中で突如刀を鞘にしまった。
そのまま見事な体捌きで亡者の隙間をくぐり抜け、距離をとった。
細い畦道で涼花さんの前方に大量の亡者が並んだ。
「白詰流抜刀術」
はっきりとそう言ったのが聞こえた。
実家で剣道場でも開いているのだろう。
左手で鞘を、右手で刀の柄を持ち、左足を後ろに引き、力を込めている。
「
瞬間、辺りが真っ白になるのと同時に、私の眼前に桜が咲き乱れた。
「綺麗⋯⋯」
私は花びらを舞わせた桜に見とれてしまい、ひらひらと舞い降りてきた花びらを手のひらで掬った。ハッと意識を取り戻すと、桜は姿を消し、涼花さんは亡者達の後方へ移動していた。
刀が鞘に納められる鉄の音が鳴ると、亡者達は一斉にその場で崩れ落ちた。
散乱した亡者達はそのまま地面に溶けいるように消え去った。
「す、凄いです!」
私の頬はいつのまにか紅潮し、心の底から興奮していた。
「瞳美ちゃん、近所迷惑だから声は抑えて」
夏樹さんが口元に人差し指を当てた。
「あ、はい⋯⋯う、うーん」
声のトーンは落としたが、目の前で見た幻想的な光景に対する興奮は覚める気配がない。
しかし、私の声なんて屋根を飛びまわることに比べたら遥かにマシだろうと思う。
「どうだ瞳美、白詰流抜刀術は」
ひと仕事を終えた涼花さんがゆっくりと近づいた。
「凄かったです。なんか目の前に桜がパーッと現れて、気がついたらビューって涼花さんが移動してて、そしてバサバサって亡者達が倒れてて。あの一瞬でバシバシ斬ったなんてヤバいです」
「そうかそうか。語彙が小学生レベルになるくらいには凄かったか」
「はい! あ、そういえば白詰流って」
「ああ、実家の剣道場の奥義だ」
「やっぱり」
涼花さんは鼻が高そうに腕を組み、顎を上げた。
「わざわざ瞳美ちゃんに見せたくて1人で戦うだなんて、涼花ちゃんも大概小学生レベルだけどね」
頭の後ろで腕を組みながら、夏樹さんは茶化すように言った。
「うるさい。私は瞳美も鍛えれば同じようなことが出来ると教えたくてだな」
「嘘だあ。わざわざ涼花ちゃんみたいに技名つけたりとか格好悪いよ。そんな事しなくていいからね瞳美ちゃん」
「格好悪いとはなんだ。これは一子相伝のだな」
「一子相伝って言っても実際に使ってるの涼花ちゃんだけでしょ」
「そ、それは他のやつは霊力がないから⋯⋯この技を具現化出来ないから普通の抜刀術に見えてだな」
「ほらぁ、わざわざ名前なんてつけないんだよ普通。霊力どうこう言うなら瞳美ちゃんの御札投げなんでそれだけで必殺技なのに」
白熱する2人の話を聴いていた私は、突然恥ずかしくなり顔を抑えた。
技名とかではないが、札使う時に変なこと言ってた気がする。
これもきっと小学生レベルなのだろう。
両手で顔を隠している私の傍で、夏樹さんと涼花さんはなおも言い合っている。
「瞳美も後々名付けたらいいだけだ」
「だからぁ、そっち側に瞳美ちゃんを引き込もうとするの辞めてよね」
「そっち側ってなんだよ」
「そっち側はそっち側だよ」
顔を覆う指の隙間から2人の様子を眺めた。
涼花さんは見るからにイライラしているように見えるが、夏樹さんはいつもと同じような笑みを浮かべていた。
完全に涼花さんを挑発している。
そういう趣味でもあるのだろうか。
1度視線を2人から外し、もう一度向けると、2人の間に、どこからともなく現れた御厨さんが立っていた。
本当に音もなくと言いたいが、恐らく2人の声で聞こえなかっただけだろう。
「ハイハイ2人ともそこまで。何話してるのか知らないけど用が終わったら未成年はすぐ帰る」
御厨さんは2人の肩を叩いた。
「お前⋯⋯いつ来たんだ」
涼花さんは夏樹さんに向けていた感情をそのまま御厨さんへ向けた。
「今よ今」
「何してたんだ」
「大人の用よ」
「くだらん」
涼花さんは振り返って御厨さんから距離をとった。
そして私に近づき、何かを期待した目を見せた。
「お前は分かるよな瞳美。名前は大事だよな」
こういう時、はっきりと言える夏樹さんのような性格は少し羨ましい。
「え、そうですね。かっこいいと思いますし」
「うんうん。そうだよな」
狼狽えながら答えると、涼花さんは上機嫌に頷いた。
「そんなのどっちでもいいでしょ。早く帰りなさい」
御厨さんは呆れ帰った様子で帰宅を促す。
「そんなおばちゃんみたいなこと言わないでよ御厨ちゃん。イタタタ……ちょ」
茶目っ気でそう言った夏樹の頬を、御厨さんは見事な手際で抓った。
実際、おばちゃんは駄目だと思う。
御厨さんが先に手を出していなければ私が怒っていたところだ。
「で、どうだった瞳美。2人と動いてみて」
夏樹さんの頬をつまんだまま、御厨さんが尋ねた。
「すごく心強かったです。2人とも格好よくて」
「そう。それはよかった」
私に微笑みかけながら夏樹さんの頬を手放した。
夏樹さんは流石に笑顔を崩し、頬を撫でている。
「じゃあ僕は先に帰るね。じゃあね皆。あ、御厨ちゃんはちゃんと瞳美ちゃんを送って行くんだよ」
また笑顔に戻った夏樹は手を振りながら走り去って行った。
時代が違えば、彼女は良い女忍者になっていただろう。
あっという間に夏樹さんの姿は暗闇に溶けた。
「皆同じ方向なのにね」
御厨さんがクスッと笑い声を漏らすと、涼花さんもつられて笑った。
「ま、あいつは睡眠時間足りなくなると恐ろしいことになるからな」
恐ろしい情報が藪から棒に耳に入った。
あの人のあの態度を崩すのがまさか睡眠不足とは。
私達は仲良く歩き出し、少しして国道を超え、涼花さんと別れた。
何度か断ったが、家まで送ると頑固な御厨さんと共に、私は数十分掛けて自室のベッドに戻った。
布団を剥がすと、マネキンは消え、札だけが1枚残っていた。
帰ってきたから消えたのか、それとも時間切れで消えていたのか、その辺がよく分からない。
ただ今はもうそんなこと考えずに寝たい。
布団に入って目を瞑ると、急に今夜のことが恐ろしく思えた。
敵意、もしくは殺意のようなものを向けられるのは久しぶりだった。
過去においては、寿磨が私を守ってくれた。
しかしさっきは確かに自分で戦い、身を守らなければなからなかった。
御厨さんと別れるまで一切考えていなかったというのに、こうして1人で眠りにつこうとすると、恐怖が体の底を張り巡る。
どうやら私は御厨さんだけでなく、涼花さんと夏樹さんに随分精神的に助けられているらしい。
今までよく亡者に遭遇しなかったと、胸を撫で下ろす。
それはきっと御厨さん達のおかげだと思うと、今の自分が誇らしくなりゆっくりと夢の中へ落ちていった。
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