第4話 初陣 前

 耳障りな携帯の音が鳴り響き、目を覚ました。

 時刻は夜中、健全な中学生や年頃の乙女が起きていていい時間では無い。

 パジャマを脱ぎ、ジャージに着替え、札を財布と携帯と共に小さなポーチにしまい、肩にかけた。

 運動靴を手に持ち、窓へ向かいカーテンを開ける。

 いつもの散歩の時間よりも早いこともあって、周りの人達が起きているかもと心配だったが、目の前に見える和磨の部屋はカーテンが閉められ、真っ暗になっていた。


 安堵し、ゆっくりと窓を開けると、屋根に乗り静かに家を出た。

 おそらく両親は既に寝ている。

 もし仮に音に気がついても野良猫か何かとしか思わないだろう。

 家を出てからはいつも通り歩いて、約束の公園へ向かった。

 少しして公園に着くと、街灯の下に御厨さん達3人が既に集まっていた。

 御厨さんは夕方の白いワイシャツに黒いスカートと黒いストッキングの姿で、相変わらずの会社帰り姿だ。

 それよりも2人の格好が目につく。

 万年青さんはオレンジ色のジャージを着ていて、警察に見つかれば絶対補導されるような見た目をしているが、それはまあいい。

 問題は白詰さんだ。

 紺色の剣道着を着用し、なにか羽織って見えにくくしているものの、腰に日本刀のようなものを差していた。

 偽物であれ本物であれ、見つかれば通報されることは間違いないだろう。

 女の人が夜中に3人で公園に集まってるだけでも危ないというのに、二重の意味で危ない人達になっている。


 あの場に混ざれば私も危ない人になるのではと、公園の入口で足踏みしていると、私の存在に気がついた万年青さんが手を振った。

 手を振り返し、諦めて駆け足で3人の元へ向かった。


「すみません。私が最後で」

「いいのいいの。みんなついさっき来たところだし」


 万年青さんが気にしないでと手でジェスチャーを送りながらニコニコと言った。

 万年青さんにに笑いかけながら、白詰さんの腰に目を向けた。

 やはりどう見ても危ない人だ。


「あの⋯⋯白詰さん?」

「なんだ?」

「それって日本刀ですよね」


 腰に差したものを指さしながら尋ねると、白詰さんはそれを手で持った。

 


「まあな。亡者達を葬るための私の愛刀だ。あと瞳美、名字で呼ばれるのは好きじゃない。涼花でいい」

「わ、わかりました涼花さん」

「ああ」


 そう言って涼花さんは微笑し、腕を組んだ。


「じゃあ僕のことは夏樹って呼んでね」

「それは⋯⋯夏樹さんでいいですか」

「うーん、ちょっと寂しいけどいいよ」


 なんだかご機嫌な様子で夏樹さんはニコニコと笑っている。


「さあさあ、もう来るわよ3人とも」


 御厨さんが声をかけると、私達は頷いた。


「じゃあ涼花と夏樹はいつも通りに。瞳美は私についてきて」

「は、はい」


 涼花さんと夏樹さんは私がやってきた方向へ走っていき、姿が見えなくなった。

 御厨さんと2人で公園に残されて緊張していると、御厨さんの柔らかく淑やかな手が私の形に触れた。

 

「じゃあ瞳美、さっそく実戦よ」

 

 流石にいきなり実戦は早すぎると思った。

 

「あの、私まだお札を浮かせるくらいしかできませんし、霊力で肉体強化も出来てないんですが……」


 胸の前で両手を重ねながら、不安な気持ちを精一杯御厨さんへアピールした。


「大丈夫よ。あの札を浮かせることが出来た時点で余程の化け物が現れない限りあなたはほとんど無敵だから」


 結局、効果はなかった。

 顔の前で手を振りながら、御厨さんは軽く言い放った。


「む、無敵? たったそれだけで」

「ええ、今言った意味はすぐにわかるわ。とにかく行きましょう瞳美」


 無敵という単語に戸惑っていると、御厨さんに腕を捕まれ引っ張られた。


「え、ちょっと」


 私を無視して御厨さんは私を連れて公園を後にし、涼花さん達が進んだ反対の道を走った。

 角をひとつ右に曲がり、さらに角を左に曲がったところで御厨さんは足を止めた。


「居たわ。瞳美」


 先程までより声を小さくして御厨さんが言った。

 正面を見据えると、目の前の空き地に確かに奇妙な生物がいくつか地面、そして空中に存在している。


「な、なんですかこの形」

「亡者っていうのは人の魂さえあれば、形はその時次第、要するに自由なのよ」

「なんですかその独創的なアート作品⋯⋯」


 目の前の亡者は紺色だった。

 人形の元のもいれば、犬のようなもの、さらには体と思われる球体部分を、ちょうど半円になっているくらい地面から出し、その左右に翼とも手とも見れるものが生えている明らかにこの世のものでは無いと見てわかるものたちが点在している。

 一部はどう見ても人間の魂とは思えない。

 

「これが魂の姿⋯⋯」


 息を飲んでその物体を見つめた。

 一体、なんの意味があってこんなものが生み出され、世に放たれるのか。

 目の前に現れた亡者は、なめらかに体を動かし、土の中をまるで水のように、軽やかに接近してきた。

 物が地面の中を進むことがありえるのかと、困惑を隠せなかった。


「瞳美はそこで札を用意してて」


 気が付かないうちに右手が獣のように変化していた御厨さんが私の前に立った。

 とっさに札を取りだし、私が札を持ったのを確認して御厨さんは頷いた。


「じゃあ瞳美、夕方のように札に念じるの。亡者をどうしたいのかを」

「は、はい」


 私は手にした複数枚の札を握りしめ、力を込めた。


「亡者を⋯⋯魂を⋯⋯あるべき所へ」


 霊力を込める間、御厨さんは目の前を漂う亡者達に襲いかかった。

 地面を蹴ると物凄い速度で亡者に詰め寄り、変化した鋭い爪で亡者の身体を引き裂いた。

 全てに攻撃を与えた御厨が瞳美に目を向けると、札は霊力を放ちながら揺れていた。


「今よ。その札を亡者たちにぶつけるの」

「はい」


 札の1枚を右手の人差し指と中指で挟み、腕を横にし、フリスビーを投げるような形で手の甲を目の前の亡者に向けた。

 自然と、札をどう放てば飛んでいくかを、理解していた。

 恐らくこれは、昔よくお母さんに怒られていたトランプ投げの記憶のせいだろう。

 トランプというのは目標に向かって横の面を向け、切るように投げるとよく飛ぶ。

 右腕を外側に払うように振り、札を飛ばした。


「それっ」


 風に乗って札は加速した。

 勢いを増した札はまるで独自の意思を持つかのように、風に逆らってまっすぐ飛んでいく。

 札は1体の亡者に張り付くと思われたが、倒れた亡者のすぐ横を通過し、コンクリートの壁へぶつかった。


「あれ⋯⋯」

「瞳美⋯⋯あなた⋯⋯」


 私達の周りに、なんとも言えない空気が流れた。

 御厨さんはわざとらしく両手を肩の高さに上げ、手のひらを上に向けながら溜息をつき、首を横に振った。

 まさに今、やれやれという言葉が自然に聞こえてくる気がした。

 その溜め息が私の奥深くまで響く。

 人を応援する人間が最もしてはいけないのが溜息だと、この人は学ばなかったのだろうか。


「しょうがないじゃないですか! ソフト部だったのにボールだって上手くコントロールできなかったんですから」


 私の悲しい叫びが無人の住宅街に響き、なぜだか目に涙が溜まっていた。

 体を小刻みに震わせながら、御厨さんの顔を斜め下から覗いてみた。相変わらずの美人だ。見ていると怒りなんて消え失せる。

 今度は失敗しないよう、動けない亡者に直接札を貼った。

 すると亡者は煙を出しながら、貼り付いた札と共に姿を消した。


「凄い⋯⋯あっという間に消えた」


 まさに消滅したといえる目の前の光景に感動していると、御厨さんの右手が、瞳美の肩に乗った。

 いつの間にか手は元に戻っている。


「さあ、他の亡者達も」


 私はさらに、御厨さんによって動けなくなった亡者達に札を貼り、空き地にいた亡者を全て消滅させた。


「分かりましたよ。御厨さん。この札の力」

「そう。だから言ったでしょ。最強だって」

「ええ、この札に霊力と共に思いを込めれば、望んだ通りの力を発揮できる。そうですよね」


 微笑みを向けながら御厨さんは頷いた。

 私は胸の前に手を重ねた。


「そう。霊全想真れいぜんそうしん、霊力は全ての想像を真実にする。もちろん出来ないことはあるけれど、ほとんど文字通りの力よ。使い方には気をつけてね」

「はい⋯⋯」


 札を眺めていると、今は自室で寝てるであろう寿磨のことが浮かんだ。

 私がもっと昔にこの力を知っていれば、寿磨の腕が動かなくなることもなかったかもしれない。

 由貴もあんなことにはならなかったかもしれない。

 そのことを想うと自然に身体に力が入り、札を握りしめた。

 あの日の自分の弱さを、力を手に入れた今だからこそ実感した。


「もっと早く知っていたら⋯⋯」


 鼓動が早くなり、息が苦しくなる。

 忌々しい記憶が鮮明に、脳裏に映し出された。


「寿磨⋯⋯由貴⋯⋯ごめんね」


 私は夜空に向かって親友の名前を呼んだ。

 浮かび上がった寿磨は今の姿だというのに、もう1人の親友は、6年前の小さな姿のままだった。 


「さあ瞳美、他のところも見にいきましょう」 


 そっと御厨さんは私の背中に手を添えた。

 その手は人間のものとは違い、毛深く、鋭利な爪が存在していていることが、布越しにもよく分かる。

 だがその獣の武骨な手の奥には、私への慈愛が感じられる。

 なにも事情を聞いてこないのが、とてもありがたい。


「はい⋯⋯」


 ────


 その後私と御厨さんでただ彷徨うだけの亡者を消滅させていった。

 住宅街とはいえ、騒音を撒き散らすことも異臭を放つことも無くただ存在しているだけの魂を消滅させることはいい事なのかと迷いが芽生えないこともない。

 だが変異して人を傷つける恐れがある以上、静かに放置してあげることも出来ないのだ。

 一時の感傷は過ぎ去り、私はもういつもの調子に戻っていた。


「瞳美は亡者に札を付ける時、どんなこと考えてた?」


 涼花さん達より一足先に公園に戻り、ベンチに並んで座って休んでいた。

 この時間、休むといえば睡眠を指すはずだが、御厨さんはまだ私と話したいことがあるみたいだった。


「⋯⋯ただ静かに眠って欲しいと思いました」


 御厨さんの問いに答えながら、私は札を手に取って眺めた。

 この札は簡単に亡者を消し去ることが出来る。

 まるで火の中に紙を放り投げた時のように、神が下々を弄ぶように。


「もし亡者を消滅させるために力を込めた札が人に当たれば、影響があるんですか」

「うーん⋯⋯」


 御厨さんは公園の自販機で買った缶コーヒーの蓋を開けて少し飲んだ。

 こんな時間からコーヒーを飲めば帰っても寝れなくなりそうなのだが、社会人には色々あるのだろうか。


「私もその札を使えたのは1人しか見た事ないから分からないけど、少なくとも他人に影響を与えることは出来るの」


 札を持つ手に力が入る。

 つまりこれの使い方を誤れば、人を傷つけてしまう可能性もあるということだ。

 力には責任が伴う。どこかで耳にした言葉が重くのしかかる。

 それはそうと、御厨さんの言うこの札を使える人がどんな人なのか気になる。


「その人はどんな人なんですか」

「⋯⋯美希恵みきえはね」


 その人の名を口にした途端、御厨さんの瞼が下がり、太ももの上で缶を両手で握りしめている。

 綺麗な目は虚空を映し、その姿は由貴のことを想う時の寿磨や私に似ている気がした。

 触れたくない。触れたくはないけれど、忘れたくもない。

 混沌とした感情が巡る中、忘却の彼方に消え去ってしまわないよう、辛い思いをしてでも何度も思い出す。

 そんな私がいつも抱く心情と勝手に重ね合わせた。


「ごめんなさい⋯⋯」

「瞳美が謝ることはないのよ。ただ美希恵とは色々あったのよ」


 御厨さんの瞳に色が戻る。

 御厨さんは不意に私の髪を撫でた。

 まるで母親が子供の髪を梳かすように柔らかな手つきで私の髪を擦った。

 気恥ずかしさはあるが、御厨さんに触られること事態に嫌な気はしない。


「あなたは優しい子ね。見ず知らずの亡者にすら情をかけられる」


 髪を撫でる手が止まる。


「でも私は今でも亡者に情をかけるべきでは無いと思ってる。それがたとえ、亡者になりかけている生きた人間だとしても」


 まるでこれは、私ではなく美希恵という人に語っているようだ。

 すぐ隣で触れ合っている御厨さんの声が遥か遠くに聞こえる。


「御厨さん⋯⋯?」

「あっ、ごめんなさい」


 御厨さんの手が髪から離れる。

 やはり私では無い誰かに意識が向けられていたのか、御厨さんは瞠目すると物悲しそうに笑みを浮かべた。


「とにかく瞳美、亡者なんて言葉も通じなければ、動物のように心を通わせることも出来ない存在よ。情をかけるってことは、その度にあなたの心が傷つくってことでもあるの」

「私の心⋯⋯」


 そっと胸を押える。ここに心があるのかは分からないが、心臓はやや早めに鳴っている。


「もう見たくないのよ。大切な人が亡者のために自分を犠牲にする姿は」


 御厨さんは一気に缶を傾けて喉を鳴らした。

 あっという間に空になった缶を握りしめてへこませると、缶をゴミ箱に向かって投げた。

 自販機の横に設置された金網のゴミ箱に向かって放物線を描き、見事側面に当てつつ中へ入れた。 

 入ったことが嬉しかったのか、今度は混ざりけのない喜びの笑みを浮かべた御厨さんを見ていると、今聞いた美希恵さんのことについて知りたくなった私の好奇心は胸の奥に閉まっておくべきだと判断した。


「わかりました⋯⋯」

「そんな暗い顔しないで。あなたのことは私達が必ず守るから」


 御厨さんの冷たい手が私の頬を撫でる。

 妖艶な顔で見つめられると、緊張して身体が硬直してしまう。


「ありがとうございます」


 私は軽くお辞儀した。


「じゃあ瞳美、今日はもう帰りましょう。家の前まで送っていくから」

「いいんですか? まだふたりが戻ってませんけど」

「いいのよ。ここに戻ってきたのは少し話がしたかったからだし。あのふたりには連絡しておくから」

「そうですか、わかりました」


 そうして私たちは公園を後にし、御厨さんに家の前まで送ってもらい、屋根から部屋に戻った。

 携帯の時計を見て絶望しながら、残り少ない睡眠時間をできるだけ確保しようと目を閉じた。

 


 

 

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