第2話 霊力 前
翌朝、目を覚ますとすぐに背伸びをしながら欠伸した。
「眠い⋯⋯」
いつもなら散歩した日も朝は普段通り起きられるのだが、今日はいつもより瞼が重かった。
ベッドから降りて窓のカーテンを開けると、ちょうど窓の向かい側で幼なじみの
寿磨は黒い跳ねた癖毛を触りながら、窓を開け、続いて私も窓を開けた。
「おはよう寿磨」
「おはよう」
私が手を振ると、寿磨が振り返した。
「じゃあまた後で」
そう言って窓を閉めた。
去り際、寿磨の寝癖が動くのを見て笑い声がこぼれた。
階段を降りてリビングに行くと、両親がテーブルを囲んで既に朝食を食べている。
父はスマホ片手にトーストの最後の一口を齧り、母は私が降りてきたのを確認し、冷蔵庫から牛乳を取り出しコップに注いで私の席に置いた。
「おはよう」
大きく欠伸をしながら挨拶すると、2人が挨拶を返した。
私はテーブルに並んだ朝食を食べ、身支度を整えた。
「いってきます」
母に見送られながら家を出ると、ちょうど右隣の家から寿磨が姿を現した。
寝癖は綺麗になくなったかのような思われたが、いつものようにてっぺんに残っていて、前髪が眉の上まで下ろされている。
「よっ」
寿磨が軽く手で挨拶し、隣へ並ぶと学校へ向けて歩き出した。
小学生の頃から、私達はいつも一緒に登校していた。
昔は多くの言葉を交わしていたが、最近では会話も少なくなった。
それは私達が大きくなったからなのか、いつも一緒だから話すことがもうないのかわからないが、それでも私達はいつも自然に同じ時間に同じ道を歩いていた。
「ねえ寿磨」
「どうした?」
「幽霊っていると思う?」
「なんだ突然」
私は夜中に起きた事を寿磨に話しても大丈夫かどうかを確かめようとした。
昨日のことを誰にも話すなとは言われていない。
と言っても、友達や大人に話しても、私の頭がおかしくなったと心配されるだけだろう。
寿磨は少し気の抜けたような顔をしたが、直ぐに表情を引きしめた。
「俺は⋯⋯いると思う」
私は目を見開きゆっくりと瞬きした。
「やっぱりそう思う?」
「うん。だって幽霊の仕業とでも考えなきゃ、やっぱりあんな事起きないだろ」
「そう⋯⋯だよね」
「俺は今でも、あいつは何かに取り憑かれたんじゃないかと思ってる。それこそ幽霊とか、妖怪とか」
「⋯⋯そっか」
寿磨の答えに私は瞼を落とした。
「急にどうしたんだ」
「別に、ただ昨日ネットで心霊現象のサイトを見てて」
「なんだ、それで眠たそうなのか」
「あはは⋯⋯」
愛想笑いを浮かべながら、寿磨の左腕に目を向けた。
もうすぐ夏ということで、周りの生徒は半袖の夏服姿が目立ってきたが、寿磨は制服も私服も年中長袖のものを身につけている。
その理由が自分達にあることが今でも心苦しく、胸が痛む。
寿磨になら話しても大丈夫、そう考えた自分を責めるように首を横に振り亡者のことを話すことをやめた。
腹の中からの幼馴染である寿磨は、いつも私の近くにいた。
いじめられた時や、怪我をした時、そしてあの時も、何度も自分を助けてくれた寿磨に、ただの男友達にはない感情を抱いているとは自覚しているが、それは多分恋心では無いのだろう。
おそらく今回も寿磨に話せば私を助けてくれる。
でもそれでは駄目なのだと、寿磨の左腕に目を向ける度に私は今度こそ寿磨に頼らないと心に誓った。
「亡者は人に危害を及ぼす。だから今度は私が寿磨を守るよ」
私達は学校に着くと、それぞれの教室へ入っていった。
受験生ということもあって、今度のテストに向けてクラス全体が緊張感を漂わせている。
このクラスの雰囲気を私は気に入っている。
テスト直前になって慌ててる生徒を見ると心が晴れる。
いい意味でも悪い意味でも静かなこの空間が、妙に落ち着くのだ。
真ん中1番後ろの席で物思いにふけながら、今朝御厨さんから届いたメールについて考えていた。
『今日の夕方に芝山公園の体育館前へ来て。紹介したい子達がいるの』
御厨さんが紹介したいという人達を想像しながら、窓の外へ目を向けた。
子達、ということは私と近い年の人達なのだろう。
まだ見ぬ同士への期待を抱きながら、先生の語る授業内容が耳から耳へと通り抜けていった。
放課後、足早に家に帰った私は急いでラフな黄色いワンピースに着替え、芝山公園に向かった。
両親が共働きのおかげで、テスト前だというのに外出するのに面倒がなかった。
自転車を漕ぐこと10分、公園へ到着した。
芝山公園は北に総合体育館があり、そこにはプールや柔道場、バドミントン場やトレーニングジムが併設されている。
中央には大きなグラウンドがあり中学生の硬式野球チームがいつも練習している。
さらにその南には横幅10メートルを超える大きな滑り台があり、子供たちの人気を博していた。
私も小さい頃はよく滑り、当時ダンボールをお尻に敷いて滑るという遊びが流行っていた。
ダンボールを敷くことによって滑る速度が増すというのが人気の理由だったが、1度私は勢い余って頭を打って大泣きしたことがあり、それ以降ダンボールを使うことはなくなった。
「なんか嫌なこと思い出したな」
グラウンドの周りには桜の木が植えられ、春になると花見の客で溢れた。
体育館前まで自転車で行くと、夏のOL姿の御厨とそのそばに同じ赤のジャージ姿の2人の少女の姿が見えた。
「こっちよ瞳美」
気がついた御厨さんが手を振りながら私を呼んだ。
自転車を壁際に置き駆けよる。
「ほぇぇ⋯⋯すっごく可愛い」
気の抜けた音を出しながら、私はこっちを見ている2人の少女を見比べた。
1人は青みがかったポニーテールで背も高く、気の強そうな美人で、見るからに男勝りといった感じの女の子だ。
もう1人は黄緑のショートヘアで、私より背が低く、幼い顔立ちの美少女だ。
アイドルユニットでも作るんじゃないかと思った。
そして地域再生でも目指して活動するんじゃないかと。だがこの街に地域再生など今は必要ない。
なぜならわが市はふるさと納税でがっぽり稼いでいるのだ。
まあもし仮に万が一アイドル活動するなら私はマネージャーとして頑張ろうと思う。
────
「紹介するわね」
御厨さんが私を手で示しながら2人の少女に向けて言った。
「この子がさっき言ってた瞳美よ」
「苧環瞳美、中学3年です。よろしくお願いします」
2人に向かって頭を下げた。
顔を上げると、2人の顔がはっきりと見えた。
近くで見てもやっぱり美人だった。
御厨さんも合わせて皆美人なので、少し気後れする。
「
青みがかったポニーテールの少女がまず名乗った。
やはり、声と発言からして男勝りのようだ。
私の勝手な憶測だが、この人は生徒会長っぽい。
「僕は
そして緑髪の少女が名乗り、初対面を済ませた。
まさかの僕っ子でびっくりしたが、間違いなく女の子だろう。
万年青さんの胸に目をやると、確かにそれなりの膨らみがあった。というより私より大きい。
決して、断じて私が小さすぎるという訳では無い。それは間違いない。
なんとも言えぬ敗北感を味わいながら、息を漏らした。
「はい。じゃあこれから仲良くね皆」
私達を見ていた御厨さんは手を叩き、暢気に言った。
「それで、この子の能力はどうなんだ」
白詰さんが腕を組み、ため息を吐きつつ御厨さんに尋ねた。
やはり私は信頼されていないのだろう。白詰さんの声が重い。当然だけど。
「まだ何も分かっていないけど多分私達の中で1番強いわよ」
「そんな馬鹿な⋯⋯」
信じられないと言った様子で白詰さんが私に顔を向けた。
実際、私だって信じられない。
強いと言われたことに対する戸惑いと、白詰さんに見られ照れくささのまざりあった感情が湧き出る中、軽く会釈した。
万年青さんは白詰さんと対照的に手を頭の後ろで組みながらニコニコと笑っている。
「まあすぐわかる事だから」
御厨さんが明るく笑顔を作りながら、胸の前で右手の人差し指を立てた。
自分への評価の高さが信じられないでいると、御厨さんがスカートのポケットに手を入れた。
「ようやくこれが扱える子が見つかったわ」
そう言いながらポケットから手を出すと、手にはやや黄ばんだ長方形の紙が握られていた。
御厨さんは紙を持ったまま私の目の前に立った。
「はい瞳美、この御札を持っていて」
手渡された黄土色の紙を見てみると、『霊全想真』と墨で書かれていて、その文字を赤い線が四角に囲っている。
風と水を表すような変な模様がさらにその線を囲むように描かれた紙は、明らかに御札と言うべきものだった。
私は陰陽師にでもなればいいのだろうか。
札からは微かに昨日の霊力のようなものを感じる。
「なんですかこれ」
「それは亡者と戦う武器にもなるし、あなたの盾にもなるわ。まあそれを使った戦い方は今夜教えるから
「今夜?」
首を傾げると、御厨が呆れた様子で私を見た。
しかし何かを思い出したのか、ハッとした表情を見せたあと、申し訳なさそうに右手を縦にして上下に動かした。
「昨日言ってなかったけど、亡者って基本的には夜に出てくるのよ。だからまた夜に集合してね」
「は、はぁ」
協力すると言った手前、寝たいから無理とも言えない。
親に内緒でまた外出できるか心配になりながらも納得するしかなく、札を片付けた。
万年青さんと白詰さんに目を向けると、2人は準備体操のようなものをしている。
そしてさらに、御厨さんも腕を伸ばしてストレッチしている。
「じゃあ瞳美も準備してって、そういえばその格好⋯⋯」
御厨さんは上から下に私の服装をチェックしていた。
「着替えは持ってる?」
「見ての通りですが?」
文字通り私は着替えが入るような鞄など持ってはいないし、着替えを紐でまとめて頭の上に乗せてもいない。
しかし御厨さんは着替えくらい入りそうな肩掛け鞄を壁際に置いていたようで、それを取りに行って戻ってきた。
「今からトレーニングするんだけど、言ってなかったかしら」
御厨さんはわざとらしく頬に手を当てた。
「何一つ聞いていませんよ⋯⋯」
「じゃ、じゃあ私の予備の服貸すから……更衣室借りて着替えましょ。色々教えるから」
「え⋯⋯ってちょっと!」
御厨さんに手を引かれ、体育館の中へ吸い込まれるように入っていった。
────
「瞳美は今日が初めてだから軽くね」
御厨さんの持っていた黒いジャージに身を包み、外に出ると、涼花と夏樹の姿が無くなっていた。
サイズが大きいせいなのか、若干胸の当たりの風通しがいい気がした。
誠に遺憾ではあるが、まあきっとそれは身長差が大きな所以だろう。そうに違いないと推測できる。
何度も胸の当たりを触ったが虚しいだけだったからやめた。
「さあランニング開始よ」
御厨さんに流されるまま、グラウンドの周りを走り始めた。
「なんで運動なんですか」
「亡者と戦うには体力が必要だからよ」
「⋯⋯呼吸が大事とか言いませんよね」
「言わないけど⋯⋯本当に走る体力あった方がいいだけだし」
1周約600メートルの外周をゆっくりと走りながら尋ねた。
「霊力があればそれでいいんじゃないんですか」
「亡者が簡単に霊力で消滅させられる程度の強さならね。それに単純に体力が無いと霊力を維持できないから。それと⋯⋯」
「それと?」
「私やあの2人はトレーニング中に肉体の中にある霊力を活用することで身体能力を上げて常に霊力を身体に馴染ませていってるのよ」
すぐには言ってることが理解できず、頭の中で考えてみた。
その結果、あのふたりや御厨さんは今も霊力を使って身体能力を向上させ、言わば高負荷トレーニングをしているのだと勝手に結論づけた。
「てことは御厨さん達は普段からあれくらい動けるんですか?」
「私は昨日みたいに肉体を変化させなきゃあそこまでの力は発揮出来ないけど、まあ一般人に比べたら動けるわね。でもあの2人は普段から凄い身体能力を誇ってるの」
「てことは私もそれを?」
御厨さんは振り向きながら頷いた。
「やり方は後で教えるわ。まず瞳美は霊力の簡単な使い方を覚えるの」
そう言われるとこのトレーニングも良いものに思えた。
私も昨日の御厨さんのように地面から屋根に飛び上がりたい。
あんな能力があれば、多少悪いことをしても逃げ放題だ。
御厨さんは私の3歩前をゆっくりと走っている。
途中私達の倍以上の速度で走る白詰さんと万年青さんに追い越された。
2周したころ、少し私の息は上がっていたが、それでもまだ余裕があった。
「ところで何周くらい走るんですか」
「10周よ」
「6キロも!?」
「ええまあ、でもまあ今日はあと3周にしましょうか」
ホッと息を撫で下ろした。
しかしすぐに顔を顰めた。
次からはそれだけ走らなければならないなんて、悪夢のようなものだった。
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